夜には虫の声が響き、朝晩の涼しさが一層増してきた今日この頃、いかがお過ごしですか。
秋の夜長に、たくさんの方にブログを見ていただき、コメントをいただいていることに感謝申し上げます。
一週間少し前に書いた前回の記事。
早くも300を超えるコメントとなっています。
私としては日常をテーマに穏やかな記事を書いたつもりなのですが、コメント欄は白熱した議論が進んでいます。
そういった議論の出発点にしていただければ、このブログの存在意義もあるのかもしれません。
たくさんの意見をいただく中で、様々な価値観があり、そこから解決策を導き出す難しさを痛感しています。
そもそも、解決策を考えるのは末端の一教員である私たちではなく、もっと上のところではないのか?という疑念が頭をいつも支配しています。
私たちがしている議論は、きっと上の方ではなされていない。
だからといって意味がないものではない。
私たちの議論の声が、疑問の声が、異論の声が、世の中の「部活について疑問を持たない」多くの方々に届き、それが大きなうねりとなって上の方に届いていけばいいと思うのです。
最近考えさせられるコメントは
「部活顧問を拒否する行為は、子どもを置き去りにしている」
「部活顧問を拒否することによって、周りの教員にしわ寄せがある」
「部活顧問をしないと部活が成り立たず、子どもは教員のわがままの犠牲になってしまう」
という、【部活の顧問をしないこと】への非難です。
今までも度々あった意見ではありますが、いつまでも根強くあるようですので、ブログ主として言及しておきたいと思います。
少し前に埼玉県で定年職員を対象にした退職金が、年度内の2月に減額されることが決定し、1月に大量の早期退職希望者が出たというニュースがありました。
その中で多く聞かれた声は
「目の前の子どもをどうするんだ、金の方が大切なのか」
「わがままな教員が多い。責任をもって子どもを育てるのが仕事ではないのか」
「自己中心的な教員ばかり。失望した」
というものでした。
こういった「政治とカネ」ではないですが「教育とカネ」問題は今に始まったことではありません。
先ほどの退職金減額の例は、今まで教育に携わっていただいた功労者である教員の方々への、侮辱でしかありません。
年度途中でそういったことを公表するのはフェアではありませんし、同時に無礼です。
担任を持っていらっしゃった方もいたでしょうし、当然のように部活の顧問に打ち込んでいる方も多くいたことでしょう。
そういった「一度子どもと深い関係を築いた状態」にしておいてから、後出しジャンケンのように行政が動くこと自体がずるいと考えます。
では部活動の例はどうでしょうか。
よく言われるのは
「部活を始めて子どもを集めているのは教員だ。だから責任をもってやれ」
「学校主導で始めている活動なのだから、そこはベテランだろうと若手だろうと関係なく教員がやれ」
「目の前の子どものため、教員として部活なんて知ったこっちゃないというのは非常識だ」
ということです。
早期退職と部活において同じ点は、時間と賃金の問題です。
私たちは第一次作業に従事しているわけではなく、自ら生産できるものはなにもありません。
だから私たちの唯一もっている「売れるもの」というのは紛れもなく時間なのです。
時間をかけて取得した教員免許。
時間をかけて準備した実のある授業。
時間をかけて指導した部活動の成績。
貴重で限りある時間を使い、それを目に見える形で実行していく。
それこそが私たちの労働の姿です。
ベタな言葉を使えば「 Time is money 」、「時は金なり」ということでしょうか。
先述した退職金の件で、早期退職をした教員の方々を我々が非難することはお門違いです。
悪いのはどう考えても行政です。
早期退職したことによって子どもたちの明日がどうなるのか、また早期退職したことによって生じる周囲の教員へのしわ寄せがどうなるのかを考えるのは、当事者の教員ではありません。
そういった事態を引き起こした行政の方です。
部活も同じです。
確かに部活を始めたのは学校側という指摘はその通りです。
「自分たちで始めたものだから、最後まで責任を持て。顧問拒否なんてもってのほか」
という意見は、ある意味ではよく分かります。
だけれども、私たち若手教員が学校現場に入るずっと前から部活は不文律のような状態で存在していました。
学校現場に無くてはならないもののように、国民みんなが知っている常識のような顔をして存在していました。
かつて今よりもっと学校現場にゆとりがあったころ、詳しくは以前の記事に書きましたが、ゆったりとした形で部活は動き出しました。
そしてある時期は、部活を授業のようにカウントしていたこともあります。
私たちの遥か上の世代の先輩方は、良くも悪くも部活を受け入れ、そして当たり前のこととして継承してきたのです。
そして現在。
家庭環境が複雑化した生徒。
教育委員会などからの報告書が山積している教師。
授業時数や行事の増加で、多忙極まりない日々。
社会環境や世の中のスピードが激変していく日々にありながら、部活は以前と同じ状態にあります。
土日に部活をやったとしても高校生のコンビニバイトを遥かに下回る賃金しか発生しない。
平日の勤務時間外で部活をやったとしても賃金は発生しない。
勤務時間内で授業準備や学級事務などが行えないぐらい多忙なので、勤務時間外の時間を割くことを余儀なくされる。
こういった異常な環境を是正していくのは、私たち「ヒラ教員」ではないのでしょうか。
そのために少しずつ声を上げ始めるべきなのではないでしょうか。
「時は金なり」です。
自分の貴重な時間を安売り・タダで売ることや、簡単に仕事を安請け合いすることは危険です。
もちろんそういった教員の方がいらっしゃってもいいのですが、それが常態化していくことは危険ではないでしょうか。
だから、あくまでも「教員に部活顧問をする or しない」の選択肢を与えるくらいのことがあってもいいのではないかと訴えたいのです。
その選択肢がない状態で
「とにかく部活をやれ。それも含めて教員の仕事だ」
「教員になる前から分かってたことだろ。つべこべ言わずに部活をやるんだ」
というのはあまりに非情で、前進がないと思いませんか。
心身ともに病んでしまい、その結果亡くなってしまうケースも出てきている中で、少し前進をすべきだと思うのです。
部活の顧問をしない教員は全体から考えるととても少数派にあたると思います。
先の退職金の例でいうと、早期退職の選択肢を選んだ教員にあたります。
だけれども、そうだからといって、私たちが非難される所以は一切ありません。
勤務時間外に部活を強制されることはありませんし、土日に部活をやらないといけないという決まりはありません。
教員である前に一人の人間であり、「健康で文化的な」生活を営む権利があるはずです。
そして心にゆとりのある状態で子どもと接すれば、絶対にプラスの方が多いと考えます。
芥川賞を受賞された羽田圭介さんの著書「スクラップ・アンド・ビルド」ではありませんが、極端にいえば部活は「破壊、そして再生」をすべきなのだと思います。
こんなことを書けばまた非難のコメントが殺到するのが予想されますが、それでも書きます。
今までの部活についての環境は、正直、教員をなめすぎていたのです。
土日、次の土日、次の三連休、そのほぼ全てを部活に費やさなければ一人前の教員とは見なされない(私の自治体の現状です)。
そういったことを当たり前にし、現状を知りながら見て見ぬふりを続けてきた行政は反省すべきなのです。
私の場合は、部活の顧問を拒否するという形をとっていますが、もっといいやり方があるのかもしれません。
だけれど、「部活の顧問をしながら部活の制度に疑問を持ち、部活の制度を変えていく」というのはなかなか難しいのではないか、とも思います(そういった教員の方もいらっしゃいます。その姿勢には敬意を払いますし、応援を惜しみません)。
一度行政に考える余地を与えるべきでしょう。本腰を上げて、部活について考える契機を与えるべきでしょう。
そのことによって、私たちに非難が集中することにつながろうとも。そしてすでに非難は浴びているつもりです。
最後になりますが、私はかつて「部活の制度に疑問をもちながら、声を上げられずに顧問を引き受けていた」教員でした。
しかし、あるとき思ったのです。
「何も言葉を発さずに顧問を引き受けるということは、現状に加担しているのと一緒だ」と。
「見ているだけでは何も変わらず、ずるい立場にいるのではないか」と。
改めて言います。
部活の顧問をしない教員は、ずるいわけではありません。
目の前の子どもを、置き去りにしているわけでもありません。
周りの教員にしわ寄せを起こそうとしているわけではありません。
そこから生じる問題を解決するのは、まずは管理職でしょう。
労働の問題を「管理」していなくて、なにが管理職なのでしょう。
そしてその報告を受けて動くのは行政でしょう。
末端の我々が、できることは多種多様にあるように思います。
ですが、自分の健康を守り、心の平穏を維持し、健全な心身の状態で子どもと接するために私が取った行動は「部活の顧問をしない」ということ、ただそれだけなのです。
他意はありません。目の前の子どもたちは大切ですし、心からかわいく思います。
周りの教員の方々への敬意も惜しみません。しわ寄せなどもってのほかです。
広い視野で見た場合、長いスパンで見た場合、私の取っている行動や活動が、正当であることを願います。
時間がかかっても構わない。構わないけれども、最初の一歩を踏み出さないといつまでも何も変わりません。
いつもたくさんのコメントありがとうございます。
私の記事への賛成・反対・疑問など、なんでもお寄せください。
直接議論を戦わせたいという方は、ツイッターまでよろしくお願いします。
逃げも隠れも致しませんので。
秋の夜長に、たくさんの方にブログを見ていただき、コメントをいただいていることに感謝申し上げます。
一週間少し前に書いた前回の記事。
早くも300を超えるコメントとなっています。
私としては日常をテーマに穏やかな記事を書いたつもりなのですが、コメント欄は白熱した議論が進んでいます。
そういった議論の出発点にしていただければ、このブログの存在意義もあるのかもしれません。
たくさんの意見をいただく中で、様々な価値観があり、そこから解決策を導き出す難しさを痛感しています。
そもそも、解決策を考えるのは末端の一教員である私たちではなく、もっと上のところではないのか?という疑念が頭をいつも支配しています。
私たちがしている議論は、きっと上の方ではなされていない。
だからといって意味がないものではない。
私たちの議論の声が、疑問の声が、異論の声が、世の中の「部活について疑問を持たない」多くの方々に届き、それが大きなうねりとなって上の方に届いていけばいいと思うのです。
最近考えさせられるコメントは
「部活顧問を拒否する行為は、子どもを置き去りにしている」
「部活顧問を拒否することによって、周りの教員にしわ寄せがある」
「部活顧問をしないと部活が成り立たず、子どもは教員のわがままの犠牲になってしまう」
という、【部活の顧問をしないこと】への非難です。
今までも度々あった意見ではありますが、いつまでも根強くあるようですので、ブログ主として言及しておきたいと思います。
少し前に埼玉県で定年職員を対象にした退職金が、年度内の2月に減額されることが決定し、1月に大量の早期退職希望者が出たというニュースがありました。
その中で多く聞かれた声は
「目の前の子どもをどうするんだ、金の方が大切なのか」
「わがままな教員が多い。責任をもって子どもを育てるのが仕事ではないのか」
「自己中心的な教員ばかり。失望した」
というものでした。
こういった「政治とカネ」ではないですが「教育とカネ」問題は今に始まったことではありません。
先ほどの退職金減額の例は、今まで教育に携わっていただいた功労者である教員の方々への、侮辱でしかありません。
年度途中でそういったことを公表するのはフェアではありませんし、同時に無礼です。
担任を持っていらっしゃった方もいたでしょうし、当然のように部活の顧問に打ち込んでいる方も多くいたことでしょう。
そういった「一度子どもと深い関係を築いた状態」にしておいてから、後出しジャンケンのように行政が動くこと自体がずるいと考えます。
では部活動の例はどうでしょうか。
よく言われるのは
「部活を始めて子どもを集めているのは教員だ。だから責任をもってやれ」
「学校主導で始めている活動なのだから、そこはベテランだろうと若手だろうと関係なく教員がやれ」
「目の前の子どものため、教員として部活なんて知ったこっちゃないというのは非常識だ」
ということです。
早期退職と部活において同じ点は、時間と賃金の問題です。
私たちは第一次作業に従事しているわけではなく、自ら生産できるものはなにもありません。
だから私たちの唯一もっている「売れるもの」というのは紛れもなく時間なのです。
時間をかけて取得した教員免許。
時間をかけて準備した実のある授業。
時間をかけて指導した部活動の成績。
貴重で限りある時間を使い、それを目に見える形で実行していく。
それこそが私たちの労働の姿です。
ベタな言葉を使えば「 Time is money 」、「時は金なり」ということでしょうか。
先述した退職金の件で、早期退職をした教員の方々を我々が非難することはお門違いです。
悪いのはどう考えても行政です。
早期退職したことによって子どもたちの明日がどうなるのか、また早期退職したことによって生じる周囲の教員へのしわ寄せがどうなるのかを考えるのは、当事者の教員ではありません。
そういった事態を引き起こした行政の方です。
部活も同じです。
確かに部活を始めたのは学校側という指摘はその通りです。
「自分たちで始めたものだから、最後まで責任を持て。顧問拒否なんてもってのほか」
という意見は、ある意味ではよく分かります。
だけれども、私たち若手教員が学校現場に入るずっと前から部活は不文律のような状態で存在していました。
学校現場に無くてはならないもののように、国民みんなが知っている常識のような顔をして存在していました。
かつて今よりもっと学校現場にゆとりがあったころ、詳しくは以前の記事に書きましたが、ゆったりとした形で部活は動き出しました。
そしてある時期は、部活を授業のようにカウントしていたこともあります。
私たちの遥か上の世代の先輩方は、良くも悪くも部活を受け入れ、そして当たり前のこととして継承してきたのです。
そして現在。
家庭環境が複雑化した生徒。
教育委員会などからの報告書が山積している教師。
授業時数や行事の増加で、多忙極まりない日々。
社会環境や世の中のスピードが激変していく日々にありながら、部活は以前と同じ状態にあります。
土日に部活をやったとしても高校生のコンビニバイトを遥かに下回る賃金しか発生しない。
平日の勤務時間外で部活をやったとしても賃金は発生しない。
勤務時間内で授業準備や学級事務などが行えないぐらい多忙なので、勤務時間外の時間を割くことを余儀なくされる。
こういった異常な環境を是正していくのは、私たち「ヒラ教員」ではないのでしょうか。
そのために少しずつ声を上げ始めるべきなのではないでしょうか。
「時は金なり」です。
自分の貴重な時間を安売り・タダで売ることや、簡単に仕事を安請け合いすることは危険です。
もちろんそういった教員の方がいらっしゃってもいいのですが、それが常態化していくことは危険ではないでしょうか。
だから、あくまでも「教員に部活顧問をする or しない」の選択肢を与えるくらいのことがあってもいいのではないかと訴えたいのです。
その選択肢がない状態で
「とにかく部活をやれ。それも含めて教員の仕事だ」
「教員になる前から分かってたことだろ。つべこべ言わずに部活をやるんだ」
というのはあまりに非情で、前進がないと思いませんか。
心身ともに病んでしまい、その結果亡くなってしまうケースも出てきている中で、少し前進をすべきだと思うのです。
部活の顧問をしない教員は全体から考えるととても少数派にあたると思います。
先の退職金の例でいうと、早期退職の選択肢を選んだ教員にあたります。
だけれども、そうだからといって、私たちが非難される所以は一切ありません。
勤務時間外に部活を強制されることはありませんし、土日に部活をやらないといけないという決まりはありません。
教員である前に一人の人間であり、「健康で文化的な」生活を営む権利があるはずです。
そして心にゆとりのある状態で子どもと接すれば、絶対にプラスの方が多いと考えます。
芥川賞を受賞された羽田圭介さんの著書「スクラップ・アンド・ビルド」ではありませんが、極端にいえば部活は「破壊、そして再生」をすべきなのだと思います。
こんなことを書けばまた非難のコメントが殺到するのが予想されますが、それでも書きます。
今までの部活についての環境は、正直、教員をなめすぎていたのです。
土日、次の土日、次の三連休、そのほぼ全てを部活に費やさなければ一人前の教員とは見なされない(私の自治体の現状です)。
そういったことを当たり前にし、現状を知りながら見て見ぬふりを続けてきた行政は反省すべきなのです。
私の場合は、部活の顧問を拒否するという形をとっていますが、もっといいやり方があるのかもしれません。
だけれど、「部活の顧問をしながら部活の制度に疑問を持ち、部活の制度を変えていく」というのはなかなか難しいのではないか、とも思います(そういった教員の方もいらっしゃいます。その姿勢には敬意を払いますし、応援を惜しみません)。
一度行政に考える余地を与えるべきでしょう。本腰を上げて、部活について考える契機を与えるべきでしょう。
そのことによって、私たちに非難が集中することにつながろうとも。そしてすでに非難は浴びているつもりです。
最後になりますが、私はかつて「部活の制度に疑問をもちながら、声を上げられずに顧問を引き受けていた」教員でした。
しかし、あるとき思ったのです。
「何も言葉を発さずに顧問を引き受けるということは、現状に加担しているのと一緒だ」と。
「見ているだけでは何も変わらず、ずるい立場にいるのではないか」と。
改めて言います。
部活の顧問をしない教員は、ずるいわけではありません。
目の前の子どもを、置き去りにしているわけでもありません。
周りの教員にしわ寄せを起こそうとしているわけではありません。
そこから生じる問題を解決するのは、まずは管理職でしょう。
労働の問題を「管理」していなくて、なにが管理職なのでしょう。
そしてその報告を受けて動くのは行政でしょう。
末端の我々が、できることは多種多様にあるように思います。
ですが、自分の健康を守り、心の平穏を維持し、健全な心身の状態で子どもと接するために私が取った行動は「部活の顧問をしない」ということ、ただそれだけなのです。
他意はありません。目の前の子どもたちは大切ですし、心からかわいく思います。
周りの教員の方々への敬意も惜しみません。しわ寄せなどもってのほかです。
広い視野で見た場合、長いスパンで見た場合、私の取っている行動や活動が、正当であることを願います。
時間がかかっても構わない。構わないけれども、最初の一歩を踏み出さないといつまでも何も変わりません。
いつもたくさんのコメントありがとうございます。
私の記事への賛成・反対・疑問など、なんでもお寄せください。
直接議論を戦わせたいという方は、ツイッターまでよろしくお願いします。
逃げも隠れも致しませんので。
コメント
コメント一覧 (2018)
それじゃあさ、ルール破りが横行している現状どうみてますか?
どこかのプロ崩れや実業団で少しばかり名の売れた方を札ビラでほっぺたひっぱたいて監督として連れてきて、宣伝文句に生徒集めてる高校いくつかありますが。
ウチにも声がかかりましたよ、いくつかの高校から「特待生」として。
志望校と違いましたので、話聞くことなく断りましたが。
ただし管理職&行政の仕事でしょうが。
結局、ネットで声をあげ始めたのは、ほとんど若手です。私も、若手です。
今までのことを追求されても、我々が改善して行くしかないですね。
なお、特待生などというのは、私立の例ではないですか?
「高校部活による申し出」は、はっきり言って、中学校には迷惑です。そのたびに仕事が増えるんです。私立の中には、突然来校し、いろいろ条件を持ってきます。声が掛かった生徒に対する個別対応が発生します。
本根は、交渉したかった、直接、生徒や保護者に接触し、話を進めてほしいです。学校は事務手続きのみでお願いしたいです。
指名された生徒や保護者は自分を過大評価し、その後勉学に力が入りません。(入学してみると、自分レベルの部員は多くいることがわかります。集めた駒の一人にしかすぎません。)
これはないんじゃないんですか?
私は保護者ですが、ずっと生徒を過度に束縛する現状の部活動には疑問をもってきましたし、ときどきコメントもさせていただいてきました。
長くこのブログを読んでいますが、私のような考えの保護者のコメントもたくさんありました。
私の周囲にいる保護者も、同じように部活が多すぎて悩んでいる方、試合に出たいなら習い事をやめるように顧問に言われて苦しんでいる子、部活でトラブルを抱えている子が大勢います。
また、部活に過度な要求をする保護者は論外ですが、普通に顧問の立てたスケジュールに従って部活に参加している子供たちだって罪はありません。
学校が部活をするように促しているのですから。
それに生徒はお客様ではないです。
現状維持とは、教員が部活動を担う、という現在の形のことです。
保護者の方でも、活動をセーブしてくれという意見の方がいることは理解しています。
しかし現体制を「スクラップ」することに諸手を挙げる保護者さんは少ないでしょう。
また、生徒はお客様ではないです、もちろん承知しています。例えです。
ただ、これも保護者によってですが、かつてと違って、教育をサービスと考えて、お客様意識でクレームをつけてくる方もおられます。
私自身は、今までも発言していますが、k子供の課外活動は外部で、学校の人間関係や評価と直結しない場所で、専門家の元でのびのびと行わせたいと考えます。
放課後も、休日も、生徒が学校に管理されるのはおかしいと思っています。
これが一番の願いですが、現状の部活含む学校制度、入試制度、また中学生の外部活動の場のなさ、などいろんな問題が立ちはだかります。
なので、無理ならば、せめて部活をもっと規定して、目的をはっきりさせ、休養日などのルールも明確にしてほしいと思っています。
もしくは、任意というのも現状では強制と同じですから、最近では、どうせやらないといけないのならば、放課後週3回くらいの活動にして、正規の教育課程に組み入れてほしいと思うくらいです。
高校の部活に関しても思うことはありますが、義務教育である公立中学の部活については特に疑問に感じています。
勉強や進路指導は塾でやってもらうから、学校では部活を!になってしまっているのはおかしいです。親はみんな塾の方にお金を使い切ってしまっています。本来は逆ではないでしょうか。
ここを読んでいると、一部の先生にとっては、「保護者=部活を求めるもの」の図式の方がありがたいのかな?と思ってしまうことがあります。
burupoo さん は、思いを同じくしている方のようですね。かみついてゴメンナサイ。
これを阻んでるのが実は教師による職能団体。
>現状の部活含む学校制度、入試制度、また中学生の外部活動の場のなさ、などいろんな問題が立ちはだかります。
他の問題はともかく、外部活動の場のなさは、まさに教師に原因があります。
> お客様への行き過ぎたサービスを辞めるために議論している会議に、お客様自身がやってきて発言をしているわけですから。
まさしくこんな感じ!
情景が目に浮かぶよう
先生たちも大変やね
確かにクラブチームといっても色んな活動形態があると思います。
「我が子が加入しているクラブに関しては」そういう形態です。
参考にならないかもしれませんが、我が子が加入しているクラブでは、
やる気のない練習をするくらいなら、顧問も練習生どちらも家でテレビ見てジュースやビールを飲んでいる方がよっぽど良いし、楽だ。
両者共に、技術の向上を目指して来ているのだから練習の間はお互いに真剣にやろう!と
常々仰っています。
また、プロとして食べていけるのは一握りの選手だけだから、学業を疎かにするな、学校が優先だと常々仰っています。
そして、練習に身が入っていない練習生は本当に帰らせます。
決して弱いチームではありません。常に県強化選手を輩出し、我が子も強化指定を受けています。
また、中学受験や本人のやる気など様々な事情で練習に来られない選手はその事情を理解して優先していただいております。
小学校時代レギュラーだった中心選手が中学受験で休会し、中学合格後は復帰して練習に励んでおります。そのまま退会した選手もおります。
我が子についても今は受験生ということで、練習は休み受験勉強をしております。
中学の定期考査中も休ませていただいていました。
練習は小学生からかなり厳しいクラブです。
知らない親御さんが見て体罰と勘違いしたり、小学校低学年が見るだけで泣き出すような練習ですが、かなりきついですから希望者のみ顧問に志願します。強化選手でも拒否する選手もいます。しかし我が子をはじめ志願者はその練習がやりたくて通っています。
それでもこのクラブは地域で一番クラブ員数が多いのです。
私が思うに各選手の生活の中での競技の比重を尊重し、競技レベルに応じて指導者の方や先輩が細やかに面倒を見ているからこそ入会希望者が多いのではないかと思いました。
このような運営をしているクラブもあるということでご参考になれば幸いです。
今、学校や教師が力を入れるべきは部活ではなく塾に行く子供を取り返すことじゃないかと思います。
地方の過疎地域の中学でネットによる東大生の無料塾を行政がサービスとして試験運用してみる。というようなニュースを聞きますが、これこそ行政が教師をバカにしていると思います。
首都圏の超進学校受験なら塾が必要かもしれませんが、公立校レベルなら学校の先生の力量で十分対応できると思うのに、学校はそれをしない。
なぜ、先生や学校は公教育は私達の専権事項だ口を出すなと言わないのか不思議です。
高額な塾の月謝は出すのに、部活は学校管轄でほぼ無償でやってほしいという考えは逆だと思うのです。
私も子供を塾に通わせていますが、今の公立高校受験は通知表の点数のウェイトが入試においてかなり高く、中3で頑張っても逆転するのが難しい制度をほとんどの自治体が採用しています。
なのに、進路指導は中3の二学期のからとか対応が遅すぎます。
幸い私は受験制度や高校のボーダーをPTAの先輩から聞いておりましたので、子供の成績と進路指導してくれない学校を見て、塾に入れました。
塾は定期考査ごとに志望校との乖離や努力目標を子供に設定きめ細かく面倒を見てくれていますが、本来こういうことは先生にしてほしかった、先生こそ進路指導のプロでいろんな相談にのって欲しかったというのが私の感想です。
ずれてしまってすみません。
現役中学校教員です。塾に行くことは生徒や保護者が決めることです。塾を否定している同業者はほとんどいないと思います。情報量の多さとノーハウでは、塾の方が優っていると思います。
学校と塾とは共存関係です。敵対していません。教育センターの研修でも「塾講師」が講師をする時代です。
中学校の進路指導は、単に受験指導ではなく、やや大げさに言えば「生き方」「自分さがし」などを観点に1年生から取り組むことになっています。
私は子供たちの課外活動が、学校を離れて充実することを望んでいますが、それは学校が本来の活動を取り戻してほしいから、という思いが根本にあります。
勉強・進路指導はお金を出して塾を頼る、学校は部活を!は逆ではないかと思っています。親も学校も目を覚ますべきだと思います。
学力・進路指導は塾任せなのに、評価だけはする学校。その評価で得をする子もいれば、足を引っ張られる子もいる不思議な世界です。
あと、個人的思いですが…今の予算や人員では無理ですが、私は公立中学は、数学、英語などは習熟度別授業を行うべきだと思います。
よって皆が一斉に受ける定期考査や、今の内申制度、入試制度も変えていくべきだと思います。
公平をうたうならば、個々の目標に応じた学力定着や進路指導、また個別の配慮が必要な生徒への教育相談の充実など、部活よりも力を入れるべきものがたくさんあると思うのです。
教科書の中には、発展的な内容も載っていますが、授業内でじっくり扱えるほど、時数に余裕がないというのが、ほとんどの学校の現状ではないでしょうか?
最近の中学校では、中学1年生から、職業見学や体験などを取り入れ、進路決定に向けた指導をしていると思います。
1年生のときの評定が受験時に影響する地域については、特別活動の「進路学習
」や「テストの受け方・勉強計画・テストの反省」についての時間に生徒には指導している学校が多いと思います。
また、本校では、通知表(通信表・評定一覧表等)を生徒に渡すときも、伝えています。(通知表の見方というプリントと一緒に渡しており、その中に高校入試についても触れております)
発展的内容の学習にまで義務教育で徹底してほしいとなると、習熟度別の授業を求められます。となると、単純に考えて、5教科の先生が今の倍、必要になります。
これまた、予算(財源)・・・の問題が出てきてしまいますね。
先生方は、生徒全員が「B基準」を達成することを目指して授業をしています。
そして、Bに達しなかった「C基準」の生徒をどうやったら「B基準」にもっていくかを考えます。そして、最後に「A基準
」の生徒に目が(気が)行くわけです。
結果、A基準を目指す生徒は、自ら学習する気持ちや、興味・関心のあることを積極的に聞きに行こうとする気持ちを強く持っていることが必要となってきます。
なので、受け身の生徒は塾へ・・・となるのでしょう。
1932さんがおっしゃっているように、義務教育で、学習指導要領以上のことをしなければならないとするならば、習熟度別が必要となるでしょう。
「B基準の生徒を対象にしたA基準へ向けて学習するクラス」
「C基準の生徒を対象にしたB基準へ向けて学習するクラス」
果たして、それが、「C基準」の思春期真っ只中の生徒たちの心にどのような影響を与えるのか…。
同時に、客観的に自分を見つめ、自己実現を目指そうとする強い心を育てる指導も求められますね。
同時に、客観的に自分を見つめ、自己実現を目指そうとする強い心を育てる指導も求められますね。
運動能力にも学力にも、いくら頑張っても個人の限界はあると思います。
個人のもてる範囲で、全力をつくすことが大事だと考える教育が大切だと思います。
また、さらに学習障害がある子供のクラスを設定したり、不登校でも高校受験の門を閉ざさないような仕組みも必要だと思います。
今のように学力至上主義で、分からない生徒をフォローすることもなく、1番~300番まで順番をつけるようなやり方の方が、子供の自己肯定感に影響すると思います。
必要なのは、子供たちが自分のことをよく知って、この厳しい世の中で、それぞれが適所適材の職業につき、自立ための教育だと思います。
今の公立中学のキャリア教育は、そこまで出来ていないと思います。
部活からずれてしまってすいません。
個別にお返事せずに私の考えをもう少し詳しく書きます。当地区の実情も入れて書きますので長くなります。
まず、進路については県立高校というくくりで考えています。
私立については学校独自の試験問題となり難易度や傾向も様々ですので、塾の存在意義はあると考えています。
公立高校については進学校もそうでない学校も基本同じ問題を入試問題として解く。
その中で志望校毎に選抜されるはずです。
(一部の県立進学高校では独自試験が始まっているのは知っていますが、ここでは置いておきます。)
県立高校の入試問題は基本として中学校の学習指導要領の範囲で出題されていると理解していますが、実際はどうなんでしょう?
指導要領の範囲内であれば、教師はC基準であろうがA基準であろうが対応するのが本来の教師の職務であろうと思うし、教科書に発展的内容があればそこまで教えるべきだと思います。
それが教育学部を卒業し、教職免許を持ち、教員採用試験をパスしたプロとしての責務だと思いますし、私はそう思って親として公立中学に子供を預けたつもりです。
塾の方がノウハウや情報量が多いなんて悲しいです。公立高校でもそうなんですか?
もちろん生徒個々で理解度は変わりますから全生徒が100%理解するまで教えろとは言いません。
生徒によって行きたい高校があると思いますから、その高校に合格するように道筋を立ててあげて欲しいのです。
当地区では通知表の見方や入試制度については大まかな説明がありますが、個人的にはそれでは緩いと思います。例えばA高校なら評定4.3 B高校なら評定3.8がボーダーという情報や二段階選抜(例、定員の90%を評定順位で選抜し、その中から当日点順位で70%を選抜、残りの30%が当日点のみで選抜)方法などの具体的、数値的な提示までして欲しい。
当地区では進路希望を中3の10月にとります。この時点では通知表評定はほぼ確定してしまっています。30年前の当日一発入試ならこれで良いでしょうが、過去3年の評定が関係する現在の制度ではできることが少なすぎる。本来なら評定の始まる入学時から進路希望をとるべきです。
志望校の合格圏内通知表平均が4.3で、生徒の現状が平均3.9なら残り0.4を押し上げる努力を促す指導を1年生からして欲しいのです。
個人的意見ですがこれらの事をするのに時間がないというのなら部活の時間をあててほしい。それでも人も金も足りないのなら増やせばいいし、それで消費税が上がるのなら上げてもいいと思っています。
県立高校なら入試問題も指導要領も1つです。できると思うのは贅沢でしょうか?
また、上記の事を達成するために習熟度別クラス編成が必要ならすべきだと思っています。
部活では中学生でも強化指定を受けますよね。学校毎ではないですが習熟度別編成だと思います。
部活の中で強化指定を受けた生徒とそうでない生徒がいたら思春期の生徒達の心に影響があるのでしょうか?部活ならその指導をするのでしょうか?
当地区では公立普通科は生徒の上位25%、残りは私立か工業、商業系の高校に進学します。公立に行きたい、行かせたい家庭が多いです。
例えば上位30%の位置にいる我が子が部活三昧で私立に行くのと、部活をセーブして順位を上げて公立に行くのとどちらが親として望む結果でしょうか?考え方は家庭により違うのでどちらでもいいのですが、セーブして学業主体に切り替えることを許さない顧問や部活保護者がいて妨害され、それを訴えても無関心な学校が嫌なのです。それさえ止めてくれれば私は他人が部活をどれだけやっても文句は言いません。
そして中学生での「生き方」「自分探し」「職場体験など」については個人的には必要ない、むしろ害になると思っています。
生き方は教える、教えられるものではなく、共感や憧れから自己で決定するものだと思うからです。
そして、今の日本はまだ「生き方」で職業や生活が決まるのではなく、成績や学歴次第で人生最初の職業や「生き方」が決まる世界だと思います
。極端な言い方ですが、今はまだ成績さえ良ければ好きな生き方がしやすい世の中です。
わしは学習指導要領ゆうんがあるのは知っとるけど中身はようはわからん。センセ達から説明された事もなんどかあるけどわからんことが多くて、すまんがよければ教えて下さいな。
相対的な評価はアカンゆうて絶対評価になったんやね?わしが腑に落ちんのが関心意欲……の項目。センセとの相性やその時の教科の好き嫌いは中学のガキやったら、あって当然やと思うねんな。せやけどそれを評価する、となったら、センセ達どうしはんの?センセ達一人一人の思い込みは全くチャラで出来るもんなん?それで親から文句が出んようにゆうてウチの息子のセンセ達はやたら提出物出させてはる。出す出さんは形に見えることやが、家の事情やらその子の片付けのマメさやら、ワシから見たら教科の勉強と関係ないことが「評価」の材料になってるような気がするんやね。
そんな色眼鏡で部活もみると、センセ達の前で「ええカッコしぃ」の子達ばっかしが恩恵受けるみたいになってへんのかな?
一保護者がえらそに聞いてすまんけど、魚の骨が喉に引っ掛かった感じがいつもあってな……
乱暴ですが公立中学校はカルチャースクールではありません。
ほとんどの子供にとって初めて学業成績で人生の分かれ道を選択する重要なステージです。
先生方が公立中学のキャリア教育が部活のために疎かになっている、部活のために十分にできないとお考えなら一旦止めて、キャリア教育に注力してほしいと思います。
職場体験等についても書きたかったのですが長いのでもうやめます。
乱文になり申し訳ありません。
これに対し、反発の方が民間からの声では多いのではないか。
私たちは教員、教員以外の立場を越えてこの現状を受け止める必要がある。
そもそもバブル崩壊以前は、公務員や教員の給与は民間より低かった。
この時は当然世論からの反発は起きない。世論よりも低い給与だからである。
しかしバブル崩壊、リストラや倒産により職を失ったり、給与が下がったりすることで、実質経済による影響を直接受ける民間は公務員の間に対し、身分保証もされ、給与も民間よりも高いと不平不満が出る。
これは自然のことである。
まず教員が考えなければ、経済が苦しい中、国民の税金で生活していることを忘れたり、何も感じない人もいることは改めなければいけない。
つまり税収が私たちの生活を支えている。この部分は心のどこかに感じておかなければいけない。
また教員以外の方々は、社会情勢に本来教員や公務員の給与は左右されていけないことをきちんと理解していただきたい。
これからの経済でバブルの頃のような好景気になることは、ないと言われているが、
好景気は民間の給与のベースはアップにつながるが、公務員は下げることは簡単にできても、上げることは簡単にできないのである。
民間では経済状況により収入が上下し、損得があるが、
公務員は大きな損得が無い分、安定した収入となっていることをご理解願います。
そのため、経済が好景気は批判されないが不景気の時だけ批判されるというのは、批判する方の気持ちは察するが、望ましいことではないのである。
ただし、教員(公務員も含め)は、今の法律に当てはめれば、部活動以外の職務は義務であるから、熱心に取り組まなければいけない。
そういう最低限の仕事をしない人間を、分限処分がほとんどなされていない実情は多いに問題だが。
私の経験では、中3の始めの段階では、高校入試の制度を多くに生徒は正確には知りません。(もちろん中一の入学時から、生徒が情報を希望すれば、「○○高校に入るには内申点がいくら以上必要だ」などを伝えることはできます。)
多くの中学校では、入学段階から、予備校や塾のように「必要な成績」事細かに言いません。
また、1938. 壱保護者さんの主張されるボーダ情報は学校としてはそれなりに持っていますが、その数字は毎年微妙に変わり、その信憑性は100パーセントではありません。また、数字ばかりを強調するのではなく、生徒の個性・特徴なども総合的に考え進学指導をします。(かつて、偏差値による輪切的進路指導が問題になり、成績だけで進路指導をしないように指導があり、校内では偏差値が使えなくなっています。)
こんのやり方は教師として大変手間がかかりますが、国がそう決めたのです。それに従っているのです。
特に、各観点については、どうすればAが取れるかは、年度始めに担当者から説明があると思います。
いずれも「ルール」がありそのルールによって成績をつけています。そのルールも説明があると思います。
いい成績を取りたいならそのルールに従うことです。(個々人の価値観を主張すること自由ですが、ルールを変えることはできません。)
当然それぞれの立場で納得できること、不平不満様々でもある。
算数・数学や営業職などと違い、教育は人間を育てるという職務である以上、目に見えて答えが出ないもので、その場ではどんな指導が正解で不正解なのかを判断することは難しい。
だから国や自治体は法律を作り、基準を設定し、各学校が実態に合わせて行う。
現場では担当教師が、その中で個々の実態に合わせて指導する現状がある。
教員が考える全てが正解とは限らないし、不正解とも限らないのである。
多くの教員の意見や、経験から一番ベストに近いと考えられるものを選択する。
この繰り返しで教育が行われているはず。
そのため教員自身は、他者の様々な意見に耳を傾けていくことは必要である。
保護者であれば、
自分の子どもが一番というのは、どの親も同じであるが、集団で生活をする学校の中で、自分が我が子のために考える一番の指導でないとしても、人権や人命に関わること以外は、基本教員を批判するのではなく、信じるところから始めて頂きたいと考える。
子供たちがそうであるように、教員も一人ひとり違う人間である以上、全く同じということはない。それぞれの教員の持ち味もあるので、まずは信じるところからスタートしてほしい。
どの立場であっても、互いの意見をきっちり聞いて丁寧な建設的な議論をしていただきたい。
部活動肯定とか拒否とかで、結論を話し合うもしくは主張する以前に、こういう人として当たり前のことをここでしていただきたいのである。
そういうことをこの掲示板でできていないことが、非常に残念であり、腹立たしい部分である。
憎しみからは憎しみしか生まれない。のだから。
こんばんは。
>クラブチームのように「来るもの拒まず、去るものは追わず」のような活動
クラブチームの中でも特にU14~15を中心として活動してるチームで会費を頂いて運営してる以上、必然的に上記のようなクラブは無いと考えてます。
ただ以後、下記の書き込みで、貴殿のお子さんのチームも我々やその他のクラブと何ら代わりはない事がわかりました。
>両者共に、技術の向上を目指して来ているのだから練習の間はお互いに真剣にやろう!
>学業を疎かにするな、学校が優先だと常々仰っています。
>様々な事情で練習に来られない選手はその事情を理解して優先していただいております。
>我が子をはじめ志願者はその練習がやりたくて通っています。
>私が思うに各選手の生活の中での競技の比重を尊重し、競技レベルに応じて指導者の方や先輩が細やかに面倒を見ているからこそ入会希望者が多いのではないかと思いました。
上記書き込みには・・・
①クラブの理念・思想統一があります。
②目的が明確です。
③指導者がいます。
④その他、想像ですが年間計画があると思います。
この4点は、私が前々から部活に対して唱えてる事です。
続きます・・・
顧問は、校長が掲げる学校の理念と教育に対する思想統一が必要です。しかしコメントに書かれる教員は、組織人でありながら個人主義や判断が殆どです。学習指導要領は国が定めたものであり、それを踏まえて各校長が学校の組織運営をするに渡り、各学校の理念と思想統一を図らなくては組織はまとまりません。そこが今の公立中学校に薄れている部分でしょう。そして顧問・教員のマネジメント能力が低い事が部活の悲劇を生み出してる要因でしょう。それは素人故とか生産的労働人口が教員界でも少なくなってきてる事も理由としてあるでしょう。
そしていつも唱えてますように素人顧問が指導する部活は部員達が不幸です。対策として早々に外部指導者を導入する事が必要でしょう。それが部活問題の解決への早道です。
次に、公立中学の学校や学校施設を地域(PTAも含む)や保護者に教育活動の一環として開放する事です。そうなると自ずと生徒はもちろんの事、保護者や地域をお客様などの考えは持てなくなります。そして教員達の地域・保護者をマネジメントしていく能力が必要不可欠になります。ただ、あくまでも管理者は教育活動の一環ですから学校(行政)側です。その結果、中体連などの組織強化が一層求められますし、盛んに生涯スポーツ活動が行われてくると考えてます。
私は公立中学に学力で基礎学力の定着以外は求めてはいけないと考えますし、それ以上求めるなら各家庭の自己責任で伸ばしていく時代が、とうの昔から出来上がってると考えてます。
皆さんは理想論ばかり謳っており、謳われてる問題を解決するならば、行政が動き法の改定が求められます。しかし唱えても変わるとは限りません。むしろ変わらない事が考えられますし、人口オーナス化により今より労働環境は悪化していく事が予想されます。ならば現実的に見て、今の制度や限られた原資の中で最大公約数、有効に教育・学校・部活運営を活用する事を考えるべきだと思います。
校内指導では偏差値が使えないのですね。それでは進路指導にご苦労が多いと思います。
私個人としては偏差値による輪切りの進路指導の何が悪いのか?と思います。
今でも大学入試における高校の位置づけは偏差値による輪切りのランク付けで昔と変わっていない。
これは大学入試が変わっていないせいだと思いますが。
そうであれば今の高校入試制度は改悪と言ってもいい。
今の入試制度は一旦バツが付けば上がれない銀行員の評定のような制度です。
実際、我が子は今、地域で1番の進学校へのボーダー点数を取れる位置まで学力が上がりましたが、
1,2年の評定が悪いせいで、地域で3番手の高校への進学を勧められています。
塾では私立の特待生を狙ってはどうかと言われていて親子共に悩んでおります。
我が家においてはこの1,2年の悪評定の原因の半分は間違いなく部活にあると思っておりますので
今の部活のあり方に疑問を持っています。
私の実情を書かなければ、私が部活拒否賛成の理由をわかってもらえないと思い、前レスから長々と個別の事情をコメント欄に書きましたことお詫びいたします。
はい、我が子が所属するクラブは理念、目的がはっきりしており、指導者がいます。年間計画もあります。
体験入会の時に指導者の先生に子供、保護者に対して理念、目的を説明し納得して入会しています。
耳障りの良い言葉だけで勧誘はされませんでした。
その後1~3ヶ月体験入会して親子共にクラブが理念通りか確認してから入会します。
我が子は1回体験した後、半年悩んで、再度体験して入会しました。
それでも快く本人が決めるまで先生達は辛抱強く待ってくださいました。
そして、監督、コーチが全員価値観を共有し指導されております。選手、保護者も同様です。
保護者Sさんの仰るように、部活では校長の理念などというのは聞けませんでしたし、部活毎に顧問のスタンスの違いがあり、部活毎に生徒の生活が全く違うということは普通です。
同じ学校に通いながら部活賛成、部活反対どちらの視点に立っても不平等で不満の出る活動になっているのはやはりどこかおかしいと思います。
できないことをできないと言わない学校も悪いし、それでもやってくれという親も悪い。
そのしわよせが現場と生徒に及んでいるような気がします。
指導者、選手共に理念を共有しお互いの事情を尊重する運営方法が良いと思います。
先日、ある地域の某巨大私立大学の元金庫番の方とお話しする機会がございました。
某氏が言うには、日本の高度成長期を支えた優秀な人材を育てたのは、各私立大学の貢献度が高いと申しておりました。
そして今のように私立大学が巨大化してきた大きな要因は、生徒の保護者から寄せられる「寄付」と申しておりました。今の時代はなかなか難しくなってきたという事を前提に、寄付の金額で生徒の進路や進退、それ以前にクラス分けまでも方向付けていた事も事実と申しておりました。
大学が生徒の進路を斡旋してきた時代です。そこには魅力的な各業界とのコネクションやポジションがあったのでしょう。
今の日本は冬の時代です。高度成長期のように人口ボーナス現象化にありません。日本はどんどん弱くなってきているのです。何度も申しますが「人口ボーナスの対義語が人口オーナス」です。人口オーナスが分からなければ調べて下さい。そしてその上、医療技術と法改正や司法制度改革が進み、日本の人口構成は高齢化社会になっております。
そして最も恐ろしい事は、世界経済が大不況の時代へ突入していく現象が見え初めている事です。それは基軸通貨や原油・エネルギー原資の問題が大きいです。また経済大国へのし上がった中国や経済新興国が多いアジア経済の問題が大きく影響を及ぼすと懸念されております。その他はロシアです。
そういう意味では、日本もしくは日本人が今後どのように世界(社会)に貢献し、主導権を握っていくか?が政治と共に考えていく必要があるでしょう。
その為に日本には義務教育がありますから、将来を先読みして、どう子供達を教育していくか真剣に考えていく必要があるでしょう。
そう言った意味では、今の行政は心細いですね。
つまり、基礎学力の定着の努力を学校側がしていないと思うのです。
例えば、定期考査前のワーク提出以外、普段の課題が全くなかったりします。
また塾にしても受験期には必要になるのは分かるのですが、私の県のように中1~3年までの内申点が同等に評価されるような地域の場合は、通塾開始がとても早くなります。
今中3の子の時で、小6の3月スタートがほとんどで、部活が始まる前に塾の軌道に乗せるといった感じです。現在はそれでは遅く、高学年からになってきています。
それでは親の負担が多すぎます。
学校が学力定着のための適切な課題設定をして、その定着の確認の作業をするべきだと思います。そうしたら、そんなに早くからの通塾を選択する必要もなくなるのではと思います。
学力が高い層の親御さんになると、「塾の宿題をさせたいから、学校の宿題がないのがありがたい」とおっしゃったりしますが、まずは学校は基礎学力の定着のために、努力をしてほしいと思います。
部活によってそれらの時間もないのなら大問題だと思います。
でも学校には塾にはない情報があると思うんです。
私の子供の学校は、前年とや過去数年の進学実績を聞いても教えてくれません。
A高校に何人、B高校に何人・・・そういうものが分かれば、学校の実力テストや定期考査での自身の立ち位置から推測して、大体A高校ならば大丈夫だろうなどと予測をたてることができるのに・・・
また、遠方で気に入った高校があった場合、距離が気になるけれど、中学の先輩が数人在籍しているのならば、通いきれないわけではないのだ、と判断したりすることもできるのに・・・
中学では教えてくれないので、自力で周囲の高校生の親御さんに聞いたり、それでも分からない場合は、高校の個別相談ブースなどで、出身中学の子が何人いるかお聞きして、推測したりしています。
進学した個人名を知りたいのではなく、進学者の数を知りたいだけなのに、個人情報につながるから教えられないと言われます。
地方から先生
週末忙しくコメント遅くなりました。
私の考えは、大切なのは、バランスだと思います。
行き過ぎた、先生や生徒の過度な休みなしの活動は反対ですし、それとは逆に、辛いからやめたいからと、ハイハイと辞めさせるのもその子供にとってどうかとも思います。
先生も生徒も、やる気があって目標に向かって努力していく、というのが理想だと思いますが・・・。
現状は、違うようですね。
最近、先輩ママさん達に、部活動について話しを聞くようにしています。
先生方の大変さを語っていましたよ。
「やる気があって、真面目な先生程、潰れていく」
との言葉には、その状況は何とかしてほしいと思いました。
ここ数日のコメントを全部読んでいませんが、クラブチームでとの意見は、レベルの高い子の話で、私の子供の周りのほとんどの子供や保護者は、部活動にそこまで求めていないと思います。
シングルマザーで、生活がやっとの家庭も多いです。
私の知り合いの話しですが、休みなし練習厳しい、風邪ひいてでも出てこいなんて部は、年々部員数が減ってるらしいです。
小学校の先輩ママから、その部は入らない方が良いよって、忠告されたって言ってました。
これが、地方から先生に対する質問の答えなのですが、いかがでしょうか?
壱保護者様のおっしゃるように、事情も知らないでという意見ももっともですが、私には、高校を卒業した姪っ子が3人これからの子が3人います。
夜遅くに起きてたら、早く寝るように言うのは愛情からです。
部活動の議論の場ですが、おせっかいな叔母さんが、1人くらい意見してあげても良いと思いますよ。
今の世の中、そういうのって、けっこう大切だと思います。
過熱した文化部の実態も
広めたいですね。
コメントをいただきありがとうございます。
コメントに対する私の意見の前に、貴殿がこの問題に対して前向きに建設的な議論をされていることに敬意を表したいと思います。
ここでは、部活動拒否が正義でそれ以外が悪人という感じで誹謗中傷や攻撃もしくは無視を繰り返されます。
私はそれに疲れてしまいました。
考え方は人それぞれです。自分の考えを理解していただくとともに、自分もまた他者の意見を聞くことで、新たな視野や考え方が広がると思っていましたが、
ここではそれは違うようで、
参ってしまいました。
よく言葉のキャッチボールしましょうと嘆かれる方が多いですよね。
しかし、貴殿はどんなに攻撃されても負けず立ち向かっています。
賛成反対、肯定・拒否という個人の考えではなく、そのような姿勢は同じ人として素晴らしいと思っています。
ぜひこの問題に、このまま前向きに取り組んでいただきと思っています。
賛成反対ではなく、話を聞いていただける方には、丁寧に私なり丁寧にお話しさせていただきたいと思います。
また勝手なつぶやきは続けようと思いますが、何か意見があるときは何なりと賛成反対に関わらずご指摘ください。
コメントに対する私の考えです。
地方から先生
私の考えは、大切なのは、バランスだと思います。
行き過ぎた、先生や生徒の過度な休みなしの活動は反対ですし、それとは逆に、辛いからやめたいからと、ハイハイと辞めさせるのもその子供にとってどうかとも思います。
先生も生徒も、やる気があって目標に向かって努力していく、というのが理想だと思いますが・・・。
〉ご指摘とてもよく理解できます。
現状部活動という制度がある限り、とても大切なことだと考えます。また、
仮に地域に移行したとしても同じです。
1点気になるのは、辞めさせる部分です。これは非常に難しい判断です。どんな人間でも、人の心までは読めません。本当に苦しんでいるのか、建前なのかは、最終的にはそこにいる人たちが訴えをどのように、受け取り判断するかです。
私はここは非常にシビアな部分ではないかと思います。
クラブチームでとの意見は、レベルの高い子の話で、私の子供の周りのほとんどの子供や保護者は、部活動にそこまで求めていないと思います。
シングルマザーで、生活がやっとの家庭も多いです。
〉私は地域への移行を持論として持っています。
様々な視点があって良いと考えます。
スポーツであれば、技術向上、勝利を目指すことを主に取り組む場があっても良いと考えますし、勝利を目指すのではなく、スポーツを楽しむ場があっても良いと考えます。
その取り組み方の選択の場が、部活動ではないとも思っています。
どの学校でも、そのスポーツの部活は一つです。その場合、取り組み方は一つしかありません。
またご指摘の経済面ですが、国が10年以上前に地域総合型スポーツクラブという指針を出しています。行政として、指導者への謝礼の在り方の補助などにより、各家庭の経済面を軽くする方策を出していただけないものかとも感じています。
指導者をボランティア登録させて、活用したりするのは一つの方法では?とも思っています。
そのスポーツに関わりたい方は、いると思うのでそういう人材の活用です。
コメントありがとうございます。
地方から先生へ
お返事ありがとうございます。
私も、先輩ママさん達から、色々な意見を聞いて、部活動問題について考えています。
何を言っても、言われても、人の価値観ってなかなか、変わりませんね。
自分自身もそうです。
私の価値観は、部活動は素晴らしい。
もちろん、勉強も大切。
生活のリズムを整えて、子供達を健全な方へ目を向ける事が大切。
拒否運動は反対。
自分自身の、体調を維持する事も大切なので、夜のスマホは控えてます。
なので、昼間にコメントしてます。
質問してくれて、ありがとうございました。
高校生さんへの事についてはもういいんじゃないですか?コメントを見てご本人が判断されると思いますので。
それよりも、>辛いからやめたいからとハイハイと辞めさせる・・・については私はちょっと意見が違います。
部活動は生徒にとって楽しいものであり、入学時には初めての部活にワクワクしている生徒が多いと思います。
部活動をただ感情的に辞めたいという生徒は少ないと思っています。
自分も我が子もそうですが、練習自体がきついから辞めたいと思ったこと、聞いたことはありません。
ですから、単純に今が辛いから辞めたい→ハイハイと辞めさせるというのは仰るとおり早計だと思います。
では辞めたいと思うときはどういう時なのか?私が考える理由としては。
①自分の競技レベルと指導のレベルが合っていない、合わせてもらえない(巧拙どちらとしても)
②競技以外の生活(学業や趣味、家庭事情など)とのバランスがとれない、とってもらえない場合
③指導者と性格や指導方法が合わない。
④チームメイトとうまくやっていけない。 に集約されるのかなと思います。
どの原因も希望と現実との乖離が少しであれば軽々に辞めさせるのは得策ではありません。しかし、乖離が大きかったり、理不尽であったりする時は辞めた方が本人のためだと思います。
上記のような希望と現実との乖離が埋められないのは地方からさんの仰るとおり中学では生徒が選べる部活は1競技1団体(部)であるからだと思います。
クラブチームでは指導者が多く、また幅広い年齢層、生活層の人が活動していますから、上記4点が絶望的に合わないということが少ない。
また最悪て合わなくて辞めたとしても、クラブを辞める=競技を辞めることにつながらないことが最大の利点かと思います。
中1男子母さんの仰るようにレベルの高い子のみが所属するクラブや、会費が高いクラブもあります。
しかし、ほとんどのクラブ特にスポ少は会費も安く(当会は月3000円)指導者も手弁当で参加しているクラブが多いのではないでしょうか?その気にさえなればクラブに入って競技をすることは敷居の高いものではありません。
部活を頑張っている先生には申し訳ないのですが、部活には初心者から経験者、運の良い時は市や県のトップクラスの選手まで所属します。このように範囲の広い層を顧問1人だけで親子含めて全員満足させる運営をするのは至難の業だと思います。
中1男子母さんの仰るように>、私の子供の周りのほとんどの子供や保護者は、部活動にそこまで求めていないと思います。
という意見が多数であれば、毎日練習しなくてもいいし、大会出場は総体だけでOK、そういう条件なら拒否する先生はかなり少ないのではないでしょうか?
また、「できないよ、無理」ってなった人にちょっと休んだら?と賛同していただけるととてもありがたいです。
そうであれば部活推進派も拒否派も糾すべきは365日部活を推進する一部の親であり、一部の教師(中体連?)ではないでしょうか?
そういう一握りの声の大きな人たちがおかしいと言う人の意見を殺してきたために部活拒否という禁じ手を使わざるを得ないところまできているのかなと思います。
中1男子母さんの意見ばかり否定しているようになってしまって心苦しいのですが、私は中1男子母さんを部活賛成派だとは思っていません。部活拒否反対とは仰っていますが、書き込みを見ると部活に対する改善意見もあり中間派の意見に近いような気がします。
我が家の中学の境遇が中1男子母さんの家庭と同じであれば、私も中1男子母さんの意見に賛同する所は多々あります。
今は退部しクラブのみで活動して平穏としておりますが、中間派の方の意見を聞けないほど部活も学業も追い詰められた時期が1年ほど続きました。
私の意見はその時の体験をベースにしていますのでご容赦いただければと思います。
「できるけどしない」のと「できない」のでは意味が違う。
部活運営がおかしくなっているのに意見して聞き入れられない場合、「拒否」がなければそのまま進むでしょう。
いきなり「拒否」する先生はいないと思います。
通常、おかしい所を指摘したり、改善案を示したり歩みよっている先生がほとんどじゃないかと思います。
拒否するに至った根拠、過程に私たちは目を向けるべきだと思います。
イヤだと言われなければ、いいんだろうと解釈する人は少なからずいます。そう考える人が組織の上部にいればそれが組織の常識になっていく。
運動会のピラミッド問題もそうですが、最初は3段、次年度は4段・・・5段とエスカレートし重大事故になってから問題となる。
ピラミッド問題も少数ですが生徒への負荷が大きいと段数を抑えるような意見をしていた先生もいました。
しかし、華やかさや感動を追及して聞かない学校が多かった。
これは運動会のピラミッド指導を先生が拒否できなかったから起こった人災だとも言えます。
ある程度までは、余裕のある者が余裕のない人をカバーできていましたが、ある一線を越えると一気に歪が噴き出ます。
今、部活の運営もそういう時期にきているんじゃないでしょうか?
昔は練習と総体だけだった。それで良い結果が出ると、次は練習試合を組む、多くなる。総体以外の大会にも出る。合宿する。遠征する。
どんどんエスカレートしてきています。
そして部活であるがゆえにこれを学校行事と同等で参加必須だと思う教師、親、生徒が多い。ここがおかしいところだと思います。
活動が増える傾向は部活だけじゃなくクラブチームでも起きますが、指導者や家庭の判断で個別に活動内容を抑制できる余地が残っているところが部活と違うところです。
私は、臨採2年目の中学校講師です。
部活動指導に関しては、なんでもやるぞ!という気持ちでいましたが、現実はなにもできません。あなたの苦しみ本当によくわかります。教材研究をしたいので、部活は見ずにやっていると、なんだか、自分は逃げている感じがしてきます。生徒にもなんで、毎日こないのか?と言われたりして、なにも言い返せませんでした。それなら、顧問を他に探せ!と生徒たちに言おうとしましたが、頼ってくる生徒もいるのでそれはできませんでした。今は、批判はなんでも受ける、ただ、いつでと辞めてやるぞ!という気持ちでいます。あなたの考えてる事、大いに賛同致します。ただ、私は、教員いつでもやめるつもりで働いてます。部活が全てではないです。
そろそろ大ナタをふるって欲しい。
「単純に今が辛いから辞めたい→ハイハイと辞めさせるというのは仰るとおり早計だと思います。」
私は、その事を言っています。
壱保護者様のコメントを読んでの、私の見解ですが、
壱保護者様のお子様は優秀で、部活動を辞めれなかったというのは、顧問の先生の個人的感情があったからではないでしょうか?
制度がいくら変わっても、顧問の先生の感情まではコントロールできませんし、部活動は任意なので、生徒を縛りつける事もできないはずです。
一般的に生徒が辞めたい理由は
⚪︎練習がキツイ
⚪︎顧問が嫌い
⚪︎競技に興味がなくなった
⚪︎勉強に専念したい
等が、想像できます。
壱保護者様のお子様は、レベルが高いのだと思います。
私が住んでいる地域は、東京都内でも子供の数も多く、子育てしやすい恵まれた環境にあります。
部活動の選択肢も多く、キツイ部ゆるい部様々あり、年度変わりには、辞める選択をする子供もいます。
何かあると、すぐに先生が話し合いの場を持ってくれて、これからどうするか、生徒自身が選ぶ事ができます。
しかし、我が子がやっている競技のクラブチームはありません。
今いる顧問の先生が転勤してしまったら、部の存続もどうなるかはわかりません。
それこそ、指導していただける先生がいてラッキー、という状態です。
壱保護者様の言う、部活賛成派とは、休みもなく無理を強いる先生や保護者の事ですか?
それこそ、ほんの一部だと思いますし、拒否派の先生も一部だと思います。
しかし、先生も生徒も過剰な部活動によって、苦労しているという現状もあるのは、こちらのブログで知りました。
先生も生徒も、休養が必要だというのが、私の主張です。
部活賛成派ですが、過剰な部活動はブレーキをかけるべきです。
拒否運動には反対なのに、改善はするべきとの意見は、こちらの先生方にとっては、邪魔な存在だというのは承知しています。
なので、敵であるけど、味方でもあるという、面倒な存在であると思います。
まだまだ、組体操の問題等、言いたい事はありますが、今日はこれくらいにしておきます。
ハイハイと辞めさせるのが早計なのは子供に対してではなく、指導者、親に対しても言っているのです。
「辞めたい→我慢しろ・辞めるな」で抑え付けるのではなく「なぜ辞めたいのか?」をしっかり聞く必要があります。
子供はある意味純粋です。自分が強くなれる、良くなれると信じればきつくてもやります。
この人は自分を育ててくれていると感じれば、罵倒されてもついていきます。
ですから、「練習がキツイ、顧問が嫌い」という理由には必ず何か裏があるはずです。
思春期の子供はそう簡単に本音は語ってくれません。
だって辞める、キツイというと根性が無いとか弱音を吐くなとか言う大人がたくさんいますから。
そこを深く掘って、真意を聞き、部活の実情を把握した上で私が書いたような納得のいく理由で代替手段が無いのなら辞めさせるべきだと言っているだけです。
これはレベルの高低の問題ではありません。
子供に限ったことではなくて、大人でも同じではないでしょうか?
子供に興味が無くなれば、他の事がやりたければ先生を辞めればいい。
先生は子供が良くなると信じればきつくてもやる。
先生は教師として成長していると感じれば悪く言われても頑張れる。
拒否する先生も最初はあたりさわりのない理由を言うのではないでしょうか?
拒否する先生に拒否はダメだと押し付けずに、先生の真意を聞いて尊重してみてはいかがでしょうか?
というのが私の意見です。
壱保護者様の言う、部活賛成派とは、休みもなく無理を強いる先生や保護者の事ですか?
それこそ、ほんの一部だと思いますし、拒否派の先生も一部だと思います。
>はいその一部のことを言っています。
こちらの中学でも過激な部活は一部で、同じ中学でも緩い部もあります。
私はそれが問題だと思います。中学毎に部活毎に活動の強弱がある。ある程度の差は仕方ないと思いますが、ある部は週3練習、ある部は週7、定期考査中まで練習するような顕著な差がでるのは部活の平等はもちろん学業の平等にも悪影響があると思うからです。
ですから、どのような部であっても一定の無理の無い活動内容で均一化させるべきです。
そして、私が拒否賛成派なのは、こちらのブログ、コメントを見て学校長や上層部が行き過ぎた部活動を容認しており、ほんの一部の賛成派の行き過ぎた意見ばかり採用し、反対側の一部の拒否派の意見を黙殺していると思ったからです。
中1男子母さんも私も行き過ぎた部活は抑制すべきというところは同じだと思います。立ち位置が違うだけじゃないでしょうか?
そもそも教員の仕事とは、部活以外の部分であり、本来それを平等にして、負担が偏らないようにするものである。
顧問をやるから、校務の軽減というのは、仕事でないことをするのだから、負担を軽減しろと言っているのと同じで本末転倒である。
部活動の顧問は、確かに校長が年度当初の職員会議で案を提示するが、仕事ではないため、普通の感覚の校長ならば、お願いしますなどの発言は通常ない。
勤務時間外に設定されていること、顧問自ら活動日や時間を決められる設定になっていること。
から仕事ではないと言える。
勤務時間とは、職務命令に基づく、拘束時間であり、勤務時間外に設定されているものが拘束されるべきものではない。
結果として仕事ではないため、例えるならこのボランティア活動をやってください。と職場から言われるもの。
確かに付加的な職務であるが、
この付加的という言葉が誤解を招きやすい。
付加的とは、辞書では付け足し、付け加えとなっている。つまり付け加えた職務である。
しかし上記の理由から義務ではないと解釈できる。
そのため顧問拒否は、職務でない以上本来拒否する必要はなく、ただやらないという選択をしただけであり、誰にも責められるべきことではなく、ただ普通に選んだだけといえる。
現状の法令からは、このように解釈する。
そのため私自身は拒否に対して、悪いことや服務規程に当たるものとは考えていない。
ただし様々な部分で誤解を招きやすいため、例え正しいという教員の意見が大半であっても、現在の世の中の認識において、ギャップが多くあるため、
やり方を考えなければ、いけないとも感じる。
そのため顧問拒否は最終手段であると考える。100%だったものをいきなり0%にすることは、法令上問題なかったとしても、周囲からの反発を招きやすく、なかなか改善には至らないケースが多い。
そのため中1男子母様が提唱されるような、適度な活動ということを法令にするなどのやり方のほうが、変えやすく、改善方向に向かいやすいのではないかと感じる。
最終的には、地域に移行して欲しいのが私の願いであるが、
この部活動問題には多くの問題があり、肯定派、拒否派という垣根を越えてお互いの立場を認め、互いに知恵を出し合い、より良い方向に向かうよう訴えて行政を動かすよう努力しなければ、結局何も変わらず現状維持が続くのではないかと懸念する。
別にプロの選手になる訳でもないのに。保護者はそんなこと望んでいません!子どもにはきちんと勉強し、基本的な学力や体験を身に付けさせたい。
顧問の教師の成績のため、生徒は心も体もボロ雑巾のようにこき使われています。
児童虐待の領域です。試験前で部活がない時の喜びようや、陰で顧問の事をボロクソにいっているのを聞いた事もあります。
保護者としてはいい迷惑です。
この主張自体は正しいと思います。しかし。中身がありません。原理・原則を主張するだけで具体的な実行手段が提案されていません。
どうすれば、行政が動くのか。そのためにどのように行動するのが効果的か。その行動に多大な労苦や資金がかからず、比較的早くその成果が表れる方法を提案してください。
この時期、高校3年生の推薦入試に落ちた者が、泣きそうになりながら一般入試に挑もうとしています。もちろん、はなから推薦を期待するなということもあるのですが、何とか力になってやりたいと思う。私は、勤務時間外も、自分の教科でできるだけのことはしてやろうと、赤本など手に自主的に補習を行っています。
しかし、そんな教員は私以外にいない。みんな、部活動に嬉々として、もしくは暗い顔をして向かい、3年生には眼もくれません。推薦入試に落ちたのは自分のせいだろう、勝手に頑張れ、という態度です。
この時期です。生徒の人生がかかっています。
教員としてボランティア精神を持つのはいいとして、部活動ですか?高校3年生の冬に、それぞれの教科で、可能な限り力を添えてあげるべきじゃないですか?そっちにボランティア精神を発揮すべきじゃないですか?
1、2年生と、部活を一所懸命支援してくれた先生は、3年生の一番大事な時期には何もしてくれません(もしくは、する余裕がありません)。
・活動時間の抑制及び制限
具体的に週何日の活動および活動時間にするかを法律によって取り決める。
それに対する
・活動実施の方向を管理職決済及び教育委員会への報告を義務付ける。
・また月1の保護者への報告文書を管理職が作成し、全部活動の活動日及び活動時間をオープンにする。学校長名の文書等での発信。
ということが手始めにできることが良いのではないかと考えます。
これをどのような手段でというところの答えが見つかっていません。具体的な方策等は悩んでおり答えが見つかっていません。
しかしこれは私の考えの一つであり、
これがベストといえるかはわかりません。もっとベストなことを考える方がいるともいえます。
日々色々なことを考えていますが、最善の有効手段に巡り合えていないといえます。
だからこそお互いの立場を認め、
より良い方向に向かうよう・・・
なのです。
10人いれば10通り、100人いれば100通りの考えがあります。
1人で考えていても何も始まりません。だからこそみんなで知恵を出し合うことは近道と考えます。
拒否しかないっしょ!
拒否して100を0にして、ヤバいと思った行政が50くらいにするルールを作ってくれればそれでいいでしょ。
だから、何度も言うようになんで人を貶めるためにデッチ上げ平気でやらかしシラをきる人が反省もなくコメントしてんの?
1番目の「法律」つくる件ですが、法律よりも文科省か教委会の通達が限界だと思います。
2番目の報告の義務づけですが、現在でもそうですが「実態をそのまま」報告しないと思います。外部向きの数字に書き換えて出すと思います。また、顧問が管理職に本当の数字を報告するかは疑問です。校内で実施しても「今日は自主練習日だ。個人として、活動する日にしておく」とし、数字を小さくすることが考えられます。管理職もいそがしく自ら活動時間を確認することは不可能です。
3番目の文書での発信の件ですが、これも2番目のように本当の数字を出すか疑問です。部活動内で「表向きには活動時間は○○時間としておくが、部員の希望により時々延長されることがある」が恒常化されることがあります。また、その文書は保護者のもとに届かづ、届いてもほとんど見られず、即ゴミ化することが予想されます。
最大の懸念はこの提案により仕事が増えることです。お金がかかることです。だれが、集約や文書を作成するのでしょうか。生徒に配布するにも、教員の手間がかかります。
おっしゃる通り、一番のデメリットはコストと報告の時間です。
特に報告時間は現状では、どのようにでも操作できてしまいます。これが時間給の毎日来る外部指導者でもいれば、給与の問題もありますので、状況はまた違いますが、現実的に費用がかかるものは実現が難しいと考えています。
この案について、工夫できないかもう少し考えるとともに、別なアプローチの仕方も考えてみます。
私はこの部活問題は、行政は簡単に動かないと考えています。仮にほとんどの教員が拒否をしたとして、
行政は現状維持するための法令もしくは通達を出すと予測できます。
中体連、中文連、高体連、高文連、高野連など様々な団体からの強い圧力により、簡単に行政は現状維持を続けると考えます。
既存のシステムを壊すことよりも、維持する方が簡単です。
それだけこの問題は根深く、現在の学校教育に様々な問題を残しながら、見過ごされてきた問題といえます。
否定派のみならず、肯定派であっても改善は必要と言われます。
100%から0%は現実難しいと考えますが、少しずつでも改善できるよう私は私なりに取り組みたいと思います。
そのためには、持論である
生徒から見た部活動
教員から見た部活動
の両方の視点による改善が必要と考えます。
教員側から見た部活動をここのところコメントしてきたので、生徒から見た部活動を述べたい。
学校は、生徒が教育を受ける場であり、学業を中心に様々な指導を受ける場である。
学習指導要領でその一環であると位置付けられたものが部活動である。
強制力はなく、自由に選択されなければいけないが、
部活動の強制加入を都市部以外では、義務付けている学校は、少なくない。
また生徒の自主的自発的な活動であり親しませるとしながら、実態は異常な活動日数と時間となっており、学業に支障が出るケースも少なくない。
授業中寝ているなどはいい例。
学習指導要領では、学習意欲の向上となっているが、主旨と外れていることも少なくない。
親しませるのが、学習指導要領の目的だが、勝利至上主義になるケースも少なくない。
部活動の種類や、やる、やらない、取り組み方の選択肢がないことが重要な問題点である。
教員の労働問題と合わせても、問題点が非常に多い。
専門教師が非専門教師かによっても、異なる。
こういう部分からも見直しがされていくことが大切である。
私の子供の学校の部活は、土日も活動する部ばかりです。
平日のみの緩い部?も存在はするのですが、実際ほとんど活動実績(内容)はありません。
つまり名前は、パソコン部とか美術部とか付いていますが、外部チームや習い事が忙しい生徒、もしくは忙しい部を脱落した生徒、いろんな理由で部活に入りたくない子が集まって入っているので、人数はそれなりにおり、来れる人がおしゃべりをしたり勉強をしたりして過ごしているだけです。
そのような、何もやらない部か、平日・土日・長期休みめいっぱい拘束の部の二者択一しかありません。
部活で週5日以上を費やすというのは、私の中ではありえません。
習い事ならば、強化選手並みのスケジュールでほかのことが出来ない、忙しすぎて余裕がなさすぎると思うからです。
先生も生徒も(親も)土日や長期活動の多くを拘束する活動を良しとして、双方がうまくいっている部は、聞いた感じ、子供の学校では、現在はサッカー、野球くらいです。
そういう部の先生方は独身、もしくはお子さんが巣立った後で、時間がありやる気満々だったり、奥さんの実家の敷地内に家を建てて支援体制万全だったりしています。
またそういう部で満喫している生徒の保護者は、地元出身で、帰省などの必要がなく、土日も休んで子供の部活に関わることができる人たちが多いです。
私は子供の文化・スポーツ活動は、人生を豊かにしてくれる大切なものだと思いますが、このように過度なスケジュール中で、また学校という狭い人間関係、評価の対象の中ではやらせたくありません。
「原則として全員加入制です」と明記された学校を示していると思います。 「原則として・・」という表現で、保護者などからクレームがついても学校は逃げる途を確保しているのです。
したがって、保護者や生徒が理由をつければ、それ以上入部を迫ることはないと思います。例えば、習い事、通院、介護、弟妹の世話、家事従事などいくらでも理由はつけられます。
問題は、生徒自身が友人と異なる環境をアピールし、開き直ることができるかです。部活加入がふつうの空気をあえて読まずに無視できる大胆さがあるかです。
忙しい部活で頑張ること=えらい、という風潮です。
思春期の同調プレッシャーの中で、また高校入試でも部活を問われる中で、部活に入らないという選択ができるのは、よほどの子になってしまいます。
また、問題なのは、部活というのは、単なる放課後や休日の課外活動では留まらないことです。
中学生活全般にベールのように部活が覆っているのです。
例えば、子供の学校では、職業体験の体験先や林間学校の民泊先へ出す、自己紹介の手紙の例文は、「私は○○中学校の○○です。○○部で毎日汗を流しています・・・」となっていて、それに従って書くように指導されています。
体育祭で部活動にからむレースがあったりします。
壮行会では、部活に入っていない生徒は、列の一番最後に行進させられ、決意表明を言う代わりに、一人一つ、応援標語みたいなものを考えて、順番にマイクを持って言わされたり、かなり所在ない思いをすることになります。
我が子も部活を辞める時から顧問、部員から強烈な同調圧力がかかり、辞めるのに苦労しました。
そして、辞めた後はあからさまな落ちこぼれ扱いもされました。
部活が関わっていればここまで言っていいのか?いじめじゃないのか?と思うほどに。
ただ、競技連盟主催の大きな大会(県レベル)でクラブチームとして出場し部員(退部したが)の中で一番良い成績を上げ、強化指定を受けた時、このいじめまがいの妨害は止みました。
なぜか?中体連よりも競技連盟の方が力が強い(と思っている)から、強化指定を狙う選手にとっては連盟に我が子が退部した事情を話せば今後強化指定が受けられないと思ったみたいです。
実際、県選抜などは連盟が選出し、スポーツ推薦にもかなり有利ですし、強化選手名簿には所属○○中と出ます。
しかし、我が子は○○クラブと明記されました。連盟からの連絡もクラブを通じてです。
相手より大きな後ろ盾を得なければ理不尽が是正されないというのはやはりおかしい。
生徒が中学校という小さな世界の価値観しか知らないのは仕方ないですが、親、教師までそのような狭小な価値観で行動するのに問題があります。
このような事例は例外で、ほとんどの生徒は部活を辞めるだけで辛い中学生活を送らなければなりません。
そして、怖いのは我が家は不運にも少数側に立ってしまったわけですが、もし、多数派だった場合、我が家がされた嫌なことをしなかったという自信がないことです。
だから、少数派の意見を感情的でくだらないと切り捨てずによく聞いてみるべきだと考えています。
ごめんなさい訂正
> 例えば、子供の学校では、職業体験の体験先や林間学校の民泊先へ出す、自己紹介の手紙の例文は、「私は○○中学校の○○です。○○部で毎日汗を流しています・・・」となっていて、それに従って書くように指導されています。
体育祭で部活動にからむレースがあったりします。
壮行会では、部活に入っていない生徒は、列の一番最後に行進させられ、決意表明を言う代わりに、一人一つ、応援標語みたいなものを考えて、順番にマイクを持って言わされたり、かなり所在ない思いをすることになります。
確かに変な感じ、おかしな感じ、嫌な感じがしますね。
「辞めたい→我慢しろ・辞めるな」で抑え付けるのではなく「なぜ辞めたいのか?」をしっかり聞く必要があります。
はい。
私も、そう思ってますし、そう言ってますよ。
子供が、その部活動を辞めたいと言った時、その子供の意思を尊重すべきです。
親も先生も、良くその子の話しを聞き、判断するべきだと思っています。
レベルと言ったのは、例えば、練習も真面目にやらずに、上達もしないという子でしたら、そこまで、引き止められはしないでしょうという事です。
私の想像でしかありませんが、壱保護者様のお子様は、何の競技かはわかりませんが、もし、団体競技でしたら、尚更チームにとって辞めてもらっては困る存在だったのではないかと思ったのです。
2年間、一緒に目標に向かって頑張ってきた仲間が、辞めてしまうのは、部員にとっても、先生にとっても、大変に辛い事ではないでしょうか?
そう、私は想像したのです。
勝つ事以上に、目標に向かって頑張ってきた仲間は大切な存在です。
その思いを、想像したのです。
『拒否する先生に拒否はダメだと押し付けずに、先生の真意を聞いて尊重してみてはいかがでしょうか?』
私は、拒否はダメだと発言した事はありません。
そもそも、拒否という言葉自体が、違っていると思います。
拒否ではなく、「やらない選択をした」が、正しいでしょう。
部活動は、任意なのですから。
私の、主張を前から読んでくださいと言っても、膨大なコメントから、それを探すのは至難の技でしょう。
部活動をやらないと選択して、しっかり業務に打ち込みたいと頑張ってらっしゃる先生を否定していません。
しかし、こちらのコメントされる一部の先生は、部活動自体を破壊したいという考えがある方がいます。
それに対して、抵抗しているのです。
「やらない選択」をされる事にダメだと言ってるのではなく、拒否運動は、反対と言っているのです。
壱保護者様は、たくさん私にコメントしてきますが、私の意見を変えたいのですか?
でも、壱保護者様は、私の主張を思い込みで判断している所があると思います。
『どのような部であっても一定の無理の無い活動内容で均一化させるべきです。』
この意見に対しては、私の意見は違います。
私は、様々な選択肢があった方が良いと思っています。
中には、塾に通いたい、好きな習い事がやりたいという子もいる一方で、その競技に打ち込みたい、熱中したいと思ってる子もいるでしょう。
ですから、その子にあった練習内容や活動日が選択できる事が理想だと思います。
その点で、私のいる地域は恵まれているのだと思います。
選ぶ際の仮入部では優しかったのに、本入部したんに練習が厳しくなる。そんな事は、酷い騙しだと思います。
私の息子の部は、それとは逆で、本当にやる気のある子だけ来てほしいと、仮入部で凄く厳しくして、本入部したら普通になったと言っていました。
様々な、選択肢がある事が理想だと思いますが、
何度も繰り返しになりますが、休養のない過度な部活動には、反対です。
壱保護者様のお子様が、大変な思いをされたのだと思いますが、私に答えられるのはここまでです。
行政も、管理職である校長先生も、行き過ぎた部活動に対しては、困ったもんだと手を焼いているかもしれませんよ。
行き過ぎた勝利主義から来る事なのでしょうか?
部活動であれ、クラブチームでも、目標を持って、それに向かって団結して努力する事は素晴らしい事だと思います。
勝ったという結果は大切だと思いますが、私は、それ以上に、目標に向かって努力する経過が大切だと思います。
子供達は、その経過から、たくさんの事を学びます。
それは、勉強する事も同じでしょう。
成績を上げたい、何位以内に入りたい、どこの学校に入学したい。
そうした、努力する事によって、子供達は成長して行くのだと思います。
それを、勝つ事だけに執着してしまうと、行き過ぎた暴言や押し付けになってしまうのかもしれませんね。
そこに、指導力の差が出て来るのかと、私なりに思いました。
たくさんコメントしてしまいました。
お返事は、お手柔らかにお願いします。
〉おっしゃる通りです。
同じように逃げ道をきちんと確保した、やり方だと考えています。
ごうに入ってはごうに従えという言葉がありますが、
中学生や高校生に学校のルールから外れたことをするのは、なかなか難しいと考えます。場合によってはいじめや無視の対象になりかねませんから。
入試制度について
全ての都道府県かどうかは不明だが、高校入試の段階で、中学校の部活動に加入していた生徒、部活で入賞や上位大会に進出した生徒にはメリットがある。
中学校側から提出された資料により、評価をプラス材料とできるからだ。
これは部活動に限られたことであり、地域活動における成績はプラス材料とはならない。
なぜなら学校長名で中学校側から高校側へ書類は提出されるが、
地域活動は学校外の活動であり、学校から発信される書類には記載ができないためだ。
部活動は生徒の自主的・自発的な活動であるはずなのに、部活をやっていることでメリットを得ることができる。
やっていなければこのメリットは当然得られない。
入試は本来全ての受験生が同じ条件で等しく選抜をされなければいけない。
教育課程外で、その上でやるやらないを選択する権利のある部活動が、入試の中で評価対象の一つとなることは相応しくないと感じる。
私自身、中学校で担任をしている時も疑問を感じたが、生徒のメリットとなることは可能な限り、記載するようにした。
高校に勤務している現在も望ましいことと思っていない。
これはスポーツ推薦も同様である。
例え一部の生徒であったとしても、受験生全員が同条件でないということは、望ましくないと感じる。
大学入試も受験スタイルにより、このメリットは活かすことができる。
また大学生も含めた、就職活動も同じである。
運動部といえば、企業側からは非常に好感を得ることができ、場合によっては評価が良くなる。
本来、受験生の人間性や教育課程内での学校生活や学業などで評価されることが、正しいと思うが、
日本の社会では部活動も評価に入ることは、私としては違和感しか覚えない。
本来全ての受験生が、同じ条件で受験をしなければいけないと思う。
やらない選択は認めておられるのは理解しました。
貴殿の意見を変えたいと思っていません。我が家の境遇が酷すぎて、中1男子母様の境遇からくるご意見に目が留まっているのかもしれません。ご子息の部活動生活がうまくいっていてうらやましいです。
貴殿を個人的に攻撃する意図はありませんので、ご容赦いただければ幸いです。
さて、以降は部活擁護派の方たちに向けての意見です。
「やらない」選択をした先生は仕方が無いとして、「やらない」選択ができるという事を広められては困るのはなぜですか?
顧問をやらない人が増えると部活が回らないというのなら「やりたい」先生が2倍も3倍も頑張って回せばいいのではないでしょうか?だって好きでやってるんでしょう?顧問を掛け持ちすればよいし、校長も教頭も顧問を持てばよいと思うのは素人考えでしょうか?
やる人とやらない人が不公平というのもおかしな話です。部活は任意であり、やる人は好きでやっているのですから不公平などという不満を言う事事態がご自分も実はやりたくないと思っているのではないでしょうか?
経験のある競技の顧問だけ引き受けて、経験の無い先生に他の部活をやらせるのもおかしな話です。まず、ご自分が率先して経験の無い競技の顧問を引き受け部活運営していくことで、未経験競技の顧問の引き受ける先生の不安を解消してあげてはいかがでしょうか?
生徒に対して「先生の私がこんなに頑張っているんだから、塾や他の事で部活動を休んだり、途中抜けするのはけしからん」と思っていませんか?
校長(学校)が強制することだから、生徒にも強制して良いと思っていませんか?
同意します。
この問題は、教員の人権問題に特化して訴えた方がよいと、私は思います。
また、生徒にはプレッシャーかけて部活を強要してやりたくないない生徒も部活やるのが当然になってます。
また、週5日制になったときに制度導入の趣旨を踏みにじって魔改造されました。
で、教師の労働問題?
は?
やりたくない生徒に強要してるのも、魔改造したのも全部教師じゃねえか!
部活をやりたいと思っている教員は、どれだけでもボランティアを引き受けてもらって構わない。
しかし無理だと思う教員は、全力で断りましょう。自分の健康と時間は、自分で守るしかありません。大量の時間外労働、それも無賃の労働を、引受けなければならない義務はありません。
生徒がかわいそうとか、他はやっているとか、そんなのは関係ありません。
無理なものは無理。自分の身体を守る。それだけでいいんです。
無理だと思う教員は、全力で断わるべきです。
それでもって、制度を変えるとか、そんなことまで考えなくていいです。教材研究の時間を捻出するため、そんな理由を口にしなくてもいいです。
自分の健康と時間は、自分で守る。このために戦えばいいんです。仕事のために死にたくない。実際そこまで追いつめられているんです。
これは人権の問題です。
校長は色々手を打ってくるかもしれませんが、全力で断る教員に、部活動を強要する方法はありません。
そのことで、クビになることもありません。
むしろ、そのことを理由にクビにするなら、してみてほしいです。
その気持ちで、無理を押しつける校長と戦いましょう。絶対勝てます。
相手の言い分は、生徒がかわいそうとか、他はやっているとかです。自身の人権を主張して戦えば、絶対に勝てます。
残念ながら、部活人事が中学校ではしゅりゅう
残念ながら、部活人事が中学校では主流なんです。
異動希望を出す
↓
異動希望先の校長から
○○部もてますか?
と連絡が来る。
↓
持てない、と言う
↓
異動できない
もしくはとんでもない地域へ
異動になる(希望にかすりもしない)
という流れです。
戦いたいけど、そういう裏事情もあります。
困ったものです。
このころから過剰な部活動指導が始まった。
総合的な学習の時間も始まった。
総合学習も多忙の原因。
構想は平成14年以前の平成8年中教審答申から始まっている。
制度面の変化と先生たちの意識改革が今求められていると思います。
ここにきて、部活動を嫌々やっている教員が多いという実態が知れてきて、本当によかったと思います。
「そうは言っても先生が好きでやっていることでしょ」と言われてきた神話が崩れたわけです。これが、この掲示板の一番の功績じゃないでしょうか。
だから教員の皆さん、本音をドンドン書き込まないといけないですよ。勤務校ではなかなか言えない教員の本音を、ここで明らかにしていかなくては。
我々がどんな思いで、部活動という、誰も引受けたがらない重荷を背負って生きているかを。
本当は、やらなくていいんならやりたくないんだと。
毎週、毎週、休日練習がある中、指揮者である先生は練習を指導してくれています。
中学のころはわかりませんでしたが、部活というのは本当に先生の犠牲の上に成り立っていますよね。
先生は若い女の先生で、彼氏がいるようです。
私達は3年足らずでひたすら練習に励む日々を終えますが、先生はいつまで続くのでしょうか。
昨年他校へ転勤した吹奏楽部の顧問の先生は、とても素晴らしい指揮者ですが、50代独身の方でした。
さらに、公平を保つため、近々、外部講師の指揮者を禁止して顧問の指揮者以外認めない決まりになるそうです。
ますます、顧問の負担は増えていきます。
先生とは、人生を生徒に捧げるものなのでしょうか。
ですが、いまいる学校は強豪校で、部活のために入学する生徒もいるので、部活の質を落とすことは考えられません。
携わる人すべてが納得する道などないのでしょうか。
本当に先生には感謝しています。
先生のおかげで、部活にも勉強にも恵まれた環境で取り組めています。
しかし、私自身は絶対に教師にはなりたくないです。
おはようございます。
このような言い方をしたら失礼かもしれませんが,
高校生でこれほどまでに大局的に物事を見ることができる能力を身につけていることを素晴らしく思います。
部活に関しては,生徒・保護者は『受益者』の立場です。
受益者の立場からは,教師の立場に立って部活動指導の負担の実態を冷静に考えることは難しいことです。
だからこそ,
『>しかし、私自身は絶対に教師にはなりたくないです。』
という言葉が辛い。
優秀な人材が教職を敬遠する実態を見た気がします。
仕事の待遇が悪ければ,優秀な人材は集まらない。
このまま部活の制度を現状維持することは,教師の質がどんどん低下するということを改めて実感しました。
それでも疲れる仕事です。主顧問と副顧問の仕事の差は計り知れません。
やったことのない人には多分この大変さは分からないでしょう。
それでも、部活は素晴らしいと思います。だから、学校から部活をなくしてはいけない。
でも大変過ぎる。出来れば授業を3分の1にして頂きたい。
その他の仕事も主顧問は考慮して頂きたい。
そうすれば、すべてがうまくいく。
是非、上の方の方々に考えて頂きたい。
そもそも何でも安上がりにやらせるのが間違いなのです。