あっという間に月日は過ぎ去り、2月。
光陰矢の如し、どころかロケットのようなスピードで時間は経過していきます。
高校入試の時期になりました。
毎年なぜか入試の時期になると寒くなる気がします。
入試の朝、教師は凍えながら高校の正門で生徒を待ち受け、緊張した面持ちの生徒と出会い、励ましてから別れます。
ここまできたら教師としてできることは何もありません。
胸の内で応援しながら、ただ待ちます。
願わくば、生徒一人ひとりの受験の結果が、悔いのないものであることを。
今回の記事はTwitterでアンケートをした結果、応募の多かったものにしようと思います。
それは『春に向けて顧問拒否の方法』です。
こういった類の記事は、今までにも書いてはいます。
詳しくは『部活顧問拒否の実践的方法論』というタイトルの記事を参照されてください。
リンクはこちら↓↓
http://bukatsu1234.blog.jp/archives/49372336.html
また私の他にも部活問題についてブログやTwitterをされている方がいらっしゃいますし、そちらの方が法律的な指摘は詳しいと思います。
ですから、今回はあえて細かい部分には触れず、3ステップで実効性の高い顧問拒否の方法について書きたいと思います。
以前の私のように、新年度の職員会議で挙手をし、全員顧問制度自体の是非を問うのもよいかもしれませんが、どうやらシステムは一朝一夕には変わらないようです。
であるならば、個人から動ける範囲で活動していった方が結果的には改革への近道になるのかもしれません。
なお確認しておきますが、私個人として部活の意義自体を否定するものではありませんし、部活指導に熱心に励む先生方を攻撃するものでもありません。
あくまでこのブログのタイトルのように「公立中学校 部活の顧問制度が違法」だと主張するだけです。
ステップ1
自分が所属する自治体の教育委員会に電話をし、部活が正式な職務かどうか確かめる。
私の所属する自治体では、部活は職務ではありません。
匿名でも電話することができます。もちろん非通知でも。
ちなみに私は以前、文部科学省にも電話確認を行いました(詳しくは過去の記事を参照)。
ステップ2
3月末に配られる部活顧問希望表の欄に「部活顧問はお引き受けいたしません」と書く。
その際に理由(職務ではないこと・家庭の事情など)を書くとさらにいいでしょう。
ここで「副顧問ならいいや」や「この文化部なら……」など妥協するのも一案です。
ですが、個人的には顧問拒否の方が教師全体の将来につながっていくと思います。
ステップ3
(たぶん、いやほぼ絶対)校長から呼び出しがあり、部活顧問就任への打診がある。
言われるフレーズは大体「子どもたちのためにさあ、先生も全員で顧問しようよ」です。
その際にステップ1で確認した情報をもとに、凛とした姿勢で顧問を拒否する。
「子どもたちのために」というキラーフレーズに負けてはいけません。
以上です。
本番に臨む前に、入念なシミュレーションが必須です。
必要であれば、個人的に相談にのります。
本当は学習指導要領や超勤4項目などを述べてもいいのですが、割愛したとしても十分に顧問拒否は可能です。
何度も何度も申し上げているように、部活顧問は正式な職務ではないのですから。
もし部活顧問が正式な職務だとしたら、もう3年にも渡って部活顧問をしていない私が何の処分も受けていないのは不自然だと思いませんか?
また部活顧問を拒否することに強い抵抗感を示す方々の頭の中に、東京都の部活への考え方があると思います。
(そもそも、東京都以外の地域ではそういう記述すらないのだから、本来は気にする必要などないのですが)
『東京都都立学校の管理運営に関する規則』より抜粋
第12条の12 学校は、教育活動の一環として部活動を設置及び運営するものとしている。
2 校長は、所属職員(事務職員等を除く)に部活動の指導業務を校務として分掌させることができる。
3 校長は、所属職員(事務職員等を除く)以外の者に部活動の指導業務を委嘱することができる。
4 学校は、部活動が当該学校の施設で活動できない場合に、当該学校以外の施設を活動の拠点とすることができる。
この部分をもとに「ほら東京都は部活を教員の仕事だと明示しているじゃないか。顧問拒否をしているお前は教師失格なんだ」という類の意見を言う方は結構いらっしゃいます。
まず「校長は、所属職員に部活動の指導業務を校務として分掌させることができる」と書いてはあるものの、当然ですが勤務時間外まで部活指導を強制できるものではありません。
また、勤務時間内に行える部活など、できて30分間弱くらいものではないでしょうか。
勤務時間外を前提に組み立てられている部活指導は、職務としての体をなさないのです。
であるからして、前述の本文は「校長は所属職員に部活顧問をさせるのであれば、その指導業務を校務分掌としてさせることができる。ただし、勤務時間外は除く」と言い換えるのが正しいのではないでしょうか。
「部活顧問を引き受けると、絶対的に勤務時間外労働が付属してくる。それなら私は部活顧問になることを拒否します or 部活動の業務は勤務時間しかしません。ですから実質部活の顧問はできません」でいいと考えられます。
異論はあるとは思います。
私には東京都の考えが、十二分に分かっていない部分もあるでしょうから。
日本全国津々浦々、様々な自治体があり、状況は千差万別でしょう。
教師の全員顧問制度は全国共通のようですが、生徒の全員加入制度については地域差がとても大きいです。
生徒の部活が全員加入制度だと部活生の数も多く、必然的に顧問も相当数必要になる。
だから全員顧問制度につながってくるのかもしれない、などと邪推しています。
冬の寒さもピークを迎え、これからが部活顧問を巡る最も大切な時期になります。
異動もあり、職員構成のこともあり、そしてなにより、新年度へ向けての部活顧問の話し合いがある。
そこをうまく乗り越えられれば、当たり前の人間らしい働き方ができると信じています。
私に教師としてのポリシーはそう多くはありませんが、譲れないものの一つに『絶対に、土日祝日に学校へ行かない』というものがあります。
かれこれ約3年は土日祝日に学校に行っていません。
現在は3年生を担当しており、進路の書類など学校でしか行えない作業も多々あります。
だから3年生の担当の先生方は、土日祝日に学校に出ていって作業をすることが多いです。
私は、そこも、学校に、行かない。
自分で創意工夫して時間を捻出し、全てを終わらせる。
勤務時間内で終わらない仕事は、教師が自発的に勤務時間外や土日にやるという変な文化があります。
そういった、『学校のおかしな当たり前』を変えていきたいと思っています。
長いこと教師をやっていると、卒業生が学校に遊びに来ることがたまにあります。
高校の部活帰りに来ることが多く、土日に職員室を訪ねてくるケースが多いです。
ですが、当然私は学校におらず、その日は会えません。
後日、平日に会った際にその生徒が「土日に先生に会えないのも、先生らしいですよね」と笑顔で言ってくれました。
その生徒は、私が家庭と仕事の両立、また自分の時間を大切にしたいことを十分に知っているのです(授業でそういった話もしてきました)。
「寒い冬には根を張って、春には大きな花を咲かす」と先人は言ったものです。
部活問題に悩む教師にも、同じことが言えるようです。
すなわち、新年度を迎えるこの冬の時期に、部活問題に関する知識を集めておく。
しっかりと準備をしたうえで行動を起こせば、春には望む結果が出てくる、と。
数年前に部活顧問を拒否した際、多くの同業者から驚かれました。
「え!部活顧問って拒否できるの?仕事じゃないの?」などなど。
正しい行動をすれば正しい結果が返ってきます。
今、部活問題に直面していらっしゃる教師の方々。
恐縮ですが、私や他のプロジェクトメンバーのように、部活顧問拒否における先人は多く存在します。
もう目の前に道はあるのです。
そして、今は細いかもしれないその道は、ヴァーチャルではなくリアルなフォロワーが多く通っていくことで、その広さを増していきます。
近い将来、教員が部活の顧問をする or しないという選択ができるようになるか否かは、そういった方々の勇気ある一歩にかかっています。
個別で相談されたい方はTwitterのDMまでどうぞ。
Twitterをされていない方も、これを機に始めてみてはいかがでしょうか。
ちなみに私は、フォローしていただいたら、もちろんフォローいたします。
ブログのコメント欄にも、ご意見・ご感想、どうぞお聞かせください。
コメント
コメント一覧 (213)
補足ですが、素人の責任教師たる私は発言権が弱く、専門家の顧問団に押され気味なことも少なくありませんでした。それでも、近隣との関係において対応が迅速だった印象的な事例があって、それが、
①近隣に小さなお子さんがいる。その安全に関わる。
②別の学校で、近隣の高級外車にボールが当たって、高額の補償が発生した。
という時でした。そんなことでもないと動きが鈍りがち、という意味では誉められたものではありませんが、そんなこともありました。参考にしていただけるでしょうか。むしろ怒られるでしょうか。
部活顧問拒否を理由に業績評価をさげるのはよいのでしょうか?
詳しい方教えて!
東京青梅市です
校長の評価開示請求し、そのように言われているのですねえ。
東京都、青梅市のことは詳しくはないのですが、一般に、校長の評価に対して異議がある場合は、教育委員会に「苦情」を申し出ることが可能ではないでしょうか。もっとも、校長は部活動顧問拒否をその理由に公には言わないと思います。
校長に、なぜ業績評価が下がったにかを再度、詳しく聞いてください。そのときの校長の言動をメモしてください。説明終了後、そのメモの内容が間違っていないか確認してください。そして、「この業績評価には納得いきません。教育委員会に苦情をだします。」と告げ、教育委員会に電話してください。
個人的に戦ったって,よほど強い(例えば社会運動のリーダー級)教員でない限り負ける。
まずは,校内に一緒に戦ってくれるたくさんの仲間をつくること。
教職員組合を通して,組織として戦う。
ただ,学校の雰囲気も大きな要素だから,実情がわからないので,あくまでも参考程度に。
それも、苦情小処理では「校長の評価は高すぎる。私は『D』だ、『C』だ。」と主張しましょう。もし、校内の平教員の半分以上が苦情を出せば、平教員との関係づくりが不十分をみなされ、校長の評価が下がります。校長は、苦情殺到で、ノイローゼになります。しかし、現実には、ここまで戦ってくれる仲間はいないと思います。
信頼感も人間性も全くありません。
悲しいです。塾講師以下です。
しばしば「カウンセラーと学級担任の連携」が強調されますが、その連携は容易ではありません。情報交換する時間が確保されていないからです。多くの場合、カウンセラーは毎日出勤しません。 学級担任は、教科指導や学級経営、校務分掌など多くに仕事を並行してこなさなければなりません。
また、価値観・考え方がカウンセラーと異なることが少なくありません。したがって、学級担任とカウンセラーが一枚岩になって対応することは口でいうほど容易ではありません。どちらかに合わせるのが現状です。異なる価値観のカウンセラーと学級担任が同時に生徒相談にあたれば、当該生徒は混乱します。ある程度年齢が進めば、その違いを容認できる素養がありますが、それは、高校生以上です。
したがって、「カウンセラーまかせ」にしておき、その報告をあとで学級担任に報告する方が効率的です。「ここはカウンセラーに任せよう」を選択する方が賢明です。そうしないと、仕事が終わりません。
「保護者対応や地域との連携」についてもその具体的内容がわからないので、意見を述べにくいのですが、「地域対応」については、管理職がすべきです。窓口が複数あると混乱や誤解のもとになります。
いづれにしても、何でも首を突っ込むことは、多忙化の元凶です。適材適所に仕事を他へ依頼するしたたかさがないと つぶれます。
「信頼感」は他者が決めることです。それを自分から求める必要はありません。
「人間性」とは便利な言葉ですが、その中身はあいまいす。その言葉で締めくれば、文句を言う人がおらず、ヒューマンの響きが残りますが、情緒的です。その種の情緒的・麻薬的な言葉には要注意です。
そして、やっぱりここの学校、少し変だったんだと思いました。
3/3(土)は朝8時半から叫びだし11時40分に学校に電話を入れました。
教頭はいつものごとく休みでした。
5日(月)に電話を入れたら「来ていたんですよ。学校周辺を歩いていました。テニス部ですよね~、あれ~騒いでいました?」とヘラヘラと笑いながら話す態度は誠意も何も感じませんでした。
しかも教頭が我が家の前を通ったという時間は主人が洗車をしていたのですが気が付かなかったというのです。
車一台分が通れるほどの道路と並行して車を停めてあります。しかも普通なら近所を気にして歩くでしょう。
おかしなことです。
今までは学校や教育委員会に『部活動の現状と要望』と題して箇条書きにした書面を提出していましたが今回は93,103のごろうさんの言葉を引用させていただき(勝手に申し訳りません)それと最後は『学校だから部活だからと近隣も仕方がないと我慢している部分も多いのです。
win-winになるのが望ましいですが防音壁を建てる以外には難しいでしょう。
ならばwin-winに近づけるようにできないかと考えてみてください。
例えば部活時間も下校時刻までダラダラとやらなくてもいいのではないですか?
休日は休みにするなど考えてみてください。』と午前中に教育委員会の担当者にFAXして午後4時ころ教育委員会に足を運びました。
いつもとは態度が違いすぐに席を設けてくれて近いうちに学校には連絡せずに部活動の様子を見にくることになりました。
そしてこの時に近隣の雨戸と我が家のフェンスも見てもらいます。
ボール飛来がひどかったころはガラスにボールが当たると衝撃音がすごく飛び散るのではないかと雨戸を閉めていたためボールが当たって凹みが無数あります。
今は交換しましたが子供たちがフェンスを上り下りしたため留め金が壊れゆがみフェンス4枚を交換しました。
少しでもつらい気持ちが伝わればいいと思っています。
114夜明け前様
我が家の隣にアパートがあります。
ここに住まわれていた方が乳がんの治療をしていました。
通院で帰ってくると体がかったるく3日間は寝込むそうなのです。
そのことを学校に伝えていましたがボール被害と騒音は変わりませんでした。
この方は「一緒に(学校と)戦ってきたけれど、ここでは休めない。死にたくない」と近くにアパートに引っ越して行きました。
当時は朝連も約束の7時半からも守られず7時くらいから騒いでやっていました。
前顧問に「時間くらい守りなさい。まだ休んでいる人だっているのよ」と話したら「時間前はやっていません。時間になってから始めている。」と言われ、時間前はコートの脇、つまりラインの外でやり時間になってからコートに入っているというのです。
呆れました。
3年ほど前に教育委員会の前担当が来たことがありますが、もう終わりの時刻そして雨が降り始めたころに来て「騒いでいませんよね」と言われかなり頭に来たことがあります。
きっと騒いでいるのを確認してしまったら「メンドクサイ」から今の教頭もとぼけるんですね。
今まで学校教育の一環だという、学習指導要領の説明で誤魔化されてきたのでしょう。
でも、事態は変わりました。
文科省は働き方改革の責任を教育委員会と校長責任と断定し、2月9日に通知しました。
つまりは、5時以降部活をやっている場合は教育活動ではなく、校長責任の違法労働と確定しました。
もう、校長に苦情を言う必要はありません。
教育委員会に、2月9日の文科省通知を市として守らないということですね?
と、連絡しましょう。
勤務時間外の部活は、働き方改革に違反する校長責任です。
ありがとうございます。
昨日、午前中にお隣の奥さんから「あなたはまだいいわよ。午後からお仕事で平日はお留守でしょう。平日のテニス部もすごいのよ。」と聞き、昨日は17時50分ころ家に着きましたが18時過ぎまでやっていました。
教育員会にも「夏時間ってなんですか?19時と言えば普通の家庭な夕飯時刻でしょう。」と言っていました。
少しづつですが変わりつつあるのですね。
「文科省は働き方改革の責任を教育委員会と校長責任と断定し、2月9日に通知しました。
つまりは、5時以降部活をやっている場合は教育活動ではなく、校長責任の違法労働と確定しました。」
これは公表されているのでしょうか?
文科省のホームページで検索しても出てこなかったです。
一つの提案ですが、近所の方々とも繋がりがあり、同じように困ってらっしゃるようでしたら一緒に訴えるのはどうでしょうか?例えば署名するなど。
個人の訴えであると、学校側も「その人だけが気にしすぎ」と捉える場合もあります。客観的に見て学校側が改善すべきと認識されれば、重い腰も動くのではと想像しました。
話は違いますが、個人的には主題の部活顧問問題も同様に捉えています。個人で戦うのではやく、同僚で仲間を作って学校を変えようとすればよいのではと思います。
市教育員会指導課に確認しましたら「文科省から働き方改革のことがあることは知っていますが、まだ県で止まっているようでこちらにまで通知が来ないのですが確実に部活動は変わると思う」と言われました。
半ROMさま
コメントありがとうございます。
テニスコート周辺の方で署名もしました。ほぼ全員の世帯が署名してくださいました。
市教育委員会に提出と、そのとき席を設けてもらい話もしまいた。(近隣4名で行きました)
学校や教育員会にも複数の近隣住民と相談に行ってます(もちろんアポとってから)
学校に教育員会の人もきて話し合ったこともあります(近隣2名)
前校長から「山奥で暮らせば。」と言われ、一緒に行った近隣の男性がボイスレコーダーを机の上に置いておいても平気でそんなこと言ってました。
学校改築工事があったときに市役所の設備課のかたが「この学校は市の中でも最低。校長も先生もヤクザみたいだ。」と言ってました。
公立は先生の移動があるのになぜ、この学校だけなのかと尋ねたら「古い先生が居座ってしまっているせいだろう」と言ってました。
ご近所の方も県教育委員会に相談したほうがいいかとも話していますが何か変わるでしょうか?
もうテニス部どこかに行ってほしい。。。
それとも、体育科を中心とした部活大好き教員に潰されてしまうのでしょうか?
当方、5教科の教員ですが、部活ばかりさせられてたまりません。体育科なら、そりゃやりますよ。授業が何も準備いらずに楽ですからね。
スラムダンクの桜木みたいに、「今なんだよ!」で身体の悲鳴を無視して頑張るような活動は今の教育の範疇では明らかに逸脱行為に思います。私もスポーツ愛好者ですから、危険を冒しても突っ込みたい気持ちはよくわかりますが、学校のスポーツをそういう場所にしようとは思いません。
私としては、次の3つの部分に注目しました。
・・・部活動により生徒が学校以外の様々な活動に参加しづらいなどの・・・観点からも、適切な活動時間や休養日について明確に基準を設定すること。
・・・一部の保護者による部活動への過度の期待が見られることも踏まえ、入試における部活動に対する評価の在り方の見直し等に取り組むこと。
・・・採用や人事配置等の段階において、教師における部活動の指導力を過度に評価しないように留意すること。
いずれも部活動を過剰に評価する事への問題意識、部活動を維持するために払わされてきた犠牲に言及しているように思います。
また分掌バトルの季節になっています。私はもう無駄に争ったり誰かを恨んだりするのはやめて、部活に関してはただ率直に自分の希望を通すというスタンスでやっています。
部活大好きな人たちを説教しようとも、「部活嫌だなあ」と言いながら惰性で顧問を受ける人たちを無理して救おうとも思いません。考えてみれば、公立教員の世界に労働問題など存在しないのです。残業代は出ない、だから仕事は定時まで。もし働いている人間がいたら、それは好きでやっていること、これはもう給特法ができてから変わらぬことです。
給特法は悪法ですが、少なくとも私たちが限定4項目以外の時間外勤務をしないで済むよう定めてくれています。勇気を持って「ここまでです」と言えないのは残念ながら自分の責任だと思います。
冒頭に「誰かを恨んだりするのはやめた」などと書きましたが、職場内の部活に疲れた先生方に「先生、部活断りましょうよ。私が一緒に校長のところに行きます」と私が言ってまわっているのに誰も腰をあげようとしないので、結局こういう恨み節を書いています。
不本意ではありますが、定時まで仕事をやって、その範囲で生徒に誠実につきあって、仕事のできばえが不十分だ、とか、やる気がない、と言われてもとうぶん批判は甘んじて受けて、あとは図太く学校が変わるのを待つしかないのかなあ、と思っている年度の暮れです。
※公立校教員に労働問題は存在しない、というのはもちろん理論上の話です。実際には大変な苦労があります。が、それらは北方領土問題と同じで、実際に事態に対して実行支配力を持つ側にとっては何の問題にもなっていません。部活大好きな人、あるいは全く逆に私のように何か言われても相手にせず定時退勤を決めてかかっているような人間には。
思えば、私たちが受けてきた学校教育は「みんな仲良く」を基本に進められてきた。聖徳太子の「和をもって貴しとなす」も、この考え方にお墨付きを与える役割を果たしてきた。
しかし、「何のために」「みんな仲良く」する必要があるのかという視点が抜けているため、「みんな仲良く」が目的になってしまっている。
おそらく、「何か大きなものごとを進める」時には、みんなが協力しないといけない。だから、「みんな仲良く」を目指すのだと。
で今、問題になっているのが、「何か大きなものごとを進める」目的がない時にも、とにかく「みんな仲良く」させる点である。
私も、時間の中で、できる限りの事をする。四項目に関しては、時間外でも休日でも、教育公務員として、最大限の対応をする。それ以外に関しては、原則としてやらない。
「平日は19時まで、土日は半日は部活を見ないと教師としては不適格」という意見があってもいいと思いますが、そういう方とは必要最小限の付き合いをしていけばいいのです。
今、「対話的で深い学び」「話し合い活動」が必要だといわれていますが、裏を返せば、これまでの学校教育・家庭教育で、「自分の意見を持ち、他者に伝える」ことを怠ってきたツケが回ってきたと思っています。
生徒にさせる前に、まず私たち教員が、「自分の意見を持ち、他者に伝える」ことをやる。「和を保つために、自分の意見を他者に伝えない」職員室の空気を変えるのは、ここで自分の意見を押し付けるのではなく、提示している人ではないでしょうか。
私も、夕方5時・土日にはいなくなります。今年は、「あの人は残業しない人だ」と認められるような自分を目指します。
部活強制派の管理職や体育科は戦犯扱いになるよ。時代って怖いね。
一昔前の常識が非常識になる。
常に勉強して、時代の行く先を見据えないと。
半分賛同しますが、半分突っ込ませてください。
私の職場でも分掌が調整されている時期ですが、あらためて思い知るのは、「一カ所が偏ると全体が偏る。その歪みは数年単位で波及する」ということです。
「偏り」の性質はさまざまです。声の大きな人が無体なことを言い出す「偏り」がまずありますが、このブログの趣旨である「顧問拒否」がおこす波もまた「偏り」に含めざるを得ないかもしれない。いわゆる「しわよせ」ですね。
私の今いる職場では、合理的現実的判断ができる人ほど「降ってきたものはごねずに受ける」スタンスを貫いているようです。その状況がベストだと私は思いませんが、「あちこちからの様々な自己主張により分担が破滅的に偏ることに比べれば、セカンドベストだよなあ」という思いも拭えません。
事なかれ主義です。事がないことはやはり大事なのです。
* * *
いずれにしても、根本的な問題である、
①「学校業務において部活動はmustである。だからみんなで分担せねば」という思い込み
②マンパワー不足
のいずれかが解消されねば、この状況を変えることは本当に難しい。そんなことを感じた今週でした。
* * *
「それぞれのしごとの特性・しんどさが、思ったより相互理解できていない」
この時期、それが露呈しますね。「ああ、それくらいに思われていたのか。意外だな。さみしいな」という。今週あちこちで耳にしたフレーズでした。感情の問題といえばそれまでですが、このことによるモチベーション低下は組織の維持において無視できない要素だと思います。
部活動についていえば、「専門外の顧問を強いられることの苦しさ」について想像できない方が、本当に、います。専門の部活動を(幸運にも)ずっと担ってこられた方などですね。そして困ったことに、部活動顧問の配置は、そのような方の意見をベースに割り振られることが多くありませんか?
強いられる側としては「いろいろ調整の結果なんだろうから、ごねても申し訳ないな。受ける方が組織のためだな」と思っているのですが、実際には、強いる側はわりとテキトウに割り振っているかもしれない。相手のQOLに無視できない影響を与えていることなど、想像できていないかもしれない。そんなことにも気づかされた今週でした。
(本務だったらこんな愚痴は言いません。部活動があくまで本務外のオプションであるという前提に立った、愚痴です)
退勤が遅い教職員は,理由書を校長に提出する。
教員の勤務実態を,学校運営協議会の重要協議事項とする。
教員のサービス残業,サービス休日勤務,自宅での学校業務の実態を,行政監査と
同じ頻度で実施し,行政監査委員に明確に提示する。
教育委員会は,教員のサービス勤務状況を,校長に対する人事評価に反映させる。
私はまだアクションが起きるタイミングではないと見ています。
騒がれているとありますが、まだ現場レベルでは話題になることも少なく問題意識は低いと思います。
しかし、一部の自治体から部活動指導員の拡大の動きや、名古屋市での小学校部活廃止などの動きが出始めており、その効果が確認され、全国の動きまで広がれば、アクションも現れるのではと思います。
おそらく早くても2年は必要と見ています。
顧問を拒否するのは話題にはなりますが
顧問拒否するのは話題にはなりますが、制度改善の訴えだけでなく個人の利益に見える可能性もあり諸刃の剣と私は思います。
何にせよ、ニュースだけではこれまでの長い部活制度に終止符を打つには材料が乏しい。せめてモデル校ができて、これでいけるぞという安心材料がなければ。
それか、顧問なしに。
昨年に引き続き、職員会議で質問しました。
「教員は部活動顧問になる必要がありますか」回答なし。
顧問希望欄には、
経験があってやってもいい、と思える今年度顧問した部だけ書き、記述欄に…
部活動顧問制度がおかしい。
負担と怪我責任が比較的軽いこの部なら。
それでも遅くまでやらないし、休日も一杯やらない。
と記述しました。
普段から校長保護者生徒には…
教員の勤務時間
部活は生徒及び教員の自主的活動
生徒は希望制なので休むのは自由
私も都合であまりたくさんできない
と伝えてあります。
また先日の大会で午前で負けたので、生徒の反省の時間を取ろうと思ったら、
保護者は、この後の予定があるので早く解散にしてほしい、と。
勝ち抜いてたらどうするのか?
顧問の私の方が、生徒がかわいそうに見えました。
これなら、管理職、他教員や保護者から、活動内容の不足の苦情は出ないかも。
まあ、胸に秘めるものや私のいないところでブツブツ言うでしょうが。
しばしば、医者が多用する「しばらく、様子をみましょう。」の香りがします。「そのうち」「来年は」と言っていたら、定年を迎えます。それは、実行するより様子見の方が、気軽だからです。
年度途中で、部活動顧問のハードさに疲弊し、「来年こそは、顧問をしまいぞ。」と決めても、新年度になったら、その決断が後退するのです。その結果、「今年はとにかく、様子をみよう。」と自分に言い聞かせるのです。これの繰り返しです。
そのような繰り返しをさせてのは「自分だけ楽をしていると思われたくない」「今いる部員を落胆させられない」などの「思いやり」「配慮」です。これらと決別しましょう。
アクションを起こすではなく、起きるです。
つまり、顧問拒否が一般的に見られる時期に来ているかという意味で、まだだろうという見方です。
とはいいつつ、アクションを起こす場合もエネルギーが必要です。そして順番も必要です。変化を起こすにはまず集団を変える必要があると思います。
言っても聞かないから各自が自由に行動する。 「思いやり」「配慮」と決別する。その集団は組織ではなくなります。一丸となった運営もできなくなります。そんな集団で働きたいでしょうか。私は遠慮したいです。
間違って捉えて欲しくないですが、今の部活制度を肯定していません。しかし、その改革方法がやるやらないという極端な手段なので、同意できないです。
多い場合は,校長の評価を下げたり,頻繁に続くようであれば,管理職としての
能力がないということがいえるので,降格させる分限制度を確立すれば,
部活動だけではなく,すべての業務について,不当なサービス残業・サービス休日出勤
を大幅に減らすことができる。
たぶんこれこそがここで議論している先生たちの中で一番意見の分かれるところではないでしょうか?
思いやりと配慮を重視して組織の安定を維持するやり方が、一方から見れば同調圧力を背景にコンプライアンスや少数派の意見を無にする汚いやり方でもある。
部活をやりたい人もいて、部活で困っている人もいて、法律的にはやらなくてもよくて、というのはどれも部活のリアルです。その中で、部活を維持したい人の意見がなぜか公式には採用されている体になっている。合意形成のプロセスも定かでないのに、なんとなく多くの人が従っている。
こういうものに従うのを潔しとしない人たちも、組織には必要なのではないかと思うし、思いやり(忖度)組織主義の弊害が無視できないレベルになっているからこういう議論になっているのでしょう。
私は思いやりと配慮をかなぐり捨てた脱・組織教員ですが、仕事はしていますし、なんだかんだで職場ではちゃんと必要とされているようです。私自身もなるべく良い仕事をしようとしていますし、いちおうまだ30代はじめですから10年後のコンプライアンスに適合するだろう仕事スタイルを確立したいと思っています。
どのタイミングで行動に移すかはその人の判断ですが、私は行動に移すのは今でしょ、と考えて少しづつ行動しています。多くの人からのいいね!は特にいりません。功罪は10年後の社会が判断することです。
やり手のない運動部顧問は若い方たちのほうに流れました。
運動部が自分のところに来なくてすんだので多くの先生が「よかったよかった」と胸をなで下ろしています。
私が前年運動部の顧問を固辞して軋轢を起こしたことなどどうもみんな忘れているようです。
また恨み節になりますが、自分で部活を断ることもせず、押しつけ先の若い人が転任してくるのを心待ちにするようなベテランを私は尊敬できません。
若い人が来るのを待てばいい、誰かが制度を変えてくれるのを待とう、そんな考えなら一生風向きを読みながら待ってればいい。生徒にも、社会が変わるのを待とうね、と言っていればいい。
昨年、私に運動部顧問就任を求めて恫喝した先生も職員会で前から言っていたように「働き方改革」を口にする、若手に運動部顧問を押しつけて安堵するベテラン陣、おかしいだろ、とつい感情的になってしまう年度末。
部活が廃止になってもやるんでしょうね?保身ばかりを考えて、他力本願の姿勢には呆れますね。生徒に綺麗事語らないで欲しい。
十分準備してアクションを起こすことを選択したら、タイムミングを失います。熱意を失います。時間がたつほど、「まあいいか。」となってしまいがちです。すぐに、行動し、行動しながら対処すべきです。部活動顧問拒否は、それほどエネルギーはいりません。仲間や同調者をつくることは確かに有効ですが、自分一人でも行動は起こせます。「しません」と宣すればいいのです。
「職場仲間から、『自分だけ楽して』」「生徒や保護者から、○○先生だけ顧問をしてない。」などと非難されないか自分自身で思い込んでいるのです。人からどう思われようが、自分自身が正当な方法を選べばいいのです。みんな自分のことで精いっぱいなので、他人のことはいつまでも気に留めません。
コメントありがとうございます。
具体策を書かないことで、勘違いをさせてしまっているようです。
>こういうものに従うのを潔しとしない人たちも、組織には必要なのではないかと思う
その通りです。
しかしアクションが顧問拒否というのは、問題に対する放棄、逃げと私には見えます。
ではどうすればいいか。
職会で問題提起してください。職員全体の問題と訴えてください。
ごろうさんはおそらく今年度顧問をされてないのだと思うので、顧問をしなかったことでどのような効果が得られたのか資料で示せば説得力があります。
管理職の前なら恫喝した職員も冷静にならざるを得ないでしょう。賛同や中立の立場から意見が出るかもしれません。
個人の顧問拒否は、私からすればベテラン教員同様、私は今年も免れたと安堵しているように見えます。そうではなく、学校を変えるべきです。せめて全体に問題提起するくらいはしてほしいです。待つ必要はありません。すぐ実行しましょう。
コメントありがとうございます。
エネルギーが必要というのは、149にも書きましたが、職員全体に問題提起し、学校を変えようとするためです。
一般的に変革を起こすには、後ろで色々準備が必要なので時間がかかります。これまでの長い部活の歴史を変えるわけですから、粘り強く取り組まねばなりません。
>自分自身が正当な方法を選べばいい
正当と思うのは人それぞれ違います。サービス残業が全て不当と思いません。私は生徒にとってプラスになることは授業以外でも提供したい人間です。
私も自分のことで精一杯なので、他人のことはあまり気に留めません。
根本的な話として、これは第一義的に個人の権利を守るための闘いです。職場にとってのメリットというのは当然あるでしょうが副次的なものです。「私の趣味や家族との時間が増えました。長期的な人間的成長に役立ちます」というのが私の率直な感想です。これは非常に大事なことですが職場で言うことでもないでしょう。というかこれは言うに及ばないことであってあえてそんな説明が必要だとしたらそれ自体人権侵害です。
思えば部活自体、生徒と教員の主体性で始まりました。意欲ある生徒と、やる気ある先生のセットでおおむねうまく回っていた時代や場所もありました。自主性が原動力の場では労働ルールも報酬も必要ありませんでした。
しかし時代が変わって、不本意顧問も増え、いまだに一日やれば最低賃金以下とはいえ、部活指導手当も増えました。結果的に言えば、誰かがやりたいから(いわば勝手に)始まった活動が学校の責任をもった活動かのようになり、そこにいつのまにか税金が投入されています。
現実的にあまり意味のない議論なのは承知していますが、勝手に部活が学校全体の問題のようにされてしまっていることに承服できないのです。大人な態度ではないかもしれませんが、部活がいつの間に学校全体の問題にされるほどエラくなったんだ?という思いはどうしてもぬぐえません。(で、それでどうするんだ、という事を結局述べていませんが・・・まあ愚痴です。)
これまでできなかった、部活拒否をできる環境に変化させる、職場に旋風を巻き起こすのですから困難は伴う運動になると思っています。
でも私が同じ職場ならそこまでやってほしいです。
個人的に顧問拒否を強行しても部活制度は変わってないので、嫌な仕事から逃れたんだなと見るだけです。
全体の課題でなく個人の問題でしょう、とありますが、この運動の背景の一つに全員顧問制の異議があるから全体の問題と捉えています。
部活の起源が「意欲ある生徒と、やる気ある先生のセット」とありますが、私は違うと思います。同好会から部への昇格をイメージしていますが、最初は生徒同士で学校の仲間とスポーツなり文化活動したいが学校の施設を使いたいので担当が必要、だから先生にお願いする。一部の先生がその競技に少し詳しくて、指導してあげる、生徒は練度を上げたいのでお願いする、先生が部活をコントロールするようになる、と変化していったのかと。
つまり顧問は生徒が活動する補佐で別に指導する必要ない仕事という見方です。
その顧問という仕事も業務ではないので法的拘束力はありませんが、今ある部活システムはどうするの?と。やりたくない、考えたり変革を起こすのは骨折り、法的にやらなくていいんだから辞めよう、というのは匙を投げただけに見えるのです。
1.実勤務時間の明確な把握により,サービス残業・サービス休日出勤が明らかになった
場合の「校長の責任」,「校長に対する人事評価への反映」,「校長に対する降格な
どの分限処分の制度化」を確立をする。
2.部活動の年間活動計画の詳細が校長承認されているか,部活動が明らかに学校の管理
下で実施されているのか,校長の管理体制を確立し,生徒・保護者に周知させる。
(学校の管理下にない部活動には,日本スポーツ振興センターの災害給付金は支給さ
れないため)
3.校長の職務命令により,部活動が実施されているか,教育委員会の管理体制を確立し,
教員に周知させる。
(公務災害は,教育委員会の管理下で発生したものでないと認められないため)
これらがすべて実現されれば,部活動のみならず,その他の多くの問題も解決することができる。
ガソリン代入れたらもっと低いわ。
代休もなし、試合で負ければ保護者から文句は言われ、怪我でもあれば責任問題。
どこの物好きがやる?
せめて、手当てを3倍くらいの一日一万に。まだ、労働基準法違反レベルだけど。
お金がかかるなら、縮小するって。
教員を人権無視にタダ働きさせれるからこんな事になってる。
リンクに詳しい記事が出ています。
労働基準法では勤務時間後や休日労働は割増賃金を払わなければなりません。
校長、逮捕されますよ?
しかし、顧問が「土日は活動しません。」と言えば終わりです。上司である校長も命令できません。顧問がその決断をしなかったことが、「ただ働き」の原因です。はっきり割り切って、ビジネスライクに行動できない教員気質が、最大の原因です。
現状を変えるは簡単です。「しません。」と宣言すればいいのです。悪いのは、教育委員会の怠慢ではありません。生徒・保護者の要望を受け入れてきた教員です。
私が教育委員会の職員ならこう考えます。「教育委員会は、『部活をやれ』などと一言も言ってない。現場が決めているんだ。もし、現場が『つらい。ブラックだ。』と判断したら、始めたのは自分たちだから、自分たちでやめれば済むことだ。俺たちの仕事を増やさないでくれ。」
命令されてもいないのに現場が維持拡大させてきた部活に、今更大変だから規模を減らすように文科省が命令してくれ、とか、給料もっと払え、とかいう話の流れは公務員としての自覚の放棄に見えます(タイゾーさん済みません。気持ちは無茶苦茶わかっていますよ)。
自分たちが好きでやった事が手に余ってくると国に自ら管理されることを望むという自己決定の未熟、自主的にやったことに対して報酬を求めるという一種の教育サービスの押し売り。1人1人の先生がたはこうやって言われると憤慨するでしょうが、公教育全体を見れば納税者たる国民からはそう見えます。私も納税者としてこの部活というシステムを見た時にはそう思います。
公務員としての自覚の放棄
自己決定の未熟
教育サービスの押し売り
皆さんの描く未来の、あるべき学校の形とはどんなものでしょうか?
話を聞いていると私の考えが古い?時代にマッチしていない?とも思えてきました。
屁理屈に受け取られるかもしれませんが。
「生徒がよかれと思って」という考えのもと、教師の本務である授業にいろいろなサービスを付加しある意味肥大化してきたと思います。
今そのサービスを断ち切ろうという流れで、まず一番大きな部活動にメスが入っている。
では、それ以外のサービスも削ぎ落としていけば、補習も不要、進路指導も不要、担任業務も不要となり、アカデミックな授業のみ行うのが理想系ということでしょうか?
つまり大学のようなシステムです。
この呪文を唱えられると,しっぽを握られた何かのように力が抜けてしまう。
もう,いい加減に生徒真理教はやめようぜ。
やりたいヤツが部活動をやれよ。
強制は,するな。
生徒8人と引率教員1人が自暴した那須雪崩事故の結末を見ろよ。
生徒を引率していた教員と県大連の教員の2人が,停職5か月。
別の班を引率していた教員が,停職3か月。
生徒は,スポーツ振興センターの災害給付金を受け取ったのではないのか。
それならば,学校の管理下にあるのだから,校長により重い責任があるはずなのに,
何の懲戒処分もなし・・・か・・・。
そして,亡くなった教員が公務災害が認定され,補償金を受け取ったならば,
この教員は県教委の管理下にあったのだから,教職員の死亡事故を起こしてしまった
のだから,当然のことながら,県教委の責任は免れないはずなのだが,
誰も責任は取らないのか?
校長も,県教委の幹部も,毎月,管理職手当をもらってんだろ。
一般の教員よりも給料が高く,退職金も割り増しで,オイシイ天下り先まで用意されているんだろ。
何だ,現場の教員だけ処分されるのか。
これが,現実だよ。
「保護者が、『土日も部活やれ』と言って、顧問が断ると、校長室まで乗り込んできた」
「保護者から話を聞いた校長は、顧問を呼び出し、『せめて土曜日だけでもやってあげたらどうか』と提案した」
「顧問が、『20人中5~6人しか土曜の練習に来ない。やる気がないので休みにしました』と言うと、校長は『知らなかった』と言う」
「しかし、校長は『生徒のやる気を起こさせるのも顧問の立派な仕事』『その種目の本を読む』『他校の先生に教えを請う』『生徒同士の人間関係に気を配る』と、求められる顧問像を話す」
「顧問は、3月に校長から『○○部は、誰も持つ人がいない』『去年、副顧問の先生なら、生徒の事も分かるだろう』『名前を貸すだけでいいから』と言われて渋々顧問になった経緯を話す」
「校長は、『当初はそう言ったが、状況が代わったので対応してほしい』と顧問に伝える」
「顧問は、『無理です。自分はもうできません。後任を探して下さい』と言って顧問を辞める」
「結局、この部は、臨時的に校長が顧問を、教頭が副顧問となった」
「最初の顧問は、職員との人間関係も、生徒との人間関係もギクシャクし、『3月に無理してでも断っとけばよかった』と振り返った」
問題が起こったら、話し合いをし、折り合いをつけて解決するのが正攻法ですが、やってもやらなくてもいい部活に、ここまで時間と労力をとられる位なら、最初から関わらないのが最善の策ではないかと思います。(部活以外の清掃指導・給食指導・進路指導などは、個人的にやらなきゃいけないと思っています)
最終的に廃部も含め、部活動実施の決定権は校長にあります。しかし、「〇〇部は顧問が見つからないので、廃部にします。」と宣言する勇気が多くの校長にはないと思います。
「今いる生徒が卒業するまでは存続させよう。」となり、新部員の募集をなくし、管理職が顧問になるのは、よくあるパターンです。なぜ校長がはっきり「廃部」を宣言しないのか、それは校長に「教員気質」があるからです。また、「廃部」と開き直ったときの部員や保護者の反発を恐れているからです。
そもそも「部活動については、諸事情により活動を中止することがります。特に、顧問の異動・休職等により、「廃部」になることがあります。」とはじめに断っておくべきです。また、「3年間継続しよう。」などとは、言うべきではありません。
校長は企業でいうと課長くらいの権限しかないと聞いたことありますが、校長も難しい立場で何か変えることを断行するのは難しくためらっているのかもしれません。昨今部活問題は社会問題にもなっていますから、部活の位置付けを説明するくらいだったらやりやすいと思うんです。
部活の顧問を拒否する行為は、部活で疲弊している全国の教員の方たちの励みや救いになっていて大いに意義のあることですが、一方で非正規の教員や採用されたばかりの教員は断るのは難しいと思うんです。保護者の多くは良識的な人達と思うので現行の部活の位置付けを知っていれば過度な要望を減らすことができると思います。
部活プロジェクトメンバーが署名活動を始め、多くの人達が賛同し、そしてメディアが取り上げたおかげで、現在、部活問題は社会問題となりました。保護者らに周知することによって、さらに地域の問題に進めることが期待できると思うんです。学校の現状を知って、自治体に制度を整えてくれと陳情する人も出てくるかもしれないし、部活でなくてクラブチームを選択する人また設立する人も出てくるかもしれないでしょう。将来、部活を外部化するとなるとクラブの存在は重要になってくるでしょう。
部活の問題でよく教員の方たちは保護者や世間の人はわかってくれないとの嘆きを見ます。心情はよくわかります。ですが、先日、JR東のスト予告が報道されましたが、報道されて初めて内部問題を抱えているんだと、一般の人のなかには認識した人もいるし、自分には関係ないと意識にも留めない人もいたと思います。たとえ身近な存在の職業でも、専門外や未経験の領域はなかなか見えづらいしスルーしてしまうので、説明するようしてもらえればと思います。
ただ,教育委員会に忖度(ゴマすり)して,その権限を行使せず,
単なる教育委員会のポチになりきってしまっているのである。
なぜそうなのか。
それは,校長の昇給・ボーナス連動の人事評価をするのが,教育委員会の学校担当課長や
部長だからである。
校長は,形式上,教育委員会事務局の課長級や部長級とされているが,課長に評価されて
いることから,実質的に課長より下なのだろう。
人事評価は,単に昇給・ボーナス連動にとどまらず,定年退職後に教育委員会管轄などの
関連団体の理事や所長など,ほとんど何もしないで年収1千万円超のオイシイ天下り先に
行かれるかなどにも関係してくる。
パワハラし放題だった校長が,間違っても教員として再任用なんてことになったら,
テンメェ~となってしまうので,評価の低い校長は,学校現場に残ることもままならず,
完全隠居か,自分で就職先を探さなければならなくなるからね。
しかし、何も呼び出しないです。
明日の朝人事の発表するらしいです。
教育困難校は、部活動をしないと成り立ちません。
いい気味です。
いやおうなしに部活動をうけもって、がんばってほしいものです。
飯うま!
教育困難校であろうが、なかろうが、「顧問拒否」はできます。ぜひ、そうしてほしいものです。仮に、教育困難校で部活動顧問をしないために、問題が発生しても「顧問を拒否したが悪い」のではありません。「教員が頑張れば立ち直る」はどこでもオールマイティではありません。たまたも、ある時代ある場所ではそれなりに効果があっただけなのです。一般化する根拠はありません。
もし、顧問拒否をしたために諸問題が発生したら、開き直って管理職や教育委員会に助けを求めましょう。教員として、「勤務時間内にできろことをやっていて、それでもうまくいかない。 」と教職員が訴えたら、それなりの策を講ずる義務があります。「助けを求める=指導力不足教員」ではありません。やっても思うようにならなのは本人だけの責任ではありません。
165. とある人さんの「いい気味です。」ですに関連して
逆に顧問を拒否して、それなりにスッキリした毎日を送ている人にとっては、「こっちは、思い切って顧問拒否をしたおかげで、ある人さんのよにに部活で遅くなったり、土日が潰れたりしない。いい気味だ。」となるかもしれません。
未だに高校入試の出来事は燻っています。
そもそも部活やっていたからなんなのでしょうか?地元の小さな大会で入賞することは凄いことなのでしょうか?全国大会に出場してたら凄いと思いますけどその程度の賞のために毎日練習して無駄なのではないでしょうか?
だったら勉強して、全国模試で名前が乗る方が凄いと思いますけどね。
だが、「だから、今の時代も部活動は欠かせない」と考えるのは早計だ。
80年代は、生徒の校内暴力に対して、教師も体罰を辞さない姿勢で対応していた。体罰が「愛のムチ」として肯定的に受けとめられる下地があった。
行き場のないヤンキー生徒達を、半ば強制的に運動部に入れ、堂々と体罰もできたからこそ、部活動が生徒指導上、有効にはたらいたのである。
今、行き場のないヤンキー生徒は、部活などしないし、私たちは、彼らに対して体罰をふるう事もできない。今の部活動は、80年代に救えていたヤンキー生徒を更正させる力はない。
むしろ今、彼らに必要なのは、卒業後の見通しを持たせることではないか。大学進学、専門学校進学、就職、アルバイトをしながら自分の好きな事に取り組む、資格を取得するなどの道筋を示し、支援する事が教師の仕事ではないかと思うのですが。
今の中体連は、服装や髪型もキチッとしないと出場を認めないとする事もあるので、ヤンキー生徒にとっては、ハードルが高くなっている。
オリンピックを目指す生徒は、クラブチームや個人レッスンで力をつける。
となると、今の部活動は、普通の生徒の居場所づくりにすぎない。居場所が多いにこした事はないが、本業を圧迫してまで維持しなければならないものでもない。
これまで我が国のスポーツ文化を担ってきた伝統ある実業団チームでも廃部する事があるのに、中学校の部活を廃部にしてはいけない理由が見つからない。
部活動がヤンキーを抑え込む場のように語られていますが、私は違った見方をしています。
私は当時を知らないので想像ですが、どちらかというと明確な目標を持ち、エネルギーを発散させる場として活用された面もあると考えます。
そしてそのエピソードは最近でも耳にします。
我々が更生しなくても、自ら更生するということです。
さて、後半で語られる部活を削ぎ落とすことで実現する「教師の仕事」ですが、このブログで意見が2つに割れています。
1つは、学校は職業訓練学校ではない、会社で働ける兵隊を量産する場所ではない、と。
もう1つは、168にあるように、将来の就職に備えて支援すること、と。
前回、私は前者の考えを基に、「生徒のため」をやめる未来を想像してみました。
後者であるなら、支援するためにいろんな情報を集めたり、相談に乗ったり、膨大な時間が必要で、またそこに問題が生じると思います。
部活顧問を辞め、部活を廃止した後、どこに向かうのでしょうか?
例えば、「試験前の〇〇委員による予想問題作り(教科担当がチェックしなけばならない、など)」「考査前の放課後質問教室(休憩時間が確保できない、など)」「自主家庭学習ノート提出(毎日、見ることは物理的に難しい、など)」
一つ一つのサービス創出が自分自身を苦しめています。そして、自分自身を慰めるために「教師冥利」と言い出し、リセットする輩もいます。
(3学期にメッセジーカード・寄せ書きをもらうことがります。ひととうり見ますが、そのあとすぐに捨てます。それは、似たような内容ばかりで、持っていてもメリットはないからです。「授業は楽しかった、ためになった、○○が好きになった、○○が毎回楽しみだった。」など。多分、学級活動でのネタがなくて実施したと思います。しかし、このカードの内容をチェックしまとめる仕事が担任に発生します。つまり、カードづくりにより、担任の仕事が増えます。私なら、しません。)
私は、部活のあるなしにかかわらず、20年前と比べれば学校はすでにかなり変質していると思っています。学校の説明責任が増大したり、○○教育がどんどん盛り込まれたり。部活の存在が揺らぐのは感情面では大きな変化になるかもしれませんが、実は数ある変化の一つに過ぎず、実際に変えてみれば多くの人が受け入れるのでは。
それから、学校は部活を廃止したあとどこに向かうのか、の前に、部活はどのような役割を果たしてきたのかについてにも私はよく思いを巡らせます。
私は高校の教員ですからすでに学力輪切りな世界におり、正直に言えば学業にあまり熱心でなく部活が非常にさかんな学校があり、そういうところ出身の生徒をほしがる地元の企業があるような現状も理解しています。ただ、それ自体よいこととは思いませんし、体育会系社員で固めた組織にこんご将来性があるかも疑問です。実際に力を付けた生徒は部活に所属していたかに関係なく将来を切り開いているように見えます。
私も将来生徒に必要な能力は何かということを日々考えています。今のところの結論は「多様性と専門性」です。部活も過去には、先生たちの多様性と専門性がややいいかげんな形ではあったかもしれないけど活かされていた場所だったのではないでしょうか?今は逆なイメージです。せっかくよい専門性や個性をもった先生たちの力が時間外の部活に搾り取られているように見えます。
私が知りたいのはコメントで書かれていた「生徒のため」をなくしていった先の学校の形です。
世間が受け入れるかというと、受け入れるでしょう。というより受け入れざるを得ないでしょう。サービス業である学校が、サービスの内容変えました。継続するかどうかは顧客次第です、と突きつけてるだけなので。
部活がなくなれば、次は進路でしょう。それぞれの職業がどんな業務か、どんな経験や知識を得ればよいか、そのためにどんな高等学校に進めばよいか。学卒で教員になった人は知り得ない世界だし専門ではない、そもそも授業がメインなので時間をかけられない、となるのでは。それって質は違えど部活と同じ話では。
最後に質問です。
「部活も過去には、先生たちの多様性と専門性がややいいかげんな形ではあったかもしれないけど活かされていた場所だったのではないでしょうか?今は逆なイメージです。」とありますが、具体的にどういうことでしょうか?過去も今も想像できなかったので。
2月9日の文科省通知で働き方改革の徹底は、教育委員会と校長の責任が明示されました。
今回の前川講演問題でわかるように、文科省は教育委員会に指導権は使えません。
部活ガイドラインが無視され続けた原因です。
が、裁判になった場合はあくまでも、文科省指導への違反責任をとられます。
教員はとかく社会性がなく、ことなかれで、それが違法である部活強制という事態を引き起こしてきました。
最近、熊本の剣道部事件でも、桜宮事件でも、部活での事故は顧問責任が問われ始めました。
当たり前です。
部活は仕事ではなく、法的には勤務時間外に、希望した教員が、校長の許可を得て体育館をかり、生徒を集めている。
裁判になれば顧問の個人責任です。
実感はなくても、社会は教員の低い意識とは別に現実です。
そのとおりです。
部活顧問を全教員に強制すればいいと考えている、中体連や校長のみなさん。
そのとおりです。
今まで過労死して苦しんだ教員のご家族のみなさん。
たいへんでしたね。
労災さえ認定されず、泣き寝入りのご家族のみなさんも、いたことでしょう。
相変わらず緊張感のない教員のみなさん。
そうでしょうね。
裁判、司法の場にならなければ❗
2月9日の文科省通知は、そういう中体連や校長、教育委員会への地雷です。
働き方改革。
そう、教員にとって禁止されている4項目以外での残業。
2月9日以降は、それによっておきた過労死、勤務時間外に活動を黙認した校長、任意であるべき部活を全員顧問というパワハラ。
今までは責任の所在が明確ではありませんでした。
今回、あまりにもサラッと出された通知。
今後裁判がおこれば、校長は裁判で通知の労務管理責任をとられるということです。
今後、勤務時間外の部活、全員顧問、過労死、裁判になれば校長の個人責任を問えるのです。
校長の退職金はパー。
家もパー。
天下り先もパー。
老後もパー。
今年またきっとかろうじて教員が出ます。
保護者から部活で訴えられます。
4時以降の休憩時間、勤務時間外の、土日の部活は校長の個人責任で訴えられます。
楽しみですね。
あははははは。
("⌒∇⌒")
部活事故の責任問題の話題が出たら言おうと思っていました。
最近にも顧問でなく行政が賠償責任となったものもあり、「事故が起きれば全て顧問の責任」と断言するのは不安を煽ります。
https://this.kiji.is/341120352196789345
顧問の責任になるかどうかは、それを防ぐことができたかどうかと見ています。無茶な判断ではなく、第三者から見てもやむを得ないと思われるものです。
働き方改革によって部下の残業超過によって管理職の責任が問われる件。もしかしたらそれもあって各地の部活動補助員を増やす動きや部活廃止に繋がってるのかもしれませんね。時期も似てますし。
これだけ部活問題が話題になりながら、素人とわかっていて断らなかった責任は問われるでしょう。
司法は教員のように甘くはありません。
校長のパワハラが怖いから、波風立てた立てたくないから、は通じません。
ただし、今回の通知で勤務時間外の部活は、働き方改革名目ですが、明らかに勤務時間外の部活は校長の労務管理責任を問われます。
もう、4時以降部活をよくやらせていられるな、そういうレベルになったのです。
必ず今年も教員の過労死は起こります。
悲しいけどある意味ラッキーです。
この際には、勤務時間外に部活をやらせていた校長の個人賠償や刑事責任も問われるでしょう。
2月9日の通知を無視して勤務時間外に部活をやっている、黙認した。
また、パワハラである全員顧問をさせていた。
これからの裁判が見ものです。
そのためにも、新学期の職員会議では2月9日の通知について、ぜひ確認しましょう。
できるだけ皆さんは、部活から逃げましょう。
地雷踏みゲームが始まりました。
逆に公務員である必要性は全くない。
純粋な労働者であることが重要。
学校が公立である必要性はすべてではないが存在することは事実。
でも公立学校は減少の一途だが、私立学校は増加しているのも事実。
公立学校で民間労働者が教鞭をとれるスキームもある。
一日も早く教員が脱公務員となることを望む。
「なぜ、山登りの素人の息子が引率をし、命を落とさなければならなかったのか」
この問いに対して、遺族の方がのぞむ「当たり前の対応」をする関係者の姿は、1年たった今でも見られない。遺族の方にしてみれば、これも不誠実な対応でしょう。
この1年間、私の職場では、雪山の事件について触れられる事はありませんでした。部活で結果を出した生徒にスポットライトがあたる日常が変わる事もなかったです。
部活動に関して、
① 設置者→学校長
② 責任者→顧問教諭
③ 支援者→教育委員会
ということなのでしょうか。で、何か問題があれば、①と③は逃げ隠れてしまうとすれば、私は②は無理ですね。結局は、関わらないのが一番なのでしょうか。
話は変わりますが、職場の同僚が異動になり、新しい学校は「全員顧問制ではない」とのこと。とても荒れている学校で、部活を見る職員、放課後に見回りをする職員、補習をする職員に分けているそうです。顧問をするかしないか選べる等は聞いていませんが、参考までに。(90%以上の校長が「全員顧問制」で、残りの数%の校長はどうしているか、気になっていたので)
働き方改革の考え方からすれば、まだまだユルいと思いますが、自分で安全も守れない部活に18時まで張り付いて、土日も活動して…よりは幾分かマシかと。
そんな学校ばかりですね。
今まで給特法を理由に過労死や病気、精神疾患にさせられて、労災認定もされず苦しんで今したね❗
どうも来週からの新年度以降は、2月9日の文科省通知にある、働き方改革の徹底責任を果たしなかった校長の責任を問えるようになりそうです。
校長は休憩時間をとらせる義務と勤務時間を守らせる義務が通知されていますし、部活は職務命令が出せないと明記されました。
全員顧問を言って顧問を辞退させない校長は、それだけで今後は責任をとられます。
また、勤務時間を越えて時間設定がある学校は、過労死の証拠を残したに過ぎません。
勤務時間後に部活をやっているだけで、校長のコンプライアンス違反が問えるのです。
部活好きのみなさん、部活ガイドラインの休みの設定は生徒のための活動上限。
あくまでも地域スポーツや地域部活の時の話。
もう、教員は部活に関わることはできないのですよ。
教員が勤務時間以後学校で部活をしている場合は、簡単に校長責任を問えるのです。
これからは、校長の刑事責任や個人賠償で償っていただけるようです。
校長の退職金や財産で、過労死や精神疾患の償いをしていただきましょう。
ハラスメントを受けた子供の心の傷を考えろ!教壇に立つ資格はない!
適正な調整をとらせる こと、となっているので毎日2時間の勤務の割り振りがあればいいの?
部活は職務ではないとされたので、無理でしょうし。
裁判で適正だったとは認定されないし。
まあ、教員は今後部活は持てないってこと。
ただひとつ、校長が部活はやらなくていいと宣言した場合、できますよ。
ただ、顧問に全責任が行くってことで。
教員の過労死裁判のみなさん、今年も過労死や精神疾患が出るでしょう。
今後は泣き寝入りせず、校長に全責任をとらせましょう。
校長には働き方改革による、休憩時間をとらせる、部活は勤務時間内に終わらせる。
全責任ができました。
校長責任で働き方改革をする義務が明示されたんですよね?
違反した場合は、校長個人にペナルティーが発生しますか?
今年は部活は断固、拒否する構えです!
逆に中体連の暴力校長や、校長会や教育委員会ぐるみで中体連と癒着した校長のパワハラや報復人事、恣意的勤務評価も出ています。
部活は違法をパワハラで隠して強制しているにすぎない活動です。
今回の2月9日の通知では、働き方改革責任を教育委員会と校長の徹底という、強い言葉で示しています。
これには恐らく、部活動ガイドラインを何度出してもしらばっくれる、文科省の怒りのあらわれ。
前川講演でわかるように、政治的中立により文科省は圧力をかけられません。
だから、何度ガイドラインを出しても無視されました。
今回は、働き方改革しなかったら自分で責任をとれよと、ある意味文科省は尻をまくった形でしょう。
裁判では校長と教育委員会の個人責任だからな、助けないよ、と。
違憲審査を知っていますか?
憲法違犯は実際事故がおき、訴えて、裁判所が認めて初めて確定します。
2月9日の通知も、違反しても何もおとがめはありません。
ただ、過労死や精神疾患などの労務事故が起きたら、校長は全財産で償う形になります。
きっと事故が起こります、毎年のように。
いずれ学校では、部活動はできなくなります。
部活動問題も社会問題になってはじめて、動きました。
ぜひ、このことも常識になるように拡散お願いいたします。
念願かなって無事退職することになりました。
助言や励ましをくださった方々、本当にありがとうございました!
これからは自分の時間を大切にして、もっといろんなことを楽しんでいきたいです。
もうつらくないです。
ご苦労様。
部活をだらける先生は、今回みんな転出で、来られる先生は部活を頑張る先生ばかりのようです。だから、部活動は今まで以上に活発になりそうで良かったです。
そのなかで、4月から どうも部活をしないと偉い職名になれなくて、30代半ばでその先生の給料は昇給ストップになるという話を先生方がしていました。
つまり、30代半ばから定年まで給料は上がらないそうです。
30代半ばでダメ教師と判定されると、お先真っ暗でゴミ扱いで、おまけに辞めても仕事がないそうです。
私は、部活が嫌なら塾の先生になればよいと思っていますが、塾も30代では雇ってくれないようです。
だから、部活をしないダメな先生は辞めるに辞めれず、1、2年で部活以外が大変な学校に飛ばされることの繰り返しになるそうです。いわゆる、飼い殺しというヤツですか。
まあ、学校の先生も大変だから、「つらい」さんのように、向いていなければ20代でとっとと早く辞めるのが、賢明でしょう。
反論できなくなると、また湧いてで湧いてでる。
たしかに、現在中体連や校長会に魂を売ったヤツがやたらと管理職になるのが多い。
それって、教育の姿かい?
上ばかり見て、録に授業や教育をしないやつらが、バレている。
だから、エライ奴らが各地でイジメを放置し、責任逃れをしまくっている。
埼玉県の川口なんか、部活ばっかり、教育委員会と校長ぐるみで、イジメ自殺隠蔽に走る。
生徒のためではなく、自分の趣味の部活で生きてきた証拠。
ちなみに教えよう。
すでにいくつかの地域では、行政からすでに部活の学校からの切り離し。
2年後には部活の廃止が伝達されているそうだ。
さあ、部活で出世した教員の居場所はどこだ?
悲しいね。
本末転倒教員は。
(この主務教諭制度も不思議ですね。私はこの手の話に疎いので、当局の思惑がよくわかりません。単に「教委に都合のいい人を囲って育てよう」というだけの話でもない気がします。教員の年齢構成のゆがみがいよいよ抜き差しならぬものになってゆく中、管理職候補を積極的に育てないと実際立ちゆかなくなる、という意図なのかなと想像します。)
部活などやってる場合じゃないのに、行政や管理職から学力向上に対する本気度が見えにくい。
大阪は、お笑いと人情と食い倒れの街だから、勉強なんてできなくても何とかなるとでも思っているのでしょうか。
個々のレベルでは、大変ながらも一生懸命指導されている先生も多いと聞きます。
つらいさんが退職できたので、ひとまずはホッと安心ですが、残された私たち教員は、これで終わりにしてはいけません。
つらいさんに見限られた学校は、将来ある若者からソッポを向かれたのです。管理職は、己のマネジメント能力不足を恥じるとともに、職員も、つらいさんの代わりに仕事をする人に同じ思いをさせないよう、全力で取り組む責任があります。
そして、私を含めた、ここにいる先生方も、もっと危機感を持ってほしい。このままでは、優秀な若者が学校現場に来てくれなくなる。
部活の改革も、文科省・教育委員会・校長はやってくれない。保護者が文句を言おうが、同僚が時代錯誤の教師論を押しつけようが、やる・やらないの決断ができないなら、せめて活動を縮小する事ぐらいはできるはず。今まで週6やってたものを週5→週4→週3にする。練習試合は、近場ですませる等、できる事からはじめて、「もう教員が部活やってる場合じゃないよな」という空気をつくるのが大切かと思います。(もちろん「顧問しません」の一言が言える人を、私は尊敬します)
2018年03月28日 09:03
>>必ず今年も教員の過労死は起こります。
>>悲しいけどある意味ラッキーです。
このコメントに対して、どうして誰も何も言わないのか、不思議でたまりません。
この★と言う人が本当に教員かどうか分かりませんが、全国のがんばっている教員の品格を根こそぎ叩き折るような、劣悪なコメントはやめていただきたいと、私は思います。
2月9日に通知された文科省からの働き改革通知です。
文科省は教育への政治介入を防ぐため、最大でも通知が一番で、強制力も罰則もありません。
が、4月2日以降部活は教員に対し休憩時間をとらせること、勤務時間を考慮した時間設定を行うこと、とされました。
授業が終わるのが4時頃、その後に教員は休憩時間があり部活はできません。
5時の勤務時間終了前に10~15分勤務時間があり、勤務時間終了です。
つまりは、部活は休憩時間終了の10~15分だけ。
文科省は部活動の学校からの切り離しを前提に、教員の部活動は事実上禁止したのです。
今後部活動は校長の独断による勝手にやらせている危険な活動です。
もし事故が起きても文科省も誰も責任をとりませんし、文科省が認めない校長暴走ですから、ケガも学校保険が今後は効かない自腹の治療になりますね。
明日から5時以降部活をやっている近隣の学校に、校長先生は文科省の働き方改革通知を無視するのですね?
教育委員会には、こんな5時以降も部活動をやらせる勝手な校長を指導しないんですね?
この電話を継続的に続けるそうです。
今までは部活動の不満も教育の一環を理由に突っぱねて門前払いされました。
これからは校長は
で、お仕舞いですね。
全国の保護者、地域、教員のみなさん。
どうでしょうか?
部活動を学校から切り離そうとするのは、大企業の経営戦略だそうです。
生徒さんのことや学校の実態などは全く考えずに、利潤の追求のために騒いでいると。
外国人の英語の先生の派遣や、大学入試の改革で、ぼろ儲けができた出来た大企業が、次に狙うのは部活動であると。
現に、タブレットを学校に無料配布して部活指導をネットで行う事業を試行している企業もあると。
また、全国大会を商業興業として主催している大企業の利潤の大きさから、新興企業や新規参入企業が興行権を獲得しようと、先生方の取り組みを否定していると。
部活動を悪のように騒いでいるのは、このような利権を獲得しようとする人々だと。
だから、私はここで部活動を違法だと騒いでいる人々は、実は企業の工作員でないかと思っています。
こういう企業の工作員の話に乗ると、日本の学校は崩壊してしまうのでは、と、危惧を抱いています。
私も、ここに書き込まれている先生だと称する方の書き込みは、現実離れしている話だと思うし、品位の部分でもとても学校の先生だとは思えません。
「主務教諭」って、全国的なものではないんですね?
頑張っている先生を手厚く優遇することは、とても良いことだと思います。
ここへの書き込みで、カネを払うから部活がしたくない、カネは要らない、というものが多くありました。
だから、部活動が嫌なら、昇給ストップでも良いのでしょう。
見てる人さんは、校長先生と書いている通り、教員か校長と一蓮托生の繋がっている方。
また、その校長は学習指導要領も通知もむしする違法な校長。
ならば、その違法な発言やネトウヨ並みの、中傷しか湧いてこなかった理由がわかりました。
ありがとうございました❗
「部活などやってる場合じゃないのに、行政や管理職から学力向上に対する本気度が見えにくい。」
私も学力の低い自治体、その中でも偏差値の低い高校に勤務してますが、学校全体の方針は逆です。
まず、学力向上というのは大人側の目的でああって、すべての高校生共通の目的ではないです。勤務校の生徒の場合は単位取得、つまり「卒業資格」です。
教員側は「勉強なんてできなくても何とかなる」なんて思っていませんが、本人の目的が勉強ではないのでいかに机に向かわせるかが授業の主題です。
学校はバイトを禁止していないので生徒は小遣い欲しさに始めます。少しお金が入ると物を買う抵抗が減り散財します。そして更にお金が欲しくなりバイトに注力します。単位が欲しいので学校には来ますが、疲れきった体で頭に入るわけでもなく、むしろ居眠りして授業に遅れ、学校から気持ちが離れていきます。
実績として、部活はこの悪循環を抑止する効果があるため部活を励行しています。
なるほど。納得です。
企業側からの視点だと、177の★の発言も自分達に都合のいいものとなるのでしょう。
工作員疑惑の★さん。校長が文科省がとか言う前に、
177. ★
2018年03月28日 09:03
>>必ず今年も教員の過労死は起こります。
>>悲しいけどある意味ラッキーです。
この発言に対する、自分自身のご見解をお聞かせください。
私も共感する部分があります。
全国大会の日程が、選手のコンディションを無視してスポンサーやテレビ放送局の都合で決められている。
ポカリスウェットやモスバーガーなど、部活とタイアップした商品売り込み。
バブリーダンスなど、部活を応援しているようで視聴率稼ぎや宣伝に利用されている状況。
昨今の部活は企業と切り離せず、宣伝道具になっている一面があることは否定できないと思います。
よって簡単に部活全てを廃止にすることは難しいとみています。
普通に部活動をするのが学校で、学校の部活動は そんなに負担ではないはず。
タブレットを配布して、遠隔オンラインサービスで部活動をサポートする事業を立ち上げたのは、新興大手情報通信企業です。とりあえず無償トライアルをさせて、軌道に乗せようとしています。また、今年から主催大会を野球やサッカー、吹奏楽等で開催します。
なお、先生方を取り込むために、先生方のための通信料割引サービスも始めていますよね。実業界の人間から見ると、さすが一代で巨大企業を創り上げた方のやり方だと、敬服します。素晴らしい典型的な業務拡大の作戦です。このビジネスモデルの中に、部活動はおかしいと騒ぐ輩が入っていると見るのは、至極当然でしょう。
違法な部活動を学校のような公の機関がするわけがありません。
それを、教育の現場ではない方が、違法だ!違法だ!と騒ぐ。
現実に、中学高校の先生で、名前を出して騒いでいる方はいませんよね。
国鉄、郵政の民営化と同じ匂いがします。今日からは、オオサカメトロも発足しました。
どうか、賢明な全国の先生方におかれては、頑張る気持ちをもって毎日の部活動に取り組んでいる生徒さんをサポートし、良い学生時代にさせてほしいです。
部活動は日本の文化です。だから、マンガやドラマ、小説など、他国にない部活動モノが日本には沢山あるのです。それらは、日本人の心に共通する価値だと思います。
文部科学省や校長先生を悪者だと騒ぐなら、教育界にいるべきではないと思います。
貴乃花が頭を下げて相撲協会に残留したことを、私は情けなく思いました。
実業界では、企業批判をして共感を得られなかったり、クーデターを失敗した社員は、潔く退社します。だから、直属の上司である校長先生の悪口を言うのであれば、辞めるべきです。
今のところ、部活動に向かわせる方法が効果的なのでしょうか。しかし、部活動で授業に向かわせるのも、これは一時的な応急処置であって、ゆくゆくは部活動がなくても学習に向かう生徒を育てる必要があるのではないかと思いました。
尤も、いわゆる底辺校といわれる高校の先生から、「中学校でキチンと高校で通用する学力をつけてほしい」「生徒指導をキチンとして学習に向かう姿勢を身に付けさせてほしい」と言われると、高校の先生方には申し訳なく思っています。
とうとう4月になりました。民間企業が部活動を応援するのは、半世紀前の東京オリンピックから変わっていません。変わったのは、部活の道具を売り込むのが、指導者やシステムを売り込むようになったことかと。
部活を抜きにしても、全国学テ・総合的な学習の時間・道徳の副読本や視聴覚教材・民間企業の○○教室など、学校現場に入ってきて、結果として利益をあげている企業はたくさんあります。
これらの企業が利益をあげるのをケシカランとする教員は少ないのでは。文科省も「必要であれば、外部と連携して、外部の力を借りる」ことを推奨しています。(連携するにも、時間と労力がかかるため、業務削減にはつながっていませんが)
生徒たちがスポーツや文化活動を行う姿は、今後も変わらないでしょう。変わるのは、生徒を支える人と手段・方法です。
いよいよ民間のクラブや習い事が発展し、生徒は専門的な指導を受け、指導者も生計をたてる。教員は、授業の専門性を磨く。そんな素晴らしい時代が、もうそこまできているのに、いまだに文科省が通知を出しても知らん顔の校長や教委は批判されて当然かと。
私は、以前、中学校で臨時職員として働いていました。仕事内容は事務職に近いです。
右も左もわからなかった一年目、部活の顧問をやってほしいと言われ、そういうものなのかと困惑しながら一旦了承したのですが、他の教員から管理職に「何を考えてるんだ!」的な突っ込みが入り、ナシになりました。
後でわかったのですが、顧問を引き受けたところで、教員ではないので何の手当ても出ないとのこと。ボランティアでやれということだったのでしょう。よく考えたら、顧問として生徒を見る時間も立派な労働です。ゾッとしました。
翌年、呆れたことに、再度打診されました。「お金は出ないけど、やってほしい。生徒のために」
丁重にお断りしました。私では荷が重いです、と。
教育に関することでお金の話をすると、すごく嫌な顔をする人はいますが言います。正直、安月給なのに、これ以上やれというのか?!という思いがありました。もらえていた給料は、教員の方の半分もなかったのではと思います。一人暮らしができるような金額ではありませんでしたので。
さらに、次の年も打診されましたが・・・これが直接的な要因ではなかったのですが、その年で辞めました。
仕事は好きだったのですが、職務や立場をあまりにも軽視されることに耐えられませんでした。
今では、転職してよかったと思っています。お金はないよりあったほうがいいですから。
なぜ、進めているか理由を考えたことがありますか?
多忙な毎日を過ごす"先生のために"改革を行なっていると思いますか?
日本の将来や子どもたちのことを考えていると思いますか?
なぜ教育に予算を出さないと思いますか?
大企業はこの先どんなふうに動くと思いますか?
よく考えてみてください。
思考することを辞めた国民は政府にとって都合がいいんでしょうね。
「〇〇を考えてみてください。」で締めくくる場合、それまでの話の内容から容易に推定できる場合に限定すべきです。私には、わかりません。
実は発言した本人もその答に迷っているから、相手に意図的に投げかけ、そこで終わる場合があります。例えば、ワイドショーのMCが最後に「これを機会に○○について、もう一度考えてみようではありませんか。」で締めくくるのです。それは、自分なりの考えを最後に示して終われるほどの確信がないからです。
もったいぶらす、答をコメントしてください。
例えば私立に行かせるから、管轄が異なる私立の先生になら大丈夫だと思い子供さんを部活動に預けるとかでしょうか。
中学生になれば、友達が休日も過ごしたい相手に変わりますが、親と土日に過ごすように子供さんを説得なさるんですか。子供さんには一切部活動はさせないようにするおつもりですか?
部活動顧問拒否の先生の子供さんは親とは違う人間だから部活動をしたいと思うのも自然ですが、するなと禁止すればさすがに人権侵害かと思いますよ?部活動をすれば子供さんの部活動顧問の先生からは親は現職の先生なのに顧問拒否し、子供さんをあなたが嫌うBDKに預けるのかと話題になるかもしれませんね。
今は副顧問をしています。
教員という仕事には、真面目に取り組み、週末も子どもに留守番させて雑務をこなしています。
ただ、来年異動しフルタイムで復帰となりますが、小学生、保育園の我が子考えると、部活はやはりできません。ただ、今の地区は全教員顧問制で困っています。
異動先では、部活顧問を拒否しようと考えています。
どうしたら良いのでしょうか。
正式に採用された後は犯罪やんなきゃクビにならないから、何を匿名で愚痴ってもいいんでしょーけど。
こーゆー先生に子供が習うのはかわいそー。
採用試験の倍率も1倍をきってはいないでしょーから、僻地の医師みたいに面倒見のいい、24時間365日生徒のことを思ってくれる人をせんせーにしたらいい。
採用試験のペーパーの点数と、面接の頑張りますぅ、、、に騙されて教育委員会が正式採用すっから、熱意ない人らに部活動が潰される。
情熱と適性でさいよーすりゃいいでしょー。
中学のないよーなんて、きょーかは簡単、塾に行って学んだ方がよっぽどいい。
塾のせんせーって気を遣ってくれるよー。
がっこーのせんせーはへーきで馬鹿とかお前は高校受かんないとか言うから、塾にも転職できないね。
教える技術なんて塾の方が上。
せーとに馬鹿とか努力しても無駄とか笑いながら言うきょーしはきょーかしどーは塾よびこーに委託し、学校でしゅーがくりょこーや部活動顧問、クラブかつどー、朝のあいさつうんどー、せーとかいのうんえーの補助、そーじしどー、そーゆーのをやったほーがお似合い。
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