お久しぶりです。

本当にお久しぶりです。ブログ更新、約2ヶ月ぶりとなりました。

ブログのコメントや Twitter において「新しい記事をお願いします」とのリクエストを頂いておりました。

満を持しての(?)、更新となります。


夏休み、いかがお過ごしでしょうか?

私はといえば、1学期の終わりに体調を崩してしまいました。

内臓が弱まっており、どうやらストレスが原因とのこと。

仕事においても、プライベートにおいても、ストレスをためないように過ごしていたはずでしたが、知らないうちに体を蝕んでいたという結果でした。


実は今年の4月に新天地に移動になり、新しい環境で仕事を続けてきました。

その中で部活顧問を拒否することは、結構な心労がたたるということでしょうか。

部活顧問を拒否して数年。

もう大丈夫だと思っていましたが、新しい職場でゼロから部活顧問の拒否を遂行することはきついものだったようです。

ストレスはじわりじわりと体の内側から忍び寄り、今に至ります。


現在の勤務校は部活動が非常に盛んです。

結果も芳しく、中総体の報告も素晴らしいものばかり。

その中で部活顧問を務めていないのは私ひとり。

意識するとせざるとに関わらず、深層心理では居心地の悪さを感じていたのかもしれません。

居心地の悪さは「部活顧問をひとりだけしていない」という異形の罪悪感に変化し、落ち込む日も少なくありませんでした。

教師としてのアイデンティティはその輪郭を少しずつ薄くしていき、教師としての自信も誇りもなくなっていきました。

これまで通りの孤軍奮闘の図。なのに、少しばかり疲れてしまったようです。


今は病状が9割ほど回復し、全快まであと少し。

励ましの言葉がほしいわけではないですが(内心、ちょっとほしい)回復に向けて頑張ります。

せめて2学期までにはなんとか元通りになりたいものです。


さて、部活動をめぐる動向についてですが、多くのメディア・新聞・サイトで部活問題を取り上げていただいています。

また Twitter においても部活関連のツイートが非常に多くなっています。

少しばかり時間のできる夏休みは、部活について考える契機となり得るようです。


今回は私の学生時代の部活について書きたいと思います。

私は学生時代に、とある運動部活動に所属していました。

練習はとても厳しいもので、休みは基本的にお盆とお正月のみ。

「水を飲んだら体力がなくなる」という考えから「積極的に水を飲みなさい」という考えに移行する過渡期でした。

汗を流しながら、ガンガンに練習に打ち込む青春でした。

また、大きな声では言えませんが、顧問による体罰も往々にして存在していた時代でした。

プレーで失敗するとビンタ、腹部を殴るなど私自信も体罰を受けた数は両手の指では足りないほどです。


そんな中でもチームメイトと協力して行う練習は楽しいものでしたし、それを乗り越えて試合で勝つことはなにものにも変えがたい経験でした。

また印象深いのは顧問への尊敬と信頼の思いです。

前述の体罰はありましたが、選手である私たちは「部活とはそういうもの」だと思っていましたし、むしろそれがあるからチームが強くなっていくのだとさえ感じていました。

また顧問はその競技の専門であり、また保健体育科の教諭でもありましたので、レベルの高い指導をしていただきました。

さらには放課後遅くまで、さらに土日も厭わずに試合を組んで下さいました。

県外への遠征も何度も行きましたし、県内でもある程度名の知れた、強いチームであったと記憶しています。

いつも厳しい指導の顧問でしたが、本当によくしてくれたと思います。


引退をかけての試合で負けてしまった私たちのチームは、最後のミーティングに臨みました。

今まで厳しい表情を崩すことのなかった顧問は、下を向いたまま顔を真っ赤にし、肩を震わせながら「お前たちを勝たせてやれなくて申し訳なかった・・・・・・」と泣きながら話したのです。

今までこの顧問と部活ができてよかったと、万感の思いになったのを今でも昨日のことのように思い出します。


私がよく言われるのは「あなたは部活を全廃にしたいのではないか」ということです。

また「あなたは今まで部活にいい思い出がないのだ。だから部活を廃止したいのだ」ということです。


答えはどちらもNOです。部活を全廃したいなどこれっぽっちも思っていませんし、私自信には部活の素晴らしい思い出があります。


ただ、昔の部活の思いに浸るにつけ、学生時代の私には欠けていたものがあります。

それは「顧問だってひとりの人間」という視点です。


私の部活顧問は、その競技が好きで好きでたまらないという人でしたし、土日返上の部活も苦にしない(ように見えていた)人でした。

しかし顧問にも愛すべき配偶者がいて、大好きなお子さんがいて、もしかしたら介護すべき親がいたかもしれない、もしかしたら大変な持病があったかもしれない。

そんな「かもしれない」環境の中で、部活顧問を引き受けてくれていたの「かもしれない」という配慮の考えが足りていなかったと思うのです。

確かに、学生時代からその考えに至るのは難しいかもしれません。

ではなぜその考えにいたるのが難しいのかを考えると、「知らないから」です。

今のようにネットが発達し、SNSが身近にあれば情報を得やすいでしょうが、当時はそんな便利なツールはありませんでした。


部活はやってくれて当たり前、部活は教師の仕事、教師には休みがなくても問題ない、教師は聖職だからお金のことには執着しない、教師は24時間営業・・・・・・。

知らないことは、配慮しないことにつながり、そして相手に依存していく構図ができあがります。


私の所属していた部活の顧問は本当に部活をしたかった教師だったと思いますが、そうでない人も多くいたことでしょう。

そう考えれば、本当に必要なのは部活について生徒に知らせることであり、教師自身が部活顧問をやるかやらないかを選択できる環境です。

教師が聖職というのはある意味では事実でありますが、その一点のみに縛られると依存の関係が出来上がってしまいます。

教師という職業について、お金も介在する真実の姿を生徒や保護者、地域に向けて発信していくべきではないでしょうか。

それは校長が部活動説明会で保護者に語ってもいいでしょうし、教育委員会が全体に周知する努力をしてもいいかもしれません。


一昔前のアイドル信仰に「アイドルはトイレに行かない」というものがあったそうですが、もちろんそんなことはありません。

それと同様に「教師は無償で働かされても文句を言うことはない」ということはありません(もちろんそういう神様みたいな人もいるとは思いますけれど)。


当時の部活顧問には感謝の言葉しかありません。

ただ、だからこそ、部活顧問を務めてくださる方には適切な労働環境や必要な対価があるべきですし、部活顧問を望まない人には、その任が強制されるべきではありません。


過去の美しい部活の思い出に耽るにつき、そんなことを思います。


各地で部活を考えるオフ会が行われています。

私の住む九州地方でも、部活のオフ会が行われる予定です。

参加されたい方は Twitter のDM までどうぞ。


記事の更新を頑張りたいと思います。

次回は何について書きましょうか。

それでは早いうちに。