今日はもう一人の顧問に部活をお任せして、久々の休みです。

とはいえ、明日は通常の練習なのですが。

土曜のお昼前、いかがお過ごしですか。


いつもたくさんのコメント、ありがとうございます。

このブログによって部活動について考えてくださる方が増えるのはいいことだと思います。

たとえすぐに世論を変えることができなくても、みなさんの意識が変わっていくのは重要なことです。


さて、コメントの中には「部活動否定派は、今まで部活動にいい思い出がない人ではないのか」といった旨の指摘がありました。

逆に「部活動肯定派は、部活動から多くの恩恵を受けている人が多いではないか」ということも言われています。


この方程式からいえば、部活動の制度はこのままではいけないと考えている私は、前者に当たると思います。

しかし、私も学生時代は部活動に燃えている、いち生徒でした。


小学校のときには、地域のある競技のチームに所属し、週3回厳しい練習をしていました。

土日も練習しており、朝練習もありました。

チームも強く、上位大会までいったことがあります。

当時の監督は、小学校の先生がしていました。


中学校のときには、小学校のときにやっていた競技から離れ、新しい競技の部活動に入りました。

競技自体は楽しかったのですが、なかなか結果が出なかったこと、それに関連して周囲の友達とうまくいかなくなったことを理由に、2年生なかばで退部しました。

このときの顧問は言わずもがな中学校の先生です。


高校の時には、小学校のときにやっていた競技の部活動に入りました。

毎日毎日練習練習。土日は練習試合か試合。

盆と正月しか休みがなく、気づけば部活を引退し、高3の進路選択の時期。

仲間にも恵まれ、充実の部活ライフを送りました。

顧問は当然、高校の先生。ちなみに体育の先生でした。


この部活動遍歴は、特殊なものではなく、ごく一般的なものだと思います。

この中で私が考えたことは以下のようなものでした。


・小学校時はただただ楽しいものとして行っていた。小学校の先生が監督をするものだと、自然に思っていた。

・中学校時は、部活は楽しいものと同時に、重荷でもあると感じていた。周囲とうまくいかないと、放課後の部活の時間が嫌になった。

・中学校時のことを振り返ると、部活が普段の学校と密接にリンクしているのが苦しかったのだと思う。部活の人間関係悪化は、即学校での人間関係悪化を意味するからだ。

・高校時は、とにかく部活に燃えていた。顧問が競技の専門家だったこともあり、そのリーダーシップに引っ張られて皆で勝利を目指していた。

・高校時の顧問は、「家庭があるのか?」と訝しげになるほど部活に打ち込んでいた。ただ、そんな疑問は高校生の私には大した問題ではなかった。


いまだに地元で集まる仲間は高校時代の部活の仲間ですし、昔の話に花が咲くのは専ら部活の話題です。

私の身体や精神の一部は、部活動によって形作られているといっていいでしょう。


高校時代、厳しかった顧問が私たちの引退試合のときに「お前たちを勝たせてあげられなくてすまなかった」と涙を流しながら言った表情。

練習のときに、チームが一体となって汗を流し、皆が一つになったあの連帯感。

練習が終わった夕方、なかなか帰らないでチームメイトといつまでも喋っていた暗がりの部室。


あのときの風景が、匂いが、そして部活動という存在が、今でも鮮やかに胸に蘇ってきます。


こんなに素晴らしい側面がある部活動。

だからこそ、自分の生活の全てを投げ打ってでも打ち込む教員がいるのはよく分かります。


大げさな話ではなく、土日が部活で潰れたために、ご自分の家庭も崩壊したという話はよくあります。

また、ベテラン男性教員に「俺は土日は部活に行っていたから、子育ては嫁任せだった。だから実質は母子家庭みたいなもんだ」と自慢げに話す人も結構多いです。


こんなことを考えていると、頭の中は混沌としてきます。

「部活動は素晴らしい、だから全てを投げ打ってやるべきだ」ということ。

「教員は聖職である。だから、ボランティア精神が必要である」ということ。


私も分かっているんです、現場の空気もそうですから。

しかし、だからこそ、部活動は変革の時期を迎えねばなりません。


顧問のあり方、制度のあり方。

私も「部活が大好きだった生徒」だったからこそ、生徒にも教員にも適切に部活動は存在するべきだと思うのです。

「部活動が人生の全て」と打ち込む教員がいてもいいでしょう。

「ワークライフバランスを考えて、土日に部活をしない」教員がいてもいいでしょう。


それを一切合切いっしょにして、「全ての教員に一律に部活を負担させている」から問題が起きてきた。

これからは部活を、生徒も教員も、やる・やらないの選択ができる時代にならないと。


こんなことを書くと、「自分は学生時代に部活顧問にお世話になっておいて、自分が教員になったら顧問しないなんて、卑怯者だ」という反論が来そうです。


私は、いち地方の教師として、本来の教師としてのやり方で子どもたちに還元していきたいと思っています。

それは「部活打ち込み教師」としての姿ではありません。

自分が成すべきこと、授業・生徒指導・学級経営・校務分掌などに真摯に取り組むことです。


きっちりと授業研究をして、生徒の興味関心をひきだす授業をする。最新の教育界の動向に見合った授業を行う。

生徒の心に寄り添った生徒指導をする。高慢な自己中心的な物言いにならぬよう、生徒の側に立った指導を心がける。

学級の全ての子どもに不利益がないように、全ての子どもに居場所ある学級経営をする。そのために努力を欠かさない。

校務分掌を滞りなく行い、学校全体の下支えとなるように粉骨砕身する。


全ては生徒の成長と、輝くような笑顔のために。

そうして「子どもを育てたい」と思います。

これらを自分なりに努力しながら遂行することが、本来の教員としての大切な部分だと思います。

そして生身の子どもと触れ合う大変な仕事でもありますから、土日にはリフレッシュの時間が多少なりとも必要になるのではないでしょうか。


そして私に課せられた使命は、部活動について考えることです。全ての人に適切な部活動になるように考えることです。


私のタイムリミットはあと1年。

その間に部活について考えたいと、改めて思いました。


なにが正しい姿なのか、私はどうしたいのか、どうすればいいのか。

中学校教員がいいのか、小学校教員がいいのか、その他の仕事がいいのか。

部活顧問を引き受けるべきなのか、部活顧問を拒否するべきなのか。

(くれぐれも、小学校教員や他の仕事を軽く見ているわけではありません。私の一生を考えたときに、どの仕事をやっていくべきなのか模索中なのです)


もう少し、時間をください。



<a href="http://blog.with2.net/link.php?1556749" title="人気ブログランキングへ"><img src="http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1953_1.gif" width="110" height="31" /></a><br /><a href="http://blog.with2.net/link.php?1556749">人気ブログランキングへ</a>

<a href="http://blog.with2.net/link.php?1556749" title="人気ブログランキングへ"><img src="http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1953_1.gif" width="110" height="31" /></a><br /><a href="http://blog.with2.net/link.php?1556749">人気ブログランキングへ</a>


<a href="http://www.doramix.com/rank/vote.php?id=152374"><strong>ランキングはこちらをクリック!</strong></a>