最近、部活に関するニュースが世間を騒がせています。

文科省が部活に関するガイドラインを策定する動きを明らかにしました。


具体的には週1日以上の休養日をおくことや、教師以外の指導員の制度を新たに導入するとしています。


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http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160614-00000001-ann-soci


さらに文科省は一つの部活動に複数の顧問を配置することを求めています。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160613-00000079-mai-life


Twitter やネット上ではすでに議論が活発になっていますし、今朝の朝日新聞の社説にも掲載されていました。

朝日新聞では今回の文科省の動きを『対症療法』と糾弾し、『学校の部活動の行き過ぎを問うなら、その位置づけから検討し直すべきだ』と続けました。


まとめますと、今回文科省は以下のガイドラインを策定しようとしていることになります。

① 週1日以上の休養日をおくこと
② 教師以外の指導員の制度を新たに導入すること
③ 一つの部活動に複数の顧問を配置すること


まず、文科省が部活問題を取り扱い、それに向けて重い腰を上げたことはとても意味があると思います。


しかし、です。 もう我々はそれだけで手放しで喜んではいけないのです。


上述の①~③は、一見するととても良いように見えるのですが、それぞれに学校現場の実情には全くそぐわない点が散見されるのです。


① 週1日以上の休養日をおくこと

についてですが、休養日の設定は旧文部省が1997年にも「中学校は週2日以上」「高校は週1日以上」と目安を示したことがありました。

しかし現場に浸透しなかった経緯があったのです。

勝利至上主義に走る顧問や保護者、またガイドラインを破ってまでも練習しようとした学校の存在があったことは容易に想像できます。


つまり、『目安』や『ガイドライン』、はたまた『原則守るべし』といった有名無実なハリボテの決まりは意味がないという歴史があるのです。


それにも関わらず、今回の動きでは、法的拘束力や違反したらペナルティがあるという類の文言は無いのです。

そのようなガイドラインが出たところで、部活に一所懸命に取り組んでいらっしゃる全国の先生方は土日の部活をやめるとは思えないのです。

なぜなら、ガイドラインを破っても一切のお咎めが無いし、土日も休まず練習することが素晴らしいとされている価値観から脱却できないからです。


ご自分の意志で土日とも部活をしようという先生もいらっしゃるでしょう。

また本当はしたくないんだけれど、周りに合わせて土日に部活をしている先生もいらっしゃるでしょう。

それら多くの考えをひっくるめて、国が『土日は部活をしてはならない』と英断を下すべきなのではないでしょうか。

加熱しすぎた部活を止めるには、大ナタをふるわなければならないと思います。


② 教師以外の指導員の制度を新たに導入すること

についてですが、指導員拡充はいいのですが、部活の試合の引率などでは結局のところ、教師が学校に出向く必要がある現状は変わらないわけです。

ですから、指導員を増やしたところで、教師の負担が大幅に少なくなるわけではありません。

大切なのは、外部からの指導員単独でも、部活の指導ができることではないでしょうか。


③ 一つの部活動に複数の顧問を配置すること

については、私が最も怒り心頭に発している部分です。


文科省は『一つの部活に複数の顧問がつけば、交代で土日を休むことができるだろう』という安直で単純な発想をしたのだと思います。

ですが、その考えから生まれた制度をご存知ですよね。

それが『全員顧問制』です

教師全員で顧問を担当し、複数で一つの部活を指導する。

そして皆で負担を分かち合い、土日を交代で休もう、というもの。


その『全員顧問制』が法的拘束力など何も無いのに、多くの学校で強制的に執行されている現状があるのです。

ですから、部活をやりたい・やりたくないという個々人の感情とは一切関係なく、すべての教師が部活を持たなければならない、異常な事態を引き起こしているわけです。


部活は正式な職務ではなく、各学校の校長の弁を借りれば『ボランティア』なわけです。

その『ボランティア』を全員でやらなくてはならない。実質、強制の『ボランティア』なのです。


その複数顧問制を今さら持ち出して、それをガイドラインに据える?

そんな意味のないことを声高に言われても興ざめするだけです。


そして、私たち部活問題対策プロジェクトが進めてきた署名とも全くもって趣旨が異なっています。

私たちの署名は『教師に部活の顧問をする・しないの選択権を下さい!』ですから、今回の文科省の動きがいかに意味のないものかが分かるのではないでしょうか。


過去に講じられたたくさんの部活問題への対策。

それも教師の多忙な日々の中に、次々と形骸化していってしまったのです。

文部省は、文科省は本当は私たち教師のために対策を講じてくださったのかもしれません。

ですが、うまくいかなかった。 決められたルールを制度として昇華できなかった。


そこに足りなかったのは、教師一人ひとりの労働者としての自覚であり、悲しみであり、そしてなにより怒りではないのでしょうか。


目の前に突き付けられた、勤務時間内では終わるはずもない仕事の量。

複雑化していく生徒たちのバックグラウンド。

過熱化していく部活への保護者や生徒からの思い。

当たり前に求められる日々の部活指導。

減っていく教師の人数。 変わらない部活動の制度。


今回我われ教師がそれらを憂いて、国の教育のトップである文科省に怒りを露わにしなければならないのではないでしょうか!?


今必要なのは、目の前の部活問題の枝葉の部分ではありません。

休養日の極々テキトーな目安を作ることでも、とりあえず複数で部活の指導にあたることでもありません。

有効かどうか分からないけれども、「部活問題へ対策は行ったよ」というアリバイ工作をすることでもありません。


国が、本腰をあげて『部活とはそもそも何なのか』、『部活の目指す方向性は何なのか』を議論することです。


先日、学級で給食指導をしながら生徒と話していましたら、生徒がこう言うんですね。

「先生、部活の目的って何なんですか?何のために部活をしているんですか?」と。


私は答えに窮しました。

体力の向上? いや、それならば練習のやりすぎは否めない。

他チームに勝つため? いや、それだけが目的ではないはずだ。

スポーツに親しむため? いや、ゆるい部活は許されない傾向が強いし。

など自問自答し、生徒には「ちょっと考えてくるね」と曖昧な返事をするのにとどまりました。


国が、文部省が、文科省が、ずっと曖昧にし続けてきた【部活動の位置づけ】を今こそ明確にしてください。

それこそが諸悪の根源なのです。


ゴールが曖昧なままに、登山は進められません。

だから、いろんなところで教師や生徒といった部活動の迷子が現れ、そして不運なことに死者までも生み出してしまったのです。


部活とは? そしてスポーツとは?

戦後から流れる部活の歴史を嫌というほど勉強した私が言えるのは、スポーツ=部活しかないという考えから脱却することの重要性です。


文科省の方々、本気で部活問題に取り組んでください。


今回の動き、小手先だけのケアだってことが国民にバレていますよ?

我われが勤務時間内に、授業や生徒指導といった職務に専念できるようにしてください。

それが文科省の信用失墜を防止することにつながると思いますが?