更新が遅くなりました。
梅雨とは名ばかりの晴天が続きます。いかがお過ごしですか。
私は定期テストを終え、採点業務を手早く終えることができました。
効率的に、能率的に。自分の時間を確保するために、ベストを尽くしてみました。
さて、今回の記事は二本立てです。
一つ目は『教働コラムズ』の紹介です。
教働(きょうどう)という言葉は造語であり、 「教」員の「働」き方についてのコラムを集め、発信することからこの言葉になったそうです。
教働コラムズとは、教員の働き方に疑問を感じる者たちの自主的・自発的活動とされ、twitter 上で出会った教員・民間・教員の家族で立ち上げたサイトです。
詳しくはこちら ↓↓
https://www.kyodo-bukatsu.net/
サイト自体が見やすくオシャレであり、内容も充実。その意気込みを感じます。
このサイトの画期的な点は、教師発信が主であった部活問題をはじめとした教員の労働問題について、教員のみならず、民間の方や教員の家族の方が共同で運営しているところです。
教員と結婚した、もしくは教員がパートナーであるという方からの苦悩の声を、twitter 上でよく目にするようになりました。
また民間の方でも、教員の労働環境に興味を持ち、その問題点について論じる方も多くなりました。
『部活問題対策プロジェクト』・『部活改革ネットワーク』から続く、新たな視点での試みであると感じます。
私も折を見つけて、コラム等を投稿させていただければと思います。
二つ目は、私たち部活問題対策プロジェクトなどの活動が、日に日に現場レベルで周知されていっているということです。
先日、内田良先生の記事がYahoo!ニュースとして掲載されていました。
その記事の題名は、「『真由子ブログ』が原点 “ブラック部活”と“やりがい搾取”」というものです。
詳しくはこちら ↓↓
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170529-00002661-bunshun-soci
部活問題への取り組みをまとめ、不肖わたしのブログを再度取り上げていただいたものです。
この記事を受け、なんと私の勤務校の職員室で同僚から話しかけられる機会がありました。
同僚「先生、部活問題に興味があるみたいだけど、真由子先生のブログって知ってる?」
わたし「!! ……そんなブログがあるんですか?知らなかったです」
当然「それ、わたしが書いているブログなんですよ!」なんて言えるわけもなく、三文芝居をしてしまったわけです……。
こういったケースは過去に二度ほど経験しており、自分のやってきたことが同僚レベルにまで浸透してきていることを実感します。
そろそろ身バレの危険が迫っている気もしないでもないですが、それよりも職員室で当ブログの話題が出ることは嬉しい限りです。
日々のtwitter でのツイート、ブログ更新、プロジェクトとしての活動、マスコミ対応。
こつこつと積み重ねてきたものが形となり、そしてリアルな場面での周知につながる。
誰の目にもつかないような小さな小さな稚魚を放流していたのが、大きな成魚となって手元に帰ってきたかのような感覚を覚えます。
レッドシールプロジェクトも各地域で広まっているようですし、これからさらに現場単位でのつながりが出てくるといいと思います。
これから夏本番を迎え、運動部活動も文科系部活動も大切な本番を迎えることでしょう。
先日も体育大会での熱中症により、生徒が搬送されたニュースがあったばかり。
部活に臨まれる生徒の皆さん、教員の方々、また見守られる保護者の方々におかれましては、水分補給を欠かさずに行い、体調にお気をつけください。
部活が盛んなわたしの勤務校。
朝は7時から朝練が始まります。
放課後は本当に遅くまで部活が繰り広げられます。
校門近くには部活の結果がのった横断幕が何本も掲げられ、正面玄関には無数のトロフィーや賞状。
しきりに行われる部活動生による集会、全校集会での表彰。
あまり落ち込むことのないわたしですが、最近弱気になることが多いです。
「部活まで込み込みの教員が欲されているのであって、わたしのような教員は要らないんじゃないか」と思う瞬間が非常に多くなりました。
それも部活顧問を拒否しているのが勤務校でわたしだけであり、数の問題もあるのでしょうが、少し凹みがちな現状です。
授業を大切に、生徒のことを考えて行動を。
かつワークライフバランスを整えながら、自分や家族の時間も確保する。
それらは二の次で部活をやるべきだと、お前なんて要らないんだと思ってしまうことが多いのです。
慰めや励ましが欲しいのではなくて、こういう現場の状況があればわたしのような心理状況になるのは必然だということが言いたいのです。
同調圧力はいじめの原因といわれていますが、人の心を真綿で締めていくように追いつめていく効果もあるようです。
もう若手とは呼べなくなってきた年ですし(まだ若いですけど!)、教員という職業の働き方について考えるターニングポイントに来たのかもしれません。
この時間(深夜1時)に記事を書いているため、ちとばかしセンチメンタルになっているだけかもしれませんが(苦笑)。
では、みなさまおやすみなさい。
この土日で英気を養い、また1週間を乗り切りましょうね!
次回こそ、早めに更新します。
わたしの学生時代の部活についてでも書きましょうかね。
梅雨とは名ばかりの晴天が続きます。いかがお過ごしですか。
私は定期テストを終え、採点業務を手早く終えることができました。
効率的に、能率的に。自分の時間を確保するために、ベストを尽くしてみました。
さて、今回の記事は二本立てです。
一つ目は『教働コラムズ』の紹介です。
教働(きょうどう)という言葉は造語であり、 「教」員の「働」き方についてのコラムを集め、発信することからこの言葉になったそうです。
教働コラムズとは、教員の働き方に疑問を感じる者たちの自主的・自発的活動とされ、twitter 上で出会った教員・民間・教員の家族で立ち上げたサイトです。
詳しくはこちら ↓↓
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サイト自体が見やすくオシャレであり、内容も充実。その意気込みを感じます。
このサイトの画期的な点は、教師発信が主であった部活問題をはじめとした教員の労働問題について、教員のみならず、民間の方や教員の家族の方が共同で運営しているところです。
教員と結婚した、もしくは教員がパートナーであるという方からの苦悩の声を、twitter 上でよく目にするようになりました。
また民間の方でも、教員の労働環境に興味を持ち、その問題点について論じる方も多くなりました。
『部活問題対策プロジェクト』・『部活改革ネットワーク』から続く、新たな視点での試みであると感じます。
私も折を見つけて、コラム等を投稿させていただければと思います。
二つ目は、私たち部活問題対策プロジェクトなどの活動が、日に日に現場レベルで周知されていっているということです。
先日、内田良先生の記事がYahoo!ニュースとして掲載されていました。
その記事の題名は、「『真由子ブログ』が原点 “ブラック部活”と“やりがい搾取”」というものです。
詳しくはこちら ↓↓
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170529-00002661-bunshun-soci
部活問題への取り組みをまとめ、不肖わたしのブログを再度取り上げていただいたものです。
この記事を受け、なんと私の勤務校の職員室で同僚から話しかけられる機会がありました。
同僚「先生、部活問題に興味があるみたいだけど、真由子先生のブログって知ってる?」
わたし「!! ……そんなブログがあるんですか?知らなかったです」
当然「それ、わたしが書いているブログなんですよ!」なんて言えるわけもなく、三文芝居をしてしまったわけです……。
こういったケースは過去に二度ほど経験しており、自分のやってきたことが同僚レベルにまで浸透してきていることを実感します。
そろそろ身バレの危険が迫っている気もしないでもないですが、それよりも職員室で当ブログの話題が出ることは嬉しい限りです。
日々のtwitter でのツイート、ブログ更新、プロジェクトとしての活動、マスコミ対応。
こつこつと積み重ねてきたものが形となり、そしてリアルな場面での周知につながる。
誰の目にもつかないような小さな小さな稚魚を放流していたのが、大きな成魚となって手元に帰ってきたかのような感覚を覚えます。
レッドシールプロジェクトも各地域で広まっているようですし、これからさらに現場単位でのつながりが出てくるといいと思います。
これから夏本番を迎え、運動部活動も文科系部活動も大切な本番を迎えることでしょう。
先日も体育大会での熱中症により、生徒が搬送されたニュースがあったばかり。
部活に臨まれる生徒の皆さん、教員の方々、また見守られる保護者の方々におかれましては、水分補給を欠かさずに行い、体調にお気をつけください。
部活が盛んなわたしの勤務校。
朝は7時から朝練が始まります。
放課後は本当に遅くまで部活が繰り広げられます。
校門近くには部活の結果がのった横断幕が何本も掲げられ、正面玄関には無数のトロフィーや賞状。
しきりに行われる部活動生による集会、全校集会での表彰。
あまり落ち込むことのないわたしですが、最近弱気になることが多いです。
「部活まで込み込みの教員が欲されているのであって、わたしのような教員は要らないんじゃないか」と思う瞬間が非常に多くなりました。
それも部活顧問を拒否しているのが勤務校でわたしだけであり、数の問題もあるのでしょうが、少し凹みがちな現状です。
授業を大切に、生徒のことを考えて行動を。
かつワークライフバランスを整えながら、自分や家族の時間も確保する。
それらは二の次で部活をやるべきだと、お前なんて要らないんだと思ってしまうことが多いのです。
慰めや励ましが欲しいのではなくて、こういう現場の状況があればわたしのような心理状況になるのは必然だということが言いたいのです。
同調圧力はいじめの原因といわれていますが、人の心を真綿で締めていくように追いつめていく効果もあるようです。
もう若手とは呼べなくなってきた年ですし(まだ若いですけど!)、教員という職業の働き方について考えるターニングポイントに来たのかもしれません。
この時間(深夜1時)に記事を書いているため、ちとばかしセンチメンタルになっているだけかもしれませんが(苦笑)。
では、みなさまおやすみなさい。
この土日で英気を養い、また1週間を乗り切りましょうね!
次回こそ、早めに更新します。
わたしの学生時代の部活についてでも書きましょうかね。
コメント
コメント一覧 (321)
ある意味、自分のすべてを犠牲にすることによって厳しい評価を免除されていたように思えませんか?経験がないことでもやれ、やりたくないなんてやつはやる気がないだけ、という言い方は、裏返せば全力を尽くせば結果は問わないでくれ、という一種の甘えに見えます。
評価基準があるから、評価ができます。労働時間が守らないのが普通になっているどころか、それを賛美する者が幅をきかせているとか、指導する資格も経験もないのに仕事を割り当てられるのでは勤務評価の意味はありません。100メートル走のコースが実は95メートルだったらそれは評価対象にはできないのと同様、あるいは終了の笛が鳴ったのに玉入れを続ける相手チームに対して正常にムカつくことのできる人なら、「評価」と「評価基準」の整合性の大切さはわかるはずです。
今のところ教員評価は事実上給料に反映していませんが、間違った全力主義の先生が多いようなら評価システムを有効に作動させるのもしょうがないかもしれません。そんなとき、ほとんどの部活指導者はどうやって評価されるでしょう。給料以上の働きをしている、と認めてもらえるでしょうか。それとも、時間や労力を大量に投入した割にたいした指導してないね、と言われるでしょうか。「それは評価に耐えうるものか?」という視点で部活動を見たとき、今の大半の部活動ってどうなんでしょう。(一部のスーパー指導者は除きます。いつの時代でも素晴らしい指導者はいます。そういう人は部活という枠に収まらなくても素晴らしい指導をするでしょうが)
教員は、本務を全うするのみ。
結果、そこで評価されるべき。
教育の質を高めることを追求したい。
部活などしている暇はない。
だから強制するな。
そうストレートに言えば良いのに。
ちがう「もう金はいらん、ヤスミクレ」
そうでしたか、下記のコメントからは「カネ足りない、もっとクレ」にしか読めませんでした。
>手当貰ってもマイナスなんだってよ!
いや、じっと耐えていても『いい先生』なんて言われません。私の前の顧問は練習試合も練習もたくさん取り入れ、さらには泊を伴う遠征までも行っていましたが、生徒からはあまりいい評判はありませんでしたよ。『土日やって当たり前』ととらえてる人たちも多いですから。過剰にしすぎる現状により、そうとらえてる人も少なくありません。全くもっていい制度とは言えないでしょう。
あ、すみません。ここは管理職の評価だったようですね。私の読み間違いでした。
じゃあ、仕事やめれば。ずっと休みになるよ。
と言い返すと、身も蓋もなくなるだろうけど、労働意識の根幹の所でずれている。
部活動に問題意識のある教員、ご家族、地域、保護者、生徒のみなさん。
ぜひ、教師の働き方署名にご協力ください。
さらに、ツイッターをされているでしょうか?
ぜひ、まわりの方にツイッターをススメてください。
すでに、ツイッターを通して、教師、保護者等が集まっています。
すでに、ツイッター上だけでなく、全国各地で集会や御も開かれています。
★も先月は、3回ほど集会に参加しています。
部活動は、もはや違法な運営なのは事実です。
教員は、ブログを断ることができます。
それを阻んでいるのが、校長からのパワハラです。
さあ、来年度から部活動顧問を顧問準備を、しましょう。
そして、部活動を断れる事実を全国に認知させ、パワハラを阻止しましょう。
ちなみに、カメムシさんのツイッターを探しています。
じゃあ、仕事やめれば。ずっと休みになるよ。
と言い返すと、身も蓋もなくなるだろうけど、労働意識の根幹の所でずれている。
正確には、土日にヤスミクレだな。平日にヤスミクレなんて言ってないが
特に,生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動についてはスポーツや文化科学等に親しませ学習意欲の向上や責任感連帯感の涵養等,学校教育が目指す資質・能力の育成に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること。
その際,学校や地域の実態に応じ,地域の人々の協力,社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行い,持続可能な運営体制が整えられるようにするものとする。
新しい学習指導要領に記載されてる、部活動に関する文章です。
重要なのは最後の1節。「運営上の工夫を行い,持続可能な運営体制が整えられるようにするものとする。」
日本の公立中学校では、今後もずっと部活動を続けていかなければいけないことが、はっきりと記載されている。
いろんな考え方の人がいると思いますが、子供たちがスポーツや文芸に親しむ機会を得ること自体には反対という人はいないでしょう。でも、じゃあ今どういうことになっているかというと、子供の文化スポーツ活動は学校の部活に丸投げ、学校は個々の教員に丸投げ、専門家もいるわけではない、労務管理もない、カネは出せない、適当な指導をする人がいても、体罰する人が居ても、ボランティアだからよほどひどくない限り(これがひどい言い方だけど!)校長も強く指導できず、体罰した人がまたどこかで涼しい顔して顧問、そんなことも日常茶飯事。
部活が今、よいものか悪いものかと言われたら、間違いなく悪いものです。良いものには理由があります。たいした理由なく素晴らしい仕事をする会社などありません。うまく回るその会社なりのやり方を作り上げたから良い会社になれるのです。そこを行くと部活の運営体制は良い組織になれる理由が全く見当たりません。
なるほどなるほど、よくわかります。
頑なに社会体育や地域の指導者を弾き出そうとする教員自身の体質改善が先ということですね。よくわかります。
違う。あなたにとっては「悪い物」でも、社会全体は悪い物だとは思っていない。
「部活動についてはスポーツや文化科学等に親しませ学習意欲の向上や責任感連帯感の涵養等,学校教育が目指す資質・能力の育成に資するものであり」
学習指導要領にこう記載されている以上は、中学校教員は学校教育が目指す資質・能力の育成を目指して部活指導を行わなければならない。
持続可能な体勢を整えることも、教員の責務です。指導要領の言葉を斜め読みしてはいけない。学習指導要領は、「教員はこういう事を生徒に指導しなさい。こういう意識をもって指導していきなさい。」という、教員が最も遵守しなければならないものです。
指導要領の重さを理解出来ていない、あなたや他の拒否教員を名乗る人々が本当に学校で教員として働いているのか大いに疑問を感じます。
国会の立法、内閣の政令が優先するのは当然ですね。
国会の制定した給特法と内閣の定めた政令の超勤4項目を意訳要約すると、
教師は公僕として、時間外であっても校長の命令に従い公共の為の勤務を行わなければならない。
但し、その命令出来る範囲は政令の定める範囲内に限定する。
と言う事で、その政令基準の中に部活動は含まれていません。
従って、責任ある勤務の絶対量が時間外となる部活動顧問は、
それが具体的に否定されない限り校長は命令出来ない=職務上の義務ではない。
そういう事にしかなりません。
対応出来る権限の無い者に責任だけ押し付ける事は当然出来ません。
特に日本の学校教育は、
欧米に比べても極度に生活教育なんでもあり、と言う性質を持っていますから、
一行政機関に過ぎない文科省が「やる事が望ましい」と考えた事は、行う事が違法な程に極端なもの以外は、
最終的には文科省の権限責任で学習指導要領に幾らでも書き込めるものです。
しかし、一定の専門性を持つ教師と言う労働力は物理的に有限なのですから、
まず、学習指導要領に於いても、抽象的な方向性を示すプログラム規定も
これだけはやらなければならないと言う具体的な最低基準も存在します。
そして、その教師の労働者としての人権と公僕としての公共性を調整する為に、
国権の最高機関である国会と行政の最高機関である内閣は、
上の給特法や超勤4項目を最初に設定しています。
結果、一行政機関に過ぎない文科省が何を言おうが、
より公共性の高い勤務に優先的な振り分けが出来る様に、
部活動如きの為に時間外勤務を命令する事、義務付ける事は出来ない。、
そういう優先的な基本条件が国会、内閣の名の下に設定されている訳です。
今回の書き込みは以上です。
国会の立法、内閣の政令が優先するのは当然ですね。
そのとおりなんだが、裁判所の判断が下されるまでは、文科省や教育委員会の指示や命令は一応有効なんですねこれが。
この文中の「するものとする」の表現がポイントなんです。「する」ではなく「するものとする」となっています。つまり、ニュアンス的には「そのように実現できないこともあるが、それを目指しなさい。その方向で進めてください。」が近いのです。学校に対しての目標であって、義務ではありません。
学習指導要領は圧縮した表現で書かれていますので、その中身を理解するには、学習指導要領解説総則編が有効です。(http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2017/07/04/1387018_1_2.pdf)の124ページを見ると「学校や地域の実態に応じて、・・・運営上の工夫を行う」と書かれ、合わせて、「土日の部活動が教員の長時間勤務の要因の一つになっている」とも書かれています。つまり、学校に対して、「持続可能な運営」を義務化してるわけではありません。(そもそも、そんなことは物理的に無理です。文科省もそれをわかっています。)
学校週5日制の際の趣旨を無視し、むしろ反対の方向へ拡大魔改造したのは誰なのか?
一部の部活バカ教員のせいにしているが、一部の部活バカ教員だけでできたのか?お先棒担ぐ教員が多数居たのではないか?
一部の部活バカ教員を好き放題にさせた責任はないのか?
これらの疑問に、ここで部活を悪役に仕立てている教員は答えてくれません。
でも、持続可能な運営についての解釈は間違っていると思います。指導要領は学校や教員にとっては命令のようなものです。決して「目指しなさい」や「その方向で」などのような軽い物ではありません。平たく言うなら、「持続可能な運営体制を整えなさい。」という、お上からのお達しなのです。
「文部科学省が実施した教員の勤務実態調査の結果では,中学校教諭の部活動に係る土日の活動時間が長時間勤務の要因の一つとなっており,その適切な実施の在り方を検討していく必要がある。」
この一節は「部活は仕事か」についての明確な答えを、政府が出しているといえるでしょう。教員の長時間勤務の要因はいくつかあり、部活の土日の活動時間がその一つであると表現しています。すなわち、中学校教諭の部活指導は時間外も土日も含めて、勤務であり仕事なのです。(続く)
適度に休みを取りながら、専門外の教員でも顧問ができるよう、学校外の人材に助けてもらって、ずっと部活動が続けていける体制を作って運営していくべきだと思います。しかし、部活顧問は生徒や保護者との良い人間関係を築くのが難しく、苦手な教員も多いと思われます。それでも、背を向けずに、より良い指導ができるように努力することが一人前の教師への道だと思います。
「部活は悪だ。」とか「部活は教師の仕事ではない。」などと非現実的な書き込みが多いこのブログを見ていると、若い教師の人はそれが真実かと錯覚してしまうことでしょう。
だけど、現実社会では中学校には部活があり、多くの生徒と教師が毎日頑張っています。部活も授業も生徒指導もできるのが「普通の教師」です。
これから教師を目指す学生さんは、甘い罠に惑わされることなく、部活指導をする覚悟をもって学校に来てください。教師になる前から、部活はしたくないと考える人は、中高の教師は諦めましょう。
訂正
部活も授業も生徒指導もできるのが「異常な教師」です。
、この人が教師なら、この人こそ「異常な教師」です。
ここで真由子さんに提案です。ブログ管理者は「なりすまし」行為をしている人が誰かは分かっているはずです。 こういう人こそ閉め出すべきではないでしょうか。この悲しい行為が繰り返されないことを切に望みます。
なりすましも出てきたところで、「駄々」はコメントを止めます。部活反対の方々には辛辣なコメントをしてきましたが、削除せずに残してくださったことに感謝します。
いろいろな問題を抱えている部活動が、よい方向に進んでいくことを願っています。そして、中学校の先生達にとっても過剰負担とならない部活の在り方が検討され、実施されることを望んでいます。
良かった。作戦大成功!
教員と思われるが、恥ずかしくないの?
恥ずかしくないから、こういうこと出来るのだろうけど、なんか教員てズレてるよね。
繰り返しになりますが、「〇〇するものとする。」の表現に注目してください。
するものとする で検索すれば 、 「条例案での語尾の使い方」として、高知県の例がpdfで見られます。そこでは、「~するものとする」の意味は「弱い義務づけ・・原則や方針を示す場合(解釈としては、合理的な理由があればしなくても良いという意味も出てくるので用い方に注意)とあります。
勤務時間外の部活動指導については、「特勤4項目に該当しないので。命令をだせないという合理的理由がある」のです。服務義務はないのです。また、地域などの協力を得ようとしても、得られないこともあり得るのです。
つまり、学校が運営上の工夫をしようにも、地域の実情により、限界があり、学校の努力だけではやすやすと、「持続可能な運営体制を整える」ことはできません。
だから、文科省の官僚は「運営上の工夫を行い,持続可能な運営体制が整えられるようにするものとする。」と表現しているのです。
つまり、学校に「逃げ道」を確保しているのです。
>学校が運営上の工夫をしようにも、地域の実情により、限界があり、学校の努力だけではやすやすと、「持続可能な運営体制を整える」ことはできません。
地域や保護者を閉め出しておいて、学校の努力だけでは…
これ、やる気無しと思われても仕方がありませんよね?
最初から逃げ道狙いですか?
少し話はそれれますが、「最大限の努力をする」と発する上司がが少なくありません。いったい「最大限の努力」とはどの程度の努力を言うんでしょうか。実際なされた努力が最大限であるかないかを証明することは容易ではありません。世間には「最大限の努力をしてもできないなら、仕方ない」とう暗黙の了解があります。つまり、「最大限の努力」言葉が発せられたら、その後には「できないくてもオレのせいではない」があるのです。
話をもとに戻します。
現実には、ヒラの教員が、地域を巻き込んだシステムを構築しようとすれば、それなりの時間と手間がかかり、通常業務が滞ります。教科指導、進路指導、生活指導、学級経営などをしながすることはむつかしいです。何度も連絡や調整するために時間外まで残ることになります。場合によっては、あちらこちらに出かけなければなりません。関係するメンバーが多いほど確認に時間がかかり、すぐに決められません。慣れないことに取り組む場合はとくにそうです。
結局のところ、教頭などの管理職が調整役に回ります。彼らにも膨大な業務があります。新規に何かしようとしても、既存の必ずしなければならないことが優先されるのです。そのような現実の中では、「〇〇するものとする」は後回しになります。
229. ★さんへ、私はTwitterで発信してはいません。(近い将来するかもしれませんが。)
私は職場内の先生ほぼ全員から署名を集めてきました。他にもたとえば教員養成系大学の学生に書いてもらうとか、何かの行事の際に参加者に書いてもらうとかできたらと思うのですが、どうやってそれを実現したらいいか答えが出せずにいます。
「駄々」氏が示す学習指導要領上の規定は、法学的にはいわゆる「プログラム規定」ですね。
「プログラム規定」とは何かと言えば、
ここではカメムシ氏の説明で大体合っています。抽象的な方向性、目標設定の為の規定です。
駄々氏が示す規定を見ても、是を命令文と見た場合、要は部活やるべしと書かれているだけです。
誰への命令なのかも命令実行の為の裏付けとなる権限も最低基準も、
付随する法規を含めて見ても、
是を何かを義務付ける命令と言える基本的な具体性に乏し過ぎます。
その上、文科省が規定した学習指導要領の上位機関、上位法に当たる、
国会立法の給特法、内閣政令の超勤4項目は、
教師に時間外勤務を命令出来る理由に部活動は含まれない旨を規定しています。
是は、部活動顧問の責任ある通常勤務量に照らせば
顧問就任は命令出来ない、義務ではない、に等しい内容ですので、
少なくとも一教師の立場から言えば、
学習指導要領の部活推奨、整備規定は、命令としての拘束力を持ち得ない訓示的な規定でしかありません。
判例上、学習指導要領自体に教師に対する法規としての拘束力が認められているのはその通りですが、
それで何かを義務付ける以上は最低限必要な体裁、要件と言うものがあります。
ですから、学習指導要領の中でも確実にやるべき最低基準の様な規定や
指導要領を基にした「個別の適法な職務命令」であれば、違反責任者への懲戒事由にもなり得ます。
「法律家の悪文」と言う言葉がありますが、その上に官僚の小知恵が加わって、
学校の部活は捨てられないけど文科省の責任で強制は出来ない。
結局は、命令は出来ないけど何となくやらなければならない様に権威付けした書き方で
現場に丸投げしている。
件の文章は、そういう行政規範の官僚文法です。
今回の書き込みは以上です。
244.
教員と思われるが、恥ずかしくないの?
恥ずかしくないから、こういうこと出来るのだろうけど、なんか教員てズレてるよね。
教員の書き込みという根拠はどこに?妄想ですか?さすが被害妄想の女王。
部活に絞ってみても、教員による職能団体の規定を見てば明らかです。
大会等の出場資格に教員による引率を義務付けています。
地域の人材や保護者の関与を極力排除しようとする教員も多いです。
これで最大限の努力をしたとは思えません、むしろ最初からやる気なしと思われても仕方がないと思います。
これまでの〇元〇吉の書き込みは教員を推測させるに十分だと思いますが?
ブログの更新
お願いします!
署名運動は紙媒体でできるようになったというのは、どこ情報ですか?
どうやって、やればいいのですか?
>教員の書き込みという根拠はどこに?妄想ですか?さすが被害妄想の女王。
これまでの〇元〇吉の書き込みは教員を推測させるに十分だと思いますが?
はあ?また成りすまし?これでも教員?
change.orgで過重労働に上限規制を求める署名のサイトで最近署名用紙がDLできるようになったので、それのことです。
確かに先生方のおっしゃることはもっともです。
ただこの中で何人の方がちゃんと生徒の気持ちや
外部コーチのことを考えているひとがいるのかが疑問ですね。
>ちゃんと生徒の気持ちや外部コーチのことを考えている
その気持ちは具体的にどんなものですか?
煽りではなく、今の部活状況をどう考えてらっしゃるか知りたいです。
258. 外部コーチさんの言い方だと、中身のない発言です。発言者自身が納得して、終わってるんです。具体的に指摘しないと、わかりません。「みんなで協力してやろう。」的発言と同じです。
ちょくちょく練習をサボる(友達と遊ぶなど)けどプレーが上手なA君と、休まず一生懸命練習するけどプレーでは劣るB君がいる。
コーチの考えは、A君をスタメン起用し、点差が開いたらB君を出してもいい。
顧問の考えは、B君をスタメン器用し、点差が離されたらA君を起用してもいい。
部員は、コーチ派と顧問派で意見は真っ二つ。
クラブチームなら「学校の教育課程と関連付けて」という縛りがないが、部活だとそうはいかない。
学校は、外部コーチに、ダダで専門的な指導をお願いし、時としてコーチの選手起用にも素人の意見を通そうとする。
また、先生ができない技術指導の部分を外部コーチにお願いしているにもかかわらず、「生活指導までやって当然」と考える顧問もいる。
生徒の余暇を「部活」にすると、外部コーチも顧問もやりにくくなる。
自分としては、学校は施設だけ貸して(鍵も)コーチに任せる方が、コーチ・顧問・生徒にとってプラスになると思います。
「外部コーチには任せられない。自分で指導したい」先生は、先生という身分を離れて、1人の地域住民として指導すればいいのでは。
少なくとも、殆ど居られない。
「やる以上は勝ちたい」そんな気持ちはここでコメントしておられる教員には迷惑でしかありません。
そして、部活やりたくない、もしくは学校外の社会体育やクラブチームでやりたい生徒も多いはずですが、そんな生徒も部活バカ教員に人身御供に差し出して自身の安泰を図っている人達ですから。
生徒は教員に飯のタネを提供するために学校に通っているのではないのですが。
ですが、生徒の学力は、もって生まれた能力、前年度までの成果、学習塾や通信添削、保護者の協力、生徒の自主的な取組なども含まれています。
したがって、生徒の学力が伸びたとしても、その要因が、指導者の取組によるものか、指導者の取組以外のものかを厳密に証明することは不可能でしょう。
また、部活の顧問をして、授業の評判もいい先生も確かにいます。しかし、それらは時間外勤務のタマモノです。
「勤務時間内に、授業も部活もできています」という先生の声があれば、ぜひ私もやってみたいのですが。
また、どんなに体力があるように見えても、部活動にあたり力は消費するわけで、根性だけではカバーできない疲労、体力精神力消耗はあるわけです。
ここで問題なのが、何もかも熱心にしてたらどんな人間ももたない(死ぬ)=
部活動にそれだけ力を注ぐ先生は、どこかで力を抜かないとやっていけないのでは?ということ。
率直に言うと、部活熱心な先生ほど、授業てきとうになってない?てこと。
部活している生徒にひいきしている先生って現存しています。公務員は一部ではない、全体の奉仕者です。一部の部活している生徒の恩恵のために、他の生徒の授業が疎かになっているのが現実では?
生徒のためというならば、部活していない生徒が不利益を被らないよう、本業の授業に力を注ぎませんか。
部活動に熱心な保護者は、外部の習い事なりちゃんとお金払って活動する所にあずけましょう!
部活に逃げてる子供のことだけじゃなく、ちゃんと勉強したい生徒のことも考えて下さい!
先生方の労働搾取によって成り立つ部活動に、我が子と親のためにやってもらって当然と言わんばかりの家庭は、図々しいです。
一度に収まらずすいません。
部活動大好き先生方へ
何をどう言っても、酔っている相手には伝わらないと思いつつ…
とりあえず、他の先生へ顧問を強要しないで下さいね。同調圧力は、自信がないからなのでしょうが、部活さえ頑張っていれば評価される、と勘違いなさらないで下さいね。
書き込みも煮詰まってきて、具体的な内容も多く含まれるようになってきた時に、随分浅い発言だな。
ツイッターをやりましょう。部活動問題で繋がっていきましょう!
ぜひご検討下さい!
とにかく学校文化では「一生懸命」が尊ばれます。例えば、4月に学級目標を決めることがあります。そのときよく登場するのが「何事にも、一生懸命に取り組む(頑張る)クラス」です。学校だよりでも同様の内容を書く校長も少なくありません。そもそも、どの程度やれば一生懸命かそうでないかを客観的に判定することは困難です。観察や評価する者が対象者を四六時中観察することはできないし、その心情を正確に理解することはできません。結局は、外見を観て判断するんです。(学級目標というより「めざすべき個々人基本的態度・姿勢」に近いです。)
261. あられさんも「ちょくちょく練習をサボるけど上手なA君と、休まず一生懸命練習するが劣るB君がいた場合、顧問はB君を、外部コーチはA君をまず起用する。」旨の発言がありました。これは、教員の特徴なんです。教員は「教育的配慮」をすることを優先するからです。もっとも、「教育的配慮」自体があいまいです。時には教育的配慮が免罪符になり、「なんでもあり」の世界になることがあります。
授業準備にそれなりに時間をかけることによって、授業者に授業中の「ゆとり」ができるんです。場合によっては、その授業をすることが楽しみになるんです。
私は、事前に、授業中を想定してシミユレーションをします。その中で、いくつかの問題点が発生することがあります。その対策やアイデアをいろいろ考えます。その対策として「資料や教材を準備しよう」となれば、その時間が必要なのです。その時間がなければ、そして疲労困憊な状況になれば、そもそもシミュレーション自体をしません。「教科書や指導書に書いてある通りにやろう」となってしまいます。
学者やそれなりの志向のある教員なり、論文などで「エビデンスをきちんと提示」とするでしょう。しかし、それをするには、仮説を立て検証をするなどの時間と手間がかかります。それより明日の授業を充実させたいのです。
次世代の大人を作る学校で、違法行為が行われている事自体が大問題では?
コンプライアンス(法令順守)の意識が低すぎます!
これだから公務員はダメなんですよ。
意識が低い!
1日8時間以上、強制労働させたら労働基準法違反でしょ?
これが強制じゃないんだな。事実上強制だが、法の上では「自主的」な労働なんだよ。
何かあれば「教員が勝手に残っていました。」と言い逃れできてしまうのが問題。
拒否すれば、次年度は飛ばされるかもしれません。しかし、サラリーマンである以上、異動は珍しくありません。「金のためだ」と開き直ればいいのです。
拒否して、それまで受け持っていた部活の引き受けてがなくなった時の生徒や保護者の反応を気にしてはいけません。正直に話せばいいのです。「勤務時間外は自分のために使う。時間外の勤務はしなくていいようになっている。不満があれば、校長先生や教育委員会に言ってくれ。」
あくまでも勤務時間内での教育活動をすればいいのです。生徒の要望はその範疇で行うべきです。
なら、手当も0でいいと思う。
好きでやってるなら仕方ない。むしろ、喜びでしょうね。付き合わされる生徒や保護者はたまんないですけどね。
なら、手当も0でいいと思う。
好きでやっている教員もいるが、付き合わされているのは生徒保護者だけでなく、多くの教員もいる。
ほんと、やりたい人間だけで完結してくれよ。
いろんな問題が上がっていますが、一番の問題は「自主性」という言葉で重労働の部活をほぼ無償で行われていることですよね?
全国の中学生の素晴らしいプレーを楽しみにしています!
それにしても、九州ブロックのバレーボール大会の抽選での全中出場権獲得は、いただけませんね。
全中を目標に頑張った生徒さんが、かわいそうです。
全中では、そんなことがないように九州の中学校の先生方、頼みますよ!
大会規則の中にも、「大会の進行状況などに応じて、抽選で出場チームを決める場合もある」とあります。つまり、参加者が同意した規則によって決めただけです。そうしたルールを守ることを生徒には教えることが必要です。そのほうが、むしろ教育的配慮です。
もし、今回、特別な配慮をしたらそれが前例となり、同じような事案が発生するとまた、エネルギーを使わなくてはなりません。
私は、そもそも全国大会はすべきでないと思います。開催地の教員の仕事が発生します。中体連のTシャツ購入のノルマが増えます。諸負担を考えると、ブロックで止めるべきです。
部活動に「カネがあればいくらでもやる!」という教員は相対的には少数派だと思います。地方ブロックほど「高齢教員率高い」からです。
命は何より大切、と教える傍らで自分の親をみとることさえできない、或いは病苦に喘ぐ我が幼子を看護さえできない、……こんな時代を我々で終わらせることが『平和で民衆的な国家及び社会の形成者』を育てる何よりの『手本』じゃないですか?
今の部活動を野放しにしたら「ミサイル撃つ国にはもっと強力なミサイルを撃て!」という教員がたぶん出てきますよ。「勝ってこそ意味がある」という価値観は平和より勝ることがありますから。教員の生活も保護者の生活も児童生徒の生活も、どこに向かうのか?を問い直す時になりましたよ。厳しくしてこそ自己実現、などと主客転倒な考えから抜け出しましょう‼
教育者ではない方ですね。
Tシャツのノルマって、なんですか?
大会の運営費はちゃんと参加費を払っているのですよ!
Tシャツを売らないといけないノルマがあるなんて、変ですよ。
そういう、わけのわからないガセは言わないほうがよいですよ。
全国の中学生が全中を目標に、休みなく部活動に頑張っているのに、わけのわからないガセで否定するのは、良くないことですよ!
もし、学校の先生なら最低ですね!
土日完全休業のオバチャン副担だっているわけなんよ。そいつらと差別化してもらわないと納得できないわけ。
正直、部活の手当増やす金あるなら、教職員の数を増やしてほしいけどな。沢山の教員がいれば「全員顧問制」でなくてもやっていけるだろうから。
Tシャツ購入させて、そのお金が運営費に回るっていうのはホントですよ。私のところも、『なるべくたくさんTシャツを売ってほしい』と言われました。きっと、ノルマとしているところもあるんじゃないかと思います。
あなたの不満を「土日完全休業のオバチャン副担」に向けるべきではありません。為政者は手下が分断することを歓迎します。それによって、不満が自分たちに向けられないからです。
担任・副任の選定は校長の専権事項です。オバチャン自身が決めたのではありません。最終的に決めたのは校長です。
部活顧問拒否もオバチャンに倣ってするべきです。年齢、体力、家庭状況などが配慮されているから現状のようになったかもしれませんが、「ヒラであれば勤務時間外は拒否していい」のです。
もし、あなたが職務命令で顧問を命じられても「時間外はしません」といえばいいのです。それでもさせられたら、実行すればいいのです。(つまり、終業前に、部員に活動を終了させ下校させます。祝土日は大会・競技会を含め一切活動しないようにします。)
それに対して文句をいっても、すべて無効です。勇気をもって断りましょう。
簡単に教員を増やせません。正規は年間約1,000万円の税金がかかります。今いるスタッフで時間内にできる教育活動に抑えるべきです。むしろスタッフが増えると、管理職の労務管理負担がまします。そして、新たな仕事が発生します。(職員室の執務スペースの確保が難しくなります。)
現場が、次々と仕事を増やし「教師冥利」の悦に浸ってるのです。
私はあなたが言う「最低の教師です」。
世間では、非難する台詞とした「最低、サイテー」が多用されますが、私は自虐的な「サイテー」という称号を好みます。集団のメンバーに順位をつければ最高位と最低位が必ず存在します。だから、誰か一人は最低の位置にいなければなりません。その名誉ある位置・一人しかいない位置に居れるは喜びです。
「一生懸命に部活動に頑張る生徒さんの努力を認めないのは」に関連して
部活動生徒はその競技が好きだから活動してるはずです。他者から認められるためにするのではないはずです。結果的には他社から認められることはあると思います。(ここでいう「認められる」の意味は深く追求しないことにします。)「認めるか・認めないか」は他者が決めることです。他者がどう思うが、部活動生徒は「好きだからやる。おもしろいからやる。」で活動してほしいものです。間違っても「私たちのプレーで感動を送りたい、みんなを元気にしたい」などの台詞には違和感があります。
大会の在り方に賛同できないならその大会を選ばなきゃいい。
大会期間中は 多くの教員が駆り出され、大会に出ていない生徒のことが後回しになっています。 やれないのであれば、大会をどっかに委託すべき。
教員は,普段,まともに年次有給休暇が取れないから,5日間もらえる夏休みと,年次
有給休暇合わせて,15連チャンの休みを取りました。
それでも,年休が半分近く使い切れていません。
それにしても,部活動顧問をやらないというのは,自分だけでなく,家族にとっても
本当に精神的,肉体的にも健康的に過ごすことができます。
いったい,何年,バカみたいな部活動顧問をやってきたのだろう。
文科省は,全国の学校のコミュニティスクール化していく方向だそうだから,教員よりも
桁違いに多い地域住民に,しっかりと部活動を含め,学校を支えてもらいましょう。
それから,勤務時間外や休日の部活動で教員自身が怪我をした場合,公務災害になるのか
どうか,教育委員会に問い合わせたら,ケースバイケースだとさ。
明確に,公務災害になるとはいわなかったね。
回答を避けている印象が強かった。
部活動顧問。
実態として強制的に顧問をやらされているのに,好きで勝手に,自主的にやっている
ことにされ,タダ働きの上に,何か事故が起きたら責任を押しつけられ,トカゲの
しっぽ切りのように切り捨てられる。
部活動手当(特殊勤務手当)は,今まで給料表に記載されていないのだけれども,
これって税金がちゃんと支払われているのか。
まさか,自分で確定申告をしなければならないなんてことはないだろうね。
282. 須賀川さんへ
あなたの不満を「土日完全休業のオバチャン副担」に向けるべきではありません。為政者は手下が分断することを歓迎します。それによって、不満が自分たちに向けられないからです。
不満はないのよ。不公平感なんだよ。不公平感を解消するためには手当以外のなんかある?
では、なんともならないほど教員の仕事量が多いのですから、通常の業務にプラスでやっている部活を全国一斉に廃止せよという話で進めるか、本当に部活顧問をしたい人だけでするようにしますか?
給特法も廃止にする気はないみたいですので、管理職は勤務終了時間に職員を退勤させられなければ処分を受けるように話を進めましょうか?
まさか、これまで通りでやっていこうと中教審が言ったとしたら、管理職の犯罪行為を認めるわけであり、犯罪の幇助行為であり、組織的犯罪といっても過言ではないですからね。
周りが動き出したら合わせて動く。
日本の教師なんて、そんなもんだろ。
口だけの理想主義者。行動力0。
生徒達に偉そうな事は言えんよ。
一方でそのコメントにもあるように、困難校を立て直す手段の一つとして部活が機能している事実もあり。
部活動に何もテコ入れしない、とはならなさそうですが、しかしどのように改善するか。
①質問です。
野球部マネージャーが、ランニング同行の結果倒れ、不幸にも亡くなってしまった事案について。
この件は私立学校ですが、仮に公立学校で同じ事案が起こった場合、
「公務中の」事案になるのですか? 19時過ぎなので、勤務時間外になると思われますが。
②↑の、
>困難校を立て直す手段の一つとして部活が機能している事実
について。困難校をくぐりぬけてきた人間として考えること・感じることがいくつかあります。長くなるのでここでは書きませんが。
この点は意外と議論が尽くされきっていないのでは?
この点は、「部活動のシステムをなんとか継続したい」立場の結晶のようなものなので、部活動問題を考える際には地に足を着けて向き合う必要があると思います。みなさんのご意見をうかがいたいです。
②について
「荒れた学校を立て直すなら部活しかないだろ!」みたいにすぐに部活に飛びつこうとしますね。生徒を良くする手段として部活をするというより、部活狂教員がガンガン部活をやるための免罪符として「荒れを直すには部活なんだ!」と言っているのをよく見ます。生徒のためと言っておきながら、本当は自分の主義のためにしています。私の勤務校はこんな教員が力を握っていますが、部活にだけ力を入れて、生徒が学校生活で悪さをしてもたいして何もしません。学校は決して良くなっていません。
私は部活は教員にとって不当な重荷になっているばかりでなく、教員の暴走につながるため廃止が1番だと考えています。
①についてです。
校長が認めた学校管理下の部活動で起きたのですから、「公務中の」事案に該当すると思います。遺族は日本スポーツ振興センターし見舞金を申請できるはづです。(もちろん、加入していることが条件ですが)
②についてです。
教育困難校を立て直す業務すべて教員に向けることは、不条理です。教育は万能ではありません。限界があります。時代、地域、家庭状況など克服すべき課題が多すぎるのです。勤務時間内に教員としてすべきことをすれば、それ以上は教員の責任ではありません。学校や教員に期待しすぎてはいけないのです。
卒業後、「あの時、先生たちは俺たちを見捨てず、とことん付き合ってくれた。暗くなるまでボールを追った。」などと語る記事を見たことがあります。それを一般化してはいけないのです。一般化した段階で「セピア色の思い出」が万能薬のようになる危険性があります。
たとえば、患者を治療して健康な状態に持ってこれなくてもそれを「医療スタッフが不能だから」という人はいないと思います。
①は公務内にあったか、と思います。
「走って(学校に)"帰る"ように」と言っており、部活は終わってないので公務内と受け取れると考えます。
これが、部活終了後に自主的に走った場合グレイになると思います。
②について、私の発言が元なのでもう少し説明加えます。
立て直す手段の"一つ"です。部活によって立て直せるとは全く思いません。しかし、立て直すシステムの一つになってると考えます。
システムとは、授業規律、指導部中心の徹底指導、集会などでの訴えかけ、そして部活です。
部活の効果はガス抜きや連帯感、責任感などいろいろあると考えます。
部活を廃止するなら、そのリスクについて、進学校から困難校まで広く考えないと危険な気がします。
ここのブログでの議論は、部活動による「教員の多忙・時間外勤務にたいする弊害」からスタートしています。したがって、最優先にすべきは「部活動による教員の負担解消」です。それを前提にして議論すべきです。「生徒のため」「生徒も教師もウィンウィン」などと言い出すと、改革はすすみません。
「部活の効果はガス抜きや連帯感、責任感」などの効用を主張する際にも「部活動による教員の負担解消」を前提にアイデアを出すべきです。
最優先にすべきは「部活動による教員の負担解消」、という認識は同じです。しかし、よく見かける「部活動により教員の負担増=部活動を廃止すべき」という論調に異を唱えているのです。私の考えは部活動を存続させながら教員の負担を減らすor手当てを充実させる、です。
部活動廃止の是非に話が及んだため、前回のコメントをしました。
まず申し上げておきたいのは、
「私自身、部活動にまつわる諸問題は重大だと考え、かつ本ブログの主旨に基本的に賛成しております」
ということです。
* * *
さて、
①については、基本的に「公務」ととらえる方向でよさそうですね。
私もそう考えていました。
なぜこの点が気になるのかというと、
もし勤務時間外の部活動が「公務」であるのなら、「顧問をする・しないの選択権」は難しいのではないかと率直に思ってしまうからです。この点、私はまだ理解しきれていません。
「勤務時間外の部活動は、労務管理上『自主的』なものであるから『する・しない』の選択権がある」というのならわかります。しかし「公務」であるとすると……と思ってしまうのです。
このもやもやを自分なりに整理すると、
・時間外に実際行われている活動を、私たち自身は「公務」ととらえているのか、自主的なボランティアととらえているのか、それとも……
・管理側がどのようにとらえがちだと私たちは認識しているのか。そして当面どのように修正してほしいと私たちは願うのか。
・最終的に目指すゴールはどこなのか。
これらがごっちゃになってしまっている自分を発見した、ということです。
* * *
「部活動は自主的なものだ。法的な根拠に乏しい。教員が勝手にやってしまっている」
と私も思っていました。
校長から命ぜられたという点で職務ではある。しかしそれとて勤務時間内についてのこと。時間外の部分に責任は発生しない。と。
一方で、自分が部活動指導中に負傷した際公務災害認定されたという経験を経て、なんだかよく分からなくなってしまったのです。
私としては、さまざまな思いの前提として、
この「教育困難校における」部活動、というトピックが埋もれてほしくないと切に願う、ということを改めて強調します。
これは部活動問題全体と同じくらいに、平成の教育現場の縮図だと思うからです。
「関係ねーよ」「一部の話だろ」と感じられるかもしれませんが、とくに公立中高では、誰もが赴任する可能性がある、という意味で全体の問題です。そして、部活動問題に歪みがあるとしたら、それは、まさに困難校でこそ噴出し、教員を苦しめます。
* * *
本ブログの趣旨に照らしても、
「部活動なるものを抜本的に改革しようとするとき、困難校に勤務している・部活大好き先生がどのようにそれを受けとめるか」
という問題は、無視できない大きさがあると思います。
おそらく強烈な抵抗勢力となります。「免罪符」的先生にせよ、真摯に生徒と向き合っている先生にせよ。
「教員が少ないので、不本意な分野の顧問になる可能性が高い」「しかも部活の種類は減らされないので、三つの部活顧問をかけもちするのが普通」「生徒を《見張る》必要があるので、活動には常時張り付く必要がある。そもそも生徒数が少ないので、教員は基本的に一緒にプレーする」「教員間の生徒指導の考え方のすれ違いから、毎日心がねじ切られる」etc etc..
教員生活スタートでこういう状況に直面し(←困難校は新卒初任ばかり)、心身病む先生を少なからず見てきました。
その意味で、【フローラルカメムシ】さまや【通りすがり】さまのような意見に賛成です。
死にたくないです。
* * *
同時に、そうは言っても部活動によって、人生ではじめて生活習慣を確立し・表情がゆたかになり・「この高校で○○部でやれたのはガチで感謝してる」と言って卒業していった生徒達の記憶を、むげにはできない自分がいます。
その意味で、【半ROM】さまのご意見にも賛成です。
* * *
ときどきこの論点を思い出していただけると幸いです。
私は、次のようにとらえてます。
基本的には勤務時間外ですから、『する・しない』の選択権がある。だから、『しません』をヒラが選択しても、校長は職務命令はだせない。
校長が認めた部活動として行ったのであれば、特に勤務時間外は教員は自主的・自発的に部活指導をしたとみなされる。しかし、勤務時間外でも、教員が勤務校の生徒を指導しているんだからら「公務」として取り扱われる。当然、「教員」として振る舞い、「教員」としての責任が発生します。
例えば、生徒からの学習上の質問に答え、終業時間がすぎても教科指導をしたとします。もし指導中に事故が発生し教員がケガしたとします。もし、事故の発生時刻で補償が異なったりしては不条理です。
まとめます。~勤務時間外の部活動指導は、顧問に『する・しない』の選択権がある。もし、すれば、公務として取り扱う。~
そのような言葉が出れば、それまでの苦労がムダではなかった、と教師冥利に浸る同業者がいます。そして、「自分のしたことは間違ってなかった。」と肯定して、また翌年度も同じようにするのです。
しかし、部活動のために顧問が『失った時間』『自分や家族のために使う時間』は永久にもどってきません。昔の苦労を忘れさせる『麻薬』言葉に惑わされてはいけません。卒業して、『迷惑かけたが、ありがとう』といわれても、現実的なメリットはないのです。
時間外の部活動が公務かどうか、について。私の捉え方は、"外側から見たとき"どう見えるか、です。
「公務員の管理の下」で「学校施設(学校の指定した施設)」を使って活動が行われているものは第三者が見ても公務と見なせると思います。
292さんは時間外に公務を行なっているのに自主的なのか、という板挟みがあるのだと思います。
私も同感で、まずは部活動が公務の一つと認識を改める必要があります。
その上で、
・部活動顧問を選択制にする
・部活動顧問には十分な手当が与えられる
となればよいと考えます。
この手当とは、民間でいう管理職手当の意味合いです。つまり、残業分も含めて一定の報償を与えられるという意味です。
実現にいろんなハードルがある気がしますが、目指すゴールはそこだと思っています。
今問題になっているのは、わずかな手当(特殊勤務手当)よりむしろ、①教員の働きすぎによる弊害です。②活動時間の長さによる生徒たちの拘束です。
それらの問題を解決するには、手当を充実させることではなく、現行の部活をなくすことです。活動時間に上限規制をかけれことです。
通常業務をこなすだけでも時間内できない教員がすくなくない現実の中では、「部活に関わる教員の負担を減らす」くらいではこの問題は解決できません。
それは、教員が少しでも部活動に関わると、次々と仕事が湧き出るからです。練習場所の確保、物品の管理、部活指導員との打ち合わせ、各種事務手続き、ケガの処置、部活動での生徒指導上の問題指導、部活に関連した進路指導、などです。現行の部活動のような関わりをゼロにしない限り減らすことは難しいです。
また、十分な手当が与えられるがあると、生徒・保護者はそれを根拠に顧問に対して質・量ともにさらなる関わりを要求してきます。
部活動の必要性という視点で。
>むげにはできない自分がいます。
結論が感情論なら私の意見と違います。誤解を招いてすいません。
私がどうだったか、は二の次で、学校がどう変わったかという話です。
フローラルカメムシさんの302、
>現実的なメリットはないのです
とありますが、メリットはあります。学校環境がよくなり、授業しやすくなります。(念押しですが、部活動だけで達成するものではなく、部活動を含む学校生活の指導によってです)
>現行の部活をなくすことです。活動時間に上限規制をかけれことです
これは部活動自体をなくすということですか?
それとも部活動は残すが、活動時間を縮小するという意味ですか?
過去に発言されてるかもしれませんが、すいません、改めて教えてください。
その前の行に記載してある。「②活動時間の長さによる生徒たちの拘束です。」に対する方策として書きました。私は、基本的には「部活自体なくす。ゼロにする。」派です。それは、304にも書いたように学校や教員が少しでも部活動に関わると、次々と仕事が湧き出るからです。最初は「このくらいなら」となってもやがて拡大するからです。一旦、前例ができれば、「昨年はできた。前の顧問はしてくれた。」となるからです。
305. 半ROMさんの「メリットはあります。学校環境がよくなり、授業しやすくなります。」のイメージがつかめません。
私が想像すす光景は・・・散々迷惑をかけておきながら、卒業時にあるいは卒業後に「この高校で○○部でやれたのはガチで感謝してる」と卒業生に言わる・・・・です。(散々迷惑を掛けながら は 教育困難校 から連想しました)
このように言われてももう学校にはいません。これを言うより、在校中にまじめにすべきです。卒業後、教員たちの指導に理解を示しても、その教員たちには直接価値がないんです。その卒業生は過去の人ですから。
少しでも参加すると付随する業務が溢れ出し業務過多になる、という話ですが、他の分掌活動にも同じことがいえると思います。
例えば行事大好きな先生がいる間は、体育祭や文化祭にこだわりをもって、昨年もやれたんだから今年も、と不慣れな先生が苦しみながら長時間かけて追従するといったような。
じゃあ体育祭をなくした方が教員にとって幸せですね、として体育祭なくしましょうって言ってるのと同じに見えます。
活動時間に一定の制限を設けるのもありだと思います。でも存続ありきで考えるべきかと。
授業環境がよくなるというメリットについて。
部活動が非行の抑止の役も担っていると考えるからです。逆に部活動をやめて生活が乱れた話はよく聞きます。
ただし、これは部分部分を繋いで結論を出しているので半分予想です。これを裏付けるには、どこかの困難校で実験してみないと分かりません。
どうしても部活が必要なら、時間と人を用意しましょう。お金も正当に払いましょう。部活理想主義者の皆さんには受け入れがたいかもしれませんが、こういった話をずさんにしたまま、「必要だから」と言っても無理です。そりゃあ個々には搾取されながらも良い仕事をする先生もいますけれど、それを話の前提にするのはかなり無責任というものです。「教員なんだから誇りを持って自己犠牲しろ、そうすれば子供たちがよくなる」と言われてもうさんくさいとしか思えません。「神の国なんだからおまえたちが玉砕すれば日本は勝つ」ってのと同じくらいうさんくさいです。
みなさまのコメントを興味深く拝見しております。
* * *
【ごろう】さまのコメントに、うなづかされました。
「論点が整理されて、軸を常に確認しながら議論が進めば、建設的なんだろうな」という意味においてです。
部活動の問題については論点とすべき軸がたくさんありますね。マップがほしいですね。それぞれの軸について部会に分けて検討するようなフィールドがあるといいですね。困難は分割せよ、で。
「部活動は不当な負担となっている」という矛と、「部活動は教育効果がある」という盾は、議論の軸が違うので、話がかみ合わないかもしれない。いまさらですが。
(言うまでもなく、どちらもきわめて重要な論点です)
* * *
井上成美は、最後の海軍大将として終戦工作を推し進めた人ですが、こんなことばをのこしています。
「戦争に勝つということと、負けたくないという思いと、負けているという事実。これらを混同してはいけない」
部活動問題を考えるとき、私はこのことばを思い出します。
労働の対価に関して、部外者が その人を金の亡者みたいに 言う権利はない。
半ROMさま(305)の、
>結論が感情論なら私の意見と違います。誤解を招いてすいません。
>私がどうだったか、は二の次で、学校がどう変わったかという話です。
について述べます。
* * *
まず私は、半ROMさまの、「部活動は、学校環境をよくする様々なシステムのひとつ」というご意見に賛同する者です。
>私は二の次
についても、その通りです。二の次ととらえていただいてかまいません。
ただ、「私の感情」を無視はできないと考えています。
……この点を書き出そうとしたのですが、なかなかうまくまとまりませんので、いったんやめます。
それでも、要点を書くならば、
●生徒集団も教員集団も家庭も地域社会も、たくさんの「私」が集まってできている。
●それら「私」たちの「感情」をある程度尊重しないと、学校が保てない・つなぎとめられない現状がある。
●とくに困難校周辺において、「部活によって救われている」「部活しか居場所がない」「部活が学校をよくしている」という「感情」はきわめて切実である。
●部活動のありかたを改革するとすれば、この点が大きなハードルになるだろうと思う。
からです。
まあいずれにせよ二の次です。
「学校がどう変わったか」についての冷静な分析のほうが優先です。
ときどき思い出していただければそれでけっこうです。
>例えば行事大好きな先生がいる間は、体育祭や文化祭にこだわりをもって、
>昨年もやれたんだから今年も、と不慣れな先生が苦しみながら長時間かけて追従する
>じゃあ体育祭をなくした方が教員にとって幸せですね、として体育祭なくしましょう
>って言ってるのと同じに見えます。
について。
私の現勤務校と、前任校で、いずれでも、
まさに「不慣れな先生が苦しむ。体育祭はなくしたほうが教員にとって幸せだからなくしましょう」
という議論が真剣になされました。
一校では実際に体育祭がなくなりました。この点、お伝えします。
勤務時間内の行事なので、部活動とはおのずと性質が異なりますが。
* * *
揚げ足取りのようで恐縮ですが、
「それくらい大胆に見直しをしている事例もある。それくらい、『聖域』はもはやなくなりつつある」
ということをうったえたく、書き込ませていただきました。
>少しでも参加すると付随する業務が溢れ出し業務過多になる、という話
>他の分掌活動にも同じことが言える
その通りだと思います。「だからこそ」本気で業務の精選をするべきだし、実際精選が起こりつつあると、私は認識しています。
(そうそう、行事のみならず「分掌自体をリストラする」という議論も、少なくない学校で湧き上がっているのでは?)
その通りだと思います。
問題はコンプライアンスがグレイ(法令違反と断言はできないが、実体はブラック)という現状。これは色んな人の訴えがあるとおりです。
じゃあ次にどうしたら改善するか、は部活動を残す残さないから始まると思います。残さない前提で進んでいるようで怖いのです。
夜明け前さんの313について。
二の次ですが、全く無視と思っていません。
>「私」たちの「感情」をある程度尊重
とおっしゃっているようにある程度尊重すべきです。
二の次、と荒い書き方をしましたが、公務員は社会の奉仕者である以上、教員側の感情だけで議論してはいけないなと、個人的に思うのです。
夜明け前さんの314について。
少し予想していましたが、実際体育祭をなくすケースがあることに驚きました。
精選すべきと私も思います。何を基準に精選するかが大事と思います。
ちなみに体育祭をなくしたことで、生徒の変化、学校の変化はありましたか?気になります。
私は生徒会係主任ですが、文化祭のような生徒会の目玉行事でさえも空き教室でぼーっとしている生徒が無視できない数いるのが現状です。本校はいちおう地域では「生徒会活動が大変に熱心な学校」と言われているのにです。
行事ががつまらなくなっているとは思いません。生徒会役員は一生懸命に、それこそブラックな取り組み方で行事を企画しますが、一昔のような盛り上がりはありません。どんなに頑張って企画してもありがたがって飛びつく生徒は少ないです。
学校行事にしろ、部活にしろ、学校が一律に生徒に与える活動はあまり魅力的でなくなっているのは仕方ないことだと思います。昔は学校が一律に与えるおきまりの活動もそれなりに生徒はありがたがっていたように思います。おそらく、生徒の経済格差があまり意識されていなかったことや、情報の氾濫が進んでおらず、心理的に集団の同質性が担保されやすかったことで、一律な活動も支持を得やすかったことでしょう。
バブルの成功体験が幻想、と言われるのと同じく、教育でも一律に強度の高い活動を生徒に与えて成功を得るという考えはもう古いんではと思うのです。私の持つ某文化部は活動をきわめて少なくしていますが、地域のボランティアサークルや生徒会役員など、もう一つの顔を持つ部員が多いです。学校の部活は、大人が考えるほど生徒自身が絶対的に評価しているのか、も考える必要があるんではないでしょうか。学校の部活はあくまでone of~ です。ところがone of としての慎みに欠けるものが多いから私はどうしても学校の部活を好きになれません。
文化祭のような生徒会の目玉行事でさえも空き教室でぼーっとしている生徒が無視できない数いるのが現状です。
単純に各担任の指導力の問題では?
うちの学校でボーっとしている生徒が多いのは指導力のない担任のクラスが圧倒的に多い。
実際、都内の進学校では国公私立にかかわらず、学校行事は活気がある。むしろ、地方の公立中学では慢性的に惰性的なところが多い。しかも、教員もやる気がない。
夜明け前さん
体育祭を「不慣れな先生が苦しむ。体育祭はなくしたほうが教員にとって幸せだからなくしましょう」とのことでなくした学校があるとのことですが、本来何のために体育祭はあるのですか?
先生のためですか?生徒のためですか?その理屈で行けば、文化祭も修学旅行も、林間学校も「「不慣れな先生が苦しむ。〇〇はなくしたほうが教員にとって幸せだからなくしましょう」と全てあてはまってしまうのではないでしょうか。
もしも、部活も学校行事も全部なくしたら、ただ授業するだけになりますよね。そうしたら、学校は塾と変わらなくなってしまいませんか。
「部活も学校行事も面倒だからやめる」というのであれば、学校の存在意義とは何でしょうか。単純に「不慣れな先生」を理由にして「面倒なことはしたくない」ということなのではありませんか?
私は高校の教員ですが、子供が公立小学校に通っていた時の運動会の運営を見ていて正直、あきれたことがあります。臨機応変な対応ができないのです。仕方なく、運営本部に乗り込んで、いろいろアドバイスをしたことが何度もありました。
今は子供は私立中高一貫校に行っていますが、体育祭でも文化祭でも活気があり、「ぼー」としている子は見当たりませんし、先生方の運営も素晴らしいです。
半ROMさま
>体育祭をなくしたことで、生徒の変化、学校の変化はありましたか?
あまり詳しく書くと匿名性が担保できないのでぼかして書きますが、高校で、一日費やして行っていた体育祭をなくしました。「行事が過密で落ち着いた学習環境が保てていない。何かしら削る必要がある。何から削る?」で体育祭に白羽の矢。
日が浅いので何とも言えない部分がありますが、「過密な行事にゆとりを持たせるという観点では焼け石に水」というのがまず思い浮かぶ感想です。
スポーツ行事はその「体育祭」の他にもあることもあり、質の変化というより量の変化です。
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まことさま
実際指導力のなさを痛感しております。授業以外で生徒を引きつけてきらきらした空間を創っている先生方への嫉妬があることは否定しません。未熟者です。
>文化祭も修学旅行も、林間学校も
むきになっているようで恐縮ですが、これらも同じことだと私は認識しています。決して聖域ではない。
文化祭の開催可否、職員会で話題になりませんか? 「もうやめましょうよ。先生が空回りしているだけですよ」と。これも、私の場合、現任校と前任校でそうです。まあ校外との関わりもあるので、実際に廃止とまではなかなかならないでしょうが。しかし日程短縮などの対応は、実際に起こるかもしれません。
修学旅行。近隣に「高校の修学旅行は基本的に無し」という自治体があることもあり、「あって当然」という感覚は希薄です。あわせて、前任校では毎年、学年の1割ほどの生徒が不参加でした。主に経済的理由です。修学旅行は当然でしょうか。
全く同感です。
私が考えていたことを全て言い表してくださいました。
精選する際の基準は生徒と思います。
クラスの協調性や連帯感を育む機会がなくなったら悲しいですね。
夜明け前さんは公立中学校の先生ですよね。
学校行事も部活もやりたくなくて、勉強だけを教えたいのなら、塾講師か非常勤講師
になることをお勧めします。塾は部活も学校行事もありませんし、専任を希望しなければ
非常勤は授業だけで済みますから。非常勤に授業以外のことをやらせるなら、それこそ
違法行為ですし。
学校は塾とは違うといいますが、勉強しか指導できないのなら、塾と何も変わりませんよ。