お久しぶりです。
本当にお久しぶりです。ブログ更新、約2ヶ月ぶりとなりました。
ブログのコメントや Twitter において「新しい記事をお願いします」とのリクエストを頂いておりました。
満を持しての(?)、更新となります。
夏休み、いかがお過ごしでしょうか?
私はといえば、1学期の終わりに体調を崩してしまいました。
内臓が弱まっており、どうやらストレスが原因とのこと。
仕事においても、プライベートにおいても、ストレスをためないように過ごしていたはずでしたが、知らないうちに体を蝕んでいたという結果でした。
実は今年の4月に新天地に移動になり、新しい環境で仕事を続けてきました。
その中で部活顧問を拒否することは、結構な心労がたたるということでしょうか。
部活顧問を拒否して数年。
もう大丈夫だと思っていましたが、新しい職場でゼロから部活顧問の拒否を遂行することはきついものだったようです。
ストレスはじわりじわりと体の内側から忍び寄り、今に至ります。
現在の勤務校は部活動が非常に盛んです。
結果も芳しく、中総体の報告も素晴らしいものばかり。
その中で部活顧問を務めていないのは私ひとり。
意識するとせざるとに関わらず、深層心理では居心地の悪さを感じていたのかもしれません。
居心地の悪さは「部活顧問をひとりだけしていない」という異形の罪悪感に変化し、落ち込む日も少なくありませんでした。
教師としてのアイデンティティはその輪郭を少しずつ薄くしていき、教師としての自信も誇りもなくなっていきました。
これまで通りの孤軍奮闘の図。なのに、少しばかり疲れてしまったようです。
今は病状が9割ほど回復し、全快まであと少し。
励ましの言葉がほしいわけではないですが(内心、ちょっとほしい)回復に向けて頑張ります。
せめて2学期までにはなんとか元通りになりたいものです。
さて、部活動をめぐる動向についてですが、多くのメディア・新聞・サイトで部活問題を取り上げていただいています。
また Twitter においても部活関連のツイートが非常に多くなっています。
少しばかり時間のできる夏休みは、部活について考える契機となり得るようです。
今回は私の学生時代の部活について書きたいと思います。
私は学生時代に、とある運動部活動に所属していました。
練習はとても厳しいもので、休みは基本的にお盆とお正月のみ。
「水を飲んだら体力がなくなる」という考えから「積極的に水を飲みなさい」という考えに移行する過渡期でした。
汗を流しながら、ガンガンに練習に打ち込む青春でした。
また、大きな声では言えませんが、顧問による体罰も往々にして存在していた時代でした。
プレーで失敗するとビンタ、腹部を殴るなど私自信も体罰を受けた数は両手の指では足りないほどです。
そんな中でもチームメイトと協力して行う練習は楽しいものでしたし、それを乗り越えて試合で勝つことはなにものにも変えがたい経験でした。
また印象深いのは顧問への尊敬と信頼の思いです。
前述の体罰はありましたが、選手である私たちは「部活とはそういうもの」だと思っていましたし、むしろそれがあるからチームが強くなっていくのだとさえ感じていました。
また顧問はその競技の専門であり、また保健体育科の教諭でもありましたので、レベルの高い指導をしていただきました。
さらには放課後遅くまで、さらに土日も厭わずに試合を組んで下さいました。
県外への遠征も何度も行きましたし、県内でもある程度名の知れた、強いチームであったと記憶しています。
いつも厳しい指導の顧問でしたが、本当によくしてくれたと思います。
引退をかけての試合で負けてしまった私たちのチームは、最後のミーティングに臨みました。
今まで厳しい表情を崩すことのなかった顧問は、下を向いたまま顔を真っ赤にし、肩を震わせながら「お前たちを勝たせてやれなくて申し訳なかった・・・・・・」と泣きながら話したのです。
今までこの顧問と部活ができてよかったと、万感の思いになったのを今でも昨日のことのように思い出します。
私がよく言われるのは「あなたは部活を全廃にしたいのではないか」ということです。
また「あなたは今まで部活にいい思い出がないのだ。だから部活を廃止したいのだ」ということです。
答えはどちらもNOです。部活を全廃したいなどこれっぽっちも思っていませんし、私自信には部活の素晴らしい思い出があります。
ただ、昔の部活の思いに浸るにつけ、学生時代の私には欠けていたものがあります。
それは「顧問だってひとりの人間」という視点です。
私の部活顧問は、その競技が好きで好きでたまらないという人でしたし、土日返上の部活も苦にしない(ように見えていた)人でした。
しかし顧問にも愛すべき配偶者がいて、大好きなお子さんがいて、もしかしたら介護すべき親がいたかもしれない、もしかしたら大変な持病があったかもしれない。
そんな「かもしれない」環境の中で、部活顧問を引き受けてくれていたの「かもしれない」という配慮の考えが足りていなかったと思うのです。
確かに、学生時代からその考えに至るのは難しいかもしれません。
ではなぜその考えにいたるのが難しいのかを考えると、「知らないから」です。
今のようにネットが発達し、SNSが身近にあれば情報を得やすいでしょうが、当時はそんな便利なツールはありませんでした。
部活はやってくれて当たり前、部活は教師の仕事、教師には休みがなくても問題ない、教師は聖職だからお金のことには執着しない、教師は24時間営業・・・・・・。
知らないことは、配慮しないことにつながり、そして相手に依存していく構図ができあがります。
私の所属していた部活の顧問は本当に部活をしたかった教師だったと思いますが、そうでない人も多くいたことでしょう。
そう考えれば、本当に必要なのは部活について生徒に知らせることであり、教師自身が部活顧問をやるかやらないかを選択できる環境です。
教師が聖職というのはある意味では事実でありますが、その一点のみに縛られると依存の関係が出来上がってしまいます。
教師という職業について、お金も介在する真実の姿を生徒や保護者、地域に向けて発信していくべきではないでしょうか。
それは校長が部活動説明会で保護者に語ってもいいでしょうし、教育委員会が全体に周知する努力をしてもいいかもしれません。
一昔前のアイドル信仰に「アイドルはトイレに行かない」というものがあったそうですが、もちろんそんなことはありません。
それと同様に「教師は無償で働かされても文句を言うことはない」ということはありません(もちろんそういう神様みたいな人もいるとは思いますけれど)。
当時の部活顧問には感謝の言葉しかありません。
ただ、だからこそ、部活顧問を務めてくださる方には適切な労働環境や必要な対価があるべきですし、部活顧問を望まない人には、その任が強制されるべきではありません。
過去の美しい部活の思い出に耽るにつき、そんなことを思います。
各地で部活を考えるオフ会が行われています。
私の住む九州地方でも、部活のオフ会が行われる予定です。
参加されたい方は Twitter のDM までどうぞ。
記事の更新を頑張りたいと思います。
次回は何について書きましょうか。
それでは早いうちに。
本当にお久しぶりです。ブログ更新、約2ヶ月ぶりとなりました。
ブログのコメントや Twitter において「新しい記事をお願いします」とのリクエストを頂いておりました。
満を持しての(?)、更新となります。
夏休み、いかがお過ごしでしょうか?
私はといえば、1学期の終わりに体調を崩してしまいました。
内臓が弱まっており、どうやらストレスが原因とのこと。
仕事においても、プライベートにおいても、ストレスをためないように過ごしていたはずでしたが、知らないうちに体を蝕んでいたという結果でした。
実は今年の4月に新天地に移動になり、新しい環境で仕事を続けてきました。
その中で部活顧問を拒否することは、結構な心労がたたるということでしょうか。
部活顧問を拒否して数年。
もう大丈夫だと思っていましたが、新しい職場でゼロから部活顧問の拒否を遂行することはきついものだったようです。
ストレスはじわりじわりと体の内側から忍び寄り、今に至ります。
現在の勤務校は部活動が非常に盛んです。
結果も芳しく、中総体の報告も素晴らしいものばかり。
その中で部活顧問を務めていないのは私ひとり。
意識するとせざるとに関わらず、深層心理では居心地の悪さを感じていたのかもしれません。
居心地の悪さは「部活顧問をひとりだけしていない」という異形の罪悪感に変化し、落ち込む日も少なくありませんでした。
教師としてのアイデンティティはその輪郭を少しずつ薄くしていき、教師としての自信も誇りもなくなっていきました。
これまで通りの孤軍奮闘の図。なのに、少しばかり疲れてしまったようです。
今は病状が9割ほど回復し、全快まであと少し。
励ましの言葉がほしいわけではないですが(内心、ちょっとほしい)回復に向けて頑張ります。
せめて2学期までにはなんとか元通りになりたいものです。
さて、部活動をめぐる動向についてですが、多くのメディア・新聞・サイトで部活問題を取り上げていただいています。
また Twitter においても部活関連のツイートが非常に多くなっています。
少しばかり時間のできる夏休みは、部活について考える契機となり得るようです。
今回は私の学生時代の部活について書きたいと思います。
私は学生時代に、とある運動部活動に所属していました。
練習はとても厳しいもので、休みは基本的にお盆とお正月のみ。
「水を飲んだら体力がなくなる」という考えから「積極的に水を飲みなさい」という考えに移行する過渡期でした。
汗を流しながら、ガンガンに練習に打ち込む青春でした。
また、大きな声では言えませんが、顧問による体罰も往々にして存在していた時代でした。
プレーで失敗するとビンタ、腹部を殴るなど私自信も体罰を受けた数は両手の指では足りないほどです。
そんな中でもチームメイトと協力して行う練習は楽しいものでしたし、それを乗り越えて試合で勝つことはなにものにも変えがたい経験でした。
また印象深いのは顧問への尊敬と信頼の思いです。
前述の体罰はありましたが、選手である私たちは「部活とはそういうもの」だと思っていましたし、むしろそれがあるからチームが強くなっていくのだとさえ感じていました。
また顧問はその競技の専門であり、また保健体育科の教諭でもありましたので、レベルの高い指導をしていただきました。
さらには放課後遅くまで、さらに土日も厭わずに試合を組んで下さいました。
県外への遠征も何度も行きましたし、県内でもある程度名の知れた、強いチームであったと記憶しています。
いつも厳しい指導の顧問でしたが、本当によくしてくれたと思います。
引退をかけての試合で負けてしまった私たちのチームは、最後のミーティングに臨みました。
今まで厳しい表情を崩すことのなかった顧問は、下を向いたまま顔を真っ赤にし、肩を震わせながら「お前たちを勝たせてやれなくて申し訳なかった・・・・・・」と泣きながら話したのです。
今までこの顧問と部活ができてよかったと、万感の思いになったのを今でも昨日のことのように思い出します。
私がよく言われるのは「あなたは部活を全廃にしたいのではないか」ということです。
また「あなたは今まで部活にいい思い出がないのだ。だから部活を廃止したいのだ」ということです。
答えはどちらもNOです。部活を全廃したいなどこれっぽっちも思っていませんし、私自信には部活の素晴らしい思い出があります。
ただ、昔の部活の思いに浸るにつけ、学生時代の私には欠けていたものがあります。
それは「顧問だってひとりの人間」という視点です。
私の部活顧問は、その競技が好きで好きでたまらないという人でしたし、土日返上の部活も苦にしない(ように見えていた)人でした。
しかし顧問にも愛すべき配偶者がいて、大好きなお子さんがいて、もしかしたら介護すべき親がいたかもしれない、もしかしたら大変な持病があったかもしれない。
そんな「かもしれない」環境の中で、部活顧問を引き受けてくれていたの「かもしれない」という配慮の考えが足りていなかったと思うのです。
確かに、学生時代からその考えに至るのは難しいかもしれません。
ではなぜその考えにいたるのが難しいのかを考えると、「知らないから」です。
今のようにネットが発達し、SNSが身近にあれば情報を得やすいでしょうが、当時はそんな便利なツールはありませんでした。
部活はやってくれて当たり前、部活は教師の仕事、教師には休みがなくても問題ない、教師は聖職だからお金のことには執着しない、教師は24時間営業・・・・・・。
知らないことは、配慮しないことにつながり、そして相手に依存していく構図ができあがります。
私の所属していた部活の顧問は本当に部活をしたかった教師だったと思いますが、そうでない人も多くいたことでしょう。
そう考えれば、本当に必要なのは部活について生徒に知らせることであり、教師自身が部活顧問をやるかやらないかを選択できる環境です。
教師が聖職というのはある意味では事実でありますが、その一点のみに縛られると依存の関係が出来上がってしまいます。
教師という職業について、お金も介在する真実の姿を生徒や保護者、地域に向けて発信していくべきではないでしょうか。
それは校長が部活動説明会で保護者に語ってもいいでしょうし、教育委員会が全体に周知する努力をしてもいいかもしれません。
一昔前のアイドル信仰に「アイドルはトイレに行かない」というものがあったそうですが、もちろんそんなことはありません。
それと同様に「教師は無償で働かされても文句を言うことはない」ということはありません(もちろんそういう神様みたいな人もいるとは思いますけれど)。
当時の部活顧問には感謝の言葉しかありません。
ただ、だからこそ、部活顧問を務めてくださる方には適切な労働環境や必要な対価があるべきですし、部活顧問を望まない人には、その任が強制されるべきではありません。
過去の美しい部活の思い出に耽るにつき、そんなことを思います。
各地で部活を考えるオフ会が行われています。
私の住む九州地方でも、部活のオフ会が行われる予定です。
参加されたい方は Twitter のDM までどうぞ。
記事の更新を頑張りたいと思います。
次回は何について書きましょうか。
それでは早いうちに。
コメント
コメント一覧 (278)
アリです。
以前にも書き込みましたが、「顧問も選択制にした方がいい。ただし、業務に明らかな差がつくので、何らかの免除もしくは手当ても出すべき」という考えです。
まず本心を書きます。
部活動参加について、教員が生徒と同じ立ち位置で考えるのは違和感を感じます。
生徒にとって部活動は趣味興味の延長ですが、先生側は校務委員会、職会で承諾した業務です。ただし、どこまで付き合うかは個人差があってよいと思います。
次に現実解です。
現在の学校というシステムで教員の顧問担当希望が反映されなかったり、また顧問に求められる要求も高い。また、管理職の命令ではない点を考慮すれば、全員顧問制を廃止し、選択制にした方がベターと思います。
書きながら今ひとつ煮えきらないことがあります。民間では上司の指示で経験のない業務に就くことはブラックでなくても日常です。自分で勉強してスキルアップし、遂行します。
一方で部活顧問は管理職命令でなく自主的活動なので業務だろと言い切れない部分があり。いっそ分掌にした方がスッキリします。
取り留めのない長文失礼しました。
162. まりあ
>>中学校にいる多くの先生は高校の教員になりたかったけれど、学力不足で中学校の教員になった。なってみたら、中学校では生徒全員が部活動に入り、教員も全員顧問をやることを知らなかった。本当は部活の顧問もやめたいし、生徒が全員加入するのも反対だけど、管理職や教育委員会からの人事評価が怖くて、自分の口からはいえない。ただ、世の中がブラック部活動で、注目され、教員の働き方改革まで来たから、あわよくばそれに便乗して、自分たちはなんとか楽したい。でも、生徒のことは後回し。とりあえず自分たちがよければそれでいいということね。
悪意丸出しの解釈だね。
>>自分たちがブラックだから。生徒もブラックで仕方がないってどういうこと?
ブラック企業は,必然的に客にもブラックになるんだよ。
会社に大切にされていない従業員が,客を大切に扱うか。
ブラック企業会社員から比べれば,教員なんか親切すぎるぜ。
それをいいことに,甘えすぎなんだよ。
>>フローラルカメムシさんも結局、私が言ったようなことはしてないんでしょ?(笑)
>>だからリアクション取れないんでしょ? 結局、ただの自己中教員ってだけだよね。(笑)
この,最期に付いている「(笑)」は,どういう意味なのよ。
PTA会員にさせようとする、役員を強制させる、お金を出させる(どこに使用しているかわからないお金)のを押し付けてくるのはやめてほしい。
>>>自分たちがブラックだから。生徒もブラックで仕方がないってどういうこと?
>ブラック企業は,必然的に客にもブラックになるんだよ。会社に大切にされていない従業員が,客を大切に扱うか。
だからといって、教員が生徒にしわ寄せもって行っていいと云うのはいかがなものか。
しかも開き直って堂々と公言するとは。
>保護者ヅラしている「まりあ」とかといやつよ,おまえが部活動をやればいいじゃないかよ。
だから、教員が決めた規定見直せよ。
話はそれからだ。
PTAについては,教員も被害者だ。
着任と同時に,PTA会員に仕立てられ,勝手に給料天引きでPTA会費を引き落とされる。
しかも,自分の子供が通っているわけでないので,ただ取られっぱなしの状態。
ついでに,学校業務ではないPTAの会計業務やプリントの印刷,PTA総会などのの準備を
勤務時間中にやらされている。
部活動大好き教員と校長の関係と同様に,ゴマすり忖度と校長により,ほごしゃも教員も
被害を受けているってことだよ。
教員だから,生徒のためにPTAに加入して,会費を払って,PTA業務をやるのがアタリマエ。
そういうブラックなところが,保護者も入学したら自動的にPTA会員となっていて,
勝手に学校納入金口座からPTA会費を引き落とされる結果になっているんだよ。
これが,まさに,ブラック企業は,必然的に客に対してもブラックになる,
ブラック学校は,生徒・保護者に対してブラックになるということなんだよ。
>>だから、教員が決めた規定見直せよ。
その規定は,部活動大好き教員と校長によって決められたものだ。
下っ端のヒラ教員がどうこうできることではない。
それができるのだったら,とっくの昔に部活動顧問の強制などなくなっている。
だから,そういう規定がおかしいってんだったら,校長や教育委員会に言えと言ってんだ。
あなたの方こそ、名誉毀損罪もしくは侮辱罪で裁かれるべきです。
あいかわらず、無駄に長くダラダラと同じ事を繰り返すあなたのコメントからは、教師としての自覚や周りの人たちとの関係を良好に保ち、共に働こうとする意識が感じられません。
あなたが主張する、部活顧問をしなくてもいいとする権利は、あなたたちの法解釈により築き上げられているもので、裁判で確定したものではありません。
あなたたちの行動を批判する人たちを攻撃するより、裁判を起こしてあなたたちの主張が正しいかどうかを、司法の判断に委ねることが先でしょう。
そういうlことをしないで、「法的には」「法的には」と繰り返したところで、説得力を持ちません。
>>教師としての自覚や周りの人たちとの関係を良好に保ち、共に働こうとする意識が感じられません。
教員Qのいう「教師としての自覚」とは何か。
校長の気分で決まる給料連動評価システムが確立されている現在,全員がいくらがんばって
前年度より実績を上げても,給料の原資は決まっているので,上がる教員がいれば,必ず
下がる教員がいる。
教員間を分断させ,「教師としての自覚や周りの人たちとの関係を良好に保ち、共に働こう
とする意識」をぶち壊しているのは,校長や教育委員会なんだけどね。
それはあんたら教員が学校内で発言して追求すべき事。
都合が悪くなると、上司に言え社長に言えって宣う社員は信用されなくなる。
あと、PTAに関してはお互い被害者だから共闘しようというのなら分かるが、俺も被害者一方的に被害者なのは腑に落ちないから加害者にまわる、と言わんばかりのコメントはいがなものか。
私は組合の存在意義はある程度認めておりますが、組合がすくいきれない意見もあると考えています。その代表例が部活問題です。
組合はもちろん部活を問題視していますが、部活を積極的に争点にすることは行っていません。お上さえ正式な業務と認めていないものにこれほど長時間従事させられて、様々な責任まで負わされて、論理的には一番つつきやすそうであるにも関わらず。目先の理由としては部活の利権に群がっている保護者や業界団体や部活推進派の先生の支持が遠のくのを恐れているということでしょう。
言い訳ですが、組織は大きい問題ほど炎上を恐れて動けないので、正攻法の活動ができないのです。ただし、その反面問題点は異様にシンプルで明らかなので、「保育園落ちた日本死ね!」のように、硬直化した既存の組織を飛び越えてテーマが社会に着陸し議論を呼び、政府が対応を迫られるということが出ています。
組合が部活問題を避けている間に対策プロジェクトが署名などの行動を起こし、中教審も緊急提言を行いました。プロジェクトのメンバーは匿名ですが、社会に起こした効果は、職員会の中で少し現場の教員が頑張って発言したり教職員組合の中で話題にしたりするのを超えたと思います。「正攻法でやれよ」と言っているのは硬直化した時代遅れの組織に乗っかっている自分たちと同じ土俵に乗ろうとしない人たちのことが生理的に許せないから?組織を飛び越えたテーマが社会を先に動かす、と言う方がこれからの社会のリアルでしょう。
そのように発言したお前が悪い。教員なら、誤解を招かないような発言をすべきではないのかな?
>ブラック企業は必然的に客もブラックになるんだよ。
はあ?じゃあ何か?自分が気分が悪く、やってられないから、生徒も巻き込んで、当たり散らすというわけ?
お前、教員向いていないよ。やめたほうがいいよ。あ、そうか本当は高校教員になりたかったけど、なれなくて嫌々仕事してるんだ。それで腐ってるんだ。笑っちゃうな。お前何年目だよ。そんなに高校教員に未練があるなら教採受けなおせよ。お前みたいなのに指導受けている
生徒がかわいそうだよ。
結局お前は自分の仕事に自信が持てず、不満のはけ口を生徒にぶつけているだけじゃないの?
わたしは中学で外部コーチをしています。
ここで意見をおっしゃっている先生方はどれほどの人がわかっているかわかりませんが
私たち外部コーチもボランティアです。
それどころか毎年保険に加入しなければなりません。
その保険料は自腹です。
もともと外部コーチの制度は顧問の先生の負担を減らすために行っています。
うちの学校では顧問の先生とスケジュールを決めています。
私はサラリーマンですから毎日の部活には出られません。
でもスケジュールを決めることによって先生の負担は減っていると思います。
部活の顧問制度は違法だという前にこの外部コーチ制度をもっと生かせるものに
しようという意見はないのでしょうか?
もう学校のクラブ指導者に関しては「外部」という言葉ではなく、学校の一人の職員(非常勤ということにはなるだろうけれど)という位置づけで「部活指導員」として法律的にも位置づけられました。(この春からです)今は各自治体がそれを受けて制度設計や予算措置を準備しているところです。
生徒に対して指導の質が向上するという期待がある一方、本当に質の伴った指導者が来てくれるのかには疑問の声も上がっています。私としては部活指導員が配置されることで先生たちがどんなにか助かるだろうし、少なくともスポーツを教えることに対して正当な対価が払われる流れ自体はフェアなものであり、歓迎するつもりです。
実際には全国津々浦々の学校にまできめ細かい配置がされるにはほど遠いでしょう。それほどの予算を国や自治体がぽんと出せるとは思えませんから。課題は多いです。ただ、ちゃんと報酬を払って学校の職員として部活指導員を置きましょう、という流れは、真由子さんたちの働きによる世論の流れが大きいと思います。サラリーマンさんの会社が副業を禁じているのでなければ、サラリーマンさんがもっと正当な条件でクラブを教えられるようになるはずです。
教員はいくら残業しても残業代はありませんから、「同じ残業代を払うんだったらなるべく良い仕事をしてもらおう」という歯止めがききません。
民間の仕事のよいところは採算性によって業務に淘汰圧力がかかるところで、無駄な仕事は消える良さがあります(そんなにスマートに回っている職場ばかりでもないでしょうが)
学校の仕事には採算性による淘汰圧力がないですから、極端に言えば教員が内職(教材研究と境目があいまい)してるのと、部活しているのとどっちが生産性があるのか?ということすら結論がありません。というか、どんな活動に価値があるのかしっかり考えようよ、とすら誰も思いません。考えても損したり得したりしないからです。
教育をやたらとカネや数値で測るのは私も反対です。ただし、教育をいい加減に感情論でしか評価しない人が多いなら、教員に残業代をがっつり出すべきです。そうでないとどんな活動が社会で支えるに値するか、その場の気分だけの議論になり、誰も真剣に話し合わないからです。ちゃんと議論しない限り、部活は子どもの「やりたい」という個人的なわがままに大人がつきあわされているだけになります。社会全体が支えようと決意(覚悟)できて初めて、子どもがほぼ実費のみで楽しくスポーツできるなんて特権が許されるんです。
2017年09月13日 06:56
>なつかん氏の主張は,筋が通っていて,わかりやすいんだけどね。
あなたは筋が通っていて分かりやすい文章を読んだことがないのですか?
かのカメムシさんからも、だめ出しをされている文章を擁護するあなたの感性が信じられないよ。
>教員Qのいう「教師としての自覚」とは何か。
>校長の気分で決まる給料連動評価システムが確立されている現在,全員がいくらがんばって
>前年度より実績を上げても,給料の原資は決まっているので,上がる教員がいれば,必ず
>下がる教員がいる。
>教員間を分断させ,「教師としての自覚や周りの人たちとの関係を良好に保ち、共に働こう
>とする意識」をぶち壊しているのは,校長や教育委員会なんだけどね。
「教員としての自覚」もあんたにはないのか?
あんたの教員としての信念や誇りは、たかが評価システムが変更されたくらいで、萎えてしまうほど安っぽくちっちゃいものなのか?
変な評価システムは私も納得できない部分はあるけれど、それはそれであり、これまでに築きあげたものに影響するものではない。
あんたのコメントから想像するに、あんたは自分が満足できる働き方が出来ておらず、不平不満をたくさん抱えながら生きているようだが、上手くいかないことを「校長が」「委員会が」「保護者が」と他者のせいにばかりしているうちは、何も良い方向には進みませんよ。
崇高な教師の使命を自覚し、揺るぎない信念を持たない教師は生徒の前に立つべきではない。
まず民間企業で働かれている人に副業をお願いするのは難しいと思います。
ボランティアでなく職員となることで、賃金に見合う働きを要求することになります。また、本業が繁忙期でも簡単に休めなくなります。
副業が浸透しないのは、どちらにも責任が発生してどちらも半端になることが危惧されるからかと。
では、部活指導員で食べていけるかというとそれも難しい。
次にボランティアを考えたとき、コーチ側は保護者や兄弟、OBなどでなければ学校へ気軽に話を持ちかけられずかなり敷居が高いと思われます。
逆に教員側は近隣にコーチを頼める人がいるか情報がないため動けません。
外部コーチを進めるなら、橋渡しが必要と思います。
一帯となって子供たちを育てましょうという趣旨で設置される。
町内会長,PTA会長,近隣の学校長,学識経験者,会社経営者等々が,学校運営協議会
の委員として,教育委員会から任命されている特別な公務員という身分だ。
校長は,このような学校外部から部活動ボランティアを依頼するまたとないチャンスを
十二分に活用すべきだ。
学校運営協議会で,部活動ボランティアをやってもらえるように,それこそ,委員にノルマ
が課されるような合意を取ってみろよ。
コミュニティスクールと教育委員会から指定された学校で,学校運営協議会が中心となって,
部活動ボランティアが配置されない学校は,校長の能力がないか,校長にやる気がない
と追求すべきではないのか。
>学校運営協議会で,部活動ボランティアをやってもらえるように,それこそ,委員にノルマが課されるような合意を取ってみろよ。
だから、それは教員が決めた規定を改定してから。話はそれからだ。何度言えばわかるのか。日本語理解できますか?
結局、お前は他力本願だね。
何かあれば、「校長が」「教育委員会が」それしか言わない。
いや、言えないのか。(笑)
お前は今の自分の境遇に満足できず、自分でも努力せず、ただ他者のせいにして文句を言っている愚か者だよ。
そんなに今の仕事が嫌ならやめればいいじゃないか。(笑)
やめて高校教員になれるように勉強しろよ。(笑)
教採受けなおせよ。(笑)
お前みたいな教員に指導を受けている中学生の方が被害者だよ。
2017年09月14日 09:46
どうしてこんな時間に投稿できるのか不思議です。
明らかに勤務時間中だろう。
もしくは本当は教員ではない、なんちゃって君ですか?
もし、本物の教員なら、勤務時間中にネットに書き込むのは止めましょう。
ごろう氏もとおる氏も慎むように。
信用失墜行為ですよ。
この時期、運動会振替じゃないですか。平日の今日も昼間にチャリンコ乗る子供集団見ました。
木曜日に振替などあるわけない。
例えば、予行練習(プログラム順に一通り流す。一部の競技は入退場のみ。)を水曜日に実施するところがあります。すると疲れで翌日の木曜日を欠席する生徒が少なからずいます。そこで、木曜日を本番前日の土曜日の振替日として休校にするのです。本番前日の土曜日は、最後の練習と前日準備にあてるのです。
つまり、本来は休みである本番前日の土曜日に登校させ、その分を木曜日に振り替え、休みにするんです。
本番の日曜日の振替はその翌日にあてるのです。
例えばと書いているから、妄想の類なのだろうけど、そこまで庇う価値があるのですか?
私の勤務校(勤務自治体)は生徒の部活加入については任意です。私が中学生時代もそうでした。
まりあさんの地域では「部活動は全員参加」と言われていますが、教師は「うちの学校では、全員参加となっている」と答えたのではないでしょうか。「全員参加です」と断言しなかったのではないでしょうか。それは、自分自身がその決定に賛同しているわけではないが、「伝統的にそうゆうことになっている」というニュアンスです。
ホームぺージを見ても「原則として全員参加」と記載された学校がほとんどです。たから、この「原則として」という言い方により、学習指導要領との整合性を担保してるのです。つまり、事情があれば部活に参加しなくていいのです。
また、ある中学校の生徒手帳に「・・全会員はいずれかの部に所属するものとします」とありますが、「・・所属するものとします」とは、「それなりに理由があれば所属しなくてもよい」という意味なんです。つまり、教師が「全員参加」といってもその内容を十分理解していないことが少なくないのです。(https://twitter.com/HEIB36710512/status/898897717589454852)
あります。http://www.kita9.ed.jp/shiei-j/gyouzi/H29/201709.pdf
私の認識不足でした。確かに運動会を巡ってそういう振替の方法も存在しているのですね。
失礼しました。
とはいえ、勤務時間中に行われているすべての書き込みが運動会の振替休業日に行われているとは実証できないわけで、社会一般の人々の目からみると教員の信用を損なう行為であることは否めません。
実働している教員なら、もしくは教員じゃないけど教員であると公言してコメントするなら、勤務時間の時間帯に書き込みを行うのはやめてください。
教員Qさん
ビッグマーチさん
部活動は親がやれば良いさん
とおるさん
この人達がいなければ、論理的な意見交換ができる掲示板なのにな。と感じました。
自分の感情をむき出しにしてぶつけたり、相手を罵倒したり、蔑むようなことを言ったりしたいのなら、真摯に意見を交わし会う人達の中に入って来たりせずに、別のところですればよいのではないでしょうか。
では、部活動に参加していない生徒もいるのですね?
名目だけ任意で、実態は異なるということはないのですね?
一つお聞きしたいのはフローラルカメムシさんはおいくつぐらいですか?
50代前半? 50代中頃? 50代後半?
というのは、フローラルカメムシさんが中学時代は部活動は任意となっていたので。
私には15歳年上の従姉がいます。今年、51になります。その人にも聞いたことがありますが、部活動は任意ではなかったと言っていました。
フローラルカメムシさんが50代前半なら、うちの従姉と同じ年代ですので、どうしてそんな差があるのか疑問なのです。
私の勤務校は、名目だけではなく実態も任意参加です。もっとも、学校が保護者より徴収する校納金の中に「部活動振興後援費」なるものがあり、全生徒から集めています。そこから、交通費、用具費などが部員数に応じて各部活動に配分されています。
私は50代後半です。
「同じ年代ですので、どうしてそんな差があるのか疑問なのです。」についてですが、年代ではなく地域性があるようです。このブログの中でもその点は指摘されています。東北地方では、「原則として全員参加」が多いようですが、私のところは40年以上前から「部活動は希望者のみ参加」です。私はこのブログを見て、「原則として全員参加」の学校があることを初めて知りました。
レスポンスをありがとうございました。端的なご説明で、よくわかりました。
質問段階で、
>教員が生徒と同じ立ち位置で考えるのは違和感を感じます。
>先生側は校務委員会、職会で承諾した業務です。
というご反応を予想していました。むしろこの点をもっと前面に出されてくるのではないかなとも思っておりました。だから、「解」として
>全員顧問制を廃止し、選択制にした方がベターと思います。
という結論を提示されたのが、心情的にはちょっと意外でした。しかし考えてみれば、以前からそう主張されているのですよね。
私の「本心」は、「学校部活動は、《原理的に・根本的に》根拠がきわめて曖昧であるから、廃止も含めた抜本的な変革が必要。ましてそこで既に不幸な諸問題が起こっているのであれば、なおさら喫緊の課題」というものです。だから私の感覚では、顧問の選択権は「ベター」というより「マスト」です。この意味で、半ROMさまのご認識と私の感覚とは質的にだいぶ異なるのだと思います。スタート地点が違う、と言えましょうか。
にもかかわらず、「現実解」は同じ方向を向いていくというのが、興味深いです。
>先生側は校務委員会、職会で承諾した業務です。
>部活顧問は管理職命令でなく自主的活動なので業務だろと言い切れない部分があり
については私は、「部活動は職務である。(ただし、各校・単年度ごとの決定)」という認識でいます。
自治体の違いもあるかもしれません。私の自治体の原則によると、部活動は校務分掌であり、校務分掌は(分掌委員会等の連絡調整も参考にしつつ)学校長が「任命」するものです。実際、あるとき管理職に「部活動は職務ですか?」と問い合わせたところ、回答は「職務である。①学習指導要領に根拠がある。②年度当初に校長が任命し、職員会で確認している。③ただし時間外勤務を命じるものではない」とのことでした。①は曖昧であり、③は非現実的ですが、②は良くも悪くも否定できない。
だから、よく言われる「部活動は教員が自発的にやっている」という言い方は、「部活動は学校が(校長の任命により、職員会確認を経て、単年度で)自発的に業務・職務としている」と言い換えるべきだと思っています。「全員顧問制」の決裁権と責任は学校長にあり、つまり学校長が職員に強いているものであり、それが「違法だ」と訴えることは、「ウチの学校長の決裁が違法だ」と当局に訴えるということです。(違法性が認められるまでは、そうはいっても所属長の命令ですから、職員として命に服すのが基本だと個人的には思います)
私が「学校部活動は根拠が曖昧だ」というのは、それが職務でないからというより、むしろ職務であることを否定できないからです。だからこそメスを入れ、抜本的に制度変革することが求められると思っています。
同時に、部活動に関わる諸問題については個々の管理職の責任が非常に重いということが、意外なほどに軽視されている気がします。部活動が存続する限り、私は絶対に管理職になりたくありません。(まあ心配しなくとも、なれませんが)
ひとりごとですが、
要するに、しごとである以上100か0かだと思うのです。
「現在120くらいであるものを、60くらいに減らせるように落としどころを探ろう」という発想が嫌なのです。
60という目標も、そもそも120という現状もおかしい。その曖昧さにおいて。
やるなら構成員全員で徹底してやるべきです。全員が徹底してやる「価値がある」「できる」ものでないとすれば、0にすべき。各業務の「100 or 0」のスイッチを切り替えるのが、管理者の役割ではないでしょうか。
だから「本心」を言えば、「選択権を」という言い方も違和感があります。そういう言い方が戦略であることはじゅうじゅうふまえつつも、「本来は0にすべきなのだ」という命題が薄まるのは嫌です。
……青きに過ぎるかもしれませんが、集中すべきところに集中したいという思いから、こんなひとりごとを書きました。
2017年09月15日 12:29
>この人達がいなければ、論理的な意見交換ができる掲示板なのにな。と感じました。
自分が一番ひどいことを発言していることに気づいてください。
いろんな考えがあり、いろんな人がいるのが社会です。様々な立場の人々が意見をぶつけ合うのが議論です。「この人達がいなければ」と感じるのは、あなたの尺度であり、すべての人が共感できるものではありません。自分の感性にそぐわないからと、その人達を排除しようとする排他的な考えでは、教師としては務まりませんよ。
「あの子たちさえいなければ、良いクラスになるのに・・・。」
教員が陥りがちな、負の感情です。こう思い始めただけで教師失格です。
実際の学級とネットの世界は土壌が違いますが、共通する事は排他性です。
あなたがどれだけ優秀な学生さんかは、存じませんが、教師を目指しているなら「この人達さえいなけえば」と考えてしまう自分の心を見つめ直し、明らかに年長者である人たちへの最大限の暴言を謙虚に反省してください。
①「生徒が活動できなかったら可哀想だから、専門外の部活の顧問を引き受けている」
②「同僚が全員やっている事を自分だけやらないのは、引け目を感じる」
③「管理職も、全員顧問制を推進している」
④「保護者が、推薦入試の実績稼ぎのため、賞状をとるレベルの活動を求めてくる」
⑤「自分自身、教師の性なのか『子ども達の為にお願いします』と言われたら断りきれない」
⑥「授業は成果が見えにくいが、部活動は成果が見えやすいので、部活動に逃げてしまう」
等々があります。他にも色々ありますが。
自分は、こんな考えです。
①②③に関しては、波風を立てないよう副顧問を引き受けています。もし、「主顧問のなり手がいない。引き受けてくれないか」と頼まれたら、「安全上、活動の責任が持てません」「ド素人の自分が顧問を引き受けないと活動できない部なら、解散した方がいい」と答えます。後は、管理職が考えることです。
④に関しては、可能な限り保護者に会わない、もしくは会っても部活の話を深くしないようにしています。
⑤に関しては、私も教師である前に一人の人間として、休むこと、自分の趣味をすることも必要なのだと自覚するようにしています。
⑥に関しては、自分自身で成果を見いだすようにしています。いつも教科書を開かない生徒が、自分の話を聞いて「面白い」「分かりやすい」と思い教科書を開けば、それが成果です。(管理職も、そんなところは見ていませんが)
いっぽう任命権者が教員の時間外労働を前提にした活動を承認したり、時間外労働で成り立っている便益が失われることやそれに対する外部からのクレームを嫌がって時間外労働を未必の故意で放置し、「私は時間外にやれとは命令していない」と逃げることには違法性があると考えます。それはみんなで合意したかどうかは関係なくです。過労自殺はみんなで決めたことであっても正当化されません。
おっしゃるとおり、仕事は極端な言い方をすれば0か100かです。部活も組体操も2分の1成人式も、何らかの効用や感動はあるでしょうが、限られた資源の中で行っていくのですからなくすものはなくすべき。資源が限られている場合、何かをやるイコール何かを捨てようと言っているのと同じです。部活をやりたい、という人は、授業を捨てましょう、家庭を捨てましょうとは言いません。(言う人もいるけど)労力の捻出先を言わずに良いことだからやろう、と言うのです。感動の代償に目を向けようとしないのです。
職員会で業務の精選を協議して合意形成をするのがいちばんとして、それはとうぶん難しいでしょう。ただし、職員会でそう決まったからやるべきだとか、職員会で反対しなかったからやるべきだ、というのはよくないと思います。電通の高橋まつりさんが労働条件の改善のため社内で徹底抗戦しなかったのが悪い、と言い出したらせっかくの議論が止まってしまいます。
仰っていることは立派に見えますが、貴方のこれまでの書き込みを読めば、結局貴方のやっている事は「色々な意見がある」と言いながら、単に自分と合わない意見を否定して貶めているだけですよ。
貴方が真に「多様な意見を尊重するべき」という考えであるならば、貴方の発言を非生産的だと考える私の「意見」も1つの捉え方として受け入れるべきではありませんか?
敬われるべき「年長者」ならば。
これから教員になる方々には言っておきたいのですが、部活をやりたいとしても、ライフステージの変化も今から考えておいてください。若い頃時間外労働がなんともなかった先生も、結婚妊娠出産や自分の身体の衰え、親の介護やら、あるいは自分の婚活妊活など、やるべき事がたくさんあるのです。
部活に邁進する先生にはそれを支えながら片親状態で子育てする配偶者とか、様々な犠牲者がいます。教員の妻(夫)になったんだから我慢しなさい、というのには賛成できません。お医者さんでさえ労働条件を放置していたらなり手がなくて出産も安心してできないような自治体だらけになってしまっています。
教員は生活がすさんだ人が多いように思います。取捨選択できない要求を全て飲み込んで生徒の前では笑顔だけど自分は私生活がなくカップラーメン食べているような・・・でもそういう職業人生活にはいずれ無理がきます。周囲の人たちも巻き込んで傷つけます。
私は子ども時代から一貫して部活動には距離を置いてきましたから、教員になって部活をやりたい!!という人の気持ちがいまだによくわかっていないように自分でも思います。しかし同様に、自分や、それだけならまだしも自分の家族を仕事なのかさえ微妙なもののために犠牲にできてしまう人に、普通だけど愛情ある生活を送りたい人の気持ちが本当にわかるのか?という疑問を持っています。
まだ社会にも出ていない、実働経験もない君からすると、私の発言は非生産的としか感じられないかもしれないね。
もしかすると、学校を今よりも楽ちんな職場にしてくれるかもしれない顧問拒否の人たちを攻撃するような発言を繰り返している教員Qは、ドラマの悪役みたいなものでしょう。
軽はずみな発言を反省して欲しいと願いを込めて、前のコメントを残したわけだが、開き直って倍返しの攻撃を仕掛けてくる君のコメント読んで悲しくなりました。君のような人間が教員を目ざしているのかと思うと、更に悲しくなったよ。
ありがとうございます。
ごろうさんの書き込みはどれも論理的で説得力があり、勉強になります。アドバイス、真摯に受け止めて考えたいと思います。
思えば、中学校時バレーボール部だった自分の顧問は、授業も面白く、部活動の時は厳しさの中に優しさも持ち合わせた尊敬すべき先生でしたが、当時40歳前後で独身でした。
「先生カッコいいし、早く彼女作って結婚しなよ!」なんて部員みんなで言っていたものでしたが、よく考えれば平日は学校の活動後に近所の体育館を借りて夜まで練習し、土日もほぼ全て朝から夕方まで指導していた先生に、女性と出会ったり、ゆっくりデートしたりする時間はほとんど無かったように思います。
それが結婚されない直接の理由かどうかは分かりませんが、一端くらいは担っていたかもしれないと考えると、いかにその先生が自分たちにプライベートを削ってくれていたのかと思います。しかも、自分たちには3年間ですが、その先生は先輩や後輩の代にも同じようにされていたわけで。
自分は将来、教員として生徒のために頑張りたいと思う一方、いずれは結婚して家庭を築きたいと思いますし、親が年老いた後には親孝行などもしたいと思っています。
部活動も頑張りたいとは思っていますが、様々な事情で自分の家族と天秤にかけなければならなくなったなら、生徒の命が脅かされるようなトラブル(いじめなど)でない限り、部活動に秤が傾くことはないと思います。
ですが皆様の話を聞いていると、それを「許さない」という空気があるのが今の教育現場なのですよね。
貴方は、他人の意見を否定するだけでなく、否定する相手の発言を「しっかりと読む」ことすらしていないのですね。
残念な限りです。
反応をありがとうございます。
>過労自殺はみんなで決めたことであっても正当化されません。
という視点は、そうかそうだよな、と気づかされました。冷静に考えてみれば当たり前のこのことを、私たちはときに忘れてしまいますね。これはちょうど、うつ症状に追い込まれたときの視野の狭さに通ずるものがありますね。すべてを「自分のせい」ととらえ、「堪えられない自分が悪い。みんなは堪えている。自分はいなくなったほうがいい」と結論づけてしまう。
伝わっているとは思いますが、念のため補足します。「しごとは100か0かだと思う」という表現をしましたが、これは「みんなが馬車馬のように100働くべし!」という趣旨ではありません。ふつうの人が、健全ながんばりを少しずつ持ちよって達成されるラインをあらかじめ目標とし、そこを「100」と設定しましょうよ。それ以上働く必要はない。でも決めたことだからそこまではやりましょうよ。という趣旨です。
ふつうの人が健全にがんばりあっても達成されない性質の事柄は、つまり「不可能」なのだから「目標にすべきでない」。どうしてもそこを達成したければ、管理者が人を増やすなり納期にゆとりをもたすなり具体的な対応をしましょうよ。それができなければ、誰かが善意で身を削っても不幸になるだけだから、勇気を持って撤退しましょうよ。と言いたかったのです。部活動しかり、過密な行事しかり。
要解決課題としてまず思い浮かぶことが三つあります。自戒を込めて。
①
「教員を目指してるんだったら、部活があることくらいわかっていたはずだ。部活がいやなら最初から教員を目指すな」問題。学校部活動問題が語られる際に、この台詞がよく飛び交います。これに対する認識(反論)を個人的に確立したいし、現場の管理職や教職課程指導者にも意識していただきたい。私自身はまだ有効なことばをもてず、歯がゆい。
②
若手が使いつぶされる問題。私自身、「若手」時代を振り返るに、苦労の中でスキルアップしてきたという感覚が低いのです。苦労しました。本当に身を削りました。しかし、身を削っただけ。疲弊しただけ。得たものが希薄。……もちろんこれは客観的な自己認識ではなく、思い込みの面もありますが。しかし実際、教員の働き方をとりまく諸問題の最大のイシューがここにあると私は感じます。教員が育つ環境が整っていないのです。忙しすぎて、PDCAがDDDDになってしまう。僻んだ言い方をすれば、誰かのスキルアップや誰かのラクのために、総じて若手が犠牲になっている。
③
「俺は苦労してきた。だからお前も苦労すべき」というエクスキューズ。
学校に限らないかもしれませんが、このせりふが組織にもたらす害悪は計り知れないものがあります。引き継ぎがおざなりになります。怠惰と放任を正当化します。時代の変化に鈍感になります。
私は後進にこのことばを吐きたくありません。お人好しと言われようと、「無駄な苦労はしなくていいよ」と言ってあげたい。後進が健全に育つ環境を整えるのが先輩のつとめだ、とうったえたい。
すいません。私の理解力が足らずおっしゃる意味が把握しきれずにいます。
「部活動の根拠が曖昧」というのは、教員の自主的活動といいながら一方で管理職が命じているから、ということでしょうか?
また全員顧問制が違法というのもちょっとよく分かりません。
中学校ではどうか分かりませんが、(私の知る)高校では顧問担当を分掌の生徒会が作成→校務委員会→職員会議で決定します。
もちろん生徒会の草案を最終的にGOサイン出すのは管理職なので管理職の命とはなりますが、提案は生徒会、つまり教員側と認識しています。
例えば入学式卒業式やスポーツ大会のいろんな仕事に対して担当を振るイメージです。
私が選択制がベターと考えるのは
・想像以上に不満の声が多い
・全員参加でなくても部活動を維持できる
・部活動顧問の負荷は大きく、追加業務というには重たい
といったところです。
おっしゃるとおりで、私自身、実は認識に穴や矛盾があるなあと感じていたところでした。混乱させてしまって申し訳ありません。
>部活動の根拠が曖昧
校長が命じているので従わざるを得ない職務である。一方で、法令上教育課程に「直接」位置づけられておらず・部活動顧問が教員の本務であるという趣旨も見当たらない。教員のしごとであるようなないような曖昧さが否めない。まして閉庁後=勤務時間外の活動の位置づけや顧問の責任についてはなおのこと曖昧。
>全員顧問制
違法というか、「校長が職員に部活動顧問を強いる直接の根拠となる法令がないのが問題」という認識です(全員・選択に限らず)。しかし後述の通り校長の責任と権限において命ぜられていますので、職員は当面従わねばなりません。百歩譲って部活動指導を教員の本務とするならば、(授業と同じ位置づけになりますから)、全員が顧問を担当するかたちにするべきです。
要するに、「顧問が教員の本務であるならば全員が負担すべきで、本務でないならば誰もやらないべき」ということです。「本務とまではいえないけれど、まあできるだけやろうよ」などという業務は存在すべきでない。納税者に申し訳が立ちません。
>分掌
私は高校勤務です。
私の自治体では、決定の実質的な流れはご紹介のものと一緒ですが、位置づけは質的に異なるようです。「担当を振る」のとは一線を画します。過去、内規に分掌立案の申し合わせがかなり細かく(数頁にわたって)明示されていたのですが、数年前にすべて削除され、「校務分掌は校長がこれを決定する」のたった1行になりました。教委からの指導のようですので、各校足並みをそろえているはずです。職員会でも、協議事項ではありません。校長からの告知です。「委嘱」ではなく「任命」。部活動顧問もここに含んでいます(……のはずですがこの部分がキーかもしれない)。
という表現をよく目にしますが、とても気になっています。(半ROMさまの主張の要点とは、ずれます。すみません)
学習指導要領にある記述は「生徒の自主的、自発的な参加 により行われる」ですよね。部活動顧問が教員の自主的活動である(べし)とは書いていません。そりゃ当たり前で、「自主的な活動/業務」などというものは職業人に存在してはいけないのですから。まして地方公務員は「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」のですから。
だから、「(勤務時間中に)教員の自主的活動」が行われているという表現は、私たちは上司の命令に従っていませんよ、服務規程に反していますよと自らを告発しているようなものだと私は感じます。よく言えるよな、と思います。
「(勤務時間外に)教員の自主的活動」が行われている、という部分のほうがまだわかるくらいです。
私たちは教師として生きているのではなく、一人の人間として、教員という職務に服しているはずです。「命ぜられた職務をしている」か「プライヴェート」か、どちらかしかないはずです。
「自主的な活動/業務 の時間が発生してしまっている。よくないね。是正すべきだね」という文脈の文章についてすら、「『自主的』などという表現を軽々につかうな!」と突っ込みたくなります。細かいことを気にしすぎかな?
>校長が顧問を強いる法律がない
強いてないので法律がないのだと思います。
校長は責任者ですが、担当顧問を考え命じてるわけではありません。あくまで分掌担当から上がった顧問担当案にGOサインを出し何かあれば責任をもつ、です。(この認識が違うのであれば勉強し直します)
>自主的活動
いろんな人が使うので共通語と思い使っています。私は顧問について職務であり自主的活動を含むという認識です。自主的活動とは業務遂行に必要な作業を判断し行う、という意味で使ってます。そういった意味では授業準備も同じです。
1時間の授業をするのにどれだけ準備をするか、定時後もやってくれと管理職から命じられてませんよね。それでも子どもが少しでも分かりやすくなるように、と遅くまで準備する。自主的な活動です。私が言いたいのは自主的という言葉ですが、「業務に含むものと捉えている」ということです。
ただし時間は限られていてあれもこれもやっていたら首が回らない。優先は授業準備からでしょ、部活までやってたら定時に終わらないよ、からこのブラック部活問題に繋がっていると認識しています。
仕事はゼロサムという話題。
同僚にも100点を目指したがる人がいて、教員の性質なのかなぁと感じました。
大学の単位をイメージしてください。
100点を取れば優がつきます。しかし60点でも2単位です。
なお、何を100としているか、またまた分かりません。
>ふつうの人が、健全ながんばりを少しずつ持ちよって達成されるラインをあらかじめ目標とし、そこを「100」と設定
達成されるラインなのに達成されないというのも矛盾ですし、達成されないのならラインを下げればよいと思うのですが。
私の知る、一番負担の少ない部活時間は、週1回1時間です。
それでも負担は負担ですけどね。
授業準備不足だと授業に差し支えますが、部活動不足でも差し支えません。
授業準備しなくてもうまく授業ができれば問題ありませんが、部活動をしなければ部活動が困ります。
また自主的活動というのは「(部活は)生徒の自主的活動」ということで、教師でいえば「(部活は)教師のボランティア」と、用語が違うと思います。
教師の仕事のあり方を考えなければならない、という点では同意見です。
自主的活動という言葉について、生徒と教員とで意味合いが違うのは承知してます。
生徒の方は置いておいて、教員の意味合いは、業務を達成させるための自己研鑽、準備、補填、ケアなど付随するものです。(何か他に良い呼び名ありませんかね)
前半の話、もう少し細かく教えてください。
私は授業も部活動もほとんど同じものと見ていて、部活動も準備していきます。ただ、授業の方は生徒の自主的活動がないので教員主導でやらねばならないという思いです。
授業準備は部活の例えにはぴったりではないと感じました。他の例え方の方がいいかと思いました。
授業準備は授業に付随する活動ですが、部活は何に付随する活動かといったら…部活に付随する…としかいいようがないですよね。だから例えにはあまりしっくりこないかなと思いました。
部活を行うために付随する部活準備や活動時間を想定しました。
例えば、ルールを学ぶ、練習方法を学ぶ、活動場所を交渉する、試合を組む、部費を管理する、…といった準備。そして週何回、何時間行うのか、という活動時間。
一方、授業を行う付随活動でいえば、教科書を読み込む、プリントを作る、小道具を作る、他の先生の授業を見る、…といったものです。
これらは(マストもありますが)自身の裁量で決定するものと思いますので。
その中で、部活についてお聞きしました。
校長先生のお話は、以下です。
①さまざまな生徒がいる中学校では、部活がとても有用。部活がなくなれば、昭和50年代のような、非行によって学校が崩壊する状況になる。
②部活ができない先生には、ほかの仕事を多く持ってもらう。それができなければ2年ごとに学校を代ってもらう。いまは、地域の声を教育委員会は人事に反映できるから、そういう先生は2年置いておけば移動させられる。チームが嫌なら自分に合うチームを時間をかけて探せばよい。
③部活が勤務時間で問題になるのなら、全部の先生にスポ少の指導者資格を取ってもらい、スポ少をメインに部活をする方向がある。現実に、夜7時以降の練習は現在もスポ少として行っている。そうすれば、活動時間に歯止めはなくなる。ただ、そうすると先生に土日の手当ては全くでない。
④日本の教育は地域によって全く違うことが多いから、いろいろなことを全国一律に決めることはできない。だから、私たちの地域では地域の実情にあった部活動を、今後も発展させていく。
⑤教育は、生徒を成長させるためにあるものだから、子育てと一緒で手を抜いてはいけない。
ちょとした立ち話でしたが、親として、やっぱり校長先生は流石だと思いました。
俺は高校教員で運動部と文化部の顧問両方持っているけれど授業も部活もプライベートも両立している。
運動部はサッカー部、文化部は写真部を担当している。
サッカーは正顧問が月水金。俺が火木。写真部は月水金担当している。
土日祝日は原則行わない。写真部は昼休みが中心なので、放課後は月水金が空く。
その曜日に進学用の補習や授業についていけない子のための特別補習もしている。
土日は大会前には練習試合や調整のための練習を行う。この時は二人で書類上のこともあるので、参加する。
ただし、大会が終わったら、2週間~3週間は休部期間にしている。
俺が火、木の時は技術的な指導はできないので、上級生が中心となって技術指導したり、基礎練習をするのがメイン。もっとも、筋トレとかに関しては指示出すこともある。
練習時間は夏は7時近くまでやるけれど、冬は5時半までには終わる。
会議の時は、基本どちらかが空いていれば部活の指導をする。両方の時は短時間であれば、上級生に指示を出し、何かあったら呼びに来させる。
二人とも時間がかかりそうなときや、職員会議の時は基本部活は休みにする。
職員会議も特に議題がなく30分で終わりそうなら指示を出してやらせる。
意外と、うちの学校は他の部活も同じ感じだね。
基本全員が顧問をやっているけれど、そのおかげで役割分担ができるから助かっていますよ。
逆にこれ一人でやっていたら、何でもかんでも抱え込まなくていけないから大変だよ。
部活がどうのこうのいう前に、各学校でしっかりしたマネジメント能力を身に着けてほしいね。
誰か言っていたけれど、若手時代にスキルアップできなかったっていう人がいたけれど、それはあまり言わないほうがいいですよ。自分が「無能」だというのをさらけ出しているだけ。
言いたくないけれど、なんでも自ら学ぼうとしなければスキルアップなんてできるはずがない。「あれは嫌。これは嫌」って駄々をこねる子供が成長しないのと一緒。
そういう先生は「授業が…」っていうけれど、俺からすると、そういう先生は授業もたいしたことないし、正直使えません。
教育学部生にこれだけは言っておきたい。
正直、部活も授業も生徒指導もどれ一つをとっても仕事は大変だ。間違いない。
しかも最近はモンスターペアレンツもいる。保護者対応も大変。本音でいうと何でここまで
やらなくてはと思うときも確かにある。
正直、授業だけで済めばこんなに楽なことはない。でも、それは塾や予備校と一緒。
俺自身、塾や予備校からも話はあったし、今もある。でも行かない。なぜか、やはり授業以外の面も含めてやりがいがあるからね。大変だけど、俺は満足している。
じゃあ、なんで今こんなことになっているのか?その理由はなにか?
ハッキリ言おう!
正直、学校の教員になる人は学年でトップにはなれないけれど、そこそこ成績はとれていた人です。まあ、中の上レベル、上の下レベルですね。特に小中学の先生は。
そして彼らは真面目だけど融通が利かない。臨機応変応力がない。そのため、彼らは真ん中とその前後の上下レベルへの対応ができるが突き抜けた上や、とびぬけてできない子の気持ちがわからない。
これが問題。保護者の中にはいろいろな職業についたり、いろいろな立場の人がいる。
正に多様性があるわけです。ですが、そんな保護者の考え方についていけない。
なぜなら、視野が狭いから。だから日ごろから、いろいろな人と交流を持つことが必要。
色々な地方に行ったり、国に行ったり、様々な業種の人と交流したりすることが大事。
そういう意味では一度教育学部生も一般社会に出ることをお勧めしますよ。営業職がいいですね。営業職になるといろいろわかることもありますよ。私も営業やってから教師になったから、最初から教師だった人の非能率さにあきれてしまいます。本気で教員になりたいのなら、一度外を見てからなったほうがいいですよ。視野が広がります。
ありがとうございます。
参考にさせて頂きます。
ぐ、まったくもっておっしゃるとおりと存じまする。
とくに、
>若手時代にスキルアップできなかったっていう人がいたけれど、
>それはあまり言わないほうがいいですよ。
>自分が「無能」だというのをさらけ出しているだけ。
については、私の223.の②をうけてのコメントと拝察しますが、まさに申し訳もありません。
二つの問題を自覚させられました。
・普段から、自ら学ぼうとすることができていない。
・その状況に対して目を背け、言い訳と愚痴に終始する。
……私とて、職場ではむしろ「忙しい忙しいといっても、勝手に自ら忙しくしているだけ」「仕事のしかたの工夫で解決できる部分は大きいはず」と発言することのほうが多い人間です(ひとには言いませんよ。とくに後進には。自分に対しての発言)。しかし口先ばかりそう言って、実際にはまた愚痴っぽくなってしまう。そして、学ばず変わらず、時間だけをやり過ごしてしまっている。そのことにあらためて気づかされました。
教育学部生 さんはじめ新進気鋭のみなさまは、どうかこんな姿を反面教師にしていただければと思う次第です。(ただ、必要以上に自分を追い込む・追い詰めることはしなくてよろしいですよ。反面教師からの本気のお願い)
今までのコメントを見て、中学校は高校と違うものなのかと思いましたが、少なくとも見てる人さんの中学は高校と似ているみたいですね。驚きでした。
スポ少というのが地域なのか中学なのか、独特なシステムみたいですね。
何事も文句を言う前にやることをやってから文句を言いましょう。何もやっていない人が偉そうに言ったって、誰も聞いてくれませんよ。聞いてほしいのであれば、それなりのことをやる必要があります。どこかのツイッターでつぶやいていた人がいたけれど、やることやっていない人が「違法だ違法だ」って騒いだところで、だれも共感しないですよ。やることをやっている人だけが発言権があるんですよ。声が大きいとか小さいとか関係ないですよ。
やることやって、理論武装できれば、物事は自然と動きます。動かない、または動かせないのは自分自身がやることやっていないから、または論理的な説明ができていないからです。
ぜひ、みなさんもマネジメント能力を身に着けてください。できれば、研修で一般企業の営業をやってみるといいでしょう。できれば歩合制のところで。きっといろいろなことが学べますよ。人間力が磨かれると思います。
文句を言うのは簡単です。ぜひ、みなさん自己研鑽を摘んでください。特に人間力をです。
校長先生のお話に同感です。
特に①の部活が中学生の非行を抑えているという話は納得です。
かつての校内暴力が吹き荒れていた時代を知る人は、二度とあのような惨劇を繰り返したくないと強く思っていることでしょう。
地域により差はあるでしょうが、校内暴力を封じ込めた部活動の功績は大きいと思います。
当時の先生方の苦労は計り知れないものがあり、その賜物としての今の平和な学校が存在しています。
部活顧問は大変ですが「正人さん」が言われるように、複数の教員で分担すれば負担も軽くなることでしょう。部活動を持続可能なものとするためには、地域の方との連携と共に、教員同士の協働意識が不可欠かと思います。
>人間力が磨かれる
うつくしく、そしてつよいことばです。
まったく反論の余地もありません。
実に「教育」のもつはたらき・力そのものだと感じます。……
* * *
教員Q さま241.
>校内暴力を封じ込めた部活動の功績は大きい
>教員同士の協働意識が不可欠
こちらも反論できないおことばです。
実に、部活動の意味を端的に言い表していただいたと感じます。……
中学も高校も部活があって教科担任制ですよね?
高校では正人先生のような学校もあるみたいですが、中学ではないのでしょうか?
高校ではできるのに中学校ではできないのはなぜなのでしょうか?
高校だからできる?中学だからできない?
その理由を知りたいです。
正直、あなたの一連の投稿は「突っ込み待ちの釣り」臭さがあるのですが、
誤解の無い様に敢えて問います。
それ、本気で言ってますか?
外部団体名義の「偽装部活」は「鳥居裁判」でも問題になった手口ですよ。
重病教師の労災認定が争われた鳥居裁判では、
部活顧問業務の延長として管理職の「黙示の命令」下にあった地域クラブ指導を、
実態に即して勤務時間に算定する判決が最高裁で確定しています。
この場合の業務性とは労災認定の根拠ですので、
管理職が命令、承認した以上は雇い主として責任を負う、と言う意味であり、
労働者が業務として是を行う義務がある、と言う根拠ではありません。
勤務時間は実質で認定されますから、
実質として「学校の教師」として派遣される事を管理職が指示又は容認した時点で、
勤務実態、勤務時間として公務としての部活動と同列の扱いになりますよ。
貴方の話を聞いていますと、校長は意図的な超過勤務の隠蔽偽装を行う事を、
さも正しい事の様に保護者に吹聴している様にしか見えません。
つまり、実質的な過大勤務超過勤務を前提とした状態で、
顧問拒否をさも特別に楽をしているかの如く扱って負担を割り振り、
それに従わないのはうちの学校には要らないから二年で追い出すと保護者に吹聴する。
既に「時間外部活業務は強制出来ない」事がここまで広がったご時世に、
そんな校長が何時まで居られますかね。
その内、公然たる拒否が起きても校長が初志を貫くなら、
不当評価、人事権濫用による誹謗中傷、恫喝、過剰勤務強要・隠蔽のハラスメント加害者として、
証拠を掴んだ弁護士→教委で叩き出される事になりかねません。
時間外の部活は生徒にも教師にも義務ではない。
公立学校は「あんたら」の私物じゃない。
犯罪者は警察に任せて「善良な市民」の権利を守れ。
続きます。
217.222教育学部生さん
「教員Q」氏その同類には、特徴的な話法があります。
意訳を含めますと、「常識的」だの「協調性」だの「「みんなの」信頼」だの「楽ちんな職場」だのと、
私は内藤朝雄読者でもありますが、「まりあ」氏投稿の体験の様に、
「先生・評価者」の権威で「俺らのルール」を「世間・社会」にすり替え、「クラスのみんな」をダシに、
抽象的な精神論と人格攻撃の舌先三寸で子どもを恫喝し丸め込み煙に巻く、
如何にも先生様お得意の手練手管です。
加えて、法規、契約を無視した仕事を入れて、
やらないと「みんなが迷惑する」と非難するのはブラックバイトの常套手段です。
更に、過去の「駄々」、「学校関係者」の様に、
上位法の大前提は「判例が無いから独自解釈」と排除しながら下位規定の文言を都合良く摘み食いして、
だから負担して当たり前と他人にのたまい、抽象的な人格攻撃を如何にも公的に粉飾する。
是も評価慣れした教師的な手管の一つですが、
最近では「ブラック士業」の類が当たれば幸いで濫発する手口です。
是迄の経緯もあって甚だしく悪意に解説しましたが、
この「教師の話法」は、善意と人間関係に依存しがちな教育現場の議論ではありがちです。
そうした手練手管で煙に巻きながら他人を侮辱、恫喝し負担を強いる
「教員Q」的な輩にはこちらも入念に言葉を選ぶ必要があります。
「常識的」だからこそ、私も言葉を選んでいます。
基幹業務、生活基盤にも関わる権利義務に就いては、
この金(労働力)にはどんな約束どんな権利がついていて、
徒党を誇示したその幼稚な言いがかりで他人に金を出せと要求する輩はどう呼ぶべきか。
その答えを、根拠を示した的確な表現で、
教師話法のふわふわ言葉な煙幕から理詰めで引きずり出す必要があります。
続きます。
最近、校長が全員顧問は命令だと言ったので、
義務ではない筈であり、自分はやらないから本当に命令なら懲戒処分にして欲しいと応じた所、
校長が謝罪、撤回したと言う趣旨の拒否派教師のツイートがありました。
真偽は別にしても十分想定出来る内容であり、
普通に解釈して命令禁止領域、小さく見ても根拠法規の命令対象を外れている以上は当然の権利主張です。
職場・学校と言う公の場で他人に小さくない負担を強いると言う事は、それだけの責任を伴うと言う事です。
職場に於ける根拠を示しての負担回避要求に対して、是を承認し責任を負うのは校長です。
校長の責任で訴訟リスクを負ってでも命令をもって義務付ける、
と言う事をしない限り、顧問就任拒否を承認している責任者は校長です。
校長に選択を求めた教師の立場では、校長が個別の職務命令を明示して初めて、
その年度の部活動顧問就任は義務である、と、雇い主である自治体が責任を持って明示した事になります。
問われても命令であるか否かも明示出来ないと言う事は、
義務性は否定又は保留する、と言う責任者からの意思表示にしかなりません。
それを、サボリか怠けかは「俺ら」が決める、だからお前はサボリだと他人様を誹謗中傷し、
「みんな」を誇示しいじめ・村八分を公言して、財産を提供する様に恫喝する。
そういう輩に対しては、
お前は何様だ?
そういうユスリタカリにはびた一文支払いません、塩撒け塩、
事が公の場に於ける負担と責任の問題である以上、こうしたユスリタカリの輩、
正確にはその先生ヅラした恫喝表現を見ている者には、
それ以上の価値は無いと言う事を明確な表現で知らしめる必要があります。
今回の書き込みは以上です。
私が今まで伝えたかったことが凝縮され、そして皆さんに浸透していますね。
もっと伝わる文書が書けるようにならないとなぁと実感しました。
マネジメントなり効率なり自己研鑽して働き方を改善し、早期退校することは個人の努力で達成できます。
一方で現状個人の裁量に委ねられている部活顧問か(選択になるかも含めて)業務であると明確化されるべきですが、これはお上の仕事ですね。
管理職命令でなければその仕事をする必要はない、という話と思いますが。
例えば受験生の自習監督や生徒からの業後の質問、面接練習などについてはどうお考えでしょうか?
部活同様に管理職命令でないから実施する必要はないというスタンスになりますか?
勤務時間内…上司の職務上の命令には忠実に従う義務あり(授業、給食・清掃指導、朝の読書指導、会議や研修会への参加、出張、生徒指導、教育相談、特別な支援が必要な生徒への対応、週案の提出、成績評価事務、学校行事の計画立案、校務分掌に関する事など)
勤務時間外…時間外勤務の命令は、超勤4項目のみ
「やった方がいい仕事の例」
勤務時間内外問わず…教材研究及び教材作成、不登校生徒宅への家庭訪問、職員間の情報交換、学校長の命令がない各種研究会への参加、部活動の指導など
ブラックと言われるのは、時間が足りない時に優先順位や取組の強弱をつけず、「やった方がいい仕事」を自己判断して「やらなきゃいけない仕事」としてしまうから。
私は、掲示物やパワポを作れば、授業で生徒の理解が深まるなら、時間外でも喜んでやる。不登校の生徒が登校できるようになるなら、喜んで家庭訪問もする。教科の専門性が深められるなら、喜んで休日に自腹で他府県に赴き研究会に参加する。
掲示物づくり、家庭訪問、研究会参加は義務ではなく、私が自主的にやっているに過ぎない。他人には強制できない。(たとえ効果があっても)
数年前、部活指導を一生懸命やり、学級や学年指導にも良い影響があった。保護者との関係も良好だった。だから、部活を頑張る人を否定はしない。でも、他人には強制できない。(たとえ高い効果があっても)
反面教師だと卑下なさることはないと思いますよ。プロとして、一応最低限の自己評価は自分でできるべきですが、結局自分の評価などは見ているまわりの人が決めるものです。お気になさらず。よしんば夜明け前さんが反面教師だとしても、いろんな先生で学校組織はなりたっているし、理想的でない先生を見つけ出して糾弾するようなことで学校は決してよくならないと思います。
投稿されている先生方のおっしゃり方で伝わり方が意図しないものになることもあるかと思いますが、結局学校は今いる先生たちを大事にしてしっかり健康に働いてもらうしか道はありません。教育と同じで、これさえやればうまく行くという方法はありません。先生たちに対する要求を高くすれば短期的には多少の効果はあるでしょうが病気が出ます。応募者が減ります。財政的に給料を上げて質の高い応募者を釣るのも無理そうです。
今いる先生たちを不満のはけ口にしてスーパー教師の出現に望みをかけるような議論は建設的でない。今いる人たちでできることを考えましょう。
部活で得られる感動やある種の責任感が、その生徒に得がたい経験を与え、その後の人生を切り開く力を身につけさせることもあるでしょう。しかし、義務でない労務や自分の良心から望ましくないことだと思うことを、社会共通の物差しである法令に従って拒否できる力、これもまた個人や社会にとって大事で当たり前なことです。生徒も人間としてその両面を知らないといけないし、そのためにはいろんなタイプの先生が学校にいる必要があります。
言いたいのは、「少数派や革新派は、当たり前のことをすることさえ闘いになる」ということです。私は、現代のこの法治主義のはずの時代に、白人席に座ったローザ・パークスのように胃の痛くなるような命を削る行動をしないと権利を主張する資格すらない、と言われてしまうことに腹立たしさを覚えています。
「時間外労働があるのを知りながら教員になったのだから、嫌なら辞めるべき」というのはとても端的に教員採用の恣意的フィルター効果を現しています。労働者の権利を声高に主張するような個人はまず応募してこない、という一次フィルター、採用されても、権利を主張することが不利益になるので沈黙するか辞めるという二次フィルター。これは一種の踏み絵のようなもので、踏めた教員が生徒にものを教えています。
私は、教員の権利を擁護するのは、教員を甘やかすためではなくて、議論のパワーバランスを適正なレベルに戻すためであり、ひいては多様な生徒を狭い(どっちかというと非民主的な)了見の教員が教える、という構造欠陥を是正するためだと考えます。
女子生徒がポニーテールにすると、うなじに性的興奮する生徒がいるから禁止!って話題についてです。
そこでミッツマングローブが、興奮する「変態教師も増えている」と発言。
本当に、ポニーテールに興奮する変態教師は増加傾向にあるのでしょうか?
私は番組とミッツマングローブのブログに抗議の書き込みをしました。絶対にこれは許せません!
たまたま見つけた通りがかりのものです。
今。教員の労働が大変て言われていますね。
確かに大変そうに思いますが、でも?というのもありますね。
それは、夏休みをはじめとする長期休暇についてですが、教員はいつも何時から出勤していますか?
私は以前PTAの役員をしていた時に、たまたま用事があって、出勤前に依ったことがあるのですが、日直の先生以外ほとんどだれもいませんでした。何時ぐらいに来ますかって聞きましたが、それもわからないと言われました。
で、質問なのですが、夏休みの場合は出勤時間はゆっくりでいいのですか?
つまり、ほかの市役所のように定時に来ることはないのですか?
人によっては、いつもより遅く来て早く帰るという人もいるみたいですけど、そんなことはないのですか?
お感じの通り、教員の夏休みの勤務形態ですが、私の考えるかぎりの事情を説明いたします。
まず最初に残念な話から。私の見るかぎり、夏休みに特に年休などを取っていないのに遅出早帰りな教員は実際に存在します。生徒が授業に来ていない場合、会議等がなければ時間通りにいなくてもさしあたり困ることはない、というわけです。
さしあたり困らない、とは言っても通りがかりさんの言われたように、訪問者が来ているのに年休をとったのか、これから来るのかすらわからないというのは実際困るし、そんな社会人として非常識な人が先生やってるの?と思われることでしょう。
しかし現場で見ていますと、先生たちがただ理由無くいいかげんと言うより、校長があえて見過ごしていると言った方が正確です。背景の一つに、ふだん無賃の長時間残業が「生徒のため」の一言で反論もできずまかり通って先生たちも不満がたまっているためということがあります。(あくまでも私の分析と感想です。意見が異なる方はご遠慮なく)
社会の常識とはかけ離れていますが、労働時間をあえて把握しない、という学校のきわめて特異な労務管理によって長時間の時間外部活動が容認され、教員を平日残業代ゼロに抑えることができています。校長も、学校をなんとかまわすために職員の無賃残業にどっぷり頼って黙認している手前、夏休みだって始業時間を守りなさい、という至極当たり前のことすら徹底しにくい。反発を避けつつ教員の超法規的な勤務態勢を維持するためには労働規律も犠牲にすることすらいとわない、という奇妙な現象です。
誤解のないように言っておきますと、勤務の割り振りなど、行事のために出勤した埋め合わせなど、学校の職員にはけっこう正式に遅出したり早帰りしたりできる制度はあります。(忙しくて実際には行使できない、という不満が多いですが)
それから、学校外の方々には認識されていないところがありますが、夏休みといえど年休を消化するのは容易ではありません。人手不足が一つの原因です。学校の職員は教職員も含めてアルバイト(非正規雇用)が多いのです。職員60人規模の学校があったとしたら、10人が純粋に授業だけ担当の時間雇い、さらにもう10人が単年度雇い、というような、30~40%が非正規という学校は普通です。
夏休みに来て、「これだけしか働いてないの?」と思われるかもしれませんが、夏休みに部活引率もなく校舎に普通にいられる正規の先生は少ないのです。(ただし大変な部活を持たれている非正規教員の方だっていらっしゃるのを忘れてはいけません。)
以上思いつく範囲で書きましたが、他疑問なことなどありますか。こういう説明に関して学校外の方はどうお感じになるのかも興味ありますので、感想等ありましたらまたお教えください。
教員の勤務は生徒の活動にあわせて、流動的であった。
土曜日授業のあった時代はその代休が夏休みのまとめ取り、また日常が遅いので普段も夏休みも校長への一言や夏休みだから煩くとどけないなど、振替の自由ががあった。
モチロン悪用するのはどの業界にもいる。
ところが、世論の夏休みサボっているなどの意見に説明もせず、通常の会社と同じ勤務管理を始めた。
ところが、部活など最初から勤務時間外の物を潰さないために勤務時間外の労務管理は無視し、保護者も要求した。
そりゃあ、もう部活などやりませんよ。
都合良く誤魔化そうとしたが、もう我慢の限界だということだ。
普通の勤務時間を求めたのは、世論や保護者だ。
平成17 年10 月
部活動基本問題検討委員会
学校の一部には、位置付けのあいまいさから「部活動は教諭の本務ではない。」というよ
うな誤解があり、教育現場に混乱を招いてきたことが指摘されている。しかし、学校が計画・実施
する教育活動としての部活動が、人事考課制度における業績評価においても評価の対象となってい
ることからも、部活動指導は教職員の職務である。
また、勤務時間を越えた部活動指導についても、命令に基づくものではないが、校務分掌を受け
た教職員の自発的な意思に基づく職務であるといえる。なお、このことは過去の事例や判例におい
て勤務時間外の部活動における事故に際して、公務災害や児童・生徒の災害共済給付制度が適用さ
れてきたことからも明らかである。
したがって、「部活動指導は本務ではない。」というような誤解を生じさせないためにも、教育活
動における部活動の位置付けと勤務の関係について正確に理解することが必要であり、教職員の理
解はもとより保護者等に対しても適切に説明することが大切である。
勤務時間を越えた部活動指導についても、命令に基づくものではないが、校務分掌を受け
た教職員の自発的な意思に基づく職務であるといえる。
バーカ、としか言いようがない。
自分で命令できないけど職務でないって、言ってるじゃないか。
勤務時間外の課外活動だけど、勤務評価に入れるって、ただの奴隷扱い。
結局は、勤務時間外の課外活動たけど、やれ。
ただの、違法労働だってことだろう。
東京都が採用試験不人気自治体なのは、これから教採を受ける人はほとんど知っていると思います。
かつて大村はま先生や向山洋一先生を生み出した東京都も、今は教採受験者を集めるのに苦労してますね。
完全ピラミッド型上司の職務命令絶対主義。
実績は校長や教育委員会事務局幹部のもの,事故・トラブルは下っ端の教員の責任。
管理職が窓を背にして座り,主幹教諭,指導教諭,一般の教諭と,職員室の席の配置が
階層構造になっている。
現在、部活動は、教育課程外に実施される学校において計画する教育活動の一つとされている。部活動指導は、主任等の命課と同様に年度はじめに校長から出された「部活動の監督・顧問」という職務命令によって命じられた付加的な職務であり、週休日等に4時間以上従事した場合には部活動指導業務に係る教員特殊業務手当(部活動手当)が支給されている。
すぐ上のいくつかのコメントを読むと、部活顧問拒否学生は、日本中どの都道府県や政令指定都市の教員採用試験を受けることができませんね。
平成19年3月29日
中央教育審議会
2017/3/14 13:16
松野博一文部科学相は14日の閣議後の記者会見で、外部人材が中学や高校の部活動を指導したり、生徒を大会に引率したりできる「部活動指導員」を4月から制度化すると発表した。部活動指導は教員の長時間労働の一因とされており、松野文科相は「(生徒の)技術向上に資するとともに、教員の業務負担軽減につながる」と話した。
(前略)、中学校の教諭にとって部活動指導に従事する時間がかなり多くなっており、(中略)、部活動の位置付けを整理していくことが必要である。
部活動は、(中略)、本来は、教員の他の職務と同様に、正規の勤務時間内で実施すべきものである。このため、外部指導者の活用を促進するとともに、部活動による時間外勤務が可能な限り生じることがないように、校長が適切に管理・監督するよう指導を行うことが必要である。
10年前の答申ですが、教員の勤務時間の適正化・弾力化・部活動にかかる勤務体系について、「改善が必要ですよ」って事ですね。
この掲示板が必要な理由は、「正規の勤務時間内で実施すべき」部活動が(勤務時間内で)実施できていないから。また、部活動による時間外勤務が生じることのないよう「校長が適切に管理・監督」できていないから。
答申が出てから10年経ちました。学校外では、改善の動きが見えてきましたが、職員室は10年前のままです。これは現場の怠慢です。このような現状を少しでも変えなければと、この掲示板にいる皆さんも考えています。
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-20170923-50000/
部活動顧問問題もその要因とは思いますが、同時進行で改善しなければならないですね。
高校入ったらまず復習から…っていうのも多いので。同じ問題は大学や会社でも起きていますが。。
2017年9月22日
中教審初等中等教育分科会の学校における働き方改革特別部会は9月22日、東京都千代田区の東海大学校友会館で第4回会合を開いた。学校の働き方改革を具体化するための教員の業務の役割分担や適正化に向け意見交換。学校と地域協働を担うコーディネーター役の重要性や活動の主体者を明確にする必要性などの意見が出された。
事務局では、教員の業務の役割分担や適正化の論点をあらかじめ11の観点で整理。▽登下校▽放課後から夜間の児童生徒の見回り▽調査や統計への回答▽校内清掃▽部活動――などの11項目で、同部会のこれまでの意見を考慮して、項目ごとに教員が担うべきかそうでないか、教員以外の者が参画してサポートできるかなどの視点で対応策の案を提示した。議論はそれをたたき台として進められた。
納得しました。
ですが、もしも勤務時間を厳格化されるとそういった融通性がなくなってしまう部分も
あって、先生方も困るのではないでしょうか?
そのとおりです。批判の的になりそうだなと思ってあえてそういう言い方はしませんでしたが、258★さんの言っていることが、だいたいの先生の本音と思います。今の社会の現実的な規範意識ラインを考え、「先生も勤務時間をまもるべし」という線で話しましたが、もっとノスタルジックな要求をはっきり言わせてもらえるならば、放課後生徒の相談にじっくりつきあった翌日は授業が終わったら4時に帰る、というような自主的振り替えを認められることによって、教員の力が最大限発揮されるように思います。
手放しに都合のよいやり方というのはなかなか存在しません。たとえば夏休みに先生をアポなしで訪れて、誰も先生がいない、ということが通りがかりさんの言うようにあったとして、それを以て「先生たちがサボっている」とディスってしまう流れになると、不信の連鎖になります。勤務時間を厳格に守らせるという流れは、ゆくゆく部活の存続にも関わりますし、生徒に対して快く面談に応じている今のやり方も否定されかねません。「何が仕事として認めるべき価値ある活動なのか」と言い出したら、生徒の面談も「世間話だ」「他の生徒もいるのに一人にそんなに時間をかけるのは不公平ではないか」とも言えるのです。
理想論ですが、教員を信頼し、主体的な労働形態を活かすのが一番先生たちが活躍できます。
それを「楽している」「働いていない」「聖人ぶっていて実はスキャンダルにまみれている」という評価しかしないのであれば、社会は聖職者から得られる無形の利益を得られません。もともとお金で計れる利益を聖職者は生み出しません。それが目的ではないのですから。
教員に対して様々な要求がされるようになりましたが、教員から何を得たいのかというところがはっきりしない、というか実利益的過ぎる気がします。しっかり組織運営をして、きらびやかな冠婚葬祭を執り行い、営業努力もしっかり見せるような神社仏閣をありがたがるようなさみしさがありますね。
運動部で、360日くらい活動がある場合は流石にもう少しゆとりがあっても、と思います。
ただ、文化部にまで「部活はブラックだから」という流れで、縮小のあおりを受けたくはない保護者です。
学年が上がってクラスが変わっても、部活の友人がいたらクラスに友人がいなくても子供は元気に登校します。
クラスに嫌なクラスメイトがいても、部活があれば、クラスとは違う居場所になり、子供は学校に行けるんです。
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