夜には虫の声が響き、朝晩の涼しさが一層増してきた今日この頃、いかがお過ごしですか。


秋の夜長に、たくさんの方にブログを見ていただき、コメントをいただいていることに感謝申し上げます。

一週間少し前に書いた前回の記事。

早くも300を超えるコメントとなっています。

私としては日常をテーマに穏やかな記事を書いたつもりなのですが、コメント欄は白熱した議論が進んでいます。

そういった議論の出発点にしていただければ、このブログの存在意義もあるのかもしれません。


たくさんの意見をいただく中で、様々な価値観があり、そこから解決策を導き出す難しさを痛感しています。

そもそも、解決策を考えるのは末端の一教員である私たちではなく、もっと上のところではないのか?という疑念が頭をいつも支配しています。

私たちがしている議論は、きっと上の方ではなされていない。

だからといって意味がないものではない。

私たちの議論の声が、疑問の声が、異論の声が、世の中の「部活について疑問を持たない」多くの方々に届き、それが大きなうねりとなって上の方に届いていけばいいと思うのです。


最近考えさせられるコメントは

「部活顧問を拒否する行為は、子どもを置き去りにしている」
「部活顧問を拒否することによって、周りの教員にしわ寄せがある」
「部活顧問をしないと部活が成り立たず、子どもは教員のわがままの犠牲になってしまう」

という、【部活の顧問をしないこと】への非難です。

今までも度々あった意見ではありますが、いつまでも根強くあるようですので、ブログ主として言及しておきたいと思います。


少し前に埼玉県で定年職員を対象にした退職金が、年度内の2月に減額されることが決定し、1月に大量の早期退職希望者が出たというニュースがありました。

その中で多く聞かれた声は
「目の前の子どもをどうするんだ、金の方が大切なのか」
「わがままな教員が多い。責任をもって子どもを育てるのが仕事ではないのか」
「自己中心的な教員ばかり。失望した」

というものでした。


こういった「政治とカネ」ではないですが「教育とカネ」問題は今に始まったことではありません。

先ほどの退職金減額の例は、今まで教育に携わっていただいた功労者である教員の方々への、侮辱でしかありません。

年度途中でそういったことを公表するのはフェアではありませんし、同時に無礼です。

担任を持っていらっしゃった方もいたでしょうし、当然のように部活の顧問に打ち込んでいる方も多くいたことでしょう。

そういった「一度子どもと深い関係を築いた状態」にしておいてから、後出しジャンケンのように行政が動くこと自体がずるいと考えます。


では部活動の例はどうでしょうか。

よく言われるのは

「部活を始めて子どもを集めているのは教員だ。だから責任をもってやれ」
「学校主導で始めている活動なのだから、そこはベテランだろうと若手だろうと関係なく教員がやれ」
「目の前の子どものため、教員として部活なんて知ったこっちゃないというのは非常識だ」

ということです。


早期退職と部活において同じ点は、時間と賃金の問題です。

私たちは第一次作業に従事しているわけではなく、自ら生産できるものはなにもありません。

だから私たちの唯一もっている「売れるもの」というのは紛れもなく時間なのです。

時間をかけて取得した教員免許。
時間をかけて準備した実のある授業。
時間をかけて指導した部活動の成績。

貴重で限りある時間を使い、それを目に見える形で実行していく。

それこそが私たちの労働の姿です。


ベタな言葉を使えば「 Time is money 」、「時は金なり」ということでしょうか。


先述した退職金の件で、早期退職をした教員の方々を我々が非難することはお門違いです。

悪いのはどう考えても行政です。

早期退職したことによって子どもたちの明日がどうなるのか、また早期退職したことによって生じる周囲の教員へのしわ寄せがどうなるのかを考えるのは、当事者の教員ではありません。

そういった事態を引き起こした行政の方です。


部活も同じです。

確かに部活を始めたのは学校側という指摘はその通りです。

「自分たちで始めたものだから、最後まで責任を持て。顧問拒否なんてもってのほか」

という意見は、ある意味ではよく分かります。


だけれども、私たち若手教員が学校現場に入るずっと前から部活は不文律のような状態で存在していました。

学校現場に無くてはならないもののように、国民みんなが知っている常識のような顔をして存在していました。

かつて今よりもっと学校現場にゆとりがあったころ、詳しくは以前の記事に書きましたが、ゆったりとした形で部活は動き出しました。

そしてある時期は、部活を授業のようにカウントしていたこともあります。

私たちの遥か上の世代の先輩方は、良くも悪くも部活を受け入れ、そして当たり前のこととして継承してきたのです。


そして現在。

家庭環境が複雑化した生徒。
教育委員会などからの報告書が山積している教師。
授業時数や行事の増加で、多忙極まりない日々。

社会環境や世の中のスピードが激変していく日々にありながら、部活は以前と同じ状態にあります。


土日に部活をやったとしても高校生のコンビニバイトを遥かに下回る賃金しか発生しない。
平日の勤務時間外で部活をやったとしても賃金は発生しない。
勤務時間内で授業準備や学級事務などが行えないぐらい多忙なので、勤務時間外の時間を割くことを余儀なくされる。

こういった異常な環境を是正していくのは、私たち「ヒラ教員」ではないのでしょうか。

そのために少しずつ声を上げ始めるべきなのではないでしょうか。


「時は金なり」です。

自分の貴重な時間を安売り・タダで売ることや、簡単に仕事を安請け合いすることは危険です。

もちろんそういった教員の方がいらっしゃってもいいのですが、それが常態化していくことは危険ではないでしょうか。


だから、あくまでも「教員に部活顧問をする or しない」の選択肢を与えるくらいのことがあってもいいのではないかと訴えたいのです。

その選択肢がない状態で
「とにかく部活をやれ。それも含めて教員の仕事だ」
「教員になる前から分かってたことだろ。つべこべ言わずに部活をやるんだ」

というのはあまりに非情で、前進がないと思いませんか。

心身ともに病んでしまい、その結果亡くなってしまうケースも出てきている中で、少し前進をすべきだと思うのです。


部活の顧問をしない教員は全体から考えるととても少数派にあたると思います。

先の退職金の例でいうと、早期退職の選択肢を選んだ教員にあたります。

だけれども、そうだからといって、私たちが非難される所以は一切ありません。


勤務時間外に部活を強制されることはありませんし、土日に部活をやらないといけないという決まりはありません。

教員である前に一人の人間であり、「健康で文化的な」生活を営む権利があるはずです。

そして心にゆとりのある状態で子どもと接すれば、絶対にプラスの方が多いと考えます。


芥川賞を受賞された羽田圭介さんの著書「スクラップ・アンド・ビルド」ではありませんが、極端にいえば部活は「破壊、そして再生」をすべきなのだと思います。

こんなことを書けばまた非難のコメントが殺到するのが予想されますが、それでも書きます。


今までの部活についての環境は、正直、教員をなめすぎていたのです。

土日、次の土日、次の三連休、そのほぼ全てを部活に費やさなければ一人前の教員とは見なされない(私の自治体の現状です)。

そういったことを当たり前にし、現状を知りながら見て見ぬふりを続けてきた行政は反省すべきなのです。


私の場合は、部活の顧問を拒否するという形をとっていますが、もっといいやり方があるのかもしれません。

だけれど、「部活の顧問をしながら部活の制度に疑問を持ち、部活の制度を変えていく」というのはなかなか難しいのではないか、とも思います(そういった教員の方もいらっしゃいます。その姿勢には敬意を払いますし、応援を惜しみません)。

一度行政に考える余地を与えるべきでしょう。本腰を上げて、部活について考える契機を与えるべきでしょう。

そのことによって、私たちに非難が集中することにつながろうとも。そしてすでに非難は浴びているつもりです。


最後になりますが、私はかつて「部活の制度に疑問をもちながら、声を上げられずに顧問を引き受けていた」教員でした。

しかし、あるとき思ったのです。

「何も言葉を発さずに顧問を引き受けるということは、現状に加担しているのと一緒だ」と。
「見ているだけでは何も変わらず、ずるい立場にいるのではないか」と。


改めて言います。

部活の顧問をしない教員は、ずるいわけではありません。
目の前の子どもを、置き去りにしているわけでもありません。
周りの教員にしわ寄せを起こそうとしているわけではありません。


そこから生じる問題を解決するのは、まずは管理職でしょう。

労働の問題を「管理」していなくて、なにが管理職なのでしょう。

そしてその報告を受けて動くのは行政でしょう。


末端の我々が、できることは多種多様にあるように思います。

ですが、自分の健康を守り、心の平穏を維持し、健全な心身の状態で子どもと接するために私が取った行動は「部活の顧問をしない」ということ、ただそれだけなのです。

他意はありません。目の前の子どもたちは大切ですし、心からかわいく思います。

周りの教員の方々への敬意も惜しみません。しわ寄せなどもってのほかです。

広い視野で見た場合、長いスパンで見た場合、私の取っている行動や活動が、正当であることを願います。

時間がかかっても構わない。構わないけれども、最初の一歩を踏み出さないといつまでも何も変わりません。


いつもたくさんのコメントありがとうございます。

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