先日、新人戦があったので公式戦の試合会場に向かった。


会場準備の時間ぴったりに向かうと、会場には既に多くの顧問の姿があった。


必要な道具をてきぱきと指示して準備していく。


そして試合が始まる。

審判着を着て、きっちりとジャッジを下していく顧問。

自分のチームの試合でなくても、他の試合を見ながら試合状況について他の顧問と談笑する顧問。

生徒たちに今日の試合の内容について30分近く熱弁する顧問。

ベンチに入り、大きな身振り手振りを駆使して選手を鼓舞する顧問。


とにもかくにも、試合会場はただならぬ熱気を帯びていったのだった。


私は新人戦の駐車場係を命じられており、寒空の下、駐車場の整理を行った。


試合会場に行くといつも思うことがある。

私と他の顧問の、情熱のギャップである。


私は生徒が頑張ることはいいことだと思う。

勉強とは違う角度で生徒を見ることができ、新しい発見があるからだ。


その点は置いておいて、私にはどうしても部活にやる気が起こらない。

単なる苦痛でしかない。


それは私の専門分野ではなく、自信がないからだろう。

私にとっては、私の受け持つ種目の指導をすることは「生徒にアラビア語を教えなさい」という指令と変わらない。

つまり、指導ができないのだ。


「それならば、その競技について勉強すればいいじゃないか」という声もあるかもしれない。

その気概も起きない。


なぜボランティアのために、自費をはたいて関連書籍を購入し、審判講習会に赴き、作戦を練らなければならないのか。

私のプライベートの時間を奪わないでほしい。


だから私は、他の顧問とは違う、と感じる。

自分は、自分の土日という貴重な時間を侵されたくないのである。

それ以上でも以下でもないのである。

生徒のために云々、それは関係ないのではないか。

私たち教員には、それほどの自由も権利も与えられないのか。

公式戦になれば、とにかく試合会場に行かなければならないのか。

年末も、年始も、盆も、とにかく部活部活部活部活。


部活をガンガンやる教員を崇める風潮が悪だ。


私は年末年始は「空気を読まない」。

読めないのではない、読まないのだ。

空気を読むのであれば、周りに合わせて部活をするべきだ。


しかし、私は今回は信念を持ちたい。

当初の練習日以外はやらない。

のんびりするのが、私のマニフェストだ。


信念をもって、休みたい。

年末も、そして新年もだ。




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