夕方の日もだいぶ長くなってきました。

日差しも厳しくなってきたこのごろ、お元気でお過ごしのことと思います。

今回は部活動の顧問をしなくなって得られた良い点・悪い点について書きたいと思います。


良い点


その1、時間にゆとりが持てる

単純に時間的な余裕がもてます。

それもそのはず、7:20からの朝練習もなく、放課後の練習もないからです。

放課後は夏場であれば定時のあと約2時間半の練習がありますが、それがありません。

さらには土日の練習や試合もなく、当たり前の休日が保証されます。


その2、精神にゆとりが持てる

心に余裕が生まれます。

平日の放課後(とはいっても勤務時間外なのですが)に自分の仕事を進めることができます。

さらには土日に自分の時間をもてるようになり、リフレッシュして月曜日を迎えることができます。

学校という持ち場から離れ、気持ちにゆとりが生まれることは大変に意義あることです。


簡単に言うと、以上の2点が部活動をしないメリットといえるでしょう。

「そんなの当たり前のことじゃないか」とおっしゃる方も多いと思いますが、こういった時間を得ることは現場単位では難しいものなのです。

続いて、逆に悪い点について述べます。


悪い点


その1、職員室での居心地が悪くなる

私を除く教員のすべてが部活動に従事しています。

ですから、月曜日などは「昨日の試合が〇〇でさあ」のような会話であふれています。

そんなときに私への直接的な攻撃などはありませんが、ただただ居心地の悪さを感じます。

少数派であることの苦しさを感じてしまいます。


その2、生徒からの眼差しが気になる

「先生は部活は何を担当しているんですか?」

そんな質問をよく聞くようになりました。

そんなときに、「部活動をしていない教員=ダメな教員」と思われているのではないか、と考えてしまいます。

生徒からの視線も気になる部分があるのは確かです。

その点は保護者からの視線も同様だと思います。


これらの良い点・悪い点があるのは事実です。

ただ、悪い点と私が感じているのは、本来悪いと感じなくてもいい点ではないかと思うのです。

すなわち、「部活動をやっていないことへの後ろめたさ」による職員室での居心地の悪さは、本来の意味では感じなくてもいいことなのです。

さらに、「生徒や保護者からの視線」も、本来の業務外に関することなのですから気にすることはないのです。


私はこういう感覚に囚われるとき、「自分は教員として飼い馴らされているなあ」とつくづく思います。

部活をしないという、当たり前の権利を行使するだけで生じる罪悪感。

本来感じ得ない罪悪感を感じている時点で、私は現行の組織の優秀な一部分ではないかと、皮肉交じりに思います。


その罪悪感や人間関係の気まずさを原動力として部活動全員顧問制度が維持されてきたのならば、その点を払拭していければいいのです。

そんなときに自分を客観視して、部活動について「どういう生き方をするのか」を考える必要があると考えます。


つまり、現行の部活動についてどういう選択肢をするのかということです。


心の底から部活に燃えている教員がいてもいい。

実はやりたくないと思いながら、部活を継続する教員がいてもいい。

そして、自分の考えを貫徹して、部活を一切しない教員がいてもいい。


私は前述した悪い点について、だいぶ悪いと感じないようになってきました。

それは感覚の麻痺というよりむしろ、考え方を固めることによる恩恵が大きいように思います。

「自分は間違っていない」と、自分の信念を強く持つことです。


そして本来の業務に邁進して、教員としての矜持を保ち続けること。


これらを守っていれば私の教員としての地位や権利は、一切落ちることはないと思うのです。


学校によっては体育祭が行われる時期になりました。

同業者の方々、保護者の皆様、生徒のみなさん、どうか熱中症にお気をつけて。


私も水分を多めに取りながら、日々の業務に当たりたいと思います。


次回の記事は、部活動の問題点を、生徒の視点から書きたいと思います。


今度の更新は早めにします(笑)

記事のリクエストも、引き続き募集しております。