ご無沙汰しております。
みなさま、ゴールデンウィークはいかがお過ごしだったでしょうか?
私はというと、4連休は2日間を試合で過ごし、残りの2日間を休みとして過ごしました。
試合の2日間は両方とも、朝から夕まで拘束されるタイプの試合だったので、非常に疲れました。
疲れたので、ブログからも距離をとっておりました。
たくさんのコメントありがとうございます。
前回の記事へのコメントも100を超え、様々な意見が届きました。
最近目につくのは同業者の方で、部活に疑問を抱えた結果としてこちらのブログにたどり着いたという書き込みです。
部活について悩み、そしてどうしたらいいか分からずにネット検索した結果、こちらに到着された方が多いようです。
そういった方の、少しでも心のよりどころとなってくれればいいと思います。
また、雑誌『AERA』の来週号で、アスリート為末大さんの連載が始まります。
その内容の第一弾は、「部活動顧問者はどこまで指導のために犠牲にならなければならないか」ということです。
このブログについてツイッター等で意見を述べられ、それを問題視されている為末さんとそれにまつわる他者の意見がどう展開されていくか、興味深いものがあります。
ぜひ、ご一読ください。
さて、試合で2日間過ごした私ですが、その中で考えたことは、「日本人特有の慣れあいという文化」についてです。
試合会場では、白熱の試合が展開され、スピーディーな審判のジャッジ、飛び交う保護者の歓声、汗ほとばしらせる生徒の姿がありました。
まさに青春。エネルギッシュでパワフルな日常の風景があったのです。
一方、ステージ上につくられた顧問の席。
長机とパイプいすだけの簡素な席ですが、朝から昼、そして昼過ぎを迎えると、顧問の中でも居眠りが目立ち始めます。
いかに熱心な顧問でもうつらうつら。眠りの世界を彷徨いながら、自分の審判の出番や、自分のチームの試合になると元気に飛び出していきます。
また、ステージの机上において、せっせと自分の教科のプリントチェックをする顧問もいました。
丸付けかノートチェックかは分かりませんが、時間の有効活用とばかりに一心不乱に作業を進めていました。
私はその様子を横目で見ながら、「そんなに大変なら、なぜ顧問を続けるんだ」という疑問を抱かずにはいられませんでした。
どちらの顧問とも、私より一回り年上の、中堅の教員でした。
そこで私の頭にふと浮かんだのが「日本人特有の慣れあいという文化」という言葉でした。
以前にも記述したテレビドラマ、『リーガルハイ』。
その中で、堺雅人さん演じる古美門(こみかど)弁護士の長台詞があります。
この場面は、企業の工場建設により公害で村の自然を汚された絹美村(きぬみむら)が公害訴訟を起こすことになり、古美門弁護士が弁護をすることになった回のことです。
絹美村の村人たちは最初は躍起になって訴訟に取り組もうとするのですが、企業から少額の示談金や交渉条件をつけられ、また企業の村人との「絆」を見せつけられるにつれ、訴訟をとりやめると発言する場面です。
まずは、ご覧ください。
古美門弁護士は辛辣かつ的確な指摘で、村人を叱咤します。
つまり「慣れあいに誤魔化されるんじゃない、絆ではない、金が必要なのだ」と。
最初は単なるドラマとして、一視聴者としてしか見ていませんでした。
しかし部活について考えていくにつれ、私はこれが、どうも教員にも相通じるところがあるのではないかと感じてしまうようになったのです。
「聖職者なのだから」、「子どものためなのだから」。そういった「絆」を堅持することを強要され、慣れあいの文化のもと、部活動を継続してきたという歴史につながるのではないかと。
ステージ上で眠ってしまっていた顧問も、自分の教科のプリントチェックをする顧問も、頭の中では部活への違和感があるはずなのです。
でも、長い間、無報酬や低報酬で飼いならされてきた結果、「慣れあい」で部活を持っているのではないかと。
その結果、かくも「ダニのような」思考力の低下のスパイラルに陥ってしまっているのではないかと。
私は、どう肯定的にとらえても、部活動の制度自体にはおかしさしか感じません。
教育委員会が教員の善意に甘えていること。そして「自ら飼いならされにいっている」教員の有象無象の姿。
私の職場のベテランの教員に言わせれば、部活動の指導は、生徒指導に必要不可欠なものらしいのです。
ですから、当然教員にも部活動の指導の力は必要不可欠な能力なのだそうです。
そのところが納得できない時点で、私は職場にいることさえ拒否されている気が、改めてしました。
今後の自分の身の振り方を、管理職に相談したいと思います。
ご意見、ご感想等、お聞かせ願います。
追伸、コメントはすべてしっかりと目を通しております。
コメント返しを少しずつしていく予定です。
お身体、お心、ご自愛ください。
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コメント
コメント一覧 (207)
賛否や良し悪しは別にして、法的というか現行制度において部活とは何なのですか?
当ブログを拝見する限り、「部活動は学校教育の一環」として学習指導要領なるものに明記されていると理解しました。学習指導要領は現法制度においては法的拘束力を持つもので、かつ、当該記述は学校に部活の運営責任があるものと理解しました。
一方で「部活などの課外活動は精選して地域や家庭に返すのが基本方針」「学校は放課後の課外活動から手を引くのが現在の方針」というコメントを拝見し、わけがわからなくなりました。
あくまでも「部活動は学校教育の一環」
ではないのですか?
そして、その運営を担うべき教員はその労働評価に残業という概念がなく、また、原則として残業はしないため「ボランティア」という私には意味不明の状態にあることが問題の所在ではないのでしょうか?
まず私は部活制度がおかしいと考える者のひとりです。このブログと真由子さんの活動は社会的意義も大きいと思いますし、大変勇気のある方だとも思ってます。私はこのブログを通して学校の様々な事情を知ることができ、一市民としてまた将来子を持ったとき何ができるか自分ごととして考えさせてもらってます。
ただこのエントリーを読んで感じたことは、このブログには多くの様々な人が訪れると思いますが、今回の記事は読む人によっては誤解や反発を生むリスクも大きいのではないかと思ったんです。
記事の中で、試合での一場面から動画へそして「ダニのような」や「自ら飼いならされに」「有象無象」という言葉で他の教師の批判を展開されいますが、部活問題にさほど関心のなかった人や教員の世界に明るくない人が読めば、あまり状況を想像し難く、誤解や反発のほうが大きいのではないかと思ったんです。
私自身、中学高校時代から、また今でも先生をそう捉えられないし、今違和感を感じておられる教員の方でも大学の教職時代にはそう感じなかったはずと思います。教員としてさまざまな無理解や屈辱的な経験をされてきたなかでそういう状況を把握できているのだろうと思います。
ただ今になって記事とコメント欄を読み返してみて、もしかして今回のエントリーは真由子さんと同じ経験をされている教員の方々に向けて書かれたものなのかなと感じました。もしそうであれば私のコメントはスルーしてもらえればと思います。
先生達が大変な思いをして部活指導してくれている事が分かりました。
ではどうしたら良いの?と考えます。
部活を無くすとか、地域に返すとか、
外部コーチとか色々意見が出ましたがこんなに全国津々浦々まで行き渡った部活と言う制度をどう改革したら良いのでしょうか?
ドラマでは弱くても勝てる野球部で盛り上がり、新聞でも大会結果報告で一杯。
大学受験や会社の面接時にも「部活は何を?」の質問は当たり前。こんなにも人々の日常に組み込まれている部活を無くせ!とひっくり返すにはどうしたら良いのでしょうか?
すいません脱字でした。
教職時代→教職過程の時代
部活動は教育課程外のものです。対して、過程内にあるのが、たとえば、授業です。授業に関しては、数学なら、中学1年生はこれを習いなさい。そして、これくらいの時間をかけなさい。という風に決められていますが、部活動にはこうしなさいという決まりはありません。
そして、部活動が校務に位置付けられていないところでは、顧問を決めるのに、業務命令が出せません。あくまでも、お願いという形をとって顧問を決めます。(なのに、全員顧問制を敷いていたりする)そして、この場合、顧問の仕事は、趣味のようなものです。なので、過労死したとしても、「好きで部活をやっていたんだから」という判決が出たこともあります。さらに、事故が起こっても、顧問が勝手に趣味でやってんだから、学校の責任じゃなくて、顧問のせいだよね、となることもあります。
こちらは、過労死が労災認定されなかった記事です。
http://ameblo.jp/sai-mido/entry-11291046205.html
こちらは、過労死が労災認定されなかった記事です。
http://blogs.yahoo.co.jp/tinrou6789/55567402.html
こちらの記事は、過労死認定されたものです。
『運動部活動の戦後と現在-なぜスポーツは学校教育と結び付けられるのか』\4,968-
面白そうです。どなたかお読みになりました?
これは個人的な意見ですが、部活動という言葉が議論をわかりにくくしているだけで、実は改善させる方法は単純な事なのだと思います。
放課後の全ては、子供の趣味の時間なのではないですか?部活動なんて言葉を使うから、保護者は無責任に教師に理不尽な当たり前を押し付けようとする。1度白紙にし、子供達がそれぞれにやりたい事に合わせて、それが出来る場所を先生と保護者で探せばいいんです。勿論、最終判断は保護者です。
そんな場所が地域になければ、有志を中心にその居場所を作ればいい。
右に習え、全国一律に同時に同じになる必要なんてない。当たり前の事を当たり前に変えていきましょう。
64時間ぐらいでしょうか。
年間だと、まあ、夏休みなども
あるので1000時間を超える事例
もありそうです。
時給1000円のアルバイト
だとすれば年間100万円を超過。
これが10年で1000万円、
20年なら2000万円。
仮に勤続20年で退職すると
して「退職金」は2000万円に
なるのでしょうか。
毎日新聞の記事です。
河合熟と名古屋大学が
共同で「大学受験生」向けの
講座を始めるそうです。
場所は河合熟で、講師は
名古屋大学の9学部から
「エース」の教授だそうです。
公立中学の教員は、「教材研究」の
時間を確保しないとまずいなと
思います。
私立高校の一部は既に
予備校の傘下にあります。
やりたい教員は顧問に手をあげればいい。したくない教員は「しません。」と言えばいい。これを通せば、部活動は縮小します。
ここで問題なのが、ほんとうはやりたくないが顧問をやってしまう教員がいることです。自分の正直な気持ちを表明した時、同僚や生徒、保護者が失望・避難することを恐れるのです。
人は、自分を承認してくれている人の期待を裏切らないように、本能的に護身します。「もし、私か顧問を降りたら、部員たちは困るだろうな。保護者たちは失望するだろうな。同僚にその分の負担が加わるだろうな。」などと考え、結局引き受けてしまうのです。
この思考傾向を、管理職や部活命教員は利用しているのです。
私は繰り返しいいますが「顧問をしません。」と断言すればいいのです。理由はなんでもいいのです。大げさに言いましょう。
「部活顧問のことで悩んでいます。自殺するかもしれません。」
120. 全体の奉仕者(元公立中学の教員)さんが指摘するように教科指導については、塾や予備校のほうが優れています。競争しても勝てません。
嫌なら辞めろ、ならブラック企業も派遣切りもワーキングプアも嫌なら辞めろですみます。
職業選択の自由、という人がいますが、移転の自由も同時の保障されていますので、部活に不満なら引っ越しすれば、って話にもできます。
入ったのは、「学力向上」のため
だけとは限りません。
「生活指導」も含めての事例も
あるかも知れません。
公立中学の教員が
私立中学の教員や
塾の講師に対抗する
には「丁寧な生活指導」
だと思います。
例えば、不登校の生徒のケアをする
とか、延々と「悩み事」を聴くとか、
そうしたことです。
もちろん、「部活」をしていると、
そうした「時間」は確保できません。
今までの部活動の流れを知っている人と知らない人の間でも感覚の違いはある。
私が先輩から聞いた話によると、昔は(きっと昭和30年代)部活は生徒の自主的な活動を支えようとする教師の善意で運営されていた。「バレーボールをやりたい仲間が揃った。先生、顧問になってくれませんか。今は同好会です。部活動に昇格すれば学校施設を使えるし、生徒会の予算ももらえる。それに大会にも出てみた。おねがいします。」というのが部活動だったらしいです。
だんだん世の中が豊かになり、スポーツなる娯楽に興ずる余裕が出てきた。ちょうど、東京オリンピックなどもあり、金メダルをとったスポーツは注目された。そして、次の優秀な選手を育てようと協会が力を注いだ。高校体育連盟、中学校体育連盟が学校での部活動を盛んにして、スポーツに親しむ環境を整え始めた。そして、現在に至っているそうです。
【昔話のコーナーでした・・・。】
現在の部活動は教員に「特別勤務手当」が支給されている、勤務ではあるけど勤務ではない。顧問になってもらうけど、土曜日とか日曜日の活動は顧問のあなたが決定権を持っています。平日も勤務時間内の活動で結構ですから、生徒のために引き受けてください。「手当」が特別に出されているから無償ではないけど、文部科学省も認めている「教育活動の1つ」ということです。
後援会ってすごいですね。私の職場にはそういうのありません。15ぐらい部活動がありますが、後援会ってないですね。保護者の会もないですね。
外部指導者は責任を持てない立場なので、あまりいい話は聞きません。
学校の顧問との関係が難しくて、裁判になりそうなこともありました。外部指導者が選手に体罰して、その顧問が責められてこともあったと聞いています。
部活動やろうと思って、この仕事に就いたわけじゃないから、部活動が原因で辞めたくはないし、結構「奉仕」しているから感謝はされても文句を言われる筋合いはないと思っている。同じ条件でこの部活顧問をやる社会人がいるのか?
保護者は勘違いしている人もいれば、教員に寄り添ってくれる人もいる。ありがたい。保護者からのクレームを保護者が受け止めてくれた。ありがたい。
入学前は、「お子さんにあった部活を選び、ぜひ3年間、部活動に積極的に参加させるように。」入学してからは保護者会のたびに、「部活に積極的に取り組むように」「お子さんが部活を嫌がるようになったら要注意です!」
これを聞けば、完全に部活は教育カリキュラムの一貫のように感じられます。
入れたくなくても、どこかには入らないといけない・・・
こんな風に指示しておきながら、実は嫌々やっている先生方が多いんだ、察してほしいっておかしいと思います。
こちらだって、なんで日祭日も縛られないといけないの?
お子さんにあった部活って、そもそも部活が運動に偏り過ぎで、運動に興味がない子はどうしたらいいんですか?
部活指導が疑問なら、そういう先生たちが頑張って実際の現場で声をあげていってくれないと本当に困ります。もっと練習させてってクレームを言う保護者がいたとしても、主導権をにぎっているのは顧問側なんですから。
☆さんが書かれる様な学校側の事情は、は、今までずっと読んでいるので分かっているつもりです。
その上で、頑張って変えていってくださいとしか言いようがありません。
皆さんの職場(生計を得る場)は教育機関なのですから。
私の夫も私立の教師です。いつ潰れるか分からないくらい切羽詰まっている私立です。
公立学校は、身分は安定しているのですから、これからもその職場にいるのならば、公立中学の子ども達と先生方が部活に縛られないように頑張ってください。
学校の中で色々な軋轢があるのは今までの書き込みで分かりました。
でも、保護者みんながモンスターの様に部活に一生懸命になっているわけでは無い。ぱりんとさんの様にイヤイヤ顧問に従っている子どもや保護者がたくさんいますよ。
校内での改革を進めたいならぱりんとさんのような保護者との「連携」が大事じゃ無いですか?それをモンスターだなんて言われたら勝手にしろです。
ウチの子は私立中で部活をしています。勉強一番の学校なので部活はお遊び程度です。
他校の公立中との交流もあり、毎週遠征に出掛け試合をし優勝を勝ち取っている学校があります。
そこの保護者は、先生が怖くて逆らえないと言います。親も子も険しい顔をしています。今の時点で新入部員は0。
厳しく強い部活が子どもや親から選ばれない。
校区の中学校ではある部活で全国大会出場させる顧問が赴任して来ました。1年目、そこそこの成果を上げたので翌年の部員が増えるかと思いきや思った以上に入ってこない。3年目の今年は存続の危機だそうです。
ここでは部活そのものをやめろと言う意見が主流でその意見も分かるのですが、現実的な所で言えばお遊び程度でやりたいと言う保護者(子ども)と手を組んでせめて土日の一日は休むと少しづつ変えていくのはどうなんでしょうか?その需要もあると思います。
なんで休日まで縛られなきゃいけないというなら、行かなきゃいい話。そもそも教育過程外なので、行かなくてもいい。それで、子供の肩身が狭くなるなら、顧問だって同じ。制度上練習の予定を立てられるのと、事実上決めるのは違う。
運動に興味がないなら入らなければいい話。
保護者にも色々な考えの人がいるのだから、教員にだって色々な考えの人がいる。それを教員側、保護者側でひとまとめにするのはよくない。教員側も保護者側も、部活が嫌な人はお互いにできることから協力していければいい。(教員は、顧問を引き受けない、練習日をへらす。保護者は、部活に入らせない。家庭を優先させるなど。)
上の方でも質問しましたが、活動が先生の評価に少しでも繋がるのであれば、部活に一生懸命になるのも少しはわかるのですが、評価などないとのことなのでますますわからなくなりました。
本当は、家庭では居場所がないから、居心地のよい部活に打ち込んでるとかだったらどうしよう(笑)
おかげで地区大会ではシード校になり、選手達も結果に満足してました。教科指導も私は体育科ではありませんので、センター試験対策など頑張りました。
生徒の何人かは旧帝大に合格できるようになりました。そのときは不思議な満足感がありました。
でも今は学区の中で学力的には底辺と呼ばれる学校に勤務してます。部活の加入率も低いです。お陰でゴールデンウイークはカレンダー通りに休めるようになりました。なんだか自分の人生を取り戻したような感覚です。もう二度とあの部活で週末がつぶれてしまう日々には戻りたくありません。先ほど6時間目の授業が終わりました。もうジャージに着替えなくても良いのです。あとは勤務時間終了まで中間テストの問題作るだけです。晩ご飯を7時のニュースを見ながら食べられる幸せを日々かみしめています。
そんな簡単に断れるものじゃ無いんですよ。職員室にいたら、組織の一員だから。「私はやらない!」は通らないことが多いんです。特に若いうちは。主義主張なんて簡単には認められないことが多いですし、若者同士でも見解の違いはありましたし。
簡単に断れるなら、こんなに深く悩んだり困る人なんか生まれませんよ。一筋縄にはいかないですよ。
そこはわかってほしいですね。
私は高校に勤務しています。
さて、私が勤める県は部活全員参加体制です。
当然部活をしたくない生徒も何らかの部活に入らなければなりません。
しかし、部活は平等には扱われません。
生徒数の減少に伴い、部活を減らさなければならなくなったとき真っ先に削減されるのは文化部です。このことも大きな問題ではないでしょうか。つまり、全員参加が義務付けられているのに、生徒の選択肢には大きな偏りが生じているのです。
さらにこの偏りは、生徒の中にスポーツ活動>文化活動という構図を刷り込んでいます。体を鍛えることはある程度必要でしょう。けれど、文化的なものに触れ、頭を使うことも同等以上に必要なことです。しかし、日本社会には、スポーツに飛びつき、文化活動を軽視・蔑視する風潮があり、その風潮を部活動が作り出している側面があると思います。
私は文化的な活動を「哲学的な活動」の一種と考えています。日本社会に哲学がない(言い換えれば本質を正さない、物事を曖昧にする)というのは、外国人から受ける日本社会に対する批判のひとつですが、文化活動を軽視、時には蔑視する風潮が日本にあるなら、正しい指摘だと考えざるを得ません。
ところで、スポーツも「哲学的な活動」になりうるものだと思います、が、日本では「スポーツ」そのものに対する哲学すらない、と思っています。したがって日本のスポーツ文化では「哲学的な活動」にはなりえません。
なお、ブログ主様が学生時代に部活で得られた経験は部活以外の場でも得られます。部活はそんなに特別なものではありません。それなのに、部活肯定派の意見からは神聖視するものが多く、視野の狭さというか社会認識の低さに愕然とすることが多いです。
このことも、部活が哲学をする機会を奪っている現われだと思います。
また、体育科以外の先生は運動部を持たされる可能性があるのに、体育科の先生が文科系の部活を持たされる可能性はゼロに近いことは、部活動そのものが公平なものではない証左かと思います。私は学生のころ運動部には所属していなかったのですが、「若い」というだけで運動部の顧問にすえられています(副ですが)。しかし、体育科の先生が例えば「社会研究部」とか、「美術部」の顧問をしている学校を見たことがありません。これは相当に不公平なことですよね。
部活に関して私も幾度か拙ブログで書いたことがあります。もしよかったらご参照ください。
スポーツで勝つということ
http://blog.goo.ne.jp/hanulgwapada/e/efe83312f019b1283c91a4f7be8d988f
勝つことに価値を置かない生き方
http://blog.goo.ne.jp/hanulgwapada/e/1794a946f5485c02fac3550ee27aecbc
日常と非日常のハザマ
http://blog.goo.ne.jp/hanulgwapada/e/bc6b848bdbfbde1818d079bf28147079
それはいけないことなの?
http://blog.goo.ne.jp/hanulgwapada/e/3ce5f1ec3d150a04a4c08399095d71ee
なんにしても部活で同じ思いをしている人はブログ主さまだけではありません。少しずつでも、情報を交換し合って思いをネットワーク化していくことが必要ではないでしょうか。
なお、私は2~3年のうちに論文のような文章として部活動の問題をまとめたいと思います。(できればILOや国連・子どもの権利などにも送りたい…)
今のシステムでは、子どもたちの学習権を奪い、教師の社会権や国家公務員並みに制限されている参政権の見返りとしての研修権を奪っていることははっきりしています(土日にある自主参加型の研修会にも部活で行けないなんて…!)。
私たちに「休憩時間」がなくて、「昼休み」もなくて、お昼に校外に食事に出かけることもできないことは、一般の方には知られていないことですからね。
まだ生徒は部活全員加入なんて自治体はあるのでしょうか?そういうのは教育委員会に訴えた方がいいですね。
「子どもが部活に取られた」なんてすごい話ですね。入部届けに印を押したのですからその責任はありますよね。半ば強制みたいに感じるんでしょうね。でも、無理しないで辞めたらどうですか?保護者が文句言っても始まらないし、選手が板挟みになり可哀想ですよね。
顧問の中にはイヤイヤやっている人がいることを知っていただき感謝します。でも、ここの主が言っているような状態ですからねぇ。いやいやでもやっているんですよ。「3年間ご指導ありがとうございました。頑張ってきてよかったです。」なんて卒業式の日に言われたらねぇ。「微力ながら・・・」と心が揺れちゃいます。
なぜ、運動部が多いか・・・?
お金の問題もありますよね。教師も運動部経験者が多い。なぜなら、昔から運動部が多いからです。
お金の問題・・・部活動で使っている道具の多くは「学校予算」で「体育の教具」として購入したものです。「ボール」「ゴール」などは生徒会予算では購入できません。運動部はお金がかからないことが多いのです。
周囲からなんと思われようが言われよ王が「私はしません。もし私に顧問をさせたら自殺します。」と会議で言いましょう。
地域や学校で雰囲気が異なると思います。だから「私はやらない!」が通らないと135. minnminn さんが言われることは理解できます。
でも、頭の中で心配することと、行動することはちがいます。一人の勇気ある言動がきっかけになることもあります。
部活信仰者は「だれからも『私はしません』という発言がでるはずはない」と思い込んでいるんです。この思い込みを支えているのは主張をしない人たちです。主張をしなければ、賛成しているのと同じです。
それでも、言ってきたら、教育委員会や文科省に訴えましょう。
>私の学校は,『外部コーチは学校に3人まで』と決まっております。
この決まりは、学校の決まり事ですか?
ならば、学校の都合で決まったことであり学校の都合でどうとでもなることではありませんか?
「運動部はお金がかからない」ってホント?
野球部とか結構お金かかるって聞くよ。
知り合いの子が野球部に入部した直後に、ユニフォーム一式3万円とか言われてひっくり返ってたよ。
それ以外にも、備品や消耗品も買うから、部費もお安くないって。
サッカーやバスケ、バレーなんかは体育の授業でやる競技だから、ゴールやネットなどは教科の体育の予算(?)で買ったのを使えるらしいけど、
野球は授業で扱わないもんで、
バットやボール、ベースなどの消耗品も備品も、全て部活動のお金で買わなきゃならないって聞いたよ。
地域によって、
お金の出どころが違うのかなあ…?
まあ、文化部の吹奏楽は楽器類があるから、個人で楽器を買ったりすれば、けた違いにお金がかかるんだろうけどね。
ここのコメントを見ていると、
「やる気のある教師が一生懸命やるから、やる気のない我々が迷惑している。」
そういう風にしか受け取れません。
それで、顧問がいないから「廃部」では詐欺でしょう。
進学校に併設された県立中学や私立中学といった選択肢を捨ててまで、県内でも少しは名の通ったコーチがいる地元の中学を選んだ意味がありません。
5時間授業が2日、6時間授業が
3日ですね。
私立中学は平日30コマに土曜日の
3コマで33コマというのも
珍しくありません。
5コマ違います。公立だと「部活」
の生徒が多いです。
年間で150から160コマの
差になります。
3年間だと450コマを
超えそうです。
7時間目のある私立や
「勉強部」のある私立も
ありそうですね。
仮に私立中学が入試を
しなくても、学力が高く
なりそうです。
第7章、第8章は教師の視点に着目して書かれているようです。
この真由子さんのブログ読んでから、
親として、どう対応したらいいか迷うことが増えたんだよ。
例えば、部費の問題。
今まで私は、
部活動ってのは、
学校の教育活動の一環だと思ってた。
極端に言えば、
国語・数学といった教科や、
生徒会活動と
同列のものだと思い込んでたんだよ。
部活動にかかるお金も、
基本、学校の方から出てるもんだと
思ってた。
だから、
部費の使い途が
いつも気になってた。
どうして、
顧問の先生に
土日の遠征の交通費や弁当代を出すのかなぁ?
部費って、
子供の活動に必要なものを買うのに
集めるんじゃないの?ってね。
顧問の先生が代わった際に、
「今度の顧問の先生に、ユニフォームを買うので集金します」
って保護者会の連絡が回ってきた時なんか、
正直、怒りたくなったよ。
何で先生のユニフォームを親が買ってやんなきゃなんないの?って。
…でも、今の部活動は、
学校の教育課程外の活動で、
先生たちは、
ボランティアで顧問を引き受けて下さってるんだよね?
そうなると、
やはり、
土日の昼食代や交通費は、
お支払いすべきだよなぁ…
ユニフォームも、
保護者側で
用意すべきだよなぁ…と、
考えが変わってきた。
でも、一方で、
「じゃあ、お金はどこまで出せばいいの?」
って疑問も残る。
顧問の先生に、
謝礼や御月謝なんかも渡していいの?
とか、
顧問の先生が必要だと言えば、
何でも保護者のお金で購入してもいいの?
とか。
ちなみに、
うちの子の学校の部活動のお金は、
①PTAの部活動後援会費
②各部活動の保護者会の部費
の2つを使うことができる
①は全ての部活動が同額で、毎年5万円程度しかないので、
②の方が主になる。
部費の使い途、
難しいよ。
せめて
顧問の先生に
失礼の無いように…とは思うけど…
やる気のある無しが、部活に対する考え方に収斂されるのはなぜ?
というか、これまでの部活の問題に関するやり取りを見てきて
>「やる気のある教師が一生懸命やるから、やる気のない我々が迷惑している。」
という風にしか取れないなら、もう一度、国語の読解を中心に、小学校から学びなおしたほうがいいと思います。
それと社会科も、生存権及び社会権、基本的人権の尊重を小学校6年生から学びなおしてください。
「運動部はお金がかからない」ってホント?
野球部とか結構お金かかるって聞くよ。
知り合いの子が野球部に入部した直後に、ユニフォーム一式3万円とか言われてひっくり返ってたよ。
すみません。説明不足で・・・。ご指摘の通りです。体育の授業にあるものは準備されています。サッカー、バスケット、ハンドボールなどのゴール、バレーボールの支柱とネット、あとボールですね。
ソフトボール、テニス、バドミントンなどは、学校の予算で購入しています。授業で使わないものを学校の予算で購入するのは変ですが、部活動があるので予算会議で検討しています。
多くの学校は生徒会費の中から「部活動費」を出しています。分配方法はいくつかあるようです。でもせいぜい5万円とかなので、大きいものは変えません。ですので、足りない分は「受益者負担」ということで、生徒から「部費」を徴収してやりくりしています。バドミントンは部員数にもよりますがシャトル代だけで10万円(年間)かかるそうです。
ユニフォーム一式はどこの部活動でも個人負担です。個人が使うものは個人で購入します。
運動部が多い理由=設備投資がいらないことが多い
という理由で(学校としては部活動設置のために)「お金がかからない」ということです。
ありがとうございました。
疲れたセンセイの意見に迎合せず、反対の意見を述べたら袋だたきですか?
自殺するくらいなら、辞めてしまうのも一つの策でしょう。なぜ、自殺するまでしがみつくのでしょう。
本質はそこではないでしょう。
少子化が進行しているにもかかわらず、同じ基準で教職員の配置人数が決まる。
にもかかわらず、行事などは今まで通り。部活も今まで通り。
そら、大変です。文科省と今まで声を挙げてこなかった教師、特に歪んだ思想教育ばかりに血道を上げていた日教組の責任は重いと思います。
外部指導者を活用し、複数顧問制で負担はぐっと軽くなると思います。
ずっと、そう申し上げているにもかかわらず、デモデモダッテちゃん。
なにも解決しないはずです。
だから部活動をやめようとか全員加入制じゃなくて希望制にしようとかいろいろ意見が出ているでしょう。現場を知らない君にはわからないだろうけど安易な解決策は混乱のもとだよ。今までずっと放置されてきた問題なんだから一朝一夕には解決できないよ。
反論すると袋叩きとか被害者意識丸出しだね。議論にならないよ。
「知らんヤツは黙ってろ。」ってですか?
現場を知っている人間だけでは、今まで解決しなかったこと。私が提示した案も抜本的な解決に繋がるものでなく、精々問題を軽減させるだけのものでしかないことは、重々承知です。
しかしですよ自殺するまで心を病んでおられるのに、「勝手にすれば?」と言えるだけの神経は私にはありません。
ここの議論を読んでいると酒場の愚痴にしか聞こえません。何ら建設的な議論が為されていない。
私が提示した案も、結局デモデモダッテちゃんで退けてしまう。決して非現実的な案ではなく、ウチの子の学校で今のところうまくいっている事例です。どこの学校にもそのまま当てはまる事はないかもしれませんが、一つの参考になればと提示した次第です。
ウチの子とは違う運動部を指導しておられた教師がこの春転勤されましたが、幸いにもこの春に定年を迎えられた部活大好き教師(元)の方が快く引き受けて4月から指導しておられます。後援会主導で三顧の礼を以て口説き落としてきたとのことでした。
繰り返しますが、これも抜本的な解決策ではなく単なる負担の軽減策かもしれませんが、今まで閉じた世界の中で放置されてきた問題です。時間をかけて議論し解決策を考える必要があると思っています。ただ、時間をかけている間そのままというわけにもいきませんから、負担の軽減を図りつつ抜本的な議論を進めていく事が必要になると思います。
>反論すると袋叩きとか被害者意識丸出しだね。議論にならないよ。
自己の意に沿わないような意見に対し、こういうコメントは自身の丸出しの被害者意識の裏返しですね。
退けたんじゃなくて問題点を指摘しただけだろ。アナタのとこではうまく行ってもうまく行かないケースも多いよ。
オレ現場の教員だけど外部コーチの良し悪しはよくわかるしそれだけで解決できないのはアナタも分かってるみたいだね。
ただ根本的な解決策なしにあれこれやるだけやってみようっていうのは反対だね。ただ疲労が増すだけだもの。
やっぱり顧問を拒否するとか声を上げて個人個人が動かないとダメだよ。
文科省とかがやるべき仕事さぼってるとしか思えないよ。
これが現役の教師の書いた文章?
質が落ちたと言われるわけだ。
デモデモダッテちゃんはデモデモダッテちゃんです。
ぴったりの言葉ではないですか。
心を病んでおられますね。
>ただ根本的な解決策なしにあれこれやるだけやってみようっていうのは反対だね。ただ疲労が増すだけだもの。
では、抜本的な解決まで何もしないのですか?これまで閉じた世界で手つかずで何十年も放置されていた問題ですよ?
一朝一夕で解決するとは思えません。結局何もしないのと同義ではないですか。
で、唯一の解決策が酒場の愚痴ですか?
オマエこそ社会人なのか?苦しんでいる他人を嘲笑い嫌なら辞めたらとかブラック企業の論理を持ち出して意見が退けられたと言って僕は袋叩きですかわいそうと被害者意識丸出し。
解決策など今までいろいろ出てきたじゃないか。建設的な議論になってないだと?
どこが?なにが?
こういうバカ者が時々登場するのは部活動に対してあまりに勘違いしている人がまだまだいるという証拠です。
部活動は学校で積極的に関わるべきだとか部活動で生徒や学校を良くするのだとか明らかな勘違いをしているわけです。
酒場の愚痴だろうとなんだろうと部活動の問題点を洗いざらい公にするいい機会と考えてます。
>オマエうるさいよ
これがホントに教師の書いた文章?
いつ嘲笑った?
自身の意見に迎合しないと、「オマエうるさいよ」って子供の理屈。
議論になりませんね。
自殺するほど心を病んでいるなら、いっそ辞めてしまうのも一つの策では?
そう言っているのに、なんで捻くれて受け取るの?
>解決策など今までいろいろ出てきたじゃないか。建設的な議論になってないだと?
どこが?なにが?
どこに建設的な意見があったの?
しわ寄せを他所に持って行くだけの、何の解決にもならない策が解決策?
自身の意見に迎合しないと「バカ者」
これじゃ、生徒がかわいそうです。
真剣に思います。他の職業を探された方が本人だけでなく、何より生徒のためです。
君こそ自分に迎合しない人にひどい暴言を吐いてるじゃないか。
やっぱりブラック企業大好きなんだね。
心を病んでるとか嘲笑ってるとしか思えないよ。オレたちが心を病んでるとか何様なんだよ。
できないことはできない。
自分たちができないからって教員に押しつけんじゃねえよ。
>君こそ自分に迎合しない人にひどい暴言を吐いてるじゃないか。
具体的にどこか指摘していただけると助かります。
>辞めろで解決策になるのかね。
自殺するほど心を病んでおられるなら、撤退も視野に入れるべきです。自ら選択肢を狭めて自らを追い込むことはないと思います。
>心を病んでるとか嘲笑ってるとしか思えないよ。オレたちが心を病んでるとか何様なんだよ。
いい大人が自身の意見に迎合しないからと、「オマエうるさい」、「バカ者」
心を病んでおられるとしか思えません。
「職場選択の自由を行使してはいかがですか」
「皆さん心を病んでおられますね」
「自分たちだけが大変な思いをしていると思い込んでおられる」
あと142番のレス。
根拠なく他人を中傷しているとしか思えないよ。
いい大人が~とか言ってるけど君の150番以降のレスは意見じゃなくて単なる揚げ足取りが目立つね。
で、君は部活動をどうしたいの?
やっと少し冷静になったみたいですね。
でも、クールダウンにはまだまだのようですね。
反論が揚げ足取りにしか見えないようではね。
一番の理想は、部活動を学校教育の一環として位置づけ人員と予算を適正に配置することでしょうか。
無理なら、部活を社会体育か何かに移行し学校施設を条件付きで解放。部活やりたい教師は地域の中の一員として参加。
それと、中体連などの大会は学校部活の看板がないと参加自体出来ないから、そこも改善の必要あり。
どちらにしても、すぐに解決できるとは思わない。
理想的にはね。
ただはっきりしてもらいたいのはあくまでも生徒も教員も希望制にしてほしいことだよ。学校教育の一環とか言ったら今まで通りなのかい?違うだろう。
今のままでは教材研究の時間や授業の準備さえ勤務時間中にままならないんだから全員に押しつけられるのは反対だね。
>あくまでも生徒も教員も希望制にしてほしいことだよ。学校教育の一環とか言ったら今まで通りなのかい?違うだろう。
>今のままでは教材研究の時間や授業の準備さえ勤務時間中にままならないんだから全員に押しつけられるのは反対だね。
だから、そのための「適正な人員配置」
理想を言えば、数学・現代国語などの教科と同列の。そうなると数学の教師が数学の授業は嫌は通らないように、部活は嫌っていうのは採用の段階で弾くことになる。
ただそうすると、部活の数だけ部活専任教師が必要になるわけで、予算的にも難しいと思うし、専任教師は授業の間することがない。と言うことにもなりかねない。数は、定年した部活大好き教師である程度補えると思う。足りなきゃ、ウチの部活みたいに地域の有志のボランティアで。
「活動」では、どうでしょうか。
平日:6時間授業の放課後
16時から18時(完全下校)
平日;5時間授業の放課後
15時から17時(完全下校)
土曜日と日曜日、180分
例えば、体育館を
バスケット
バレー
バドミントン
柔道
剣道
卓球
6部で使うなら3時間ずつ
18時間という計算です。
これで「複数顧問」なら
土日の「出番」が付きに2回
となります。
この提案の最大の利点は
新たな予算措置を講じなくて
すむところかと思います。
皆さん、いかがですか。
そもそも、何の根拠があって児童・生徒をそこまで束縛しなければならないのでしょうか。
子どもたちにも自分の時間を充分に、かつ自由に使う権利があるはずです。
部活という名目であっても他の名目であっても、平日のそんな時間、及び土日まで拘束することは、その子どもたちの権利を奪っていると思います。
授業時間以外は子どもたちが学校に残るのも出るのも自由、というのが本来あるべき姿だと思います。
然るに、「学校とはどういった場なのか」という本質を問わないために、こんなおかしなことが起こるし、部活に媚びた折衷案(=根本解決になっていない)しか出てこないのだと思います。
「部活」の顧問になるのも
部員になるのも「自由」
ということです。
そして、「自由意思」で
行う場合も「歯止め」が
必要と考えます。
なるほど。
それでも、学校がわざわざそんな場を設定する必要はないと思います。
>①という風にしか取れないなら、もう一度、国語の読解を中心に、小学校から学びなおしたほうがいいと思います。
それと社会科も、生存権及び社会権、基本的人権の尊重を小学校6年生から学びなおしてください。
>②それでも、学校がわざわざそんな場を設定する必要はないと思います。
自身で、①をもう一回読み直して下さい。
②これまでの書き込みもう一回読み直して下さい。
ブログ主様
文字制限があるので、3度に分けて投稿します。大変失礼かとは思いますがご容赦ください。
>173. 通りすがりのものです。
>自身で、①をもう一回読み直して下さい。
>②これまでの書き込みもう一回読み直して下さい。
あなたのコメントの意図がわかりません。
その上で、補足させていただくと、
あなたは142で
>ここのコメントを見ていると、
>「やる気のある教師が一生懸命やるから、やる気のない我々が迷惑している。」
>そういう風にしか受け取れません。
と仰いました。
このブログは一貫して部活の制度的な部分を問題にしています。つまりブログ主の「好き嫌い」や「職務に対するやる気のあるなし」を問題にしているわけではありません。コメントもそこを出発点にしていろいろなやり取りがなされています。
また、学校の活動は部活だけではなく、学習指導要領の位置づけでは教科>部活という順序になっています。
学校の主活動である教科の活動が部活によってないがしろにされている現状は本当にあるべき学校の姿でしょうか。
そのような批判に対して、本当に
>「やる気のある教師が一生懸命やるから、やる気のない我々が迷惑している。」
としか受け取れないなら、もう一度読解力の学習をしたほうがよいのでは、とお勧めしました。
続
しかしブログ主様の訴えのように、現実は部活動が憲法に明記されている諸権利が奪われている状態にあります。
例えば
25条 「すべて国民は健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とありますが、ブログ主様の生活が健康的だといえるでしょうか?文化的といえるでしょうか?
また、27条 「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。2項 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。3項 児童は、これを酷使してはならない。」とありますが本当に勤労の権利が守られているといえるでしょうか。
ILOは日本の公務員の労働環境に関して勧告しています。
労働の権利に対して、非常に問題がある状況に公務員である教師も置かれている、ということです。
教師は奴隷ではありません。いくら全体の奉仕者だといっても、部活動によって隷従させられる謂れはありません。余暇を楽しむ権利もあるはずです。ましてや部活に疑問を持って心をやむなら出て行け、などということは誰にもできません。なぜなら部活は学校の主活動ではないからです。
こういった点から、あなたは人権にご理解がないなと思いましたので、小6、中学公民分野の勉強をお勧めした次第です。
何か問題がありましたでしょうか。
続
前述の観点から、部活のあり方がどうか、と考えた時に、なぜ部活を頑張っている=一生懸命な教師、部活に否定的な教師=やる気がない教師という構図が出てくるのでしょうか。
また、他のより価値の高い活動に対して意味を見出し、その活動を頑張ろうとしている教師が、部活という学校の諸活動の中で余り高くない活動によってその活動を阻害され、追い出されることを肯定できるのでしょうか。
ぜひ
何故 「やる気のあるなしの評価が部活に対する考え方によって左右される」のかを教えてくれませんか?
175
現実は部活動が憲法に明記されている諸権利が奪われている状態にあります。
↓
現実は部活動が憲法に明記されている諸権利を奪っている状態にあります。
「一部の奉仕者」ではない
のが「公務員」です。
教育公務員である公立中学の
教員も、この範疇に含まれます。
「部員」も「部員の保護者」も
ステーク・ホルダーでありますが、
他にもステーク・ホルダーはいます。
日本が法治国家であるならば、
税金の使い道も公務員の職務内容
も法定であるべきです。
「部活」の現状は人治であり、
法治とは言えないというのが
私の考えです。
>部活に疑問を持って心をやむなら出て行け、などということは誰にもできません。
それこそ、小学校から国語を学び直して下さい。コメントの一部をトリミングして反論とは。
自殺を考えるほど心を病むまでしがみつくことはない。選択の幅を自ら狭めて自らを追い込むことはない。
そう、申し上げているのです。
自身の意見に迎合しないからと、「オマエうるさいよ」、「バカ者」とか心を病んでおられるとしか思えないコメントもありました。
「自分の資産」を有効活用するには
どうしたら良いか、優先順位を
考えることです。
「知的な資産」が目減りしたり、
「健康な身体」を維持できない
ことは法が期待して
いることではありません。
数学の教員が「勤務時間」に
行うことは「数学の学力向上」
資する活動全般です。
包丁を持つ板前に水道管の
修理を依頼するでしょうか。
「専門外」のことに労力を
注ぎ込むことは「人的資源」の
浪費です。
教育公務員の人件費は税金です。
つまり、税金の無駄遣いと
言えるのです。
ここまでは「勤務時間内」の
ことです。
「勤務時間外」に関しては
「次の職務遂行」のために
「休む義務」があると
考えています。
長時間の運転で疲労困憊の
運転士のバスに乗りたい人は
いるでしょうか。
長距離バスの運転士の
走行距離は制限されている
はずです。
自分の吐いた暴言を棚に上げて他人を心を病んでるとか言う資格は君にはないよ。
君の主張はどう取り繕ってもイヤなら辞めろと言っているにすぎない。それでは反発されるのも当然だよ。
言葉足らずの面があったようです。
「やる気のある教師が一生懸命やるから、やる気のない我々が迷惑している。」
これは、部活に関する話です。「部活大好き教師が一生懸命やるから、部活やる気のない我々が迷惑している。」です。
正直に言わせていただくと、今一現実味が分からないのです。中学教師やってる妻の友人は県内でも強豪の運動部の顧問やってましたが、趣味の方も多才で趣味の仲間と個展も開いてましたけど。
ただ、ここのコメント読む限りでは、センセイ方が心を病むまで追い詰められているのは理解できました。
だからこそ、当面の負担軽減策の事例を取り上げてみたのです。
しかしそれもデモデモダッテチャン。
>部活やる気のない我々が迷惑している。
これについてはそう解釈できるコメントもあることは否定しないよ。
ただ問題は部活大好き教師が部活動にのめり込んで教科指導や校務が愚かになったり課外活動にしかすぎない部活動に熱心でない教師を見下したりしていることとかじゃないのかな。
「部活動は課外活動であって学校の教育活動の本流ではない」
この当たり前の考えが当たり前になっていない状況なんだよ。
その点については同意です。
本来あるべき姿ではないと思いますが、判りやすい例は「甲子園」でしょうか。名の通った指導者もの元に県外からも生徒がやってくる。指導者も指導者で有望な「選手」(もはや生徒ではなく選手)を全国からかき集めてくる。その部活の選手がいなくなると、その高校はたちまち定員割れを起こす。こういう状況では、ふんぞり返ってしまうでしょうね。郷里の代表として「甲子園」に出場するのに、地元の人さえも誰も知らない。
他の部活でも、似たようなことはいくらでもある。これを許しているのが、今の日本。
非常に勉強になります。
部活動というのは、まさに
> 包丁を持つ板前に水道管の修理を依頼する
ことなんですよね。
私もずっとそう感じています。
>179. 通りすがりのものです。
>コメントの一部をトリミングして反論
いえ、この文章の後に続くあなたのの文章によって、あなたの仰りたいことを私はきちんと理解しているとわかりました。
>自殺を考えるほど心を病むまでしがみつくことはない。選択の幅を自ら狭めて自らを追い込むことはない。
主活動ではない部活動によって自殺を考えるほど、また心を病むほど追い込まれている「人」に対して発する言葉として適当ですか?
そして、その選択は、本当に自由な選択だと思っているのですか?
問題をなんら解決することなく、意思を持って問題に迎合できない・しない人に「やめれば」というのは、本当に正当なことだと思いますか?
ましてやここは部活の問題点を挙げ、どうにかして問題の解決を考えて行きたいと考える人が多く集まる場のようです。
そのような場において、「やめれば」の言葉がどれだけ生産的な意味を持つのですか?
ぜひ、教えていただきたいです。
>主活動ではない部活動によって自殺を考えるほど、また心を病むほど追い込まれている「人」に対して発する言葉として適当ですか?
では、自殺を考えるほど追い込まれている人に、「どうぞご勝手に」と言えとでも仰るのでしょうか?
私にはそのような神経はありません。
それが批判されることなら、甘んじて批判を受けましょう。
この問題の解決に命をかけなければいけないのですか?
命をかけてしがみつかなければいけないのですか?
その結果として命を落としたとして、生徒たちはどうなるのですか?
>「どうぞご勝手に」と言えとでも仰るのでしょうか?
ここに、あなた以外に「どうぞご勝手に」と言っている人がいますか?
いじめを受けている生徒Aが、相談に来たとします。
その生徒Aに何もせずに
「命が危ないから学校をやめたほうが良いよ」
と言っているのがあなたです。
もちろん、場合によっては「学校を避ける」という逃げ道を確保することを考えることもあるでしょう。それが最優先に考えられる場合もあるかもしれません。また、その選択肢に「学校をやめる」ことを考えることも充分あるかもしれません。
でも、たいがいはまず、いじめにあっている生徒Aの安全を確保した上、いじめをやめさせる、ということを図るものだと思いますが。
いきなり生徒Aに対して「学校をやめたほうがいい」とは言わないし、もし生徒Aが学校を辞めたとしても根本的な問題は解決しません。
あなたは言葉を変えて「どうぞご勝手に」と言っていることに気づきませんか?
どこをどう読んだらそう読めるのでしょうか?
たしか、当面の負担軽減策としての事例も提示したはずですが。
自殺を考えるような段階で、「命をかけることはない」「選択の幅を自ら狭めて自らを追い込むことはない」そういうのが私には、精一杯です。
>>問題をなんら解決することなく、、、
>この問題の解決に命をかけなければいけないのですか?
>命をかけてしがみつかなければいけないのですか?
この問題を誰か一人の教師が解決しなければならない問題だとは考えていませんし、
そういう意図の文章ではありません。
このブログを通して部活の問題点を挙げ、広めていくことは非常に意義のあることです。つまり問題の解決に少なりとも寄与している、ということです。
あなたは「追い込まれているならやめれば」と仰っているわけですが、追い込んでいるものに対して何か言及をしたのでしょうか。
なおあなたは142において仰った、
「やる気のある教師が一生懸命やるから、やる気のない我々が迷惑している。」
に対し、言葉が足りなかった、部活を「やる気」の前につけるのだと訂正なされましたが、
同じ142において
「自殺される程心を病んでおられるのなら、やる気のある方に枠を譲られたらいかがでしょう。」
と仰っています。
この「やる気」の前にも部活をつけるべきなのでしょうか。
もし付けるのであれば、これほど主客が転倒した話はありませんね。
要するに主活動ではない部活をやる気のある先生に学校を譲り、主活動である教科教育を頑張りたい人は「心を病むくらいならやめなさい」ということなのですから。
付けなくてよい、ということなのであれば、訂正後の文章と齟齬が生じます。
なんにしても、肯定されるべき言葉ではないと思います。
なるほど、その場になればあなたもその同僚に対して何かをしたんでしょうね。ここでは書かないだけで。
そのように理解したいと思います。
ただ、そのような同僚・部下の出るような環境をなんとか変えたいとは思いませんか?
残念ながらあなたの示した負担軽減策はすでに行われていますが負担が減るどころか、ますます多忙化しています。
それに伴って生徒の負担も尋常じゃないくらいに重くなっています。
で、そういう指摘をした方に対してあなたが、「『知らないやつは黙ってろ』ですか」、「デモデモダッテちゃんだ」と突っぱねてしまったわけですが…
残念なことに、はぬるの希望とは裏腹にウチの子の学校では、うまくいってます。趣味の仲間と個展を開いたり、授業とも部活とも直接の関係のない分野でも指導が出来る程度には時間が作れています。
何にせよ、愚痴を言ってても何も解決しません。
そこはおわかりいただけると思います。
皆さんの意見から得られるものが沢山あるのではないかと思うが。
自分と反対意見の人だっていると分かってここにカキコしてるんだろ。それをデモだってちゃんなどとバカにしている人はここで何をしたいのか。君だって同じ穴の何とかだねw
放置しているとでも思っているのでしょうか。
燃え尽きるようなタイプの人というのは何となく判ってきましたので、そういう人には「肩の力抜いて」、「一人で抱え込むな、オマエがいなくても明日は来るんだ」そういう事をもっと色々言ってますね。ただ、言い方間違えると「オマエは要らない」という風にも受け取られるので、注意は必要。
環境に関しては、制度を変えていかないと変わりようがないので、出来ることは少ない。その少ない出来ることに関しては努力はしていますよ、もちろん。
そうそう、部活に関してはセンセイ方に制度の矛盾のしわ寄せが来ているのは動かない事実なのでしょう。だからこそ心を病んだりもされるのでしょう。抜本的な解決まで負担を皆で分かち合おうと言うのなら、同意も出来ます。しかし、しわ寄せをどっかに持って行ってそれで「解決」と言うのなら同意できかねます。
ここでのコメント見てると、関係者皆で負担を分かち合おうというよりは、しわ寄せ他所に持って行こうとする論調が強いように見受けられます。だからこそ、反発されても少し極端な言い方で持論を述べているのです。
これ読んで、思い直しました。で、気付きました。なぜ、ここでのセンセイ方のコメントに反感感じたのか?
部活に関してはセンセイ方に制度の矛盾のしわ寄せが来ているのは動かない事実なのでしょう。抜本的な解決まで負担を皆で分かち合おうと言うのなら同意も出来ます。しかし、しわ寄せをどっかに持って行ってそれで「解決」と言うのなら同意できかねます。
ここでのコメント見てると、関係者皆で負担を分かち合おうというよりは、しわ寄せ他所に持って行こうとする論調が強いように見受けられます。
これですよ。これ。叩かれながらも極端な意見を述べ続けたのは。
建設的な意見少ないですよね。
ワークライフバランスがとれない。
子どもの成長から感じる中毒性。
教員の良心に甘んじた仕事量を采配する上司。
現場教員の無駄を省く意識の低さ。
この職種は異常ですよ。
部活動が大切であるならば、なぜ労働に対する報酬がきちんとでないのか。
時間外労働をする仕事が本当にすばらしいのか。
子どものために、もっともっと大変なことやりましょう。最高のものを作りましょう。
残業しましょう。大変だったけど、やってよかったです。やりがいは子どもの笑顔です。
そう考える教員のなんて多いこと。
大企業では、そういうことをやるのはコンプライアンス違反ですよ。
そして、「世間(一般企業)はもっと厳しい」という決まり文句に「そうなのか」と素直に丸め込まれているのです。
嫁は一般企業ですが、教員の部活動には???です。「ガソリン代は?高速料金は?宿泊代は?ご飯代は?代休は?学校ええかげん過ぎるやろ!」と。
相変わらず学校は世間の非常識です。
部活って大切です。
あなたも部活を中高時代やっていたのなら、その恩恵に預かっていたわけです。
もっとちゃんとやりなさい。
私は部活動やってます。たぶん、日本全国の先生よりも、そしてあなたよりも。野球部の監督で全国大会にも複数会出ています。寮生とも苦楽を共にしながら。野球で全国はまともな練習量では行けません。自分の私生活を捨てて野球にかけている分、保護者からも心底信頼されています。
でも、ここの主様のような悩みも持たれている若い先生も多いのだろうと応援しているのです。
部活したくない人の虚言と決めつけるのはあまりにも失礼なのでは?
「もっとちゃんとやる」というのは具体的にどうするということでしょうか?
教員はこれ以上どう「ちゃんとすれ」ばいいのですか。具体的に言えますか?
自営業を営んでいます。
子供は、4名です。
私の妻は、真面目で働きものです。
今年4月から転勤となり、やはり部活の副顧問となりました。
いつも、彼女の仕事を尊敬し、応援してきましたが、どうしても部活に関してだけは、納得出来なくなってきました。
生活にかなり支障が出てきたからです。
先月の土曜日、日曜日を1日半、柔道大会の引率、今月は、吹奏楽の引率、学校では野球部の副顧問らしいです。
自宅では、仕事の持ち帰りも多く、かなり、本職でもハードのようです。
ところで、私自身は、小学校時代、中学時代、高校時代、部活熱心な生徒でしたが、大人になってから、もっと勉強やその他のことにもっと時間を費やすべきだったと思っています。
今日、時間をかけてこのブロクを最後まで読みましたが、私が望むのは、ボランティア活動である、部活は自由であるべき。
教員の生活をおびやかすスケジュールになってはいけないこと、それが家族まで、悪影響を及ぼしてはならないこと。
部活に力を入れるより、沖縄県の学力レベル(日本一学力が低い)を上げるために教員の環境を作って欲しいことです。
自営業を営んでいます。
子供は、4名です。
私の妻は、真面目で働きものです。
今年4月から転勤となり、やはり部活の副顧問となりました。
いつも、彼女の仕事を尊敬し、応援してきましたが、どうしても部活に関してだけは、納得出来なくなってきました。
生活にかなり支障が出てきたからです。
先月の土曜日、日曜日を1日半、柔道大会の引率、今月は、吹奏楽の引率、学校では野球部の副顧問らしいです。
自宅では、仕事の持ち帰りも多く、かなり、本職でもハードのようです。
ところで、私自身は、小学校時代、中学時代、高校時代、部活熱心な生徒でしたが、大人になってから、もっと勉強やその他のことにもっと時間を費やすべきだったと思っています。
今日、時間をかけてこのブロクを最後まで読みましたが、私が望むのは、ボランティア活動である、部活は自由であるべき。
教員の生活をおびやかすスケジュールになってはいけないこと、それが家族まで、悪影響を及ぼしてはならないこと。
部活に力を入れるより、沖縄県の学力レベル(日本一学力が低い)を上げるために教員の環境を作って欲しいことです。
自称前村さんは部活が大切だという
根拠ぐらい示したらどうか?
そりゃ、スポーツなどを行うのは悪いことじゃない。
でもねえ、それを嫌がる先生を顧問という形で引っ張り出して、
さらには無休でとか、本当にやるべきことか?
私は教員じゃないが、決してそうだとは思わん。
よその記事でも書いたけど、
これこそ地域のスポーツクラブという形にしていって、
発展的解消を目指したほうがいいと思いますよ。
そのほうが地域の人々もそのクラブに参加できて、子供達と地域の人々との連帯も強まるんじゃないかと思いますが。
もしリーガルハイ第9話を引用するのであれば、
『全てを失う覚悟』で戦ってください。
学校の先生にその『覚悟』があるとは思えませんけどね。