よく「授業力アップの研修」、「メンタルヘルス研修」などが校内研修の一環で行われる。

授業後、帰りの会を済ませて、なんとか勤務時間内に行われる。


1時間前後の時間をとり、まあそれっぽいことをやるのである。


私は型通りの研修を受け、いつも思う。

「こんなもん、意味がない」と。

「根本的な部分から変えないと、枝葉だけいじくっててもしょうがない」と。


「授業力アップの研修」を年に数回受けて授業が飛躍的に上がるとは思えない。

現場の教員に足りていないのは「授業力アップの研修」でもすぐれた指導書でもない。


【時間的・精神的・物理的なゆとり】である。


朝も早くから部活動、そして授業、学級経営、生徒指導、校務分掌。

なんとか1週間を切り抜けても、土日も部活の試合や練習で休む暇さえ与えてくれない。


教えてくれ、どこのどの場面で授業研究ができる?

わずかなプライベートの時間も削れというのか?


そんな根本の【時間的・精神的・物理的なゆとり】を与えないままに、「授業力アップの研修」などをやるのである。


【時間的・精神的・物理的なゆとり】がなければ、授業はよくならない。

ゆとりがなければ、「授業研究するぞ!というやる気」も、「生徒を引き付けてやまない導入のアイディア」も、「生徒に分りやすいビジュアル化した掲示物」も生まれないのである。


そんな状態で「研修はやりました」と教育委員会に報告したところで、まさにやっつけ仕事。

研修の時間に、英気を養うために寝ているほうがよっぽどマシだ。


月曜から日曜まで、フルスロットルに生活をし、いつも頭の中には仕事でいっぱい。

1週間のサイクルを終えても、エンドレスリピートが繰り返される。


だから、うつ病などのメンタルヘルスに問題を抱える人が増える。

当然の帰結というものだ。


ゆとりがないのに、「メンタルヘルス研修」などしても意味がないのだ。

むしろ「メンタルヘルス研修」の時間が、教師のゆとりをうばっている皮肉な結果である。


教育委員会、および現場の長は、この単純な図式をなにも分かっていない。

または、分ってはいるが、見て見ぬふりを続けている。


いじめにおける「傍観者」となんら、変わらないといえる。


生徒の学力アップ、教師の授業向上・メンタルヘルス向上のために必要なのは、ゆとりだ。


だから、これからはゆとりを生み出すための、抜本的な改革が必要だ。


これだけゆとりがない状況で、さらに給料も減っているのである。

モチベーションの「モ」の字もなくなるというものだ。


教師がただただ黙っている時代は終わりなのかもしれない。


だんだん書いていくにつれて、いらいらしてきました(苦笑)。


寝ます。

良い夜を。

願わくは、みなさんの夢が素晴らしいものになりますように。


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