多忙を言い訳にブログを放置しておりました。申し訳ありません。

例によってたくさんのコメントありがとうございます。


いよいよ、卒業式が間近に迫ってまいりました。

私は今年度、卒業生の担任をしておりますので、感慨もひとしおといったところです。


卒業に際して、各クラスにおいて私が行う「最後の授業」があっています。

つまり、私の授業を受けるのも、中学校生活最後になるという授業です。


生徒は今までの感謝を込めて、メッセージカードを作ってくれていました。

そこには今までの授業のことや感謝の気持ちなどが綴られており、とても嬉しい贈り物となりました。


私が読むのは分かっているのですから、多少のお世辞はあるにしても、「授業が楽しかった」という旨のメッセージが多かったです。


その中で特に心を打ったのは、「先生のような教師になりたい」というものが複数あったことです。


その理由として、授業が面白い・教科の学習が好きになったということが挙げられていました。


今年度の半ばから、部活の顧問を拒否している私は、土日にしっかりとリフレッシュしたり授業研究をしたりして充実の日々を送ることができました。

そのおかげで、我ながら充実の授業を提供することができました。

どの単元においても、誰に見せても恥ずかしくない授業ができたと大きな声で言えるほどです。

導入の工夫にはじまり、生徒の興味関心に応じた授業展開ができたと自負しています。


学校内での授業に関するアンケートでも、多くいる教員の中でトップの実績をあげることができました。

なにもそのアンケート結果が全てではないと思っていますが、一つの指標として「分かりやすい授業ができた」という自信をもつことができました。


その「先生のような教師になりたい」と書いてくれた生徒の一人は、「先生の授業のおかげで教科が好きになり、先生と同じ教科の教師になりたい」とまで書いてくれていました。

これはもう教師冥利に尽きるというか、これまで授業を頑張ってやってきて良かったという思いでいっぱいになり、涙が出る思いでした。


しっかりとポリシーをもって授業を展開してきてよかったと心底思いました。

そして、教師はこうあらねばならないとも思います。

すなわち、何よりも授業を大切にしなければならない、と。

教科の免許をもっているのですから、他の職種の方からしたら「当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、そうではないのです。

学校現場においては、「授業が一番大切である」という信念をもち、それを実行している教師は多くないように思います。

それよりも部活指導などに重きを置き、内容の薄まった授業をしている教師が少なからずいると感じます(本心はそうありたくないのかもしれませんが)。

そんな中で芯を曲げることなく、自分のポリシーを継続できたこの一年間は大きな成果だったと思います。


大阪府堺市において、26歳の若手教師が多忙ゆえに病を患い、亡くなってしまうという痛ましいニュースがありました。

労災を認めるということでしたが、尊い命は戻ってくることはありません。

その若手教師は、授業研究に心血を注ぎ、校務分掌も一生懸命。

部活の指導では部員とノート交換を丁寧に手書きで行い、休みもほとんどなかったとのこと。

さらには持ち帰り仕事も多く行い、市の教員採用試験のポスターにまで選ばれた優秀な人材だったそうです。

そんな将来有望な教師がなぜ亡くならなくてはいけなかったのか。


様々な意見があるとは思いますが、私が考えたのは、削るべきだったのは部活動の指導ではなかったかということ。

授業指導・校務分掌・生徒指導、これらは紛れもなく勤務内容です。

しかし、言わずもがな部活指導はボランティアの領域です(実質は勤務のようになっていますが)。

であるからには、断れる余地も残されていたということ。

いや、むしろ、部活の指導しか断れる余地はなかったということ。

市側は、「再発防止に取り組む」と述べていますが、これから先、抜本的な改革は望めません。

これまでの教育委員会の態度から察するに、部活における大きな改革はないでしょう。

いつまでも見て見ぬふりの現状維持を貫くと思います。


であるならば、自分の身は自分で守らねばならない。

つまり、部活顧問を拒否するということです。

授業を充実させるため、自分のプライベートを確保するため、土日にしっかりと休養をとるために。

今回の私のように、それが回りまわって、生徒のためになるのではないでしょうか。


改めて、教員の中心は授業であると考えさせられた件でした。

そして、部活顧問を拒否することの大きな効能についても実感を得ました。


私のような教員が増えていけば、おのずと部活が学校から離れていき、教員の正常な勤務がなされるかもしれません。


今までの部活における制度が「異常」だったのです。

私の部活に対する態度はあくまで「正常」であると信じたいと思います。


論理的にはいくら「正常」であったとしても、それが少数派に留まっていてはそれは「異常」とみされます。

私は自分に嘘はつかない。

そして、少数派が少しずつ声を上げていく春を望んでいます。


次回の記事は、年度末の面談と希望部活動の欄についてです。

次回予告しないと、ブログ更新しないような気がするから、先に書いておきますね(笑)


では、春への三寒四温がまだ続きますから、ご自愛ください。