5月も連休を過ぎ、中旬へと差し掛かろうとしています。

皆様、お元気でいらっしゃいますか?


そろそろブログの更新を、と思いつつ、なかなか重い腰が上がらない日々が続きました。

どうかご容赦ください。


さて、今回の記事は公教育は何を大切にするべきか、です。


どこの学校にも、勉強は放り出して全く取り組まず、部活にばかりのめり込む生徒がいるのではないでしょうか。

部活の朝練や放課後練習、土日の試合や遠征にはしっかり参加するのに、授業中には学習にすすんで取り組まない。

はたまた基本的な方程式が解けなかったり、ベースとなるはずの英単語のスペルも分からない。

学校に部活だけをやりに来ているような生徒の存在です。


先日、【子どもの貧困格差、日本は先進41ヵ国中34位】というニュースが流れました。

↓ 朝日新聞デジタルより。

http://www.asahi.com/articles/ASJ4D6305J4DPTFC014.html

以下、記事からの抜粋です。

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最貧困層の子どもは、標準的な子どもと比べてどれぐらい厳しい状況にあるのか。その格差を分析したところ、日本は先進41カ国中34位で、悪い方から8番目だった。国連児童基金ユニセフ)が報告書をまとめ、14日発表する。日本について分析し、国際比較したのは初めて。


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以上、抜粋終了。


簡単にいうと、日本は子どもの貧困格差が大きいということです。

つまり、誰もかれもが学習塾に行ったり家庭教師を雇ったりすることはできないということです。

そこにはいかんともしがたい現実があります。


翻って日本の公教育の目的を考えてみましょう。


私立でない公立の学校というのは、基本的に無償で運営されています。

それもそのはず、運営の母体が税金であるからです。

そしてなすべき教育内容にもカリキュラムが定められている。

それが学習指導要領です。

どんな教科の授業を実施するかや、その時数について書かれています。


すべての国民が無償で受けることのできるもの、それが公教育であり、それだけで学習のすべてが賄われるものでなければなりません。

ですから、『学校でできなかった学習内容は塾でやればいいや』や『授業はあんまり聞いていなくても家庭教師がいるから大丈夫』のような考えは、本来の趣旨からは逸脱しているといえます。


そして中学校ではいわゆる座学だけでなく運動を伴う保健体育科も設置されており、その目標も明示されています。

それがこちら↓

【心と体を一体としてとらえ,運動や健康・安全についての理解と運動の合理的な実践を通して,生涯にわたって運動に親しむ資質や能力を育てるとともに健康の保持増進のための実践力の育成と体力の向上を図り,明るく豊かな生活を営む態度を育てる。】


つまり各教科でバランスを取りながら生徒を育成し、生きる力を育みましょうということです。


ちなみに部活動についての記述はこちら ↓

【生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化及び科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際,地域や学校の実態に応じ,地域の人々の協力,社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること。】

と書かれるのみであり、その時数や内容についての記述がありません。

そして正規の職務であるとの内容も書いてありません。

詳しくは過去の記事を参照されてください↓

http://bukatsu1234.blog.jp/archives/43204470.html

(タイトル:部活の顧問は「仕事」か、はっきりさせよう)


つまり、メインは教科指導をはじめとした生徒の育成であり、部活はあくまで補助的なものであり、かつ職務でもないということです。

ですから、「部活は教員の善意に頼っているボランティア」という言い方になるのでしょう。


前述したように、部活だけをして学習に取り組まない生徒をそのままにしていていいのだろうかという気持ちになるのです。

私が担任しているクラスにもそういう生徒がいますが、なんの不安や疑問も抱かぬまま、学習に無頓着なまま成長していっていいのだろうかと思います。


皆が皆、プロスポーツ選手になれるわけではありません。

スポーツに打ち込むのは素晴らしいことですが、その方向性が絶たれてしまった場合、手元に残るものは何なのでしょう。

社会に出たときに、自分ひとりで生きていけるための基礎学力が必須ではないのでしょうか。


そんな生徒のために放課後等に時間を割いて補充学習をしたいのですが、とにもかくにも部活部活という風潮がそれを許しません。

そして教える側の教師にも時間的ゆとりは皆無です。


本当に学校で大切なものはなんなのだろうかと首をかしげてしまう今日この頃です。


よく「部活でしか得られないものがある」という人がいます。

確かにそういう部分はあると思います。

そして生涯スポーツという観点から運動に取り組ませたほうがいいし、体力向上・健康増進のために部活をさせたほうがいいという指摘も多いです。


ただ、これは前述した保健体育科の目標でカバーできるのではないでしょうか。

↓ もう一度、保健体育科の目標を記します。

【心と体を一体としてとらえ,運動や健康・安全についての理解と運動の合理的な実践を通して,生涯にわたって運動に親しむ資質や能力を育てるとともに健康の保持増進のための実践力の育成と体力の向上を図り,明るく豊かな生活を営む態度を育てる。】

さきほどの指摘は、保健体育科で充分にまかなえるはずのものなのです。

なのに、初めから部活ありきで考える頭ができてしまっている。

であるならば、保健体育科ってなんなのでしょう。


例えば数学科での授業がうまくいかずに生徒の理解が不足しているからといって、土日に生徒を強制で集めて計算問題を解きますか。

例えば理科の実験がうまくいかずに生徒の興味を喚起できなかったからといって、早朝に生徒を集めて化学実験をするでしょうか。

どうしても部活だけは特別扱いを受けているように感じるのです。


公教育の原点に帰って、まずは各教科における学習に重点を置いたほうがいいと考えます。

部活は、それから、です。


やるべきことをしっかりやって、そのうえで興味のある生徒が部活を行えばいい。

教師も同様です。

なすべき職務をしっかり果たして、そのうえで関心のある教師が部活顧問になればいい。


どちらも考えのベースは単純です。

やるべきことをやること。そしてそのうえで自由参加でやること。

部活の効能や良さが過大評価されている現状を憂い、原点に帰ることを考えるべきです。


しつこく言いますが、部活の教育的評価を全面的に否定しているわけではありませんので、あらかじめご了承ください。

コメントされる場合にはご面倒ではありますが、過去の記事をお読みになって送信されるようお願いいたします。


まだまだ1学期も続いていきます。

体調を崩されませんよう、ご自愛ください。