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昨日の毎日新聞に、部活問題の署名の件が大きく載りました。


サイトはこちら↓
http://mainichi.jp/articles/20160425/ddm/013/100/028000c


僭越ながら当ブログについても触れられており、問題の周知という面でありがたい限りです。

よろしければどうかご一読ください。


今回の記事は、部活の物理的な危険性について書いてみたいと思います。

現在、全国各地の学校では家庭訪問や遠足、その他諸々の行事が行われている盛りだと思います。

また校内研修や諸会議など、なにかにつけて多忙な時期が春先です。

そしてそんな忙しい中にも、部活は並行して行われることが多いです。


例えば家庭訪問。

顧問の教師が担任を受け持っているとしたならば、顧問が家庭訪問に行っている間に教師が指導につくことなく、何時間も生徒たちだけで部活の練習をすることになる。

副顧問がいる場合も多いかもしれないが、万事が万事そういうわけではない。


例えば職員会議。

全職員が一堂に会し、案件について提案・承諾する。

これに関しては本当に全職員が参加するので、その間に行われている部活については生徒のみ。


この状態が常態化しているのが現在の学校現場ではないだろうか。

もちろん校長をはじめとした管理職は「部活には必ず顧問の監督のもと行うように」と口をそろえるが、それと現状は全くもってマッチしていないのだ。


私の勤める学校でも部活におけるケガは後を絶たない。

野球部では顧問が不在にしているときに守備練習をしていて、目にボールが直撃。

あわてて養護教諭が眼科に搬送。


また雨の日に室内練習をしていた陸上部が、廊下に置いてあった傘立てにつまづいて足を切り出血。

あわてて養護教諭が整形外科に搬送。


ほんの一例に過ぎないが、現場ではよくある話と言っていいレベルだ(あってはならないのだけれども)。


安全配慮義務を。説明責任を。

管理職はそう口では言い、書類を配るけれども、教師が実際に部活の指導につけない時間が多いのは事実。


ただ、前述の野球部や陸上部の事例は、まだ不幸中の幸いなのかもしれない(もちろん大きな事故なので再発防止はするべきですが)。


こちらの記事をご覧いただきたい。

↓ 神戸新聞の過去の記事です。

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201505/0008050744.shtml

以下、記事からの抜粋です。

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兵庫県立龍野高校(たつの市)のテニス部員の女子生徒が2007年、練習中に倒れ、寝たきりとなった事故。

事故にあった女性は当時、高校2年生で、硬式テニス部のキャプテンだった。

英語が好きで、将来は客室乗務員を目指していた。


あの日から目が見えず、言葉も話せない。

“植物状態”と診断された。

リハビリを重ね、好物だったプリンやヨーグルトは口から食べられるようになった。

だが、大半の栄養はおなかから管で直接胃に流し込む。

「どこまで意識があるのか、私たちにも分からない」。

父が寂しそうに言う。

笑い声に反応し、声を出して笑う。一方、夜から明け方まで叫ぶことがあるという。

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以上、抜粋終了。



顧問が指導についていないときに起きた事故で、植物状態になった生徒。

これは大きな大きな過失であり、学校側に責任があると言わざるを得ません。

なにせ、顧問の教師が監督責任を果たしていないのですから。


そして悲しいことに、部活の顧問は出張でその場を離れたとのこと。

自分の意志では無いにも関わらず、部活を見ることができない状況にあった。

部活を中止にする選択肢もあった中で、それでも部活を続けざるを得なかった。

こうした幾重にもねじれた制度の果てに、大切な生徒さんは被害に遭われてしまったのでしょう。


残念としか言いようがありません。

そして同じ教師として、その端くれでしかありませんが、心から申し訳なく思います。


では、なぜこういった事故が後を絶たないのか。


それは部活の顧問制度が不完全なまま維持されてきたことに他なりません。

そして全員顧問制の名のもと、顧問依頼を断らない・断れない教師たちにもその事故の責任がのしかかってきます。

行事や出張や会議などで、顧問として監督ができない状況であるにも関わらず、です。


善意であるボランティアで引き受けているにもかかわらず、一方ではこういった事故の責任を負わなければならない。

だから、悲しいのです。


善意であるのにもかかわらず、そこに生まれる事故。

そしてその防ぎようがない実態。


日々の中で起こる部活中の事故について、私はその都度こう思います。

「そりゃ、事故も起こるでしょう。起こるべくして起こっている事故だ」と。

顧問が見ていないのですから、事故も起こります。

そしてその状態を改善しようとする動きは、微塵もありません。

むしろ多忙には拍車がかかる一方であり、平日の部活監督につくことは厳しくなってきています。


どこのスポーツクラブチームで、監督もおらず何時間も選手たちだけで練習をさせるでしょうか。

怪我や病気のほか、選手たち同士のトラブルも多く起こることでしょう。

それが学校現場では平気で起こっているのです。


偶発的に起きた、低い確率で起きた事故だという人も多いでしょう。

それでも部活は素晴らしいと、青春のエネルギーを燃やす場として素晴らしいという人もいるでしょう。

それでもいいのです。価値観は人によりけり、それについても否定しません。

ただし、これは自然発生的な事故ではないのではないか。

制度的に欠陥があり、またその中で顧問が監督できなかったことによる『人災』ではないのかと考えてしまうのです。

苦しい状況の中、抜本的に制度を見直すことなくマンパワーに頼りすぎているからこうなる。

理由は明白なのに、対策を打たない。

そして被害に遭うのは子どもたちです。そして保護者もであり、私たち教師もです。

先ほどの高校での事故において両親はこう言っています。


「教訓は生かされているのか。事故を共有し、二度と起こさないでほしい」。


事故が起こらないように、顧問が監督できるような時間的・物理的余裕を作るべきです。

そして大きな責任を負うことになる部活顧問について、やる・やらないという選択肢を設けるべきです。

たくさんの責任や労力を問われることを知り、そのうえで部活顧問をやりたいという教師のみが、自らの自由意思において顧問をやるべきです。


本当に教訓は生かされているのか。甚だ疑問です。


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