お久しぶりです。

長かった冬も終わり、桜舞い散る春がやってきました。


私の現状をお話しします。

3年生を担任していたので、卒業式がありました。

これまでの学校生活を存分に生かし、生徒たちによって素晴らしい卒業式となりました。

最後の学活では生徒によるサプライズもあり、これまで真摯に仕事に打ち込んできた日々が報われた思いでした。


3年生を卒業させて思うのは、何歳になっても、感動や別れの際に流す涙は美しいということです。

いつも少し落ち着きが足りなかったあの生徒も、人間関係に悩んでいたその生徒も、目立たないけれども家庭学習にこつこつと打ち込んできたこの生徒も、皆が旅立ちの日を迎える。

そして、中学3年生、15の春に流す涙がある。

その姿を見て、私たち教師も涙を共にするわけです。


芸術家が作品を生み出すように、農家の方が作物を生産するように、形として仕事の成果が現れる仕事が羨ましいと思った時期もありました。

けれども、私たち中学校教師が残す「作品」というのは、教師である自分が、小学校を卒業したばかりの生徒と出会い、生徒たちが授業や生徒指導を通して人間的に成長していく過程ではないでしょうか。

最終段階であるはずの「作品」が過程であるという矛盾も興味深いのですが、受験の合格率がどれくらいだとか、不登校生徒数が何名減少しただとかいう数字だけが教師としてのゴールではないような気がします。


閑話休題。


年度も変わり、新しい日々が始まりました。

もっと早く記事に書けばよかったのですが、言わずもがな部活顧問問題についてはこの時期が最も重要な段階です。

なぜなら、新しい年度に向け、職員会議において部活顧問の決定がなされるからです。


私の勤務校では本日、部活顧問が決まりました。

結論から申し上げますと、私は部活顧問に就任することをお断り致しました。


事前の部活顧問希望アンケートに、部活顧問に就くことをお断りしたい旨を書いていました。

全員顧問制度は不条理であり、個人的に反対しているという言葉も添えて。


さて、大本番の職員会議になりました。

管理職から、部活顧問の一覧表が配られました。

表を見ると、ある部活顧問の欄に私の名前が記入されてあったのです。


まあ、正直な話、よくある話なんですよね。

このブログも始めて長いですし、様々な教師の方々とお話を交わす中でも頻発するケースです。


私は職員会議内で手を挙げ、発言をしました。

「私は部活顧問になることを希望していないにも関わらず、顧問一覧表に名前が載っています。どういう経緯でこういうことになったのか、お聞かせください」と。

管理職は少し困惑した表情でしたが、「職務命令ではないが、その部活顧問をお願いできたらいいと思っています」と回答してくれました。

私は「お願いであれば一覧表から名前を消してもらってもいいですか」と問いました。

管理職は「そういう事情であれば、名前を消しても構いません」と答えました。

私は「お願いします」と告げ、今回の問答は幕を閉じました。


こういうやり取りは初めてではないことに加え、多くの書籍を読み、また悩みを共有する教師の仲間とネット上やリアルな場面で討論することでしっかりとした発言をすることができました。

しかし、やはり、年度当初の職員会議で発言することは容易いものではありません。

前日の夜に、職員会議で展開されるであろうやり取りを予想し、それに対する論理的な返答をシミュレーション。

当日は朝から職員会議の流れを確認し、部活顧問一覧が発表されるまでに気持ちを引き締めます。

そして意を決して発言をするわけです。


心には相当なストレスがかかり、恐らくは高いカロリーを消費し、そうまでして自分の身を守る。

最初の職員会議ですから、異動して来られた初めましての先生方、初任者の方々が多くいらっしゃいます。

またかつて同僚だった先生が異動され、また同僚になることもあります。


そういった様々な人の目がある中で、自分の意志を表明しなければならないのです。

「あいつだけ何で部活のことをぐだぐだ言っているんだ」
「部活なんてやって当たり前だろうに、マジで変な奴」

そんな風に見られるんじゃないか、そんな第一印象になってしまうのではないか。

そういうことを考えると、言葉は喉を通っていかないものなのです。


私も今回、発言する際には声が震えましたし、「こんな思いをするくらいなら、発言せずに部活顧問を甘受した方が楽なのではないか」という逡巡もありました。

様々な葛藤がある中で、なんとか部活顧問のない日々を手に入れることができたわけです。


幸い、職員会議の後で声をかけてくださった先生方は、私の考えに賛成してくださる方ばかりでした。

中にはお褒めの言葉を下さる先輩教師もいらっしゃいました。


冷静に考えてみると、どうしてこんなに大変な目に遭わなければならないのか、甚だ疑問です。

校長からの「お願い」であるはずの部活、ボランティアであるはずの部活を断るのに、なぜここまで骨を折らないといけないのか。


ここに日本の学校教育の闇が潜んでいます。

やれコンプライアンスだ、やれパワハラだ、やれ同調圧力だと最近になって人口に膾炙してきた言葉がありますが、学校現場ではそういったワードは無意味です。

子どもたちに正しいことを教えるはずの学校現場が、そういう話題からは最も遅れているのですから。


少なくとも、私の勤務校は全員顧問制では無くなったわけですから、「部活顧問をしたくない」と本心では思っている教師の方々が、来年や再来年にでも私の顧問拒否をステップにして自分の道を切り開いてもらえたらいいと思います。


もちろん、本心から部活顧問をしたいという教師の方々はご自分の意志で部活をされていいと思います。

本心から部活をしたいという生徒とともに、本心から打ち込める楽しい部活になればいいのではないかと思います。


Twitter上では、初任者と思しき教師の方々も部活顧問拒否を考えている人が少なくないように見受けられました。

これは予想にすぎませんが、初任者の方で部活顧問拒否ができた人は、相当に少ないのではないでしょうか。

大部分は、初めて勤務校に行ったそのときに、すでに部活顧問が決まっているのではないでしょうか。

初任者は条件付き採用ということもあり、部活顧問をしないという選択肢をとりにくいような気がします。

条件付き採用の教師が部活顧問をしないからといって不当な扱いをされるとなれば、それはそれで問題なのですが。


名古屋大学准教授・内田良先生によるYahoo!の記事によれば「あなたは来年度、部活動の顧問を担当したいですか」というアンケートに対し、『担当したくない』と答えた教師は49.5%だったということです。

約半分の教師が、本音では『部活顧問を担当したくない』と考えているにも関わらず、日本全国津々浦々の学校の大半(87.5%)が全員顧問制度をとっている。

これは教育現場で公然と行われているパワハラであり、重大なコンプライアンス違反だと言っていいでしょう。

さらに問題なのは、それが放置され、見て見ぬふりをされ続けた成れの果てが、現状の部活制度だということです。


全国各地の自治体では、部活指導員なるものの導入を検討しているところが少しずつ出てきました。

部活顧問問題は、少しずつですが確実に解決に向かっています。

各学校で私のように、部活顧問になることをお断りする方が一人ではなく、二人・三人と増えていけば、おのずと問題解決の速度も早まっていくことでしょう。


まだまだ部活顧問をお断りする教師は少数派・マイノリティです。

おそらくはまだまだ「変な奴」です。

本音では部活顧問を担当したくないと考えている49.5%の先生方、もう全国各地に少しずつですが「変な奴」は点在しています。

「変な奴」予備軍もいっぱい、いっぱいいます。

もしかしたら、お隣の机の先生も、本音では「変な奴」なのかもしれません。


もし本心では部活顧問を担当したくないのであれば、「変な奴」に乗っかってみませんか。

それが来年度であったり、数年後であったり、もっと先でもいいかもしれません。

部活顧問をお断りすることのハードルは、確実に低くなっています。


今回特に伝えたいのは、正しいことを最後まで正しいと言い続けることは、正しいということを証明できたということです。


乱文失礼いたしました。少し、熱くなってしまいましたね。

ブログの更新を頑張りたいと思います。

いつも思うんですが、一回の更新あたりの文字数を減らして更新頻度を上げればいいと思うんです。

でも、書き始めたら止まらないんですね(汗)。


それでは、新年度、ご無理をなさいませんよう。

ご自愛ください。