4月からの異動が決まった先生方が、掃除を進めています。
今年度をもって退職をされる先生方が、今までの荷物をまとめています。
これが職員室の春の風物詩。
寂しくもあり、また新しい出会いに希望を抱かせる春の風物詩です。
私はこの土日は部活を休みにしています。
他の多くの部活も、この土日は休みのところが多いのではないでしょうか(両方ばっちり活動しているところもあるでしょうが)。
今日は桜を見に行きました。
空に舞う桜吹雪、儚げな春を象徴するような景色です。
春の風とともに、心洗われた気分になりました。
私の平日は、新学期への準備や新しい学級通信の執筆、そして身の回りの整理等を進めながら、春休みを送っています。
そんな中、おそらく部活動担当になるであろう同僚が各教員のもとをまわり、部活担当決定の下調べをしていました。
私のところへも来て、「昨年度は〇〇部顧問だったけど、どうされますか」と聞いてきました。
私はありのままの考えを述べ、今年は顧問をしない旨を述べました。
するとその同僚はとても困ったような、苦いような顔をして去っていきました。
部活動担当の先生からすると、非常に困った同僚にあたるんだろうと思いましたが、どうにもなりません。
この後、週明けから本格的に部活顧問の担当を決めていくことになります。
もちろん、管理職も含めて。
その中での私の動向が大事になると思います。
部活顧問はしない、その考えを曲げないようにしていきたい。そう思います。
また新しく赴任してこられる先生方が、職員室にぽつぽつと姿を見せ始めるのもこの時期です。
先日は私と同じ部活の顧問をしている先生が他校から来られました。
その先生は部活に燃えていらっしゃるタイプの先生で、初対面だったのですが早速部活動の話をしてきました。
「先生は来年度も部活の顧問をされるんですよね?どんな感じの部なんですか?」
という風に。
私は「去年はしていましたが、今年はもう顧問をしないつもりです」
と言いました。
その先生は私の発言を聞いて、狐につままれたような、拍子抜けしたような顔をして去っていきました。
新天地で部活を頑張ろうというその先生には、私の姿は奇異なものに映ったのでしょうね。
きっと私の第一印象は「やる気のない先生」に決定したはずでしょうが、まあいいとします。
このブログへのたくさんのコメントから、応援や共感の声、また不安や心配の声などが聞かれます。
いつもコメントありがとうございます。
私にも不安がたくさんあります。そして心配も。
明日も休みなことですし、自分の考えをまとめようと思います。
みなさんも、きっと新年度に向けていろいろと考えられることでしょうね。
願わくば、私の考えが今日の桜吹雪のように儚いものでないことを。
そしていつかは土着することを願います。
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コメント
コメント一覧 (105)
それだけ言うなら校長になって変えればいいのに。
ま、それが叶わないからここで偉そうに語るしかないか…
なんだかなぁ。
勇気を出して、部活顧問になることを校長室内で、断わりました。
以下、校長先生の言葉。
・うちは全員顧問制だから。
・新指導要領で部活動は教育課程の一環となっているから。
・勤務時間外ができないなら、5時間授業の日はできるではないか。
なかなか、厳しい場面でしたが、何とか、最後まで〈できません〉で通しました。今後の風当たりが厳しくなりそうですが。(笑)
足元をすくわれないよう、本業(授業・生徒指導・校務分掌他)で一層励みます。
校長ってそういう「保身」の人ばかりなんですかね。その自治体は可哀想ですね。
おじさんが書かれていることは正しいと思いますよ。
部活動の顧問制度には疑問がありますが、部活動の存在意義はあると思っている同業者です。
同じ教員なんですから、非難するばかりではなく、尊重し合えるといいのですが・・・。
「頑張れよ。」って、何をどうすればいいのか分からない人にとっては難しい言葉ですよね。放課後にそういう人と話をしたり、勉強したり作業をしり・・・。1人や2人ならできますが、10人では無理ですよね。どうすればいいのでしょうかね。夢を持てるといいのですがね。
校長先生から
・「部活は絶対持ってもらいます。」
・「担任などはもってくれますか?」
といわれました。
担任は業務なので
「担任はもってもらいます。」
「部活はもってくれますか?」
の逆のはずですよね?
他の方がいうように
・うちは全員顧問制だから。
・新指導要領で部活動は教育課程の一環となっているから。
と言われました。
部活>担任 なんですねw
前回の記事に対するコメントへの返信ありがとうございます。
本当に、部活動制度の在り方に世の中の関心が向くようになってきたのだと思います。
これを機に…
日本中学校体育連盟
http://www18.ocn.ne.jp/~njpa/index.html
へもアプローチをはかっていきたいと考えております。
とにかく、新年度に顧問をご担当されないことを祈っております。
しかし、顧問の負担が多すぎるのは問題です
経済的に厳しい家庭の生徒の居場所に、部活なれるとは限りません。
部活動に保護者の協力が必要な場合も多々あります。
土日練習のお弁当、遠征時やコンクールなどの交通費、ユニフォーム代や別途の部費徴収など…。家庭によっては生徒は、自由に部活を選択できません。
今の、教員まかせの無理ある部活動の仕組みでなく、外部顧問を充実させたり、時間で区切るシェアワークにしたりなど、部活動を顧問1人でみるのでなく、もっと多くの人でみる体制にすべきと思います。
持続可能な全人教育をめざすべきと思います。
運営会議のメンバーから、同じ部活を持つことを知らされました。当人の了承もなしに割り振られ、そもそも部活を持つと一言も言っていない、納得がいかないと言いました。
「仕事や。だいたい指導できる部活がないんやから、空いとるとこに入るしか選択肢はない」と反論されました。
「顧問自体強制力がない、こんな無茶苦茶なやり方なら引き受けない」と言いました。教材研究に時間が割けないこと、子どもがまだ小さく、妻に育児をまかせっきりになっていること、苦しい思いを伝えました。しかし、「非常識」の一言で会話は打ち切られました。
ある意味スッキリしたというか、笑うしかありません。もちろんそんな同僚ばかりではありませんが。
私も、異動の準備をせっせとしているところです。
真由子さんは学校内で顧問拒否の意思を表明されたのですね。
すごく勇気と思い切りのいる行動だったことをお察しします。
真由子さんに、賞賛の言葉を送りたい思いでいっぱいです。
>>7の公立中女性教師さんも校長に断ったということもあわせて、私もたくさんの勇気をもらいました。
異動早々、職員会議の場、もしくは校長面談で部活動の顧問拒否を表明しないといけないと思うと、気が沈み、弱気になってしまいます。
(ちなみに、赴任前から準備委員会では勝手に部活動を決められてしまっているようです。準備委員の先生からの事前の電話で、部活動の顧問及び勤務時間外の部活動の指導を断っていたはずでしたが…)
…が、なんとしてでも意思を表明し、部活動顧問を拒否します。
お互いに風で散らぬ強い意志を持った桜でありましょう。
公立中女性教師さん
勇敢な行動に感服致します。
とても勇気をもらいました。
連投で申し訳ないですが。部活動の位置づけついて知っておいてほしくて、書かせていただきます。
部活動顧問を拒否するためには、部活動の位置づけや中教審の答申、法令などは知っておいて損はないと思います。
>>7さんの校長先生が
『新指導要領で部活動は教育課程の一環となっているから。』
と言っていますが、新指導要領では、部活動は『教育課程の一環』ではありません。
『部活動は、学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること』と明記されております。
つまり、部活動は教育課程ではなく、教育課程外なのです。
(もし部活動が教育課程だったら、生徒は全員が入部しなければなりませんね。)
平成10年まで、部活動は教育課程でしたが、平成10年以降(高校は平成11年以降)は、部活動は教育課程外の活動になっています。
間違えていたらご指摘をお願いします。
4月からは、負担の軽い部(?)の顧問にかえてもらうことになりました。これまでは、なり手がいない部の顧問でした。
全国には尊敬できる校長先生がいる学校もあるのでしょうね。あてにしてもしょうがないので、当面は、小さなことから行動に移していきたいと思います。
教材研究も家族との時間も十分にとれる環境です。
日本の教師は疲れきっている。
教育がしにくい国です。日本は……
もしくは、ありようを変えない限り、
部活動は変わらないよ。
中体連って、なぜ存在できるの?
教えて、偉い人。
変えようと思うなら、
日教組と連携する道を模索しないと。
日教組のお題目のなかには、
部活動の時間外労働の異常性についての指摘もあったでしょ。
うちの都道府県では、
小学校教員が多いから、
「他人事だし」という感じだったけどね。
ちょこちょこ読ませて頂いてます^ ^
私も中高の先生を目指していましたが、現在小学校の先生を目指そうかなと考えています。
もともと家庭が複雑で、夢や希望を失って荒れてる時、熱血な先生が担任になり、その方に助けてもらい今に至るので、その先生のようになりたいと思っていましたが、ブログを拝見していろいろ思い当たることがありました。
まず、私の行っていた学校は大変先生に恵まれ、熱い思いで接してくださる方々が多いのです。が考えてみたら、熱血な先生ほどお金持ちの方が多いなって。
私は一般家庭ですし、きっと余裕などなくなり、このままだと玉の輿に乗らない限り、理想の熱い心を持った先生にはなれないのでは、、、と感じました;_;
現在は児童福祉施設や、スクールソーシャルワーカーなども視野に入れて勉強しています。
今後もブログ楽しみにしています。頑張ってください*
『部活動は、学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること』ですね。
校長先生は「『学校教育の一環だから』、全員顧問制はひきうけてもらう」とおっしゃったのでした。
帰りの会が16:25終了で勤務終了が16:45の学校です。部活が無い日でも、帰りの会終了後、校務分掌や、授業準備や提出物の点検や添削、学級・学年事務で18:00より前に退勤することができない現状。
部活に19:00までつきあえば、退勤は20:30過ぎ。帰宅は21:00過ぎ。夕飯は…?就寝時刻は…?
保育園児や小学生を抱える子育て中の教員もいます。「全員顧問制」は 子育て中の教員に、我が子・家庭を犠牲にすることを、職場の見えない圧力で強いているのです。
「俺は部活がしたくて教員になった」と6:30~の朝練や部活後の21:00までの夜練、土日返上で試合しまくりの「部活命」な先生を見ていると、すごいなあ、頑張っているなあ、とは思います。しかし、それを「生徒にため」と右へ倣いする雰囲気に歯止めをかけてほしい、法的規制がほしい、と切に望みます。
今の、教員まかせの無理ある部活動の仕組みでなく、外部顧問を充実させたり、時間で区切るシェアワークにしたりなど、部活動を顧問1人でみるのでなく、もっと多くの人でみる体制にすべきと思います。
持続可能な全人教育をめざすべきと思います。
すみません。また詳しい話は、いずれ文書を練って投稿します。
部活動にかかわらず今の教育は「先生達の善意」で成り立っているシステムだと感じています。部活動も楽しいと同時にかなりの負担です。
文化系の部の顧問となると楽になるのはわかっているのですが、「ここ二年間頑張ってきたのはなんだったんだろう」とか、今の1年生に「3年間面倒見るからね」と言った約束が果たせなくなったなとか、虚しくて堪りません。
理由はクレームがいくつもあったからと。でも、今年の春に卒業した3年生からは「先生に教えて貰えてよかった」「会えてよかった」とも言って貰えているのに・・・。クレームが来たのは自分の未熟さゆえなのはわかっていますが、一部のクレームで慕ってくれている子達から遠ざけられるのは悔しいです・・・。
今週末は試合です。天候不順のため中止にしましたが、先週末は練習試合を組んでいました。ここ二年間、休みは部活に費やしていました。真由子さんも書かれていましたが、三連休なんてものはありません。始業式まで新顧問はお披露目できないので、今週末の試合は、手放す子ども達と何食わぬ顔で接し、引率してきます。試合中はアドバイスもします。もう育てられないのに・・・。
あまり関係のないコメントですみません。気持ちをわかって貰える気がして書き込んでしまいました。がんばります。
私は、教科指導をしたくて中学教師になりました。今現在、担任をもっていて、学級経営の面白さ(もちろん大変さも…)も分かってきたくらいの若輩者です。
日頃から、部活動に関してはおかしいことが多いなと思っていました。遠征に行っても自己負担があったり、土日に休みがなかったり、何かあっても部活動振興会や管理職が一切守ってくれなかったり…教師自身にかなりの負担がかかっています。
現任校は、春休み中に希望を取ります。一応、「部活動は持てない」という項目もあります。そこに◯をつけても全ての部活動のスポンサーが埋まらなかったら、振興会の幹部か、それでもダメであれば、管理職自ら打診に来ます。
前年度、そうして管理職から依頼されましたが、私ははっきりと断りました。もちろん、周りの…とくに振興会の幹部の「大変やる気のある」先生方からは嫌な目で見られます。
ただ…私は、学校での居心地と自分の家庭を天秤にかけました。自分の時間を削ってまで、家庭を犠牲にしてまでやるべきなのか?と…。
教員も人間です。自分の大切な家族との時間を大事にしたいです。そこを大切にできるからこそ、仕事も充実できる、と私は思います。
今年度も、そろそろスポンサーが決まります。お互い、やるべきことはしっかりやり、自分の時間も楽しみましょうね♫
26. himeさんに関連して①「文化系の部の顧問となると楽」とありますが、私は文科系で体育系であれ、時間外の活動には反対です。②卒業した3年生から感謝の言葉をもらったようですが、これにより「来年は持たないぞ」という決意がリセットされるのを気をつけなければなりません。教員は生徒が謝ったり・感謝したりするとなんでも許してします寛大さあることが多いです。
部活動顧問を辞退して学習指導のスペシャリストになれるのであればそういう方法もあるのかなあ。と思いました。
学校は先生の生活のために存在するのではなく、生徒のためにあるのですから、この活動が生徒にとってメリットになるのであれば堂々と続けてください。子供達が一番大切なのです。
ただ、『労働者の権利』もありますが『職業選択の自由』もあります。
採用面接時に『部活動顧問を引き受けません』と明言していないのであれば一考の余地ありです。
そう言って合格できるのなら良いのですが。
「部活が嫌なら最初から教員になるな」と仰っているようにしか見えませんよ。
そう取られても仕方がないかもしれませんね。でも皆さんそう言って合格されたのでしょう。
一般企業であれば採用時に事実と異なる意思表示をした場合当然職務上指導をされますし、待遇が下がることも解雇事由になることもあります。
就職をするということは労働条件を調べて自分が納得したからこそその仕事を選んでいるのであり、待遇が思い通りでないならばそれは『自分の選択ミス』であり自己責任なのではないでしょうか。
また、部活を辞退してしまっても職場の負担のバランスが崩れないならばよいと思いますが現状はどうですか?
繰り返しになりますが『職業選択の自由』はどなたにも有ります。制度に疑問があるならば出来うる限り部活動にも協力しながら組合や法的手段で堂々と訴えれば良いと思います。
この活動がより良い教育現場への一石となるよう応援しています。
29. 小林真美さん の「学校は先生の生活のために存在するのではなく、生徒のためにあるのです」の部分ですが、私は次のように考えます。それは
「学校は生徒のためだけでなく、教員のためにも存在する」ということです。
しばしば、顧客中心主義の考えを強調する傾向が世間にはあります。それが行き過ぎると客の機嫌を伺う、ブラック企業に学校もなってしまします。企業経営者のなかには「顧客より、まず自分の従業員を大切にします。」という人がいます。従業員が生き生きと仕事ができる環境にすることが、結局は顧客を満足させ、会社の利益がでるというのです。
私は、学校の中心は、生徒ではなく教員だと考えています。教員が健康的に仕事ができる環境をつくることが、結局は生徒のためになると思います。
それは一見、矛盾しているようにも思えます。
しかし、問題の本質は部活指導が業務の一部という雇用契約ではなく、
教師の「ボランティア」という欺瞞にあるのだと思います。
断れない「ボランティア」って何ですか?
>ジロウさん
仰ること、よく理解できます。
ただ、建前上はあくまでも、「学校は児童・生徒のためのもの」であるべきだと思います。
だからといって、教員を奴隷にしてはならない。
教員をそこまで追い詰めたら、結局のところ、子ども達のためになりませんよね。
『学校の中心は、生徒ではなく教員』以外はおっしゃることもっともだと思います。私は制度自体が正しいとは思っていませんが現行の制度を承知したうえで就職したにもかかわらず他の教員に負担を押し付けるのはいかがなものか…と思っているのです。一部の企業をを除き従業員に過剰な負担を強いるのは経営者ではなく従業員間の業務の押し付け合いです。『労働者の権利』はもちろん尊重されるべきでしょうが『職業選択の自由もある』ということです。ご理解いただければと思います。同業者同士のコメント欄をあらしてしまい申し訳ありませんでした。
だって就職するときに調べていかないといけないことで、
もし違っていてもそこから「職業選択の自由」を行使すればいいわけで
勝手に死んどいて災害扱いとは何事だってことになりますよね。
同業者同士、とかそういうことじゃないんです。
明らかにおかしいし制度上問題がありなのにお客様の笑顔のために、生徒の笑顔のためになんて
きれい事吐いて奴隷を作ろうってことがおかしいってことなんだと思います。
少なくとも学校で奴隷制度をいいものだって価値観は教えていません。
身内に過労死をしたものがいる立場から言いますと過労死や自殺は『選択の余地がない』と思い込むことによっておこります。そのような個々の認知のゆがみを生みだすもとは家庭環境であり学校教育であり職場の環境です。
学校教育が9カ年の学制を持ち義務教育を国民に科しているのは社会を作り出す次世代に少しでも正しい選択が出来る力を付けるためなのではないでしょうか。
①学校は、子供たちに必要な教育活動をすべて行うべきである。だから、子供たちにとって有意義な部活動は行わなければならない。
②教員は、その仕事を選んだ時点で、部活指導を業務として行うこと、そしてその待遇についても了承したはずである。だから、教員はその業務を全うすべきである。
ということですよね。
子供のことしか考えていない保護者がよく使う論理ですね。
①必要な教育活動は行うべきです。しかし部活動は、有意性は認められるが必要性には乏しいと判断されています。
②教員は、大学にて教科指導と生徒指導を学び、試験による選抜を経て採用されるのであって、部活指導については関知していません。部活指導については、校長との話し合いや職場の暗黙のルールによって取り決められることが多く、了承したとは言いがたいものです。
最後に、講師としては、教諭が辞退した部活指導という業務をすべて押し付けられるだけなんですけどね…
でも、行動しなければ何も変わりませんし、行動するのは教諭でなければなりませんね。真由子さん、応援しています。
要するに、「部活のことをわかってて教員になったはず。
なら、それは引き受けるべき責任だ」ってことですよね。
部活強制がシステムとして定着している以上、すぐに変わらないことは
予見できるはずだから、後で文句を言うのはおかしい、という事ですよね。
確かに「合理的な人間」であれば、自分の選好によって職業を決めれば良い。
ただそれだけの話。
とはいえ、それは教員個人に焦点を当てすぎた議論なのではないでしょうか。
また、現状をあるがままに受け入れ、変革する意志を持たない議論です。
その諦観と個人主義が、他の方々との認識のズレではないでしょうか。
少なくとも私は、あるべき教育制度全体に思いを馳せ、ブログを拝読しています。
ですから部活指導強制の問題は、教育制度全体について考えた場合、
あまり「職業選択の自由」や「自己責任論」とはそぐわない気がします。
なお、37から39の小林さんは冷静さを失っているように感じられます。
例えば、
>>『一考の余地』や『選択の自由』という言葉になぜ自分が腹が立つのかを考えてみれば自明の理です。
という文章の、「腹が立つ」の主語は「自分」となっていますが、
これは誰のことを指しているのでしょう?
文脈上、小林さんに批判的なコメントに対してかと思いますが、
それは身勝手な決めつけでありますし、はっきりと申し上げれば、
このような主語をぼやかした回りくどい非難は不誠実であると感じます。
制度について分かっていながら、変えようとする前から何逃げてんの?
と個人的にはとらえましたが。
その考えにも一理あると思います。
真由子さんの主張、非常によくわかります。
私の友人が言っていたことが非常に印象に残っています。
「俺も部活動で土日がつぶれるとか、放課後がつぶれるのは嫌だ。でも、そんなことをいちいち考えていたら気が滅入るから考えないようにしている。」
これを聞いて私は、「友人は思考が停止してしまった」と思いました。
さらに、「部活動賛成派の思うツボだ」と思いました。
思考をやめさせ、「何も考えない教員」を作り上げようとしています。
私は、友人みたいになりたくありません。
だからこそ、毎年会議の場で
「顧問にはなりません。なれないのではなく、したくありません。」と宣言しています。
私を攻撃するほうは
「生徒のため」という錦の御旗を掲げてきます。
しかし、しかし、
「生徒のため」だろうと、私には顧問になる気はありません。
こんな私ですが
職場では一目おかれています。
主張すべきことをきちんと主張すると気持ちがいいですね。。。
>大仏さんのコメントの内容はたいへん喜ばしいことだとは思うのですが、「好きな部活の顧問になればよい」という話でもないような気がします。
部活動という時間外労働自体が異常なのであって、「好きな部活になれたからよかった!」という意見はすでに部活動というシステムに懐柔されてしまっています。
真由子先生、どうでしょう。
この際、署名を集めるとか団体をキックオフするとかして、声を上げる方法を考えてみませんか。
コメントでは真由子さんがコメントしない中、だいぶ皆さん盛り上がっておりますが…(・・;)
とにかく、この制度を打破するために皆さんで協力していけたらよいですねm(_ _)m
土日の手当が増える→土日に部活することを推奨している
これはまったく関係ないですね。財政的な問題です。平日減の分と、土日増を比べたら総合的に減ですよたぶん。
あからさまに減額すると不満が出そうだから実質減。
まー平日より土日のが増えても別に問題ない。土日のが金稼げるから土日にしろって言ってるわけないし。土日にわざわざ学校まで出てきて時間つぶすのは平日より骨が折れるからって気持ちの増じゃないんですか。
平日の部活は、一般の会社でいう残業と思います。ただしサービス残業ではないはず。基本給が10%前後高いんでしょ?(県によって違うと思いますが)だから残業つけられないって制度じゃないの?
土日休みたいとかいうなら一般企業で働けばいい。部活の指導も含めて労働条件じゃないんですか?そんなの教師なる前からわかってるくせに。
部活も熱心に指導してくれる、教師のたまごはたくさんいます。詰まってます。
勉強教えたいなら塾講師でも家庭教師でもなればいい。教師の業務内容に部活の指導は込みですよ。
上は公務員だからクビにできなくてほんとに困ってると思います。
私は土日も無償で、ボランティアですよ?コーチしてます。
部活がんばれば特勤で年間50万ほどもらえるでしょう?何を文句いってるんですか。仕事ですよ仕事。もらえるだけマシでしょう
失礼な言い方ですが、あなたみたいな教師いらんから部活もしてくれる教師が増えたらいいと思います。
いらねえのはオマエだよ。
辞めろ辞めろで解決すると思ってんのか?
とっとと消えろ!
辞めろとか、消えろとか、自分の気に入らない発言に対する正しき台詞でしょうか。
少なくともここを見に来る私たちは運動部を生徒のために運営しようとする志は同じはず。
部活に自己の存在意義を見いだす者。
部活を強制されるのを嫌う者。
それぞれ主義主張は認められるものでしょう。
自己の職務上の主義主張のために、顧問になることを拒否する。
間違っていないと思います。
学校の魅力は、みんな平等に自己実現を目指すことができるというところにあると私は思います。
教員であれ、生徒であれ、それは同じことではないでしょうか。
私は言えば、今年こそと思いつつ、人事異動でやってきた方の経歴その他で不承不承ながらも顧問に加わっています。
表明しなくても、生徒は分かっています。嫌々やっている顧問だということを。それでも部活をやれる幸せを感じているようです。
今年も部活をやるためだけに、入学してきた子供がいます。
どうか、部活動の顧問をしなければならない・しないのはおかしいといった避難合戦は止めませんか。
「あなたみたいな教師いらん」とは何様でしょうか。
ただ、「部活は教師の仕事である」という主張をされるのは自由です。
是非、人格攻撃をせず、論理のみを戦わせて下さい。
なお、私は、部活は教員の仕事で「あるべき」ではないと考えます。
しかし、教員が部活の指導を「やってはいけない」とも思いません。
部活以外の仕事を十分にこなしてもなお余力があるのなら、
部活指導を教員が「自発的に」やることには大いに賛成です。
ただし、部活の技術・知識が未熟ならばやるべきではないでしょう。
>48さん
汚い言葉を使いますね。自分を客観的に見つめ直して下さい。
本来のあなたは、きっといい人だと思うから。
>真由子さん
賛否によらず、感情的すぎるコメントや人格攻撃は
無視されるのが良いと思います。
また、より真由子さんに精神的ダメージを加えたいと思って、
教員と偽って書き込む人もいるでしょうから、お気を付け下さい。
専門でやってたのを指導してるんでしょ。
それも生徒の活動してる時間にコーチできるくらい時間にゆとりのある本業の傍らのご趣味で。
説得力があるとかないとか関係ないです。
お金もらってるから仕事。
確かにそうですね。
>50. 小規模校の教師 さんの
今年も部活をやるためだけに、入学してきた子供がいます。
の部分ですが、もし部活という制度がなければこのような発想そのものが浮かばなのです。部活があるから、「部活に生きがいを見つけよう」とする生徒が生まれるのです。
伝統的に「中学生になったら部活動で汗を流す。これが青春だ。」みたいな光景が目に浮かぶのです。ホームぺージ、学校案内、ラジオ番組での中高生へのインタビューなどでは「部活」の話題をするのが一番無難なんです。
だから、部活動全員顧問反対は、日本の学校文化に対する反乱なのです。
そもそも真由子さんが部活動に対して否定的な感情を抱いたところからこのブログは始まっています。
そして、同じような感情を抱く方には賛同し、部活動を肯定する意見には反論をし続けています。
そこに、論理的という言葉はありません。
部活動のより良いあり方。あるいは、部活動を地域に開く方法。円滑な制度廃止の進め方。
それらを議論するでもなく、いかに「やりません」というか。
個人の感情に始まり、感情に終わる。
よくよく考えれば論理は感情を裏づけるだけのものかもしれません。
残念ながら、ここでの論理は無意味です。
そして、真由子さんがここまで苦しむのは、部活動を否定する思いと子どもたちとともに汗をかき、笑い、涙を流す時間を過ごしたいという思いがせめぎあうからだと思います。
勝手な憶測ですが。
てか憶測のみww
全て憶測だけ述べて自己満。
「論理は感情を裏づけるだけのもの」という言葉は至言ですね。
たからといって、いや、だからこそ論理は必要不可欠なのだと思います。
また、感情や価値判断には、それに至る理由(論理)があるはずです。
教員の部活指導賛成派なら、そのメリットを論理的に述べればいい。
教員の部活指導否定派なら、そのデメリットを論理的に述べればいい。
人間はわかりあえないからこそ、言葉を尽くすべきではないでしょうか。
真由子さんの論述は、、「自分の考え以外認めない」というような、
思慮の浅い感情的(敵対的・排他的)なものではないでしょう。
むしろ、「部活は教員の仕事であり、常識だ!」と声を大きくする人達
が、まともな議論のテーブルについてくれないことに苦しんでいるのでは
ないでしょうか。
正直に言って、10年経たないうちに、日本教育界はつぶれる可能性が高いと思います。いい加減、教育委員会は現実を見るべきですね。
本当に教材研究をしてほしいなら、制度を早く変えろと思います。
ありがとうございます。
部活動の推進派、否定派と分けてしまうのはあまり良くないと考えます。
それは、学校給食の、あるいは学校における掃除の、という議論に近い気がするからです。
部活動がある種の文化として、学校教育に根づいてしまっています。
だから、部活動推進派?とこのブログで呼ばれている方たちにとって、論理的に必要性を述べる意味を感じないのでしょう。
そういった現状の中、議論のテーブルに…と言っても何も変わりません。
テーブルにつかせようと思うなら、それだけのものを提示しなくてはなりません。
ですが、このブログで出た結論は、「やりません」。自分もテーブルにつかないという方法ですね。
自分を守る方法としてはベストですが、子どもや職場にとっては良い方法ではありません。
真由子さんもそれを分かっているのでしょう。
5の「□」さんの言っていた、「仕事が~だから、家庭が~だから、言いたいことはわかりますが、それは他人の仕事や家庭を蔑んでいます。私達たちは、子供たちに自分の人生を考えることを教えるのが仕事。相手の人生をかたがわりするのは、他人の人生に対する冒涜。自分の家庭がいやなら、努力して変える力を身につけさせるのが仕事。放課後の、考える時間を奪って子供たちの家庭をあわれむのは、教員ではありません。 」
が至言です。素晴らしい!!
うちら教員は万能じゃありません。できうる範囲のことをすべきです。自分の力量を伸ばす努力はもちろん必要ですが。少なくとも俺は部活動より自分の子どもや妻との時間を持ちたいです。そのくらいの自由は教員にだってあっていいでしょう?
学校という閉鎖社会の中でお仕事をされている先生方(校長先生も含めて)が民間の意識や感覚を失っていると感じることが実生活の中でも、このブログへのコメントでも多々あります。
小林さんのような方のご意見は貴重です。現制度に反対の方も、小林さんが納得できるような論旨がなければ、改革の糸口すら見つけられないでしょう。
ただ、小林さんに申し上げたいのは、このブログは、部活顧問を拒否したいのにできない先生の愚痴の場というレベルではなく(まあそれもありますが)、今日の学校教育における部活運営のあり方に対する問題提起の場となっているということです。
その価値をお認めになるなら、それ以降のJoeさんや、キューピーさんのような建設的かつ冷静な論旨は、それぞれご意見は異なっても、興味深いのではないでしょうか。
部活に子どもが参加すること自体には誰も反対していないし、意義があることも認めていると思います。また自発的にする人に対して反対することもないようです。だから、ただここで分かれているのは、誰がその負担をするべきかということでしょう。つまり、利害の対立でしかありません。論じ合っても折り合いはつきにくいと思います。全国的に部活を専門家にゆだねて相応しい対価を払って行うより、過労死したり精神疾患になったりする一部の教員に支払うお金が安くつくからやらせたほうが得と価値判断する人が優勢な限り、なくならないはずです。私のところは平日には手当てが出ませんし、休日にでる手当ては頭打ちがある上に、使う用具など一切は自弁で旅費などはまったく出ません。
顧問が自発的に、学校の管理外でやっているはずなのに、苦情は学校に来ますから管理職のもと事実確認と釈明をもとめられます。もちろん濡れ衣や誹謗中傷であってもです。とても顧問が好き勝手でやっているものではありません。
昔からやっているという人がいますが、今の過重負担が30年前と異なるのは、教師のすべき仕事が実際に増えていることです。事務仕事がそのときと同様にゴム印押しまくり、ボールペンで書きまくりのえらいクラシックな事務作業があることに加えて、やたらにいまどき求められる報告書や計画書のようなものが増えています。60近い先生が口をそろえて今はすごい事務作業が増えていることや、細かいことに説明を求められることだそうです。地域への貢献のようなこともいっそう求められているそうです。
産休育休教員の代わりの講師が増えるような非正規化や定年後の再雇用の教員(フルタイム勤務ではなくても1人とカウントされる)の増加で勤務を短縮されている人が増えているので、頭数は同じでも実際のマンパワーが減少不足しています。正規教員で未婚の教員1人に、昔は2人3人でやっていた校務分掌が集中するようなこともあります。
そして、ただ保護者というだけで学校とは関係のないはずの困りごとを学校に長々相談する人の相手をしたりなど、時間の上でも精神的にもとてもしんどいです。放課後、家に帰っていない子どもを親の代わりに捜しにいったり非行に走った子どもを引き取りにいったり、いつから教員は地域の便利屋になったのでしょう。
部活をしたくないのは、私も含めてですが、授業準備をしたいとか過労死したくないというただそれだけのことです。
次に公僕論ですが、公僕といいながら、教師を部活に所属する子どもやその親のために偏った存在にしようとしてはいないでしょうか。公僕は公のもので、部活をする子の親の都合のいい下僕のことでしょうか。
他人にとっては子どものためというのは大義にすべきだし目的にすべきことだといいながら、自分にとっては他人をいいようにこき使う手段でしかないのではないでしょうか。
元は民間でサラリーマンをしていましたが、私の知っていた民間とは比較にならないしんどさです。まるで教員というのは、報道されている、どこかの新興の居酒屋やアパレルや某放送協会のようなところであるべきなのでしょうか。
真由子さん勇気ありますね。すごいです。
「もっと授業の準備に力を入れたい」
「もっと家庭を大事にしたい」
「週末はリフレッシュして、月曜から元気に教壇に立ちたい」
という思いがなかなか叶わなかった1年を過ごし、愚痴っぽくなっていたと思いました。
私個人は、部活動は社会体育に移行し、教員でもやりたい人はやる。やりたくない人はやらない。が望ましいと思います。生徒についても同様です(勤務校は全員加入制です)。
全員顧問制のメリットはなんでしょうか。
生徒の授業とは違った側面を見ることができるのは利点であると思いますが、私は休日を返上し、未経験の競技を熱意だけで指導できるほど人間ができていませんし、しかるべき技術と知識、教育的配慮を有した人間が指導に当たるべきだと思います。そのような人間は教員以外にも地域におられるのではないでしょうか。指導者が教員である必要性はないと思います。
62. HTさんの「 学校という閉鎖社会の中でお仕事をされている」について私の考えを言わせてください。
この表現は「学校の先生は世間知らず。」「相手にするのは、子どもとその保護者くらい。だから、見方が狭い。」「学校を卒業して、すぐ『先生』といわれ、世の中の常識がわかっていない。」など、どちらかといえば否定的に使われます。
この場合、「世間の常識がわかっている大人」とはどんな大人なんでしょう。世間を構成している一人ひとりは、その実態が千差万別であり、その中から典型的な大人を見つけることは簡単ではありません。学校の先生はつぶしが効かないから転職は難しいを言われます。その事情は民間でも多く当てはまるはずです。民間で働いたからと言って、それだけで「世間や常識がわかる大人」とは言えません。
学校の教員がその仕事を通して得た能力はそんなに価値にないものではありません。子どもの心理把握、瞬時に判断し子どもを指導、相手に分かりやすく説明する、集団を効率よく安全に指示する能力、などなどです。NHKテレビの「ようこそ先輩」やゲストチィーチャのなかには授業のしかたがとてもひどいものがあります。
本来の仕事(授業や生徒指導、学級経営など)で力が発揮できる環境にしなくてはいけません。
私は、「より地域社会に開かれた部活」を目指した「部活の民営化」が理想だと思います。
具体的には、校内教職員が形成する「課外活動管理委員会」の管理のもとで、選定業者が部活を運営する形です。
篤志家や地元優良企業、OBなどに寄付を募り、また、有料の演奏会や競技会を開催して、父兄の経済負担を減らす必要もあるでしょう。
もちろん、有志の先生が顧問になって、無償で尽くされるのは、それはそれで良いとすべきだと思います。
このような方法なしに、正常な部活の運営はあり得るでしょうか?
カメムシさん、及び全ての教職員の方に対し、失礼な表現があったことをお詫び申し上げます。
確かに、私は、否定的な意味でこれらの表現を用いました。
先生だから常識がないとか、民間で仕事をすれば常識がわかるなどとは、私も思いません。
また、もちろん、教職を通して得られた経験や能力には、他では得がたいものがあると思います。
ただ、先生方が置かれている社会が非常に特殊な閉鎖社会であるというのは間違っているでしょうか?
申し訳ありませんが、私は仕事で多くの教職員と接する友人たちから、時折、先生方のもつ感覚には校外では通じにくいものがあることを多く聞いています。私自身も、このブログへの先生方のコメントに共通の疑問を感じたことがありました。
繰り返し、このようなご無礼を申し上げる主旨はただひとつです。
「部活の負担はたいへんだ」と先生方がいくら声高に叫んでも、父兄や行政の対応は何も変わらない。このブログが単なる、同業者の傷の舐め合いとけなし合いに落ちないためには、同業者以外も納得させるような論旨を展開していくことが必要であり、またそれには、非同業者が教職員の方々に持っている意見も再認識して頂いて損はないと思うのです。
部外者の意見を無理やり謙虚に受け止めてほしいなどとは傲慢の限りかと恐縮ではありますが、部外者を飲み込んでいかない限りは、真由子さんが立ち上げた「部活動顧問義務付け反対」の声も、決して具体的な運動とはならず、単なる獣(「負け犬」ではないでしょうが)の遠吠え以上のものとはならないことを危惧するあまりの失礼と、平にお許しをお願い申し上げます。
さらに、部活顧問を辞退し、その様子をブログに公開する。
これも、ひとつの立派な活動ではないでしょうか。
このブログが、顧問辞退をためらっていた教員、部活制度に反対する教員が行動するきっかけになり、さらに広がれば、この制度が見直されるきっかけにもなるかもしれません。
事実、私は講師の身ですが、今年度の部活顧問は辞退する旨を伝えました。
部活動にはいろいろな側面がありますが、ここでの主旨は、あくまでも「教職員の」過剰かつ不当な負担についてです。
部活動の有意性、ひいては部活動のありかたについては、別の土俵で討論すれば良い話ですし、それをべき論で非難される所以もありません。
ちなみに、私は民間で7年ほど働いたのちに講師として勤め始めて間もない立場なので、どちらかといえば民間寄りの考えを持っています。
その立場から言わせていただくと、学校はけして閉鎖的な空間ではありません。
教員も、再雇用や定年間近な教員については微妙ですが、ほとんどは閉鎖的な考えなど持っていません。
閉鎖的なのは寧ろ、外部の人間ではないでしょうか。公教育という点を逆手に取って過剰なサービスを要求し、そのくせ金も労力も出さない。自分が住むマンションのロビーにたむろした子供たちへの指導すら、学校に連絡して教員に行わせます。地域のパトロールも教員がメインで出動、地域住民はおろか保護者すら参加しない。
これで学校を閉鎖的とは、どの口が言えたものかと思います。
そもそも「部活動が必要」と言いながら、その必要不可欠なものを維持するためのコストを自分たちでは背負おうともせずに、一方的に学校教員の善意を当たり前のように要求することがいかに恥ずかしいことかを自覚すべきだと思います。
社会が教員に強いる過剰な要求にお感じになっている憤りに対しては、< jagatara2>さん同様、私も<71. 一講師>さんに同感です。
また、私が書いた「学校の閉鎖性」に関してご賛同を得られなかったことも、ご経験に根ざしたお考えをお伺いするに及んで、私自身、もう一度よく考えてみたいと思っております(詳細を後述)。
もちろん、おっしゃるとおり、社会に問題提起したこと自体、このブログを高く評価し、その社会貢献に感謝していますし、それが故に、拙論を述べさせていただいている次第です(ブログというものにコメントをするのも初めてで、礼を失するところがあったなら今後改めますので、どうかご指摘下さいませ)。
さて、「学校の閉鎖性」のテーマですが、私自身が直接的な表現を避けたことによって、話を混乱させてしまったことを、まずはお詫び申し上げます。
私が申し上げたかったのは、このブログで部活動顧問義務付け反対を訴える先生方のコメントの社会的訴求力の弱さです。失礼を承知で言い換えて申し上げると、先生方の考えの閉鎖性です。学校という特殊な空間から来るものだと勝手に想像したことをお許し下さい。
はっきり、「あなたたちダメですよ、それじゃあ!」と申し上げるのが怖かったのです。
これだけの社会的価値の大きいテーマをブログで立ち上げて下さったにも関わらず、具体的な提言に至るよりも、むしろ同業者の愚痴の場になりかねないコメントが続くことへの無念さをお伝えしたかったのです。
ではどうするかという、提言の段階に向かうにあたり、まだ、建設的な論議が足りないと思うのです。
「このままでは先生がたいへんだ!」では社会が変わらないと、私は憂慮します。
「傷の舐め合いやけなし合い」と言った挑発的な表現を敢えて使ったのも、そのためです。(次項に続く)
多くの可能性を秘めたこのブログが、「賛成派同業者の共感ブログ」に終わってはならないと思うのは私だけではないはずです。
いかに反対派にご理解をいただくかを考慮せずに、この先はありませんと言っては言い過ぎでしょうか。
部活動顧問義務付け反対を訴える先生方がまずは支えあえるような共感の場としてこのブログが終わったとしても、大きな社会貢献への第一歩だと思いますが、このブログにはそれ以上の可能性を感じ、真由子さんに対する感謝の念に堪えない思いです。
このブログは、部活動顧問義務付け反対の社会人が、教員であるとないに関わらず、義務付けをなくすための具体的な一歩を踏み出す機会だと私は信じています。
具体的な提言は次章に譲り、まずは、私自身の先生方の感覚への個人的な批判のために、このブログの本質を乱してしまったことにお詫び申し上げます。
そもそも何が一般で例えばどのような発言や行動、考え方が閉鎖的なのか教えてください。今後気をつけたいです。
さて。4月から新任として勤務開始しましたが、早速部活です。私が活動日を決めていいので今月は土曜日2回と日曜日1回を活動日にしました。あとの土日は休みです。さて、どうなることやら・・・
69. HT さんの 部活動組織についての提案にていて意見を述べます。
HT さんは、次のように提案しています。
校内教職員が形成する「課外活動管理委員会」の管理のもとで、選定業者が部活を運営する形です。
これでは、結局教員の仕事が増えてしまします。世間では連携や情報の共有を強調する人々がいます。たくさんの人がかかわるとそれだけ多くの時間を手間がかかるのです。
学校現場は大変忙しく、同じ職場の同僚に連絡したり相談したりすることさえ難しいことが少なくありません。やっと手が空き、案件をAさんに相談しようとしても、別の件でほかの人と話している。そのうち始業チャイムがなる。ひと段落してAさんの机をみても座っていない。近くの人に聞くと、家庭訪問中・出張中・年休を取って早く帰った・・・など、同じ職場のいても結構難しいのです。
決定を早くしなければいけない事項でも組織があればそれを通さなければいけません。
私は、「課外活動管理委員会」を組織するより、課外活動には一切かかわらない勇気を学校が選択すべきだと思います。
ここは、あくまでも匿名のブログです。組合でも寄合でも、部活制度反対派の団体でもありません。そのような場で議論を重ね、生まれる「建設的な意見」とやらに何の意味があるのか、私にはさっぱりわかりません。
私たちは、強いて言うなら制度に不満があるのではない。部活動という「文化」を教員に押し付ける体質に不満があるのです。
部活顧問という業務は、やらなくてよいと法律で決まっている。だから「自分は」やらない。それだけのことです。
子どもたちがかわいそうだ、他の職員がかわいそうだ、と感じる方は、その立場から個人の活動を展開すれば良いのであって、その考えを他者に押し付ける必要はありません。
一講師さんに同調します。
(1)まず、講師の身で断るのはとても勇気のいることだと思います。私は会議で「しません」と断言したせいか、その後顧問の話はだれもしてきません。管理職は非正規に対してあれこれ言ってきます。また若い人に対して「これからも教員と続けるつもりなら、関係づくりを学ぶ上でもしたほうがいい。」などと言って圧力をかけてきます。その際、服務上の扱いなどは、ほとんど言いません。
(2)71で発言されている「自分が住むマンションのロビーにたむろした子供たちへの指導すら、学校に連絡して教員に行わせます。」は全くそうです。もし迷惑なら、自分で注意するか、あるいは警察に通報すればいいのです。17時過ぎても電話連絡してくるのです。学校には公用車がないので何人かの職員がマイカーで現場にゆきます。歩いたら30分かかります。それでも、ガソリン代は出ないのです。管理職に「出張扱いにならないのはおかしい。どこから、そのガソリン代を補てんしてくれるのか。」と聞いたところ、「ガソリン代はでない。それでもかまわない人だけがマイカーでいってくれ。」をあとから言われました。
いろいろ言ってきましたが、一講師さんや私のように顧問拒否教師がふえればやっと、世間の話題となり、行政は重い腰をあげるようになると思います。このブログ仲間の中から顧問拒否講師が一人でも増えることを期待します。その数が増えることにより、ヤマは動きます。
給食について言えば、現在は食材費が保護者負担で、人件費や設備費等は自治体負担ですが、これを全て保護者負担にするという議論もあり得て良いはずです(私はそのような立場を取りませんが)。あるいは、給食から牛乳をなくすべきだという議論もあり得ます(日本人は牛乳に多く含まれる乳糖を分解する酵素をあまり持たない)。
掃除についても、清掃業者を雇うべきだ、という議論はあり得ます。掃除は教育的意義があるのだから必要だという立場を取るにしても、その教育的意義を再度見直すきっかけになるでしょう。逆に、掃除の教育的意義を語ることの出来ない者は、「清掃業者を雇うべきだ」などの意見を頭から否定する資格がないように思います。
確かに、「常識」だから議論する余地なしということはあり得ます。例えば、体調も万全の人が、電車でお年寄りや妊婦さんに席を譲る「べき」であるのは常識でしょう。ただ、このような基礎的な道徳・礼儀や科学的事実などを除いて、この社会で「常識」と言えることはそんなに多くないように思います。「常識」だと思い込むことで、思考停止になってはいないでしょうか。
また、何故、真由子さんが議論のテーブルについていないと言えるのですか? 真由子さんが部活指導を反対される理由はブログにたくさん論述されています。部活顧問をお断りするときにも、自らの考えを述べられたと書かれています。
1,部活動は生徒指導の一環であり、基本的に全教員の仕事である。部活動を通して、教員と児童・生徒の間に密接な関係性が生まれ、それが「人格の完成」を目指す教育には必要なのである。
2,教員は当該部活動について、最初は初心者でもかまわない。むしろ、生徒達と共に成長していくことが望まれるのである。すなわち、最初から必ずしも専門的な指導力はなくてよい。むしろ、教員もまた学習し進歩していく姿を見て、児童・生徒も努力しようと思えるのである。
3,各自治体の「特殊勤務手当」には、学校管理下における部活指導についても規定されている。これは、教員が部活指導を行うことを前提としている証左である。また、「教職調整額」も部活指導を含む時間外勤務を前提としている。
こんなところでしょうか。部活指導賛成派の人達には、「常識」だからと言わず、こういった議論を展開してもらいたかったのですが・・・。
「なあなあ」でこういった理由をきちんと提示しようとしないから、部活指導賛成(強制)派が「議論のテーブルにつこうとしない」と私は感じるのです。
ですが、多くの善良な教員にこそ、声を上げて変革していただきたい。少なくとも今の教育界では、善良な教員は割を食う構造になっている。そしてこれは、教員個人の話で終わらせてはならないでしょう。なぜなら、個々の教員の総体が、国の教育力となるのですから。教員が疲労しきってしまっては、全体として教育力が落ちてしまい、結局のところ、子ども達と国民が損をするのではないでしょうか。
もはや、教育は教員の善意だけでうまくいくような状況ではありません。周知の通り、教員は尊敬どころか格下(奴隷)のように扱われることも多く、保護者は前提的に教員にあまり協力的ではなくなってきました。地域社会や家庭の教育力も低下しています。
「真由子さん勇気ありますね。すごいです。 」で終わらせてはならないように思います。善良な教員は、というよりも、善良な日本人は争いを避けるため、だんだんと声の大きい人(たいていは悪)の力が増す結果となっているのが、教育に限らない日本の現状なのではないでしょうか。でも、善良だからこそ、悪に抗うことが必要だと考えます。抗うといっても、口汚く喧嘩するということではありません。冷静に、論理的に、戦略的に「怒る」のです。理性的な「言葉」は非常に重要です。
まず、部活指導は教員の仕事があることが「常識」なのだから議論する必要がない、という人。
次に、自分は「常識」だとは思わないが、反対しても現状を変えられないし、争いたくないし、疲れるだけだから無意味、という日和見主義の人。本人は「和を以て貴しとなす」のつもりかもしれません。
現場で働く教員の多くは後者であるような気がします。また、教員でなくても、教育制度について考える人の一部は後者でしょう。
もちろん、教員を奴隷のように扱う人は前者です。現職教員でも前者だという人もいるかもしれませんが、それは、すべてを十分にこなせるスーパー教師か、自分自身に嘘をついて納得させようと(心理学でいう「合理化」しようと)している教員でしょう。
なお、コメント81の2段落目・下から2行目の「前提的に」は、「全体的に」の間違いです。そのままでも意味は通るかと思いますが、念のため。
これ一つ見てもいかに、責任があいまいで、どこかのJRか航空会社のような、システムというのがわかります。つまり、国が考えているほど民主的でも企業的でもなく、馴れ合い といっても仕方ない組織ということです。
第一、部活動で専門でもない人が、文句いわれつつやる、というほど教師は単純な仕事をしているわけでもない。そこまでお人よしでいけないのが学校の現状です。それには、生徒も損していることになります。社会体育といいつつ、教委は担当のその場しのぎ、というのが常套手段ですから、やはり、私 という個人が声を上げないと無理です。それには、変なしがらみのある組織から離脱すりことも大事です。
私の場合は小学校教員なので、ほかの部活の無い自治体の試験を受けなおすことを計画しています。買いかぶっていただいて悪いけれど自分自身を救済することに精一杯で、もうこれ以上、何とかできません。また、その程度で日本の教育の現状がとどまっているとも感じていないのです。
過労死水準を超えて少なくない教員が働いていることはいろいろと報道されているのに、さらにヤレということがどういうことなのか判断がつく相手なら、説得も提案も意味があると思いますが、その余地ってまだ残っているのでしょうか。
だから、実際に教師が辞める立ち去るということで、実際に保護者や有権者自身が困ってみないと分からないと思うのです。教師にはスト権がありませんから、辞めるということは足による投票(他県に移る)のようなことをする以外に無いと思うのです。だから私は、真由子さんすごいね。って言いました。
内田樹さんが「人々が「立ち去る」職場について」という題でネットに書いていますので検索して参考にしてみてください。
ただ、地域の人が学校の敷地や設備施設を借りて、教員はノータッチでクラブチームを運営したいというのはできます。小学校では、現にそうしてやっている地域もあります。
一例を挙げると、テストの答えなおしの後に、採点間違いとしてテスト用紙を教師のところに持ってくることは時々あります。ただ、そのなかに時折、答え直しをした後に鉛筆で書き換えて、さも採点間違いのようにしたものがあることに気づくのです。それをするのは、たいていまじめな子で、ご家庭もしっかりしていて教育熱心な家庭が多いです。
私は、その子には、中学校では内申もあるのでいくらかの処罰をしないと公平ではないかもしれませんが、小学校はそれとはほぼ関係ないので、処罰ではなくて励ましが必要だと信じています。
その子の感受性と比べて周囲の期待が強すぎるから、それを周囲が調整してやる必要があるのではないかと考えています。そしてそのためにご家庭と徹底的に話し合う必要があると思っています。
だから、そうしたときにはご家庭に対して、どのように子どもに学習のことやテストのことについて、優れているということについて伝えているのか、家族の帰属意識ってなんだろう、ということについて点検していただきたいと話しをしたいのです。
ただ、ご家庭によってはこんな不名誉なことを持ち込みやがってと反発されるかも知れませんし、子どもがこちらの意図に反してご家庭で激しい叱責を受けることでえってつぶれてしまうかもしれないというリスクも伴うかもしれません。 だからいったん始めたら生半可にはできませんが、自分は、家庭に対して、向き合いたいのです。
本来は、家庭訪問をして、子どもに与えているプレッシャーについて話し合って、子どもが自分の親が期待していることがどういうことなのか、優秀でなくてはならないという条件付で感じている家への帰属意識というものに掘り下げて対応できれば、これからのその子は家での居心地がまったく違ったはずだと思うのです。これを機会に親子の絆というものを結びなおせたかと思うのです。
今でも心残りですが、その子はやっぱり自分は条件付の愛の帰属意識で、テストが悪かったら親に捨てられるというような恐怖を持っていつもびくびくしながらテストを受けたり暮らしたりしているのではないかと今でも思ってやりきれない気持ちでいっぱいです。
このことは一例ですが、このようなことで、部活で圧迫される時間であきらめたことって多いです。なぜこういうことを言うかというと、部活は別の何らかの手当てをすれば代わりがきくはずのものですが、いま言ったようなことは教師がやるしかないのではないでしょうか。
確かに、こうしたことは見えません。見えないけれども失っている大切な価値というものがあることを考えてほしいのです。もちろん、こういうことを言っても響かないことは十分に承知していますから、やっぱり自分は自分の納得のいく教育をするために、自分は他県に移ろうと思っています。
真由子さんも一緒にがんばりましょう。
挙げていただいた事例では、家庭訪問などのきめ細やかな教育をしたかったが余裕がなくてできなかったのですね。本当に児童・生徒のためを思って考えることのできる、素晴らしい方だと思います。お世辞ではなく、そういう人こそ教育者です。
足による投票=去ることによる意思表示ですか。保護者の方は何故辞められたのかわからないでしょうね。辞められるにあたっては、少なくとも教委と同僚にはその理由をはっきりと伝えられた方が、部活強制廃止にもつながるかと思います。
部活の最大の問題点、大いに同意します。補足させていただくと、教員は教材研究などの仕事をおろそかにしない範囲で、余暇に色々な経験をすべきだと思います。映画を見たり、読書をしたり、音楽を聴いたり、絵画を鑑賞したり、スポーツに打ち込んだり。一般に、教員には「豊かな人間性」が必要だと言われますけど、その人間性を豊かにするような余裕が教員にないのは問題です。毎日午後10時程度に帰宅は当たり前、日付が変わってからの帰宅も珍しくない、といった学校は本当に存在します。土日が休めるならそれでも多少は余暇を持てますが、クラブ指導があれば、余暇が全く持てない週があっても不思議ではありません。否、余暇どころか、授業の教材研究をまともに行う余裕すらありませんね。
とある中学校の教頭先生が言っておられました。「教員採用試験に合格した報告をもらうことがあるが、(中学校の免許も持っているにも関わらず)小学校の受験・合格報告が多い」と。わかる気がします。とは言っても、小学校教諭も大変ですけどね。
みなさんコメント長いですね(笑)
給食や掃除について議論する意味はないと書いてはいません。
賛成、反対と立場を決めて議論することに意味を感じないと書いたのです。
部活動に関わる法制度、あるいはメリット、デメリットについての意見は、一巡しました。
一巡しましたが、部活動推進派?を議論のテーブルにつかせるような意見はありません。残念ながら。
皆さん、真剣な議論で頭が下がるばかりですが…m(_ _)m
当の真由子さんは部活動の顧問を断ることができたのかが、私は一番気になっています。
同業者の方々は本日始業式で、新たにや改めて子供たちと顔を合わせるのではないでしょうか?
何はともあれ…全ては子供たちのためにと私は思っております。
真由子さんが顧問を断れたていることを願いながら、本日も仕事に精進したいと思います。
①学校教員の労働の現状が労働基準法から見ても大きく逸脱した違法状態にある事。
前にも投稿しましたが、これは文科省の方が一般教員よりよくわかっている。これと闘う最後の手段である労働組合が機能していない。上からこれが改革されるとき、強烈な管理がセットになる事を怖れます。
②部活動が本来の理念を逸脱した異様な過熱状態にある事。
私は平日の放課後、生徒達が1~2時間課外活動して帰る事に反対しません。その程度の顧問だったら喜んでやりたい。自主的に集団を形成し自ら運営することで得られるものは大変大きい。これが部活動の目的です。現在の、成果主義に目が眩んだ過熱状態をどうやったら冷ますことができるか。○体連が再三指摘されていますが、他にも教員に多くの共犯者がいる。その意味でこのブログは大変有効と思っています。
給特法が出来た当初(1971年)は、これくらいで程よい落としどころだったのでは。親は教員でしたが、1960年代、毎日家族揃って夕飯を食べていました。
同業者です。私は今年も顧問をしないことに決定しました。会議で「しません」と断言したところ、それに対して誰も何も言いませんでした。同調者を期待しましたが、誰もでませんでした。
私は若い頃、運動部の顧問をしていましたが、ある年にやめました。もちろん在校生はいましたが、自分の主張を通しました。新規に「募集しない」ではなく、顧問のなりてがないので廃部になりました。
なぜ、顧問をやめにくいのか。それは、管理職による評価や同僚らへの配慮からではないと思います。
むしろ、在部する生徒や保護者への遠慮によるものではないでしょうか。自分自身が子どもや保護者からマイナス評価を受けることの恐れからきているのではないでしょうか。
「やりだしたら最後までがんばる。子どもたちにそう言ってたのは先生だ。子どももそのつもりで活動してきた。先生の都合で廃部になったら、子どもがかわいそうだ。」など苦情が殺到します。
そんなトラブルを避けるために、ズルズル毎年引き受けているのではないでしょうか。自分を悪く見せたくないという護身本能が働くのです。
子どもや保護者はいろいろ言ってきます。そこを恐れてはいけません。最後は制度が守ってくれます。開き直りましょう。自分自身を守るために。所詮、金のために働いているのです。
先生の一般的な閉鎖性に関しては、私の経歴も何も申し上げないままの拙論ですから、私の考えが「何もしらない」勝手な決めつけと思われても仕方がないことだとは承知しています。
ただ、ここまでのコメントに見られる、部活顧問義務化賛成派の先生方の「みんながやってきた」論や「生徒のため」論に見られる教条主義的とも言えるご意見や、「私がたいへんだ」で終わってしまっている部活顧問義務化反対派の先生方のご意見の父兄への訴求力の弱さをご覧になった時に、私が感じているものを、<むむ>さんはお感じにならないでしょうか?
もちろん、一般論の枠にはまらない先生方もいくらでもいらっしゃいますし、ここ数日間のコメントの建設的な議論には畏敬の念を禁じ得ません。
簡単にご同調頂けないことは、もとより承知の上ですし、何より、ご心象を害する結果にしかならないコメントを申し上げたことをお詫び申し上げます。
現場を私より遥かにご存知の<カメムシ>さんが、「校内課外活動管理委員会の設置がかえって先生の負担になる」とおっしゃるなら、もちろん、<カメムシ>さんが私より正しいのは言うまでもありません。
残念です。
私が、このような論を申し上げる根拠だけ説明させてください。(次項に続く)
私は、部活民営化推進派です。
ただし、民営化すると、現在、教員の方々が強いられている負担を、民間の誰かが相応の報酬をもらって担当することになりそうです(それ以外の方法もあるとは思いますがこれはいずれ別項で後述します)。
そうなると、各父兄の経済的な負担が増える形になることが危惧されます。それが悪いと言うのではなく、それには、賛意が得られない経済環境の学校も地区もあるせいで、実現されないのが怖いのです。
となると、せめて学校が敷地や器具を提供する形は、多くの地区では必要かと思われます。
学校が場所を提供し、運営は、民間が担う形です。
ただ、学校というところは、何かと過剰な責任を問われます。
「学校が敷地を提供した課外活動で、もし生徒が大怪我をしたら」、「学校が敷地を提供した課外活動で、もし民間指導者による生徒へのセクハラがあったら」という事態を、行政も、学校管理職も、大いに恐れるのではないでしょうか。
結果的には、運営団体(業者)に対する、学校(ないしは行政)による公認審査が必要になるケースが多々あるように思われます。
そこで出てくるのが、「課外活動管理委員会」です。行政が担当するなら、校内でなく市役所に設けられるべきものでしょう。
業者選定にあたり、指導者の履歴書から、各生徒の負担額から、全てを考慮した審査を行って業者を選定するのが主な仕事となります。
一旦、業者が選定されて、運営が始まれば、時折、見回りや父兄のアンケートを通じて、正しい運営が行われるかをチェックのが主な業務ですから、全教員が顧問になるより、遥かに負担が少なくなるように私には思われたのです。
<カメムシ>さん、いかがでしょう。
考えが甘すぎるでしょうか?
もし、「課外活動管理委員会」を立ち上げるなら、それなりのエネルギーがいります。そのエネルギーがもったいないです。いくつか例をあげます。
言われている「課外活動管理委員会」は運営団体を監督しなくてはなりません。問題がなければいいかもしれませんが、なにか事が発生すると、双方に事情を聞き、最終的な判断をしまければならないかもしれません。そこで、多大なエネルギーが使われます。
また日常的なスポーツ指導はしなくてもいいかもしれません。でも学校の施設や器具を使用すると、調整や連絡事項が発生し手間がかかります。
私は、HTさんの、部活民営化に賛成です。でもそこでは、まったく学校を切り離してほしいです。参加申込書には○○学校○年 を記載しないようにしてほしいです。
そうですか。
各学校で部活の全ての部の顧問の方がそれぞれ担当していらっしゃるお仕事の総量に比べると、各部に担当者を置かずに一括管理する形で負担減が得られると思ったのですが、なかなか難しいのでしょうね。
学校を切り離すと完全民営化ですね、私も将来的にはそれが理想と思います。
完全民営化は父兄の経済負担を増やす結果になり勝ちですから、地域や自治体によっては、父兄や教育委員会の抵抗が予想されます。
そのような問題が少ない地域では、是非、有志の先生方が企画をお進めになるといいですね。
本来は行政が補助金を出すべきことなのでしょうが、それが簡単には期待できない現状では、有志地元優良企業のスポンサー化による、運営費用の削減、有志地元指導者(後述)の顧問化による人件費の削減などによる、父兄負担の軽減は、必ずしも困難には思えません。
ひとりの先生が企業にお話しにいらっしゃっても、説得力に欠けるかもしれませんが、このブログをきっかけに、全国的な「部活民営化推進教員連合会」でもできて、何百人もの先生を代表して、現状が将来の日本の社会に与える悪影響をしっかり説明をされるなら、篤志家の方がいらっしゃる地方はきっとあるでしょうね。
前項で申し上げた、有志地元指導者について、拙論を述べます。
音楽やスポーツの道を目指した多くの人たちは、結果的にはその道で生計を立てることができません。
報酬は少なくても、後輩の指導に当たってくださる方が見つかる地域は、少なからずあると思うのですがいかがでしょう。
指導者が専門家なら、求心力も高まります。
「杉並バドミントンクラブ中等部」で教える元オリンピック強化選手の指導がすばらしければ、「杉並北中学校バドミントン部」は自然消滅!もう顧問はいりません。
スポンサーが協力的なら、「杉並バトミントンクラブ中等部 岩田建設杯」の年一回の開催を条件に出資をお願いし、簡単にお金を出してくれなかったら、クラブ名は「岩田建設 杉並バトミントンクラブ中等部」になるでしょうか。
建設会社には、オリンピック元強化選手が社員として働いていることもありますから、人材提供も週2回ぐらい頂けるなら、一石二鳥!
考えの甘さを指摘される声が、こうして書きながらも聞こえてくるような気がしますが、どんどんアイディアを出していかないと、折角このブログが水面に落とした波紋が、いずれ静かに消えてしまうことを懸念します。
何があっても、許されてはいけないのは、現制度に反対する意識の高い先生方が、せっかく選ばれた教職を辞める形でしか、前に進めないことです。
何度かコメントを書かせて頂いております
公立小学校教諭のtetsuです。
『部活民営化』や『課外活動委員会』などの話題が上がっているので…私個人の考えを少々書かせて頂きます。
※もちろん、部活動指導をしたくないという事が大きな理由で小学校教諭の道を選んだ身ですので…当事者ではない立場での見解であることをご理解下さい。
私はそもそも…【スポーツ】と【お金】は切り離せないものと考えております。冬季オリンピックなどは顕著なのではないでしょうか(・・;)汗
また、【時間】(労働時間、余暇•レジャーなども含む)や【ひと】や【もの】や【場所】なども切り離せないのは、皆さんも承知のことと思います。
…つづき
そこで、まず問題となってくる事は
先にも述べた【お金】です…。
東京都杉並区の話題が出ておりましたが、
実は私も過去に杉並区と仕事上で関係をもったことがあるのです。杉並区は財政が潤沢な上に“教育特区”ということもあり、様々な先進的な取り組みを行ってきております。
例えば…このブログの話題に関わることであれば
【民間校長の採用】【乙武さんの採用】
【給食民営化】などなど…
しかし、それもこれも先進的ではあるものの、
全国的に広がっていくかといえばどうなのかと考えなければいけないと考えております。
特に、スポーツに関しても…
子供たちのスポーツ教室のためにオリンピック選手を多額の講師料を出して、お呼びすることもありました。
…つづき
また、大学の卒業論文では…
【総合型地域スポーツクラブの在り方】
について調べたのですが、
やはり【お金】の関係が大きな課題であるという結論を出させて頂きました。
※もちろん、ニッポンランナーズさんのように
金哲彦さんのようなカリスマコーチがいらっしゃるクラブや、多額の公費を注ぎ込まれたクラブについては前記とは別です。
さらには、現職場でも
【総合型地域スポーツクラブ】と連携して、様々な事業を行ってきているのですが…昨年までは、文科省の認定を受けていたものが、本年度は認定されず打ち切りとなった大きな取り組みもあるという状況です。
つづき…
ですので…
【2020年東京オリンピック開催】が決定したいま、
全国的に日本のスポーツの進む道について真剣に考え…政府なり文科省なりが、しっかりとした指針を明確に打ち出していかないといけない時代が来たのではないかと、個人的には感じております。
※蛇足ですが…気になる2つの記事
①
http://mw.nikkei.com/tb/#!/article/DGXNASDG1104D_S3A111C1CC0000/
②
http://www.shijyukukai.jp/2013/11/2264
2つの記事は若干、捉え方が違うのも気になります。
ちなみに…昨年度までは【スポーツ教育推進校】と呼んでいました。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/seisaku/seisaku_sport/32.pdf#search='%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E6%95%99%E8%82%B2%E6%8E%A8%E9%80%B2%E6%A0%A1'
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