定義そのものがあいまいであり、かつその決め方もあいまいなのが現在の部活動です。
教員は「ボランティア」である部活動に、強制的に参加させられます。
年度当初(まさに今の時期ですが)に、ほとんどの場合は全員顧問制がとられます。
教員間で、部活動の顧問を決めるわけです。
ですが、「ボランティア」であるのに、全員顧問制・・・。
ボランティアなのに、全員・・・?
おかしくありませんか?
お金はほとんど発生しないのに、全員強制参加なのです。
本来のボランティアの語義から言えば、「やる」「やらない」自由があるべきであり、
それを選び取る自由があって然るべきなのです。
しかし、教員の場合は、「聖職」の名のもとに、「自主的な」「ボランティア」が強制されているわけです。
質問ある方がいらっしゃれば、なんでもどうぞ。
よろしくお願いいたします。
教員は「ボランティア」である部活動に、強制的に参加させられます。
年度当初(まさに今の時期ですが)に、ほとんどの場合は全員顧問制がとられます。
教員間で、部活動の顧問を決めるわけです。
ですが、「ボランティア」であるのに、全員顧問制・・・。
ボランティアなのに、全員・・・?
おかしくありませんか?
お金はほとんど発生しないのに、全員強制参加なのです。
本来のボランティアの語義から言えば、「やる」「やらない」自由があるべきであり、
それを選び取る自由があって然るべきなのです。
しかし、教員の場合は、「聖職」の名のもとに、「自主的な」「ボランティア」が強制されているわけです。
質問ある方がいらっしゃれば、なんでもどうぞ。
よろしくお願いいたします。
コメント
コメント一覧 (28)
ゆっくり休んで、クラスの子ども達に、気持ちの余裕を持って接してもらいたいからです。
民間はサービス残業当たり前、という意見で片付けられてしまうのですが、
本来の業務で既に手一杯です。
行事・研修・報告書・授業準備・採点・成績・提出物・生徒指導・保護者対応など、
十分サービス残業しているつもりです。
そして、何か問題があれば仕事はさらに増えます。
部活動の位置づけっておかしいですよね。
ボランティアなのに、責任はあるし、管理職からの勤務評価にも影響します。
正直、転職も考えています。
自分のスキルアップを考える余裕もありませんから。
真由子さんはどうやって5年間も耐えて、続けてこられたのでしょうか?
秘訣があったら教えてください。
自分は塾の講師をしていましたので、授業という業務はやる気はあるのですが・・・
全く同意見です。
土日に試合がある時点で矛盾です。
顧問して頑張っても、評価に繋がらないし、土日の試合引率なんかはもちろん自腹。その上、なんかあると親から苦情、やってられへんし〜
ストレスたまりすぎていつ子どもしばいてしまうことか
教員の授業の充足、また規律ある生徒指導には、教員の心のゆとりが必要です。
しかし、休んで然るべきの休日まで部活動を強制される。
心身ともに疲れました。同じ考えの方がいて、少し心が落ち着きます。
本来の業務を一生懸命やる。
そしてその対価として賃金をいただく。
部活動は勤務ではない。
なのに、強制である。しかも給与は発生しない。
この矛盾になぜ誰も気づかないのか。謎です。
部活動は「ちゃんとやってますよ風」にして、自分の本来の業務に打ち込むべきです。
でも・・・精神的にきついので、転職が頭をよぎります。
保護者の方からも意見をいただいて、感謝の極みです。
土日は休んで当たり前。
なのに部活動にまで風呂敷を広げるから、疲弊しきってしまうと思います。
土日が憂鬱です。そしてその感情を正直に表に出せない環境にあるのも問題です。
4月の顧問希望調査届用紙を提出する時「しません」と書いて出します。すると、翌日配られた案には私の名前はありませんでした。
よく、「副顧問でいいから名前をあげてください。」といいますが、もし主顧問に何かあった場合は、副に負担がかかってきます。そのくらいの気持ちでないと名前を出してはいけません。また、複数制はそれぞれの考え方が異なるので、結局は主にあわせないと回りません。
社会体育への移行を主張するひとでも「だれも顧問がいなくなったら、生徒たちがかわいそうだ。」と言って、結局引き受けるひとがいます。これを何十年も繰り返しているのです。社会体育に移行させたいと思うなら「しません」と言って、みんなが顧問を断ればいいのです。そうすれば、保護者たちが動くでしょう。それを受けて再度校長が「引き受けてくれ」と言ってくるでしょう。その時、われわれは「それは職務命令ですか。」と言い返し、きっぱり断ればいいのです。
とにかく「しません」とみんなで主張しましょう。保護者や地域、生徒が頼んでも「じゃ」と言ってはいけません。「しません」教員が増えれば、この制度をなくすことができるでしょう。
おっしゃる通りです。
1人1人が強い意志を持って部活動を断ることができれば、確実に部活動は変わってきます。
部活動を断るように、部活動自体を考え直すことを広めていかなければなりません。
部活の方向性は「スポーツや文化を楽しむもの」なのか「ひたすら勝利をめざすのか」それは決まってません。その部の大多数の意見や強い意見が方向性を決めるわけです。少数派の意見は「悪」みたいです。
部顧問決定についても同じ事が言えるかもしれませんね。「部活する」と「部活は社会体育へ」の意見のどちらが大多数か、もしくは強い意見か。
大多数というよりか、強い人たちの意見というものが優先されるような気がします。
部活動の指導をやる・やらないという選択肢が与えられていないのが何より不条理です。
保護者には自動入会自動寄付、強制徴兵もとい強制奉仕労働があるんですよね。仕事休んでまでやれというほどの無償労働が。
しかも、子供のために~という印籠振りかざされて。
学校という聖域は腐っています。
見える化が必要です。
言い出さなければ、やりたい放題でも誰も気付きません。
もっと宣伝して、味方になる保護者を作り、国会議員に取り上げてもらうのがいいと思います。
文科省は見てみぬフリですから。
コメントありがとうございます。
もっと味方を作らなければなりませんよね。
このブログもだいぶ広がりを見せてきましたが、もっともっと広がっていけばいいと思います。
臨時採用で教員を続けています。
部活は本当に悩みの種と思います。
以前、全員部活体制の地域にいて、今は希望者制の地域にいます。
希望者制の地域にきて、大変びっくりした出来事がありました。
部活希望者が足りなくて二人体制をとれる部活から顧問を兼任してほしいと…
で、そういう役目を振られるのは大体が私のように臨時採用です。
全員部活体制はやむを得ない措置だったのだとその時思えました。
交代でやる、休みを取るのも顧問が複数いるからできたのだと。
学校でやるって、結局そういった歪みができてくるのだと思います。
地域のサークルの形で費用をはらってやればいいのになぁと思います。
生涯教育、地域による教育の土壌にもなるのだから、システム整備していただきたいものです。
高給貰ってるならちょっと御裾分けして欲しいです。
学校にもよると思いますが、大方の部活顧問制度は違法だということに同意します。
尤も、ごく少数の学校では、自由意志のボランティアだと言えるところもあるのかもしれませんが、(何せこの問題、情報過疎のためか・・)未だそういうところは知りません。
何方かが仰せのように、この問題、形式的には自由意志であるような体裁を取っておいて、実際には強制労働なわけですね。ただ、教員(大人)に課された労働ではなく、大人の言うことをよく聞く子供を再生産(→そののち文句を言わず働く労働者や教師になってゆくわけです)することに同意している教員の方もおられるような。ブラック教員です。
では、法に当てはめるとすれば、何法の何条に違反するのか?。これを解明するのが結構面倒なんですね。何せ、形式的にはボランティア(自由意志・行動の自由に由来するところの教員・生徒間、ないしその担当は教員間の合意とされる)なわけですから。
しかしよく見ると、学校という教育機関・ないしその内部組織(そこには当然学校事情があるわけで)が掲げた教育課程や教育目標に基づく職務であって、それを組織内で分担する責務を担わざるを得ない教員各人の専門性や経験による仕事なわけです。これを教育活動や公務等の職務分挙に準じた形で担当しなければならないことを公的に課されているわけです。なぜなら、出張命令や、学校という公の施設の目的に沿い且つこれを利用する権限が与えられているのは一般に学校組織内の教員以外には存在しないからです。
要するに、この部活なる活動を、その機関の内部に設置し、人的物質的資源配分も内部人事によらなければならない場合では、その内部労働者(つまり教員ということになります)は、少なくともその労働関係において役割を担うことが期待されているわけですから、そのような部活動の指導は職務=労働だと考えられます。
地公法や教特法はあるものの、本来、使用者・管職者によるべき、適正な労働時間の把握もなく、長時間労働や、個別労働者の育児介護その他の私的(個別的)労働環境に配慮することもなく、部活負担を強いられていることは、労基法労働条件明示(15条)に違反していると思いますし、休日が週1日(若しくは4週4日)に満たない場合には、同法35条違反だと思います。
また、百歩譲って、部活顧問の業務が労働ではない場合があるとすれば、今度は行為の強制や、意に反する結社に公的機関が強要するというのは、強要罪(刑法刑法223条・・但し強要するにあたり「害悪の告知」が必要ですが、例えば「村八分」にされるのであれば同罪の構成要件には該当すると思います)や、校長や学校設置者がこれを黙示的に命じたわけです(ほったらかしにして部活だけを学校でやらせることには組織として合意しただけでなく組織化した保護責任があるわけです)から、この場合では職権乱用罪(同法193条)の構成要件に該当すると解する余地もあるように思います。少なくとも同法の保護法益であるところの公務員としての教師の「職務の公正さ」は、学校管理者その他の利害関係者によって侵害されていると考えます。
そうではなく、強要しない場合であっても、例えば「義務無きこと」を「義務である如く欺罔」して労働させるのは、こんどは二項詐欺罪(刑法246条2項)に該当するのではないでしょうか。
素人ゆえ誤りがあるかもしれません。
また、長くなり申し訳ありません。
小生のブログにもコメントど~ぞ!
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オリンピックの前頃からでしょうか、全国大会とかできて、色々な組織ができ、だんだん加熱してきたように思います。テレビでも盛んに学園スポーツものが取り上げられ、熱血教師が賞賛されるようになりました。世間の風潮が、部活動を賞賛するようになり、部活動で生徒がよくなるという信仰が生まれました。それに伴い、部活動にのめり込む先生も現れ、授業より部活動の方が大事という、本末転倒の考え方をする先生まで出てきました。
教科指導では、全国大会もなく、ほとんど認められることはありませんが、スポーツの指導者は、全国大会でよい成績を残すと表彰されたり、出世の近道になるのです。
昔は、学習面で困っている生徒がいたら残して指導することもできましたが、今では部活動があるのでほとんどできません。
学習面で困っている生徒を救うのが本来の教員の役割ではないでしょうか。部活動のためにそれができないというのはおかしいと思います。とにかく、部活指導のために教科指導が疎かになることだけは避けるべきだと思います。多くの教員は、放課後や休日は、部活指導のためにほとんど教材研究もせず、これまでの経験だけで指導しているのが現状です。統計的にも他国の教員と比較したとき、教材研究の時間が著しく少ないことが指摘されています。
本当にこれでよいのでしょうか。
そんなにがたがた文句ゆうなら他の仕事すれば良いと思います
先生より給料良くて休みが多い仕事なんて少し探せばすぐみつかるし、多分ある程度の人なら簡単に入る事は出来るよ
続くかどうかは本人しだいな
無理やり先生にさせられたなら文句ゆうのわかるけど
自ら望んで選んで先生になったならガタガタ文句ゆうのわおかしいだろ
世間一般的に先生になったなら顧問をやるのは基本の話だと思う
考え方としては顧問がつかなかったらラッキーと思うべきではないか?
この件でガタガタ文句しかゆわないやつ、なんで分かってて教師になった?
文句ばっか言うなら他の楽な仕事探した方が良いと思います。
残業ほぼなし土日休み月給約20万
そこらへんの求人に似たようなのはたくさんのってますよ
ただらくしたいわがままにしか私には聞こえ
ません
現在でも、クラスの事や教科に関わる事に関しては、やはり勤務時間をオーバーする日が多いです(処理能力が落ちてきているのも違い有りませんが)。
その状態でさえ、エクセルで勤務時間を記録していたら、多い年で年間20日位の超過勤務でした。年休は余りまくり。(以前はそんなレベルは超えていました)
コメントを見ていると(他の同様のサイトも見ていますが…)、中学校(高校も含めて)「過労死」もしくは「家庭崩壊」「心の病」になってしまう先生方々の状況は悲惨を通り越していると思っています。
対処法になるかどうかはわかりませんが、まずは「部活はやりません」という仲間を少しでも増やすことです。また、(過労の上にきついとは思いますが)勤務時間の記録をきちんと残すことです。
何かを動かすには、「事実」が重要です。(自分も何かあったら、その記録を示そうと思います)。
そんな時困ることの第一は「部活大好き先生」です。また上記の結束を利用して、自分だけが「よい子を演じる先生」です。
色々と書きましたが、以前に勤務し、また現在勤務している処でも、最終的には「他人にどう思われてもかまわない」と決めて、時間外の仕事は「絶対にしない」人もいます。まだ言いにくい、行動しにくい年齢だとは思いますが、ある意味「腹をくくるしか」ありません。
ただ、コメントを見ていると、先生を慕ってくれる「クラスの生徒」がいます。
難しいとは思いますが、二者択一の選択が必要かと思います。
是非先生のような方が、教職を去る事の無いように願っています。すいません長くなりました。