先日、異動希望を提出しました。

私も迷いながら、来年度をどうするか記入しました。


その書類には「指導可能な部活動名や特技について」という欄がありました。

教師になりたての頃、つまり部活に何の疑問も持っていなかった頃は、何の違和感もありませんでした。


「よし、学生のときにやっていたスポーツでも書いておこう」

そんな気楽な気分だったのです。


あれから数年。

部活に関する法令を確認し、多くの文献を漁り、少ないですが部活に関する知識を蓄えてきました。

今年の私の選択は、「指導可能な部活動名や特技について」という欄に、「なし」と書くことでした。

今年の私のアクションはここから始めました。

小さなことかもしれませんが、部活動に苦しんでいる同業者の方々なら、「あるある」と頷かれることでしょう。


来年度、つまり4月からも、部活を明確に拒否し、自分のやるべき仕事を全うしようと思います。

そして自分なりの、慎ましいけれど人間らしい生活をキープする所存です。


現在、Youtubeなどにアップするための動画を作成中ですが、ふとテレビを見ているときに気になる特集がありました。


先日のTBS サンデーモーニングにて、「群衆」についての特集があっていました。

いわゆる集団心理というものです。


そこでは「群衆」をテーマに、ヒトラー・オウム真理教・デマやオイルショックなどの例を取り上げていました。

その中で核を担っていたのが、フランスの心理学者、ル・ボンでした。

ル・ボンは、社会心理学者として著名であり、中でも「群衆」や集団についての著書が有名です。


ル・ボンは、「群衆」について、9つの特徴があると述べています。端的に言うと、以下になります。


① 群衆は感染する
② 群衆は過激に走りやすい
③ 群衆は衝動的である
④ 群衆は暗示に弱い
⑤ 群衆は時に高い徳性を示す
⑥ 国民も群衆化する
⑦ 群衆は反復・断言に弱い
⑧ 群衆は同一化する
⑨ 群衆は服従する


私はその特集を見たとき、部活の現状について思いをめぐらさずにはいられませんでした。

少なからず、「群衆」である国民の部活観もこれらに該当する点があるのではないかと。


まず、⑧の同一化です。

過去から引き継がれてきた部活観、すなわち「教員は部活をやって然るべきである」という考えが国民に蔓延してしまっていることを意味します。

保護者や生徒はそういった視点で同一化していますし、また身内であるはずの教員も、同一化してしまっています。

部活を考える際に、「どこまでが勤務で、どこからがボランティアなのか」といった境界線の議論にならないのはそこが問題です。


あとは、⑦の反復に弱い点でしょう。

入学式、および年度初めには校長が部活の長所のみを反復して保護者に伝えます。

「我が校の部活動加入率は〇〇パーセントであり、いい学校なんですよ」という風に。

学校がオススメすること → 学校の教員の仕事 → 当然それは勤務内容に該当する

こういった方程式を、知らず知らずのうちに刷り込んでいるような現実があります。


そして②の過激に走りやすい点も見逃せません。

私がこのブログを立ち上げ、一度Yahooさんに取り上げられたことがありました。

すると非難のコメントの嵐が。

詳しくは過去の記事にありますが、罵詈雑言のオンパレード。

「教員は部活をやって当たり前なんだ。甘えるな。だから公務員はダメなんだ」

「部活をやりたくなかったら教員をやめろ。お前の代わりなんていくらでもいるんだ」

という風に。

ただでさえ叩きやすい公務員、さらには生徒のために働く教員が「部活を拒否する」と言ったものですから、そのエネルギーたるや筆舌に尽くしがたいものがありました。

コメントを読むのが辛かったのを、昨日のように思い出します。


そして①考えや空気は感染していき、マイノリティはマイノリティのまま、湧きあがった考えもいつのまにか大多数その他大勢に埋没し消えていくのかもしれません。

それは以前にも沸き起こった、部活動を社会体育に移行しようとしたときも、きっと同じ流れだったと推測されます。


日本人は、群衆化するのが好きです。

「そろいのハッピ」や「村八分」、「空気が読めない=KY」などの、集団や場に合わせる風潮を重んじてきました。

農耕民族であることも関連があるのでしょうが、私はそれを否定することはしません。

みんなで仲良く、よく学校で聞く理念とも一致していますし、その場の空気を保つことは社会人にとって必要な要素ですから。


しかし。


これからは日本人も、自分の主張を断固として展開していく段階に来ています。

「本当はこの考えを言いたいんだけど、場の空気を悪くしちゃうから黙っとこう」

このような奥ゆかしい、辛辣な物言いをすれば、臆病な思考が悪い慣習を維持してきたのかもしれません。


ですから、今この部活に関するムーブメントを、単なるさざ波ではなく、大きなうねりに変えていく必要があります。


また後日特集をしたいと思いますが、私と同じような考えをもった方々が、次々にブログを立ち上げています。

そして、それぞれのブログで多くのアクセスを記録しています。

私のような考えをもつ教員は決して一人じゃない、そう思いますし、賛同してくださる多くの方々に改めて感謝の意を表します。


ル・ボンも言っています。

⑤群衆は時に高い徳性を示す と。

今のいい流れを拡散していき、国民のみなさんの徳性に頼りたいと思います。

教員も人間らしい生活をしていい、そう言ってくれる徳性をもちあわせていると信じたい。

そのためには教員の現実を知ってほしい、そこから全ては始まると思います。


まだ1月ですが、4月の年度初めには同じ志をもった教員の方々が、部活についてどう行動するかが大切だと思います。

単なるマイノリティではない、教員の一つの考え方として昇華させていきたいのです。

各職場で、たとえ一人でも構わないから、爪痕を残していただけたら、どんなに心強いか。


今日はちょっと偉そうに語ってしまってごめんなさい。

こういう風にゆっくり記事を書くことができるのも、部活に時間を取られていないことによるメリットかもしれませんね。


インフルエンザが猛威をふるう時期となってまいりました。

いつものセリフで恐縮ですが、ご自愛くださいね。


追伸、コメント欄が活発なのは良いことですが、他人のハンドルネームを騙るのはやめてください。

また、きちんとハンドルネームを入れてから発言してください。

そして、題名のようにハンドルネームの欄を使わないでください。


今日は「真由子」というハンドルネームの人がコメントを寄せていました。

まさか私の偽物が出てくるとは(苦笑)


私に直接メッセージを送りたい方は、Twitterまでどうぞ。 → @mayuko4460


コメントにて、「ブログを書いている方、出てきてもらえませんか」というものもありました。


私は逃げも隠れもしません。

ただコメントが膨大になってきましたので、ちょっと追いついていないのはあります。すみません。


長くなりましたが、この部活を考える火種を消さないように、ゆっくりと息を吹きかける日々を続けたいと思います。

Twitter でもお待ちしています。