夏休みに入った学校が多いと思います。


教員の方々、長い長い1学期お疲れ様でした。

また生徒や保護者の皆さんも、待望の夏休みだと思います。

存分に、一度しかない今年の夏を楽しんでお過ごしください。


私はといえば、通知表を終業式の一週間前に完成させ、ゆとりをもって1学期最後の日を迎えました。

最後の学級通信は特別号。

1学期の生徒たちの頑張りを称え、一人ひとりについて思いを馳せて記事にしました。

この学期最終号は恒例なのですが、生徒や保護者の方からは好評で、今回も頑張って書いてよかったと胸をなでおろしたところです。


さて、久しぶりのブログ更新になり、なにを書こうかと迷っていました。

前回の記事に寄せられたコメントは1000を超えました。いつもありがとうございます。

最近はTwitter をのぞいてみても、部活顧問の問題に言及する人が非常に多くなってきました。

特に教員の方のアカウントが急増し、その多くが部活について問題を投げかけているものです。

少しずつ、また着実に教員自らが声を上げ始めた証だと感じている次第です。


今回はある批判について回答してみたいと思います。

それは「部活の顧問拒否をしている教師はサボりなんじゃないか?」というものです。

教員として部活を行わないのは異常であり、ただ単純に怠けているだけなのではないかという疑問ですね。


以前の記事で、部活の顧問については正式な職務でないことをはっきりさせています。


以下を参照。 ↓↓

2015年03月16日 部活の顧問は『仕事』か、はっきりさせよう」

http://bukatsu1234.blog.jp/archives/43204470.html



端的に言うと部活は職務ではなくボランティアなので、「拒否」という言葉自体当てはまらないものなんです。

だけれど、どうしても「教師が部活顧問をしないのは怠慢である」というネガティブキャンペーンが多少なりともあるようです。


そこで、部活の顧問をしないことによる効能を具体的に書いておきたいと思います。

単なるサボりではなく、メリットがあるゆえの行動だということが分かるように書きます。

硬くなく、エッセイのように気軽に読んでいただければ幸いです。


ケース① 【 授業準備をしていない罪悪感が無い 】

以前部活をしていたころには慢性的に時間がなく(今も忙しいですが)、常に授業は自転車操業でした。

いつも直前までドタバタで準備。慌てて準備をするものだから、予定通りに授業が運ばないこともありました。

そりゃそうですよ、毎日の放課後も部活。土日も部活で休みが無いのですから。


一方、部活顧問をしなくなってからは、授業準備がバッチリできています。

一つの事項を教える際に、生徒へのアプローチの方法が多種多様になりました。


生徒の興味関心に応じた導入を工夫し、視聴覚に訴える教材を準備する。

「きっとここは生徒にうけるだろうなあ」という山場をいくつか準備し、流れをイメージトレーニングする。

そうやって綿密にたてられた授業計画をしたうえで迎える授業というのは、心躍るものです。


時間に追い立てられて、内心で生徒に「こんな授業でごめんね……」と謝りながら行う類のものではないのです。

授業はアドリブだけではできません。できたとしても、それは偶然です。

イチロー選手ではありませんが、事前の準備の時点で、いい授業ができるかどうかは決まっていると思います。


ケース② 【 健全なメンタルで行う学級経営の良さ 】

学校でよく聞くフレーズ。「A先生は今日機嫌悪いから、近づかないほうがいいぞ」。

これは本来おかしいものですよね。


ファミレスに置き換えてみると「B店員は今日機嫌悪いから、注文を取ってくれないかもしれない」。

これでは商売として成り立ちませんし、お客様側の心象は最悪です。

教師という生き物は、多かれ少なかれ「相手が子どもだからいいか」と相手への尊敬が欠けている部分があります。

だからイライラしていても、それを生徒にぶつけてしまう教師がいるのではないでしょうか。


平穏なメンタルを維持し、安定した温かみのある生徒対応をしなければなりません。

個人的には、そこまで込み込みのお給料だと思っています。


「シェフの気まぐれサラダ」ではいけないのです。

いつも決まった、そしてクオリティを維持した商品を提供しなければ。

土日をはじめ、時間的に余裕ができたので、私の心はいつも春の海のように穏やかです。

だから不必要に生徒を怒ることがありません。

昨今流行りのアンガーマネジメントが自然にできていることを感じます。


ケース③ 【 学校の毎日に遊びができるようになる 】

学校で遊びとは何事かとお叱りを受けそうですが、仕事に遊びの要素を入れられるようになりました。

具体的には教育についてアンテナを張れるようになり、それを「よし現場でもやってみようか」と一歩踏み出せることです。


最近ではずっと気になっていたアクティブラーニングを授業に導入してみました。

教師主導の一斉授業とは一線を画す、生徒が主体的に動く教育方法の一つです。

「何を馬鹿なことを言っているんだ。授業は教師が作るものだ」


そう、以前の多忙な私なら一笑に付していたところでしょうが、その「遊び」をしてみたくなるのですね。

そしてそれが生徒にも同僚にも好評でした。


試行錯誤をさらに重ねて、2学期以降もグレードアップさせていきたいと思っています。


また前述した学級通信において、様々な記事を書くこともできます。

よくあるような行事についての記事や日ごろの様子に加え、生徒の読みたくなるような記事を工夫して書いているつもりです。

今の発達段階で読むと心が動かされるような本の紹介、今までに自分が経験してきたアルバイトの紹介など、自分という教師しかできない仕事をしようと心がけています。


以上、3点にまとめてみましたが、まだまだメリットはあるように思います。


毎回のように書いていますが、私は部活の教育的効果について否定する気はありません。


以前は部活に熱心に打ち込む中学生・高校生でしたし、生徒とともに部活の練習で汗を流す教師でした。


最近、大切なのは「平等に与えられた24時間をどう使うか」ということだと気づきました。


教師として、公務員として、労働者として、親として、夫として、妻として、人間として、どう時間を有効に使うか。

それを選び取るのは一人ひとりに委ねられているのだと


勤務時間の中では、与えられた職務に専念しなければなりません。

当たり前のこと、それによる対価をいただいて私たち教師は生活しているのですから。


ただ、だからといってそれ以外の時間の全てを「子どものために」諸手を上げて差し出す必要があるのでしょうか。


自分の休日である土日の全てを差し出して、生徒に野球のノックをする教師。

勤務時間外の朝練習から体育館に行き、バレーの球出しをする教師。

素晴らしいと思います。「子どものために」自ら、自発的に、率先して行う崇高な行為だと思います。


ただ、現状はその部活にかける行為のみが称賛されすぎているように思います。

上述した部活に関する行為と同様に、教師が自分のために時間を使うことも認められなければならない。


土日を使って我が子とじっくりふれあい、そこから見出したなにかを生徒指導に生かせるかもしれない。

長期休暇を利用して行った海外旅行で得た、かけがえのない経験を、生徒に生き生きと話せるかもしれない。

「部活顧問をやっていない=サボり教師」という低レベルなレッテルを貼ることを止めるときが来ているのでしょう。


価値観の多様化、労働環境の正常化、コンプライアンスの厳守。

それらを考えても、部活顧問をしないことは教師として法に逸脱した行為ではありません。


舛添元都知事ではありませんが、違法行為でもありませんし、ましてや不適切な行為でもありません。


部活をするメリットを選ぶのか、部活をしないメリットを選ぶのか。

課題なのは教師の主体性です。


流されることなく、自分で教師としての生き方を選べばいい。

部活顧問をしてもいいし、しなくてもいいのです。

嫌々ながら部活顧問をさせられるのが、ひとりの人間として好ましくないだけなのです。

いつまでも指示待ちの姿勢ではだめです。


いま、部活の制度に疑問を持っていながら顧問をされている先生方。

夏休みを利用して、これから自分は部活とどう向き合っていくかを考えるのもいいと思います。


そうして下した決断は誰にも称賛されるものでもありませんし、卑下されるものでもありません。

ただ、自分が下した決断にしたがって行動すればいいのだと、私は信じます。


長い長いと思っている夏休みもあっという間に過ぎてしまうもの。

それぞれに実のある夏休みなればいいと思いながら、今回の記事はこの辺りで終わります。


PS.次回は何を書こうか、すでに迷っています。

お読みになりたい記事の項目がありましたが、お気軽にお声かけくださいね。