9月23日から、意図的にブログを放置しておりました。ご無沙汰しております。
長いこと記事を書いておりませんでしたが、コメントについては目を通しております。
毎度のことですが、たくさんのコメントありがとうございます。
前回の記事を書いてから、私は部活動から完全に身を引きました。
管理職からの再三の慰留を断り、土日も完全にフリーになりました。
今の率直な気持ちをいうと、「部活動を断ってよかった」という安堵の気持ちです。
月曜から金曜まで、勤務時間を超えてめまぐるしい日々が続きます。
今年は3年生を担任しておりますので、進路指導も本格的になってきました。
何とか一週間を終えてほっと一息つこうと土日になっても、これまではゆっくりする暇などありませんでした。
言わずもがな、土日も部活動が目白押しだったからです。
練習や試合、また試合の運営や審判など、仕事内容は多岐にわたります。
ところが今は自分のために時間を使うことができます。
自分の趣味をゆっくりすることもできますし、授業準備をじっくりとすることもできます。
もう練習試合の打診を他校にする必要もありませんし、寒い中わざわざ体育館に向かうことを強制される筋合いもありません。
それどころか、同僚が部活にいそいそと出かていく姿を見て、「部活って大変だな」と客観的に見ることもできるようになりました。
結論から言うと、部活動の顧問を重荷に感じている教員は、断固として断るべきということです。
それは違法なことではなく、周りに悪影響を与えることもありません。
私は「部活動の顧問をしていないやる気のない教員」というレッテルを貼られることを危惧していましたが、そんなものどこ吹く風です。
なぜなら私は授業に誇りを持って行っておりますし、学級経営も円滑に進んでいます。
そして校務分掌もしっかりできている自信があります。
そして贔屓目に見るわけではありませんが、生徒や保護者からの評判は「いい先生」といって差し支えありません。
中学校教員を辞めて、小学校教員をやるという選択肢を考えていましたが、今回の部活の件を考えて、選択を変えました。
それは「部活の顧問を選択しない中学校教員」です。
そして、教員の本分である授業や学級経営に邁進する教員であり続けたいと思います。
先日も同僚が部活の件で、電話において保護者から罵詈雑言を浴びせられていました。
「先生が部活をほったらかしにしたから、うちの息子が他の生徒からいじめられているんですよ!」
その同僚は、他の業務にかかりっきりの時期であり、「それどころじゃないんだ・・・」と疲れ果てた表情で電話を切っていました。
部活動は、教育が進化を遂げる日本において、時代錯誤の最たるものだと思っています。
教員が「よかれと思って」やっている「勤務っぽい」部活動。
生徒が「よかれと思って」やっている「教育のカリキュラムの一部っぽい」部活動。
保護者が「よかれと思って」やっている「成長に欠かせないっぽい」部活動。
たくさんの「よかれ」は悪しき循環の発端となっているように感じます。
たくさんの教員や生徒が、「よかれ」の生贄になっているのが現状です。
私は「よかれ」とは言わない。
言わずに黙って、行動で示す。
「部活の顧問を選択しない」という行動で。
星の数ほどの意見があってかまいません。
だけれども。
私の意見は変わりません。
どうぞたくさんの意見をお寄せください。
きっと精神論以外では、私の考えを論破することはできないと思います。
年末です。
やるべき仕事をさっさとやって、勤務時間が終わったらすぐに帰宅したいと思います。
もちろん「生徒のために手抜きをする」という意味ではありません。
全国の同業者の方々、また部活動について悩み苦しんでいる方々へ。
このブログが皆さんの悩みを少しでも軽くしてくれたら幸いです。
そして、国民の皆さんの部活動への固定観念を少しでも変えることができたら、これ以上の幸せはありません。
寒さ厳しき折、風邪などひかれませんよう、ご自愛ください。
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長いこと記事を書いておりませんでしたが、コメントについては目を通しております。
毎度のことですが、たくさんのコメントありがとうございます。
前回の記事を書いてから、私は部活動から完全に身を引きました。
管理職からの再三の慰留を断り、土日も完全にフリーになりました。
今の率直な気持ちをいうと、「部活動を断ってよかった」という安堵の気持ちです。
月曜から金曜まで、勤務時間を超えてめまぐるしい日々が続きます。
今年は3年生を担任しておりますので、進路指導も本格的になってきました。
何とか一週間を終えてほっと一息つこうと土日になっても、これまではゆっくりする暇などありませんでした。
言わずもがな、土日も部活動が目白押しだったからです。
練習や試合、また試合の運営や審判など、仕事内容は多岐にわたります。
ところが今は自分のために時間を使うことができます。
自分の趣味をゆっくりすることもできますし、授業準備をじっくりとすることもできます。
もう練習試合の打診を他校にする必要もありませんし、寒い中わざわざ体育館に向かうことを強制される筋合いもありません。
それどころか、同僚が部活にいそいそと出かていく姿を見て、「部活って大変だな」と客観的に見ることもできるようになりました。
結論から言うと、部活動の顧問を重荷に感じている教員は、断固として断るべきということです。
それは違法なことではなく、周りに悪影響を与えることもありません。
私は「部活動の顧問をしていないやる気のない教員」というレッテルを貼られることを危惧していましたが、そんなものどこ吹く風です。
なぜなら私は授業に誇りを持って行っておりますし、学級経営も円滑に進んでいます。
そして校務分掌もしっかりできている自信があります。
そして贔屓目に見るわけではありませんが、生徒や保護者からの評判は「いい先生」といって差し支えありません。
中学校教員を辞めて、小学校教員をやるという選択肢を考えていましたが、今回の部活の件を考えて、選択を変えました。
それは「部活の顧問を選択しない中学校教員」です。
そして、教員の本分である授業や学級経営に邁進する教員であり続けたいと思います。
先日も同僚が部活の件で、電話において保護者から罵詈雑言を浴びせられていました。
「先生が部活をほったらかしにしたから、うちの息子が他の生徒からいじめられているんですよ!」
その同僚は、他の業務にかかりっきりの時期であり、「それどころじゃないんだ・・・」と疲れ果てた表情で電話を切っていました。
部活動は、教育が進化を遂げる日本において、時代錯誤の最たるものだと思っています。
教員が「よかれと思って」やっている「勤務っぽい」部活動。
生徒が「よかれと思って」やっている「教育のカリキュラムの一部っぽい」部活動。
保護者が「よかれと思って」やっている「成長に欠かせないっぽい」部活動。
たくさんの「よかれ」は悪しき循環の発端となっているように感じます。
たくさんの教員や生徒が、「よかれ」の生贄になっているのが現状です。
私は「よかれ」とは言わない。
言わずに黙って、行動で示す。
「部活の顧問を選択しない」という行動で。
星の数ほどの意見があってかまいません。
だけれども。
私の意見は変わりません。
どうぞたくさんの意見をお寄せください。
きっと精神論以外では、私の考えを論破することはできないと思います。
年末です。
やるべき仕事をさっさとやって、勤務時間が終わったらすぐに帰宅したいと思います。
もちろん「生徒のために手抜きをする」という意味ではありません。
全国の同業者の方々、また部活動について悩み苦しんでいる方々へ。
このブログが皆さんの悩みを少しでも軽くしてくれたら幸いです。
そして、国民の皆さんの部活動への固定観念を少しでも変えることができたら、これ以上の幸せはありません。
寒さ厳しき折、風邪などひかれませんよう、ご自愛ください。
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コメント
コメント一覧 (532)
そういうのは、部活動でなくても、体育や総合、学活などの時間でも得られる筈です。
それで物足りないと感じるようであれば、お金を払って地域のクラブチームにでも入れてあげて下さいと言うしかありません。
とにかくやりすぎ。夏時間では朝練1時間、夕方7時半まで、平日約4時間×5=20時間。休日約8時間×2=16時間(8時間でおさまればいいが、れ。一週間で合計36時間です。
これに対して授業は50分×6コマ×5日=25時間です。
教員というより、スポーツクラブの素人コーチとして働いてます 笑
ぴろきさんがおっしゃる通り本当異常事態です。教育委員会とか本当に何をしてるんだろう。見て見ぬふり???
で、なんでやりすぎを現場で止められないかと言えば、保護者の圧力、学校の悪しき慣習、そして、それを乱して干されることを恐れる各教員の弱さ。
でも、それでも、現実、親も忙しく放課後の子供の面倒なんて見れない、経済活動に支障が出る、ノイローゼになるって言葉だけは、これから親になりたいと願う自分にはどうしても納得する事ができないのです。
たしかに親の本音なのでしょう。でもそれなら、子育てって何?親になるって何?と、親になる覚悟や責任がわからなくなってしまうのです。
子が成人するまでは親に絶対の責任があると思っています。そしてその責任から逃れる事は、仕事が忙しい、子育ては大変だという理由では決して許される事ではないと思うのです。
悲しい事件もありますが、人が親になるという事はもっと覚悟ある尊いものだと信じています。
ただ、「部活」を「授業」と同格に捉えて「車の両輪」と考えたり、「学力は塾でつける、学校は体力をつければいい」等という、とんでもないカンチカガイがまかり通る(少なくとも本人の主観的には)現状が問題です。
活発な部活が活動に費やしている「時間」を「数学・国語・英語」等の教科の時間数と比較すると正規のカリキュラムの合計時間(1日6時間×週5日=30)とほぼ同じかそれ以上が「部活」に使われています。野球やサッカーが国語や数学の7倍以上の時間を使っています。学校全体のバランスを考えると、現在の「活発な部活」が正常で無いことは歴然としています。
これは生徒にとっても教員にとっても同様です。
休日の使い方も自由に決定できない教員がどのような労働観を生徒に教えるのでしょうか。教員が「ブラック企業」で働かされている現状で、「正しい職業選択」や「労働者の権利」をどう教えろというのでしょうか。
私は「部活拒否派」の教員をうらやましく思いつつ、自分は「拒否」できません。小規模校ゆえに、他の教員にカバーしてもらえません。自分が部活顧問の割り振りに苦労したこともあります。
できることは、自分の枠を設定してそれを押し通すこと。「土日の練習はなし。休日は顧問も部員も自分の時間。放課後は最大18時まで。成績に1があったら、次の学期で2以上の成績を取るまで部活禁止」など。
どれも当たり前だと思うのですが、周囲からは「アイツは変」だと思われていますし、成績で活動を禁じた部員が教頭(部の顧問ではない)の指示(示唆?)でこっそり練習していたこともありました。最後の大会を終えて引退したはずの高校3年生が進路も決まっていないのに練習に駆り出されたり、「部活」ならどんなこともまかり通る現状があります。
この状況で「教員としてのモチベーション」を保持していくことが極めて難しいのです。こう書くと「辞めろ!」と言われるかな?
私も子が2人おり、2人とも成人しました。
言われるように、「子が成人するまでは親に絶対の責任がある」のですが、はたしてそこまで考えて・決意して、親になった人はどれくらいいるのでしょうか。
ごく普通に結婚し、やがて親になり、見よう見まねで、親業をこなし、バタバタした毎日をどうにが無事に過ごし、気が付いたら、子どもは独立していた、が現実です。そのころには親も体力が衰え、老齢に達し、リタイアするのです。 私は、親になる時『決心や信念』は特に意識しませんでした。自分が子どもだったころ、自分が受けた子育て伝承しているだけです。そういった子育てのなかで親も育つのです。親も学ぶにです。
だから、親だからという理由で『過剰の負担』を強いることは、社会として厳しすぎます。(どれ以上が『過剰の負担』か、明確ではありませんが)
こと部活動、子供の放課後の活動の問題については、だから学校が進めるからしかたない、それに便乗してもいい、教師に責任を負わせてもいいという事にはなりませんよ。
それほど親の責任は、誰が代われるというものではないはずです。
小規模校だから、部活拒否が効果絶大なのです。みんなあなたのように考え、あと一歩が踏み出せないのです。管理職はそのような「思いやり」を期待してます。あなたの勇気ある行動で、一気に堰が壊れます。決して「生徒のために、・・・」に流されないでください。
ひとつ気になるのは、成績(評定)1の生徒は活動禁止の件です。部活と成績は分けて考えるべきです。そうしないと、教科担当に圧力がかかります。
「あの生徒は有力選手だ。成績1で、出場できなくなれば、チームが困る。」と言ってくるからです。成績1を付けることは、学習意欲、能力、技能等を考え、劣っているとなれば、当然です。1を付けず、ゲタをはかせ2にすることは、不誠実です。客観的にみて1となれば、1以外の評定を出してはいけません。我々はプロです。
親が責任から逃げちゃだめでしょ。
覚悟する間もなかったなんて開き直っちゃだめでしょ。
みんなそうなんて、居直っちゃだめでしょ。
だから苦しみの一端を教師が背負うのは仕方ないなんて思っちゃだめでしょ。
親が経済的貧困層でない限り給食費の未払いは間接的な虐待ではないですか?そうでなければ間接的なネグレクトです。
>>416. 保護者Sさんへ(元教員)殿
>コンプライアンスや自浄能力に欠けた・・・
上記ご指摘ですが、公立中学校には、コンプラ文化や自浄能力などの文化が浸透してないように見えますね。考えれば生徒の個性を伸ばし教育していく場でもあるので、法令遵守を大きく掲げ縛り付けるのもどうかと思いますが、国の定めたガイドラインを無視するような体質は改める必要があるかと思います。
コンプラ無視に関しては、今では民間では考えられません・・・
>>417. 愚か者殿
私個人の考えですが「摩擦の中にしか成長はない」、言い換えると「摩擦が成長の火種と化す」と考えています。そして人間誰しも物事に対して疑問や疑念を持ち、愚痴を吐くことは自然な事だと思っております。ただし助長していくことは、仮に間違った情報や解釈にあるならば、風説を招きかねないと危惧してるのです。
>親の務めを果たさない事に対する言い訳ばかりだ。
このご指摘の意味がわかりません。
>>418. 6年目殿
>ガイドラインや法律が作られていても、機能していなければ意味がありません。
上記ご指摘ですが、機能させるのは学校(自治体も含む?)と先生方です
>>420. 質問殿
私の過去レスや文科省の議事録にも多く出ておりますし、簡単に調べることは可能です。
>>422. ぶうたれ殿
貴殿は一角の人物だと思います。
「不当なことに対する叫び・・・」・・未来をプラスにかえていく原動力
是非、そのようになって頂きたいと思います。
>>424. 当たり前のことだけど殿
ガイドラインはルールと置き換えることも出来ると考えます。また法令遵守と財源問題は混同して考えるべきではないと思います。
>>425. 読み返したりしてます?殿
ご指摘ありがとうございます。私は貴殿のことなど、どうでも良いです。
『現在、部活動は、教育課程外に実施される学校において計画する教育活動の一つとされている。部活動指導は、主任等の命課と同様に年度はじめに校長から出された「部活動の監督・顧問」という職務命令によって命じられた付加的な職務であり、週休日等に4時間以上従事した場合には部活動指導業務に係る教員特殊業務手当(部活動手当)が支給されている。』
>>370で
『文科省は無責任と感じなかった』
とおっしゃっています。
その後,いろいろ調べられたようですが,そこまで調べてもなお,文科省の無責任と二枚舌に気づきませんかね?
超勤4項目と労働基準法を調べてみては。
文科省の問題ではなく、学校(自治体も含む?)の問題ではないでしょうか?
>学校(自治体も含む?)の問題
各学校や各自治体の問題・・・・・・・
今から子供が属する部活の自主的な個人練習に入りますので、失礼します。
愚か者さんのコメント
『あなたは仕組みや過程を知ろうとはするが。結局のところそれ以上は踏み出してない。
理想主義を押し付け、枠の外から、自分は傷つかない場所から、弱者をその場所に縛り付ける理由ばかり探してる。
知ろうとする事は評価するけど、結局あなたも知らない人間と変わらないね。
親の務めを果たさない事に対する言い訳ばかりだ。』
前文を読めば意図は伝わる。
これで意図を汲み取れないなら、読解力無さ過ぎるでしょ。
もちろん部活のために成績に下駄を履かせるなど、言語道断です。
私は「しなくてはならないこと」と「しなくてもいいこと」のけじめをつけています。「部活」は「しなくてもいいこと」です。全員加入制の中学校であっても、「部活をしないと卒業させない」とは言えないですね。一方、学習は「しなくてはならないこと」です。その「しなくてはならないこと」をしなかった結果が成績の1です。テストでミニマムな点を取るだけの勉強をしなかったり、提出物やノートなどの平常点をとらなかった結果です。それらの「しなくてはならないこと」をしなかった生徒に、部活の練習という「しなくてもいいこと」をやらせないというだけのことです。
私は部活を食品にたとえると「ガム」だと考えています。全く無意味ではないけれど、「食事」に代わるものではありません。「食事」を摂らない生徒には「ガム」を食べさせない。当たり前のことだと思います。
『文科省の問題ではなく各学校や自治体の問題』とお考えになる根拠を詳しくお願いします。
ちなみに,教育現場の命令系統は,
文科省→教育委員会(自治体)→校長→教師
です。
『国や自治体などが関係者らが取り組むことが望ましいとされる指針や、基準となる目安などを示したもの。法的な拘束力はない。』
だそうです。
ルールは集団が決める強制力のあるもの。
全く違うものです。同じものではありません。
解釈が自分に都合がよすぎますよ。
『行為や事務手続きなどが、それに基づいて行われるように定めた事柄。決まり。』
起きかえられませんよ。
まったく意味が違う。
それに尽きる。
勘弁してくださいよー。
これが親の傲慢ってやつかぁ。
部活の自主トレに付き合うなら、ちゃんと全部責任持てよって話し。
都合のいいときだけ向きあって保護者ヅラですか?
私は公立高校の教員です。いわゆる底辺校です。生徒の約半分は卒業後に就職を希望し、残りのほとんどが専門学校進学希望です。進学については、少子化の影響で合格しやすくなっていますが、問題は就職希望の生徒達です。企業は「基礎・基本的学力」を身につけていなければ採用してくれません。給料を払う以上、当然です。
しかし、「定価1000円の商品を2割引で買ったらいくら払う?」という程度の問題を解ける生徒は約5%しかいません。(計算用紙・電卓・時間を与えても、です。)時速60キロで1時間進んだら何㎞先にいる?という問いに答えられる生徒も同程度です。
そんな生徒達が、トランペットを吹かせるととてもうまかったり、バレーボールでは見事なサーブやスパイクを決める。中学校の部活の成果です。中学校の先生に話を聞くと、「あの子は勉強はだめだから、部活を思いっきりやらせて欲しい。」と言います。
プロになれるほどに上手いわけではありません。半端に上手いトランペットよりも、%の計算ができる、+-×÷のどれから計算していくか判る、5-7が答えられる、江戸時代と奈良時代のどちらが古いかを知っている、部活よりも優先されるべき事を優先して欲しいのです。保護者も教員も、それをせずに「部活から学ぶこと」「部活を通して成長」を考えてはいけないと思うのです。
保護者にとっては、自分の子の学習ができていればOKですが、教員は担当する生徒全ての学力に責任を負うのです。A君には充分な学力があっても、B君の学力が不十分だったら、B君の補習に放課後の時間を使えなくてはならないのです。部活がその時間を奪っていませんか。教員と勉強が苦手な生徒から。そういう「しわ寄せ」が
高校生活に一気に発現しています。
初めての発言には、自分の立場を簡単にでも説明することも必要かと私は思います。
同じハンドルネームを継続的に使って書き込みされている方は、誠実で信頼できると思いますし、自分と意見が違っても尊重して議論しあえると思います。
自分のコメントの内容の一部をハンドルネームのようにしてしまったり、ハンドルネームが「?」とか、「質問」とか…そういうのは本当は違反なのでは?本当に議論したいのなら、2ちゃんね化しないような努力が必要だと思います。
真由子さん、このようなコメント欄を提供してくださって感謝します。でも真由子さんが最新の記事で触れられている、スーパーのゴミ袋の例えのコメントを書き込んだ方も、そういう意味できちんとされていません。私はブログ主でもないし、こんなことを言える立場ではないのですが、どうしても気になります。
横レスになり、申し訳ありませんでした。
社会を生きていく力は、どうすればつけられるか。それには人よりも強くなること。あるときは人間性を踏みにじっても、勝たねば生きていけない。・・・このような勝利至上主義の姿は、教育のめざすところではないのです。
保護者Sさんの貴重なところは、勝利至上主義に走っている一部の保護者や部活動好き教員と一部の社会の姿を代表して表してくださっている点です。 勝つこと強くなることが目標になっているために、他のすべての意見が雑音に聞こえてしまう(雑音こそが真実であっても)。Sさんが、私たちの意見に誠実に応答しようとしている点は、すばらしいと思います。真面目に勝利主義を追求されているのでしょう。しかし、その姿は教育の求めるところではありません。
いまや共存型、共生が叫ばれている時代。他の会社がつぶれるのを防ぎ、会社同士が連携して共に生きようとする時代ではないでしょうか。そんなに軍隊のように活動して勝たなくてもよい。人間らしい生活をおしつぶしてまで部活はやらなくてもよいのです。やらざるをえないような部活制度は根本的に廃止。公教育は部活が使命ではなく、基礎基本の学力をつけさせることです。mocoさんのいうように定価の計算ができ、時速と関係がわかる人、漢字の読み書きができ、ヤンキーでない人間・・・の育成こそなすべきことです。
勝利至上主義者の考えを変えることが部活制度廃止につながりそうです。
競争原理が働いてますよ。
教師の方も競争して採用もらって今の地位があるわけですよね。
私自体は土日の部活は反対で、練習したい人は地域のクラブ等でやる。
一番のネックは中体連の試合が教師の引率が必要だという部分だと思います。この辺は退職した先生とか現役の教師以外を可能にして欲しいところです。難しいのかなぁ。
後半のご意見、私も同じ思いです。
部活の勝利主義と競争社会を結びつけたのは飛躍がありすぎたしょうか?
確かに現実の社会は競争社会ですね。資本主義社会では避けられません。そして、過剰な競争社会はひずみを生んできました。失業者、自殺者、・・・。
わたしの友人の会社は大手の会社の参入により、経営に困難をきたしてきましたが、中小の会社が手を取り合って、広告代理店と提携し、ネットを駆使して共生態勢を整えることで共存をはかりつつあります。確かにメリットがあるからこその共生なのかもしれません。勝つとか負けるとかいうのではなく、それぞれが独自の個性を発揮し、共存できたら理想的です。
教育の世界ではどうでしょう。私が教室で生徒に言っているのは、他の人と比較するのではなく、自分を伸ばしなさい。自分の以前の得点より高くなることを目指しなさい。平均点はあくまで参考にすぎないと教えています。受験や採用試験はどうなのでしょう。私の場合は自分の教科が好きで教員になりました。他の人より良い点数をとろうとしたのではなく、自己を高めていったのだと考えています。他との比較の世界は教育の理想ではないのだと思います。
土日も練習、年の瀬も元旦も関係なく練習をしてこそ勝てる、勝つためには、ある程度の犠牲は必要だし、この競争社会にでるためには有効な訓練である、部活はかくあるべきだ・・・このような考えがどこかにあるような気がしてならないのです。ご意見ください。
中体連が「中学校体育連盟」である以上、学校単位の出場、引率は教員という原則は変わらないでしょう。せいぜい近隣校との合同チームを認めるくらいだと思います。
ピアノなどでは学校とは全く別枠でコンクールがありますよね。私が通っていたスイミングクラブでも大会に出ていました。(選手コースという上級者ですが。)
チャンピオンシップ.スポーツが学校から離れて地域クラブに移行していけば、技術を磨き、強くなりたければクラブチーム、スポーツを楽しみたいだけなら学校のクラブというような「住み分け」ができ、教員の仕事から競技力向上がなくなり、スポーツで上を目指す者はそれぞれの指導者から専門的指導を受けられて、八方丸く収まるのですが、今のところただの理想論です。(教員の仕事に競技力向上があるような書き方になってしまいましたが、本来の仕事ではありません。現状としてそうなっているというだけです。)
要は、強くなりたい選手が学校の部活から離れてクラブチームに行けば、より強いチームや対戦相手を求めてそちらが中心になるだろうということです。
自分達が責任を負えないのは、学校がそれを進めるのだから、他の選択肢を選ぶなんて考えもしない、教師もその仕事を自分が選んだのだから、と。
それさ、自分の子供にどう話すの?
私達は悪くないよって?
学校が、先生が悪いから、先生が苦しいのはしかたないよって話すのですか?
全ての教員が部活動を放棄したら最高ですね。
現存の部活動の違法システムが崩壊し,ようやく行政が重い腰を上げる。
ブラック企業としか言いようのない教職の実態が改善されるんじゃないですかね。
あなたのお子さんの学力も向上するかもしれません。
学校も、部活動が一度ゼロにならなければ改革は難しいかもしれませんね。
案外子どもたちの対応は柔軟で、それなりに時間を活用するかもしれません。部活がなくなって、内心喜んでいる子どもや保護者もいるかもしれません。塾は「チャンス到来」とばかりににぎわうかもしれません。
「案ずるより産むが易し」状態になるかもしれません。
467. 20代若手教員さんや468. 愚か者さんが、指摘するように、一度そのような状況が到来し、保護者が行政に対策を求めた時、初めて行政は動くのです。
本末転倒じゃないですか。
そもそもの話しですね。
教師の本分は授業。部活動のために授業をしてないなんて。
そんで教員も部活なくして本業に専念するとは限らんでしょw
部活なくすなら給料さげて、その金まわして外部に預ける方がマシww
時間があるのに本来の職務をしないのは職務専念違反、つまり資質の問題ですね
473. ・・・wさんの「部活なくなったら、その子たち何すんの?」ですが、それはその子たち、あるいはその保護者たちが決めることです。学校は、そこまで、お膳立てする義務はないと思います。それぞれが自由にすごしたらいいんです。
473. ・・・wさんの「教員も部活なくして本業に専念するとは限らんでしょw 」ですが、結構やるべきことがあり、あす。授業準備、成績処理、教材整備、事務処理など、なかなか勤務時間内に終わりません。
2年前から、部活動が全員加入じゃなくなった。
全員加入じゃなくなった最初の年の新入生は、
子どもも保護者も様子をうかがって、
とりあえず部活に入っとくケースが多かったんだけど、
2年目になったら、
始めから入部しない子がけっこう出てきた。
授業が終わると、明るいうちにぞろぞろ下校してる。
家に帰ったら、
地域のスポーツクラブで汗を流したり、
趣味の習い事に通ったりしてる。
もちろん
家でのんびり過ごす子もいる。
保護者の意識も変わってきてる。
全員加入だった時は、
中学校入学前の親同士は
「どの部活に入る?」
と聞き合ったものだ。
でも今は、
「部活、どうする?入る?」
と聞き合うようになった。
「ウチの子、部活動じゃなくて、今習ってる〇〇を続けるつもりみたい」
などという答えもよく聞くようになった。
部活動、
全員加入じゃなくなっても、
それぞれの家庭の実情に合わせて
放課後をそれなりに過ごしてるよ。
ちなみにウチは、
まだ小学生の子たちがいるけど、
部活動は入らなくてもいいと思ってる。
上の子の時は
全員加入の時代だったから、
入れないなんて選択肢はなかったし、
「どの部活動にはいるのかな~」
なんて楽しみでもあった。
でも、もう、下の子たちは
部活動にムリに入らなくてもいいや。
477.親当番は、
中学生の子を持つ一保護者です。
477.で書いたように、
ウチの子の中学校は、
2年前から
部活動が全員加入じゃなくなった。
全員加入の時は、
子供にとっても
親の私にとっても、
部活動ってのは
かなり「絶対的」な存在だったんだけど、
全員加入じゃなくなったら、
部活動も、
他の習い事や塾と同じように、
「放課後の過ごし方の選択肢の一つ」にすぎないと感じるようになった。
もちろん
部活動に熱心な子や保護者は
いてもおかしくないし、
熱心な顧問と手を携えて
全力で部活動に取り組めばいいと思う。
また、
部活動での実績を
進学や将来の就職に生かしたいと
学校側に働きかけていくのも
やりたいようにやったらいいと思う。
でも、
私にとってはもう、
部活動は、
中学校の教育活動における
オプション以外の何物でもない。
下の子たちが中学校に入学するまでに
何年かあるけど、
放課後の過ごし方をどうするか、
じっくり親子で話し合っていくつもり。
テスト前の大事な時に、試走とかいって参加する生徒が体育科教員の引率で駆り出される。授業をする側からしたらたまったもんじゃないです。生徒が何人も欠けた状態でテスト範囲の所を進めることもできない。時数には限りがある。そして引率の体育科教員の授業の皺寄せがこちらに回ってくる。普段の練習も加熱して清掃がカットになったり短縮日課になったりする。
それだけでもおかしいのに、学校としては、まるで戦地に我が子を送るかのような雰囲気でガンバッテコイ!ムード一色。短縮日課によって授業の時間を削って壮行会を開いちゃったりしてね。時代錯誤も甚だしい。
保護者がクレームでも入れてくれればいいのにと内心思うも、異を唱えようもんなら非国民扱いになりそうなムードに押されてか、クレームひとつ無い。異常です。
運動会で頑張れ!と鼓舞するのとは訳が違います。なんで校内行事でもない大会に授業が奪われなければならないのか。
甚だ疑問でなりません。
480.さん
そこなんですよ。
どうして
全員加入じゃなくなったのか、
私たち親もよく知らないんです。
上の子が中2になった時、
「今年から、部活動は、入っても入らなくてもいいんだって~」
と言った。
私も驚いたけど、
「えっ、そうなんだ~」
みたいな感じで、
けっこうあっさり受けとめて、
そのまま2年間過ごしてきた。
もうウチの上の子は
すでに入っている部活動を続けるつもりだったみたいだし、
私の周りの親たちも、
とりたてて話題にしてなかったし。
…でも、
今考えるとナゾだよなぁ…
部活動がらみで、
よっぽど
何かあって、
流れで
加入自由にせざるを得なかったのか…
それとも、
校長先生をはじめ、
当時のセンセイたちの
強い意向があっての決定だったのか…
理由は、ゼンゼン分からない。
特に気にも留めなかった。
…ウチの子の中学校だけなのかなあ?
周辺の中学校は、
どうなってるんだろ?
それすらも分からない。
今度、
知り合いのお母さんに会ったら
聞いてみようかな。
「先生、野球したいので、活動費を給料から出してください」って変でしょう?
であれば、残業代をきちんと労働基準法に基づいて支払ってもらいたい。
今、月にいくら残業しても残業代は出ないんですよ?正確には、8時間相当額が一律で支給されている訳ですが。50年前の調査で、当時の残業時間が8時間だったことから、みなし支給で現在に至っています。
でも、今は毎日3時間は残業しないとまわりません。月、60時間は残業していることになります。土日の部活を入れれば、80時間の過労死ラインです。
それで、残業代0円です。労働基準法で決められている、放課後120%割増、土日は150%割増できちんと全額支払うべきです。
それが国が定めた最低基準なんですから。
部活動指導費は国が払うべきです。資源もないこんな島国で、教育にこれだけお金をかけない国は未来がないです。
大企業にばかり優しいだけではダメ。
わたしは本来あるべき教育に力を注ぎたいのでなるべく楽な文科系を希望したが
好きな部活を希望できなかったときには放課後の安堵感はまったくなく。
委員会活動に逃げた。どうして現場ではこのような強要がまかり通るのか不思議でしょうがない。
部活に力を抜く教員は親や生徒からだめな先生と見下ろされている雰囲気はあった。
こんなにも大変な職場でうつになる教員も多い中で土日もつぶされたら地獄だ。
現職のときには3ヶ月休みが取れなくヘトヘトの月曜日のスタートで授業中は
立ちながら睡魔におそわれたりもした。
なんかへんだと。気がついたら教員を辞めていた。続く・・・
先生とコーチの決定的な違いは「教育的配慮」だと言えます。先生は技術の向上だけでなく「社会でより良く生きる力となる忍耐力や継続力を養い、礼儀や挨拶を身につけさせ、向上する喜びを実感させる」ために部活動を行っています。そう考えると、何度裏切られても子どもへの愛情を注ぎ続けることができ、生活指導や集団づくりの能力を有している教諭という存在がまさに部活動指導に適任です。外部コーチでは技術の向上以外はあまり多く望めません。
ただの「部活大好き先生」はそれほど多いとは思えません。学校や学年、集団や個人をより良く導く一つとして「部活動」に力を入れておられる先生がほとんどだと思います。部活動で子どもたちは精神的にとてもとても成長します。だからこそ、休日を返上してまで子どもたちとともに多くの時間を過ごすことに喜びを感じる先生が多いのです。
部活動への力の入れ具合は先生それぞれの自由ですが、意義のある活動や頑張っている先生を評価しないという風潮はせめて作らないでほしいと思います。
私は休日は部活動を行い、試験前はテスト前勉強会として自由参加で生徒の勉強時間を確保しています。
先生方の部活動への力の入れ具合は前にも述べましたが、自由であり強制させられるべきものでは決してありません。
ただし、部活動は、生活が荒れてしまうはずだった生徒、敬語を使えず挨拶もできずに卒業してしまうはずだった生徒、だらだらと3年間を過ごしてしまうはずだった生徒に、社会で優しくたくましく生きていく力を身につけさせることができるのも揺るがしがたい事実です。
授業や委員会、行事で子どもたちが輝くのと同じように、部活動でも子どもたちはキラキラと輝きますよ。そして、彼らの成長こそが私の喜びです。だから、2015年の休日も私は部活動を指導するのです。
熱意をもって顧問をされている教師に対して、時間と労力の対価として補償を十分にするという事です。りらっくまさんの論法では問題のあぶり出しと共に、その解決法にまで思考が届いていません。
その一方で、無責任な無理強いを辞める事。責任をもって授業をしたいという至極当然の訴えを認め、補償するという事です。これは人として、労働者として、教育者としての最低限の権利補償の問題ですよ。
現状は、十分な補償ということにすらも、届いていないと思いますので。。
部活はまったく良い点はない、とは誰も言っていません。顧問を何回もした上で、それでも現状ではデメリットが大きいという話をしているのです。
部活をすると決めたのならこちらがどうこういう筋合いはありませんが、他人に同じことを求めたり、評価されないと怒るのは筋違いです。
私も部活を持っていたときは、同じように感じていましたが…。きついなら辞めるとか、ペースダウンしましょう、という話です。
部活反対派が肯定派に「放課後、休日の指導やめろー」と言えないのと同じように「放課後、休日に指導しろー」とは言えません。
みなさん聡明な方々なのでお分かりかと思いますが、私は特に自分が熱血=いい先生だアピールしたいとか、部活指導に力を注がない先生方がどうだと述べているわけではありません。部活はボランティアです。ただ、ここのコメントを拝見すると一部の方々ではありますが、まるで部活が悪いかのような書き込みがあります。教育として部活動をどう位置づけるかは議論のあるところです。ですが、部活動の多大な効果は理解しておくべきです。それを認めないということは、授業が下手であったり学級経営が下手であるのと同じように、部活指導が苦手だという自分を受け入れられず、言葉で正当化しているだけです。繰り返しになりますが、「部活動反対」にはまったく異を唱えていません。
先生にはそれぞれ得意分野もあれば勉強中であったり、苦手な分野もあります。それを補完し、いいところを出し合いながら仕事をしていくのが複数で指導に当たる中学校の長所です。授業指導が得意、生徒指導が得意、部活指導が得意、しんどい子に寄り添うのが得意、それぞれの分野がそれぞれ大切で有機的に結びついているものです。
また、「荒れている学校は授業が悪いのが原因」というのはあまりに視点が狭すぎるでしょう。地域の問題、経済的な問題、家庭の問題、また、組織的な生徒指導の方法の問題など、こちらも原因は様々で、むしろ複合型が一般的です。
「授業が最も大切」なのは賛同しますが、授業推しが過ぎるため、その他の考え方が少し乱暴だと思います。
私はりらっくまさんが言うように「部活動指導が苦手」です。学生時代に「部活」に入ってなかったので、どんな要求に応えられるほどの技術も指導力もありません。習い事でしてたことか専門教科のことなら顧問できますが…。そんな部はありません。だめな奴でしょうか。正当化しようと思いません。
採用時は部活に関しては「生徒を思う気持ちが大事、一緒に勉強していけばなんとかなる」と言われていました。実際は…
部活動の反対に関する理由はさまざまですね。(未経験競技担当のこと・拘束時間のこと・生徒の学習時間のこと・勝利主義に走ること・当事者同士のトラブル)
解決案も様々です(完全廃止・外部委託・やりたい人がやる・賃金を払う)
一人一人がそれぞれの不満をもち、解決案を考えていてまとめることはできないなあと感じています。
また、apricotさんの考え方についても理解できます。ただ一点、「①他人に同じことを求めたり、評価されないと怒るのは筋違い」というところは、apricotさんの経験談でしょうか?私は特に①のように思っていませんよ。
部活動に時に楽しく、時に厳しく取り組ませることで思春期の子どもたちに様々なプラスの効果がありますよ、と言っているだけです。「決勝戦で勝ったのに仲間のみんな、涙が止まらない」たとえばそんな気持ちを味わえるのは練習期間の長い体育祭や文化祭、部活動ならではだと思います。
>「①他人に同じことを求めたり、評価されないと怒るのは筋違い」というところは、apricotさんの経験談でしょうか?私は特に①のように思っていませんよ。
すばらしいですね。私は部活顧問をしていた頃、「ベテラン教員は顧問しなくていいなんていいなあ」とか「時間も熱意も捧げて、文句を言われるのはつらい」と思いました。
相手を思いやりながらやれた年もありました。そのままなら多分今でも未経験の部活を見ていたと思います。しかし経験値のなさ、知識のなさを責められ、すっかりそういう気持ちはなくなりました。
先輩の先生に恵まれませんでしたね。
ただ、私は未経験の部活を受け持ち、校内では基本的には誰にも頼らず、それこそ自分が夜に習いに行ったりもして、3年で(都道府県)大会優勝、全国大会出場を果たしました。もちろん、勝利のみにこだわった指導ではありません。
別にこんなところでひけらかして自慢したいのではありませんよ。部活動指導というのは集団づくりでもあり、生活指導でもあり、道徳の実体験授業でもあります。
銀行に例えておられる方がいましたが、子どもたちは顧客ではありません。
apricotさんがこれからも優しさと愛情を保ち続け、これからたくさんの力をおつけになり、それを子どもたちの成長へと結びつけてくれる、そんな先生であり続けてほしいと切に願っています。子どもたちを時には前から力強く引っ張り、時には寄り添いながら、時には後ろから押してあげながら、そして、時には立ち止まってともに泣きながら。
決して否定的で腰の重い先生にならないでくださいね!未来の日本、世界を支え、リードする温かい「人」をともに育みましょう。apricotさん、応援しています!
部活もできて、教科指導のスキルもあって、学級経営もうまくて… 組織にそんな人間ばかりだったらいいですね。
私は部活はできませんでした。勤務外のことなので、教師失格とは思っています。業務において、なんにも秀でるところがなければそれは問題だと思いますが。
私は、部活動以外のところで貢献したいと考えています。「部活をする教員が授業がだめで、しない教員が授業が良い」とも思っていません。それぞれです。
また、部活をする教員が勤勉で、しない教員は勤勉とも思っていません。それぞれです。
部活に関しては「やりたい人がやる」という意見です。
教員の部活への負担は精神的にもつらいものです。ひどいサービス残業になっている方もおられましょう。しかし、教員の特典は夏休み、冬休みがあることでしょう。
それらがあるおかげで部活を持って当たり前という風潮はあります。
そこで提案なのですが、部活を含めた勤務時間が1年間でどのくらいあるかタイムカードを作成し、1ヶ月あたりの仕事量を出してみることです。
家に持ち帰っての仕事は当然計算外です。私の今の会社では1ヶ月9日程度の休みしかありません。盆、正月、5月の連休でそれぞれ2日休暇がもらえるぐらいですから年110日にも休みがないことになります。
教員だったころは150日ぐらい休みがありましたから部活は世間からしたら当たり前だったのです。このような試算がきちんとなされ、過長労働とみなされれば弁護士会にも擁護されるでしょう。
やってみてください。
判例も出ていますし、堂々と残業だと主張していいかと思います。
そこんところが民間とは違います。残念ながら民間の多くがブラックに近い勤務実態です。
残業手当ももらえず辞めていった正社員がいました。
教員はそういう民間での経験がほとんどないので権利を主張してしまうのでしょう。
組合も小学校の先生は部活がないので戦いの焦点が合いにくかったのを覚えています。
スナフキンさんのお考えももっともですが世間は厳しいです。だから部活のことも進展しないのです。
あなたのおっしゃるように中学は多くの職員で成り立っています。ですから、部活動も組織として行うことがベストです。あの先生は部活動を徹底して行ってくれたが、あの先生はやらない、だめな先生だ・・・これでは全く組織ではなく、個人プレーです。30歳ぐらいのときは、やったことのない部活動を担当もできるでしょう。しかし、りらっくまさんが50歳を過ぎ、新しい部活動に挑戦するとしたらどうでしょう。やらざるをえない学校体制、しかも自介護すべき親がいるとしましょう。それでも同じようにできますか?組織としての部活動を考えたとき、今の部活動の制度は限界です。部活動の多大な効果は切り捨てましょう。それらは社会体育やクラブにゆずるべきです。
老いも若きもありません。スパースターのような教師だけがやっていけるような教育現場ではだめです。生徒に休みは必要です。軍隊のようにがむしゃらになって行う部活動はもう日本では終わりにしましょう。
長時間、物事に取り組むことで得られる達成感や感動は否定しません。
わが地域では、15年前まで文化祭の準備にかなり長い時間を費やしました。役員たちの放課後の居残りはときに、夜中の12時近くなったときもありました。達成感、感動はその分大きかったのはいうまでもありません。しかし、それは異常です。今では、できる範囲の時間で準備し、文化祭を実施するように適正化がなされました。
効果が大だからといって、人間の当然休むべき時間を奪ってはいけないと思います。生徒の休日、教師の休日を奪う権利は誰にもないはずです。もちろん、自分から行うのは自由ですが、他の者をまきこまないでいただきたいものです。学校として休日に部活動を行うのは、やはりまずいと思います。りらっくまさんの後任は同じ事ができるとは限りません。
①早期退職されたということですが、どのような事情があったのでしょうか?
②休日が教員時代よりも減ったということですが、後悔されていますか?それとも納得の上でしょうか?
「年間150日の休み」とはどこの国の話でしょうか。
現在は夏休みは通常通りの出勤、たとえ生徒達が休みでも学校職員は出勤日になっています。休むには有休休暇届けが必要です。春休みは、翌年の時間割作成などの新年度準備で人によりほぼ休みはありません。教員に認められている休みは、一般と同様かそれよりずっと少ないはずです。
10年前150日も休みがあったとしたら、3日に一度は休み・・・どこの国の話でしょう?計算の仕方が違うのでしょうか?
「30歳中学校教諭です。学年主任、学年生指、運動部を受け持っています。」
30歳で学年主任ってすごいですね。うちの学校じゃありえません。優秀ですね。ちなみに学校の規模・地方or都市部を教えてください。
「校内では基本的には誰にも頼らず(中略)…3年で(都道府県)大会優勝、全国大会出場を果たしました」
とありますが、生徒たちの運動の運動能力、競技レベルはどのくらいだったのでしょうか?どこの学校に行っても同程度の結果をあげられますか?
それと教育環境が古すぎる校舎や教育機器など授業に支障をきたしたこともあります。
あと、校務分掌やその他の仕事が増えすぎたこと、臨時教員ばかりふえ正規の職員の負担が増えすぎうつになったこと。
それに自分のこどもが登校拒否になってしまったことなどなどです。
体を壊す1歩手前でした。
休日は減ったといいましたが私は正社員ではないので月12日ぐらい休めます。
給与は以前の1/3ですが後悔はありません。なんとか10年間無事すぎました。
ぶうたれさんの150日という異議は研修日など教員の権利などありますから人により100日程度の教員はおられるでしょう。
でも、なかにはそうでない人も多いのですよ。
部活をもたない夏休みなら今の時代はわかりませんが体力回復には申し分ないでしょう。いまだに世間は教員の休みの内容を知りません。
それについては、次の点から異を唱えましょう。
①教師の休みは世間一般で考えられているほど多くはないという現状。例えば夏休みは出勤日です。その中で部活を平行して行っているところが多いです。夏休みには大会がある競技が多く(企業主催や、熱心な個人で作った大会)
お盆の時期をのぞいて練習や練習試合(土日)を入れる部が多いです。 お盆に大会があった競技も経験したことがありびっくりしました。部活以外の夏休みは、研修や、書類整理、大掃除など学校や研修所に出向きます。終業式以降の夏休み初期は補習を行っている学校が今は多いですね。それでも生徒が学校に来ない分、気分は夏休みです。普段、有休休暇をとれない人は、ここでとれますが、部活をもっていると有休休暇でさえとれません。
②ほぼ全員が部活動の顧問に割り当てられますが、中にはあまりやらない方がいます。そのような方たちは休日を普通に休み、有休休暇もそれなりにとることができます。しかし、それは休んで当然です。普通に休めば後ろめたさを感じてしまう雰囲気があり、これこそが異常だといえましょう。教員以外でも、無給で休日に出勤せざるをえない職場が多くあると思います。妻の職場もそうですが、当然休むべき休みをとることでうしろめたさを感じるような日本にしてはいけません。これでは、出生率は下がってもしかたないでしょう。それぞれの職場で、環境改善をしていくべきです。未来を担う生徒達の価値観は「休日は部活動で当然」なのか、「休日は休んで当然」なのか大きな違いです。部活から変革していきたいものです。
helpaerさんのおかれている状況は推し量れませんが、それぞれがより明るい未来を迎えられるといいですね。
私は教員になる前、他業種の公務員、塾講師、派遣社員をしました。それぞれ大変さはありますが、そのことで「あいつは甘い、もっと大変な人もいるのに」とは絶対思いません。
教員から転職とはかなりの覚悟だったと思います。今の仕事を辞めて、一から他の職場で経験を積みあげていくのはは相当大変です。似たような業種への転職だったらどうにかなるかもしれませんね。しかし、このことはどの仕事も同じです。どこ行ってもつぶしがきくという職業は…ありますか?(どこ行っても、成功する人はいるでしょう。)
親父がしんでさらに悪化しますが、相続と退職金で家を買い思い切って引越ししました。これも兄弟けんかの末です。そして3年前に自分に向いた仕事が見つかり収入は20万から15万ぐらいにおちつき妻のかせぎとともに一段落しました。
年金が近いうちに出るので今の仕事は半分ぐらいに減らすつもりです。体も大変な仕事なんです。夜中、朝4時あたりまえ。1日20時間勤務もあります。遠くにも行きます。運転は若い者に任せているので気が楽ですよ。
65歳までは働いてこずかいでいいもの食いたいです。
体が教員のときより丈夫になりましたね。いつも腹がくだっていたのがいまでは平気です。ただし腰がわるいのでもういつやめてもいい体制でいます。
年齢は今年61歳、定年ですよ。でもがんばっています。
若くもないし、仕事が多い地域でもないし、即戦力になるスキルや、欠点をカバーするほどの強い魅力もない、どこにでもいる人間ですので、簡単にうまくはいきませんでした。働きながら通信大学で教員免許を取り、講師をしたあと本採用になりました。
教員を世間知らず、と言いたくありません。他業種を経験している教員もたくさんいます。
他業種を知らない事実は、本人にはどうしようも変えられないことです。それをつっつくようなことはしたくありません。
他業種を知っているから、教員としてすごいということもありませんし、逆もしかりです。
ちなにみ公務員も大変ですよ。公務員バッシングもひしひしと感じていました。休日出勤も夜中出勤もあります。残業代も満足につきません。塾講師は手出しが多く、給料をケチられます。派遣も時間内に仕事を終わらせないといけないのでキリキリしていました。しかし、だからといって「教員は他の仕事よりホワイトだなあー、するい」と思ったことはありません。自分で選択したことなので。
休んでばっかりの教師、授業研究をしない教師、生徒を傷つける教師、サボってる教師… もしいたら「その教員は甘い」と責められて当然です。
しかし、部活は教育課程外です。だから、加入している生徒もしていない生徒もいます。その活動に過剰な時間的、質的要求があるのがおかしい、と思っています。
校内研究や授業に力を入れろというまともな管理職も居ましたが、多くは出世主義というか事なかれ主義というか保護者の意向に流されていましたね。嫌われるのができない体質か制度がおかしくても
校長職を失いたくないため教員に無理強いするのでしょう。上を見てる同僚はみな敵でした。
小学校から配属された教員はそのうち小学校に戻っていきました。理由は部活ですよ。わずかに残っている小学校からの教員はその人に合った部活を見つけて楽しんでいます。適応力があるのがすごいです。
部活に縛られてストレスある教員生活を与儀されている教員は50でおやめなさい。残る人生を好きに生きるという選択もまたいいものです。
中学校で部活の顧問をされている先生方には本当に頭が下がります。
が、やはり私も部活は違法だと思っております。
部活を受けもたない中学校教員、最高です!
「仕事」と「趣味」を混同し、子供のためという呪文によって周りを巻き込む迷惑な教員は小学校にもたくさんいます。
仕事は仕事としてきっちりしっかりスマートに遂行し、プライベートも充実している教員がなぜ評価されないのでしょうか。
子供に何か問題行動があったとき、我々教員は「あの子の家庭は云々、心が寂しいのかも云々」などと話しますが、これをなぜ自分らに向けて話さないのでしょうか。
自分のプライベートが、家庭が、心が充実していない状態でも子供と向き合えると思っている教員がいたらそれは傲慢です。
土曜授業や修学旅行などの時間外勤務は時間外手当が出ません。「振替休日」を取ることになっています。しかし、そもそも有給休暇は年間10日取れたらいい方で、ほとんど消化できずに終わるので、振替休日が増えてもしかたありません。
ですので、土曜授業や修学旅行などの「校長からの正式な命令の出ている」時間外勤務も、実質無償労働です。
学校にはそもそも無償労働が多いです。
私の勤務する県では、時間外労働時間を自己申告し、県教委に報告ています。
自己申告ですから、だらだら仕事してる人や申告がいいかげんな場合もあるので、どこまで正確かは分かりません。
私の勤務する中学校は、職員数が15人程度です。
5人が1ヶ月の時間外労働時間100時間を超えています。
そのうち3人は140時間以上でした。
私が一番少ないと思います(部活を持っていません)が、私で月平均50時間です。
土日の部活時間は含まれていません。
娘の部活も去年4月に顧問が体育科の先生から現在の数学の先生に変わりました。結果を出していたのは以前の先生でしたが、ご自身の専門外の高飛びなどのご指導はさっぱりで、エゴでご指導されていたという印象しかありません。現在の先生はトラブルがあれば子供達と一緒に考えてくださったりと万遍なくご指導くださり心ある方なのですが、力のある外部で専門的に習っていた3年の生徒が指導内容に文句を言ったことがきっかけで、先生に対する不信が強まって部活内が崩壊しはじめました。家で先日 先生の立場や気持ちについて話したところ、娘はみなを説得し、子供達は理解し先生に謝罪して部活動を続けられるようになりました。娘は部活で活躍できるタイプではありませんので、先生方にも友人にも評価は低く、正直なところ今回のこういった出来事も先生方に保護者の私から直接話そうか考えております。個人的な悩みですが、不器用で頑張っているにもかかわらず、こういうことに引っ掻き回されて勉強に身が入らない生徒もいると知っていただきたく投稿いたしました。
20年ほど前でしたか大阪(これも記憶あやふや、すいません)で顧問返上運動が起きて新聞にも大きく取り上げられました。そのころから私には漫画研究会とか、ほぼ負担ゼロの部の顧問しか回ってきません。管理職は「弱い教師」を見つけてしんどいクラブの顧問を押し付ける。わたしのいけないところは「自分だけがよければいい」という態度でしょうが、弱い教師に団結を求めてもまったく会がありませんでした(どこの学校においても)。また運動好きな教師は「あの先生はクラブ活動の面倒を見ない」と本気で批判していました。まあ噛みつかれるのが怖いから陰でやってたみたいです。
学校は無理に顧問を押し付けて裁判沙汰にされたら負ける可能性が高いのを知っていますから、結局は「やらん」と言った教師は軽いクラブ、断る勇気がない教師は土日を潰してくたくた。
まあ、教師が団結できない人種であることを考えたらこれからも現状は変わらないでしょう。
あなたは立派です。当然のことが認められない学校という環境がおかしいのです。同調者がじわっと増えてくればいいですね。頑張ってください。
先生の部活顧問、本当に大変だし止めるべきだと思います。せめて時間制限などの規制を引いて実施すべき。
生徒にも負担です。親も負担です。
そう思っている人、多いと思います。
ホントに悲しいです。
ヤル気満々で部活に入った生徒はかわいそうですね。
ちょっと、お聞きしたいのですが、卒業式の時に先生方の周りには沢山の卒業生が別れを惜しみ集まりますか?
それとも、すんなり職員室、学年室、教室に戻ってしまうことができますか?
524. さしさんへ
カメムシのどの書き込みの部分を指しているのか、不明ですが、・・・
若いころ私も顧問をしていました。その部の生徒に「○○部の顧問を今年はしません。私のかわりに引き受けてくれる先生はいません。よって、○○部はなくなりました。」と話しました。当時は、教員の話に対しては反論しづらい空気の時代でした。
それだけです。これがきっかけで、彼らとの関係がきまづくなった記憶はありません。
525. さしさん、卒業式後件です。
卒業式が終わると卒業生を見送るんですが、なかなか帰りません。記念写真をとったり、サインしたり、だべったり、1時間程度は校庭にいます。ほとんどの教員は「早く引き上げてほしい。」と思っていますが、保護者もいて、特別な日なので大声をあげられません。その状態を打破するために職員集合(会議)をかけます。教員を生徒から解放するきっかけにするのです。生徒がなかなか帰らないのは教員が相手をすることが一因でもあります。
卒業式が終わったら、教室片付け、書類整理、新学期の準備など多くの業務が待っています。卒業生のことを思い感傷的になることはありません。
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今、陸上部の顧問をやっています。昨年は初任で副顧問でしたが、顧問の先生は独裁者の様な方で、荷物の見張り要員として、大会に参加させてもらえず、なんの引き継ぎもなく、臨時採用の先生を一人で(今年受験だから7月までほぼ参加出来ない)人をつけられ、初のクラス担任、初の教科主任で本当に休まなく働いておりました、陸上部の大会参加申し込みから運営参加、生徒の引率、全て一人でやっていました。そこに、大会申し込み時、生徒に集金袋を渡し家庭でも確認してもらい、最終確認も子どもにしていたのに。大会前日になんで100メートルに出られないんだってゴネ始める。謝れ、お前が悪いと母親、父親、卒業生、元の顧問まで乗り込んでくる。結局、大会の記録で推薦入学を狙っていたらしく、本当に執拗に個人攻撃。校長、副校長も庇ってくれず、陸上部の顧問を辞めたいと訴えてもはぐらかされ、今週から鬱病でお休みしています。どうやったら顧問を辞めさせてもらえるのか、毎日家族で悩んでいます。もし、何かいい方法がありましたらご教示ください。
管理職は「あくまでも本人が了解している。こちらが、強制したわけではない。」と言う立場です。ご存知とはとは思いますが、勤務時間外の職務命令は四項目を除きありえないのです。勤務時間内に通常の業務が消化でないのは、勤労者本人の責任ではありません。不慣れな新人には、負担を減らすなど配慮する義務が管理職にはあります。
校長に次のように訴えてください。
破壊しそうです。部活動が過負担です。このままでは、自殺します。部下が、通常の職務に専念できるようにしてください。部活動から解放してください。土日の引率や指導はしません。そもそも勤務時間外ですから、職務命令の発令はできないはずです。部活動からからはずしてもらえないなら、教育委員会に相談します。「部下が苦しんでいるのに、何もしてくれないと。」