最近、いろいろな教員の友達に相談をすることが多い。
テーマは専ら、部活動にどう向き合っていったらいいかということだ。
その中で、ある中学校教員の友達の考えが印象的だった。
それは、
「教員は教え育てるのが仕事。つまり、本務の第一が生徒指導であり、生徒指導という大きなカテゴリーの中に教科指導・学級経営・部活指導があるのだ。だから部活指導も本務の一環であり、生徒のために仕事として取り組むべきだ」
というものだった。
確かに、と思う部分もある。
部活指導が独立した分野ではなく、部活指導は生徒指導の一翼を担う分野であること。
そして、言うまでもなく、部活指導は生徒にとって有意義な部分があるということ。
そして、その友達の教員は、一生をかけて部活指導を続ける覚悟だそうだ。
正直、すごいと思った。
でも、と思う。
確かに生徒指導の一環として取り組む意義はあると思う。
しかし。いや、だからこそ、きちんとした制度がないといけない。
その友達の教員は、その矛盾した制度さえも飲み込んで、部活に邁進するのだそうだ。
立派だと思う。
だけど私は、この曖昧で、教員のプライベートを全く考えていない制度が気にくわない。
ずっとこんなもやもやを、かかえていくのは御免だ。
なんでこんなことに悩んでいるのだろう。
部活指導できないと、それはもはや中学校教員失格ということか?
世の中の認知は、部活指導までが中学校教員の仕事だと思う。
あくまで、私は、自分の信念は曲げない。
頑なで、そして融通が効かないと思われるだろう。
でも、制度としておかしいのだ。
勤務時間外に、ほぼ無償で、ほぼ義務としてやらねばならぬのだ。
前述の通り、生徒指導の観点からは必要かもしれない。
ただし、私は一生を費やして部活に付き合って行く気概はない。
断定する。
私には、そんな気概はない。
そして、この嫌いな部活顧問制度のまま、心をごまかし続けることはできない。
やはり、私は中学校教員を辞するしかないのだろうか。
もう辞める決心は、ほぼ固まりつつある。
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その中で、ある中学校教員の友達の考えが印象的だった。
それは、
「教員は教え育てるのが仕事。つまり、本務の第一が生徒指導であり、生徒指導という大きなカテゴリーの中に教科指導・学級経営・部活指導があるのだ。だから部活指導も本務の一環であり、生徒のために仕事として取り組むべきだ」
というものだった。
確かに、と思う部分もある。
部活指導が独立した分野ではなく、部活指導は生徒指導の一翼を担う分野であること。
そして、言うまでもなく、部活指導は生徒にとって有意義な部分があるということ。
そして、その友達の教員は、一生をかけて部活指導を続ける覚悟だそうだ。
正直、すごいと思った。
でも、と思う。
確かに生徒指導の一環として取り組む意義はあると思う。
しかし。いや、だからこそ、きちんとした制度がないといけない。
その友達の教員は、その矛盾した制度さえも飲み込んで、部活に邁進するのだそうだ。
立派だと思う。
だけど私は、この曖昧で、教員のプライベートを全く考えていない制度が気にくわない。
ずっとこんなもやもやを、かかえていくのは御免だ。
なんでこんなことに悩んでいるのだろう。
部活指導できないと、それはもはや中学校教員失格ということか?
世の中の認知は、部活指導までが中学校教員の仕事だと思う。
あくまで、私は、自分の信念は曲げない。
頑なで、そして融通が効かないと思われるだろう。
でも、制度としておかしいのだ。
勤務時間外に、ほぼ無償で、ほぼ義務としてやらねばならぬのだ。
前述の通り、生徒指導の観点からは必要かもしれない。
ただし、私は一生を費やして部活に付き合って行く気概はない。
断定する。
私には、そんな気概はない。
そして、この嫌いな部活顧問制度のまま、心をごまかし続けることはできない。
やはり、私は中学校教員を辞するしかないのだろうか。
もう辞める決心は、ほぼ固まりつつある。
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コメント
コメント一覧 (8)
「教育も行政サービスの一つである。この場合生徒は顧客である。顧客第一主義の観点からすれば、生徒がいるから、我々教師は食べさせていただいている。だから、生徒を第一に考えて、奉仕すべきである」との主張する人がいる。一見すると、新しい学校の在り方を示しているように見える。
しかし、私は次のように考えている。「学校教育で最も大切にしなくてはいけないのは教員である。学校の中心は教員でり、生徒ではない。教員が元気がなければ、学校は死んでしまう。教員が元気なら、創意工夫ができる。」
会社経営者の中には、顧客ではなく従業員を第一に考える人がいて、テレビなどで紹介される。総じて、これからの働き方を好意的に放送している。
自己犠牲に酔う労働観は同意できない。
コメントありがとうございます。
現状の教員は、自己犠牲を己に強いて、その苦境を楽しんでいる節がある。
つまり、平日も土日もなく働いて、「生徒のために全力で働いている」と満足している。
生徒のために、というのは立派だが、総じて自己犠牲・滅私奉公の精神が強すぎる。
勤務時間を大幅に超えてはならない。
教員が犠牲になってはならない。
一定のゆとりをもって生徒に接する方が、メリットは大きい。
そもそも、土日に休めない方が異常なのだ。
異常な現状を継続する必要はない。
もっとみなさんに現状を周知したい、、
コメントありがとうございます。
おっしゃること、よく分かります。
結局は、なあなあにしているのが問題です。
そして、なあなあな状態で部活を継続していては、ひいては子どもに間違ったことを教えることにつながります。
やっぱり、どう考えても、部活の現状は変だ。
顧問に人権がない。
わたしは、部活動はおかしいと思う。改めて、そう思う。
私はあなたが自分で選んだ道に自分で文句をただ言っているだけのようにしか見えません。
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