お久しぶりです。
長かった冬も終わり、桜舞い散る春がやってきました。
私の現状をお話しします。
3年生を担任していたので、卒業式がありました。
これまでの学校生活を存分に生かし、生徒たちによって素晴らしい卒業式となりました。
最後の学活では生徒によるサプライズもあり、これまで真摯に仕事に打ち込んできた日々が報われた思いでした。
3年生を卒業させて思うのは、何歳になっても、感動や別れの際に流す涙は美しいということです。
いつも少し落ち着きが足りなかったあの生徒も、人間関係に悩んでいたその生徒も、目立たないけれども家庭学習にこつこつと打ち込んできたこの生徒も、皆が旅立ちの日を迎える。
そして、中学3年生、15の春に流す涙がある。
その姿を見て、私たち教師も涙を共にするわけです。
芸術家が作品を生み出すように、農家の方が作物を生産するように、形として仕事の成果が現れる仕事が羨ましいと思った時期もありました。
けれども、私たち中学校教師が残す「作品」というのは、教師である自分が、小学校を卒業したばかりの生徒と出会い、生徒たちが授業や生徒指導を通して人間的に成長していく過程ではないでしょうか。
最終段階であるはずの「作品」が過程であるという矛盾も興味深いのですが、受験の合格率がどれくらいだとか、不登校生徒数が何名減少しただとかいう数字だけが教師としてのゴールではないような気がします。
閑話休題。
年度も変わり、新しい日々が始まりました。
もっと早く記事に書けばよかったのですが、言わずもがな部活顧問問題についてはこの時期が最も重要な段階です。
なぜなら、新しい年度に向け、職員会議において部活顧問の決定がなされるからです。
私の勤務校では本日、部活顧問が決まりました。
結論から申し上げますと、私は部活顧問に就任することをお断り致しました。
事前の部活顧問希望アンケートに、部活顧問に就くことをお断りしたい旨を書いていました。
全員顧問制度は不条理であり、個人的に反対しているという言葉も添えて。
さて、大本番の職員会議になりました。
管理職から、部活顧問の一覧表が配られました。
表を見ると、ある部活顧問の欄に私の名前が記入されてあったのです。
まあ、正直な話、よくある話なんですよね。
このブログも始めて長いですし、様々な教師の方々とお話を交わす中でも頻発するケースです。
私は職員会議内で手を挙げ、発言をしました。
「私は部活顧問になることを希望していないにも関わらず、顧問一覧表に名前が載っています。どういう経緯でこういうことになったのか、お聞かせください」と。
管理職は少し困惑した表情でしたが、「職務命令ではないが、その部活顧問をお願いできたらいいと思っています」と回答してくれました。
私は「お願いであれば一覧表から名前を消してもらってもいいですか」と問いました。
管理職は「そういう事情であれば、名前を消しても構いません」と答えました。
私は「お願いします」と告げ、今回の問答は幕を閉じました。
こういうやり取りは初めてではないことに加え、多くの書籍を読み、また悩みを共有する教師の仲間とネット上やリアルな場面で討論することでしっかりとした発言をすることができました。
しかし、やはり、年度当初の職員会議で発言することは容易いものではありません。
前日の夜に、職員会議で展開されるであろうやり取りを予想し、それに対する論理的な返答をシミュレーション。
当日は朝から職員会議の流れを確認し、部活顧問一覧が発表されるまでに気持ちを引き締めます。
そして意を決して発言をするわけです。
心には相当なストレスがかかり、恐らくは高いカロリーを消費し、そうまでして自分の身を守る。
最初の職員会議ですから、異動して来られた初めましての先生方、初任者の方々が多くいらっしゃいます。
またかつて同僚だった先生が異動され、また同僚になることもあります。
そういった様々な人の目がある中で、自分の意志を表明しなければならないのです。
「あいつだけ何で部活のことをぐだぐだ言っているんだ」
「部活なんてやって当たり前だろうに、マジで変な奴」
そんな風に見られるんじゃないか、そんな第一印象になってしまうのではないか。
そういうことを考えると、言葉は喉を通っていかないものなのです。
私も今回、発言する際には声が震えましたし、「こんな思いをするくらいなら、発言せずに部活顧問を甘受した方が楽なのではないか」という逡巡もありました。
様々な葛藤がある中で、なんとか部活顧問のない日々を手に入れることができたわけです。
幸い、職員会議の後で声をかけてくださった先生方は、私の考えに賛成してくださる方ばかりでした。
中にはお褒めの言葉を下さる先輩教師もいらっしゃいました。
冷静に考えてみると、どうしてこんなに大変な目に遭わなければならないのか、甚だ疑問です。
校長からの「お願い」であるはずの部活、ボランティアであるはずの部活を断るのに、なぜここまで骨を折らないといけないのか。
ここに日本の学校教育の闇が潜んでいます。
やれコンプライアンスだ、やれパワハラだ、やれ同調圧力だと最近になって人口に膾炙してきた言葉がありますが、学校現場ではそういったワードは無意味です。
子どもたちに正しいことを教えるはずの学校現場が、そういう話題からは最も遅れているのですから。
少なくとも、私の勤務校は全員顧問制では無くなったわけですから、「部活顧問をしたくない」と本心では思っている教師の方々が、来年や再来年にでも私の顧問拒否をステップにして自分の道を切り開いてもらえたらいいと思います。
もちろん、本心から部活顧問をしたいという教師の方々はご自分の意志で部活をされていいと思います。
本心から部活をしたいという生徒とともに、本心から打ち込める楽しい部活になればいいのではないかと思います。
Twitter上では、初任者と思しき教師の方々も部活顧問拒否を考えている人が少なくないように見受けられました。
これは予想にすぎませんが、初任者の方で部活顧問拒否ができた人は、相当に少ないのではないでしょうか。
大部分は、初めて勤務校に行ったそのときに、すでに部活顧問が決まっているのではないでしょうか。
初任者は条件付き採用ということもあり、部活顧問をしないという選択肢をとりにくいような気がします。
条件付き採用の教師が部活顧問をしないからといって不当な扱いをされるとなれば、それはそれで問題なのですが。
名古屋大学准教授・内田良先生によるYahoo!の記事によれば「あなたは来年度、部活動の顧問を担当したいですか」というアンケートに対し、『担当したくない』と答えた教師は49.5%だったということです。
約半分の教師が、本音では『部活顧問を担当したくない』と考えているにも関わらず、日本全国津々浦々の学校の大半(87.5%)が全員顧問制度をとっている。
これは教育現場で公然と行われているパワハラであり、重大なコンプライアンス違反だと言っていいでしょう。
さらに問題なのは、それが放置され、見て見ぬふりをされ続けた成れの果てが、現状の部活制度だということです。
全国各地の自治体では、部活指導員なるものの導入を検討しているところが少しずつ出てきました。
部活顧問問題は、少しずつですが確実に解決に向かっています。
各学校で私のように、部活顧問になることをお断りする方が一人ではなく、二人・三人と増えていけば、おのずと問題解決の速度も早まっていくことでしょう。
まだまだ部活顧問をお断りする教師は少数派・マイノリティです。
おそらくはまだまだ「変な奴」です。
本音では部活顧問を担当したくないと考えている49.5%の先生方、もう全国各地に少しずつですが「変な奴」は点在しています。
「変な奴」予備軍もいっぱい、いっぱいいます。
もしかしたら、お隣の机の先生も、本音では「変な奴」なのかもしれません。
もし本心では部活顧問を担当したくないのであれば、「変な奴」に乗っかってみませんか。
それが来年度であったり、数年後であったり、もっと先でもいいかもしれません。
部活顧問をお断りすることのハードルは、確実に低くなっています。
今回特に伝えたいのは、正しいことを最後まで正しいと言い続けることは、正しいということを証明できたということです。
乱文失礼いたしました。少し、熱くなってしまいましたね。
ブログの更新を頑張りたいと思います。
いつも思うんですが、一回の更新あたりの文字数を減らして更新頻度を上げればいいと思うんです。
でも、書き始めたら止まらないんですね(汗)。
それでは、新年度、ご無理をなさいませんよう。
ご自愛ください。
長かった冬も終わり、桜舞い散る春がやってきました。
私の現状をお話しします。
3年生を担任していたので、卒業式がありました。
これまでの学校生活を存分に生かし、生徒たちによって素晴らしい卒業式となりました。
最後の学活では生徒によるサプライズもあり、これまで真摯に仕事に打ち込んできた日々が報われた思いでした。
3年生を卒業させて思うのは、何歳になっても、感動や別れの際に流す涙は美しいということです。
いつも少し落ち着きが足りなかったあの生徒も、人間関係に悩んでいたその生徒も、目立たないけれども家庭学習にこつこつと打ち込んできたこの生徒も、皆が旅立ちの日を迎える。
そして、中学3年生、15の春に流す涙がある。
その姿を見て、私たち教師も涙を共にするわけです。
芸術家が作品を生み出すように、農家の方が作物を生産するように、形として仕事の成果が現れる仕事が羨ましいと思った時期もありました。
けれども、私たち中学校教師が残す「作品」というのは、教師である自分が、小学校を卒業したばかりの生徒と出会い、生徒たちが授業や生徒指導を通して人間的に成長していく過程ではないでしょうか。
最終段階であるはずの「作品」が過程であるという矛盾も興味深いのですが、受験の合格率がどれくらいだとか、不登校生徒数が何名減少しただとかいう数字だけが教師としてのゴールではないような気がします。
閑話休題。
年度も変わり、新しい日々が始まりました。
もっと早く記事に書けばよかったのですが、言わずもがな部活顧問問題についてはこの時期が最も重要な段階です。
なぜなら、新しい年度に向け、職員会議において部活顧問の決定がなされるからです。
私の勤務校では本日、部活顧問が決まりました。
結論から申し上げますと、私は部活顧問に就任することをお断り致しました。
事前の部活顧問希望アンケートに、部活顧問に就くことをお断りしたい旨を書いていました。
全員顧問制度は不条理であり、個人的に反対しているという言葉も添えて。
さて、大本番の職員会議になりました。
管理職から、部活顧問の一覧表が配られました。
表を見ると、ある部活顧問の欄に私の名前が記入されてあったのです。
まあ、正直な話、よくある話なんですよね。
このブログも始めて長いですし、様々な教師の方々とお話を交わす中でも頻発するケースです。
私は職員会議内で手を挙げ、発言をしました。
「私は部活顧問になることを希望していないにも関わらず、顧問一覧表に名前が載っています。どういう経緯でこういうことになったのか、お聞かせください」と。
管理職は少し困惑した表情でしたが、「職務命令ではないが、その部活顧問をお願いできたらいいと思っています」と回答してくれました。
私は「お願いであれば一覧表から名前を消してもらってもいいですか」と問いました。
管理職は「そういう事情であれば、名前を消しても構いません」と答えました。
私は「お願いします」と告げ、今回の問答は幕を閉じました。
こういうやり取りは初めてではないことに加え、多くの書籍を読み、また悩みを共有する教師の仲間とネット上やリアルな場面で討論することでしっかりとした発言をすることができました。
しかし、やはり、年度当初の職員会議で発言することは容易いものではありません。
前日の夜に、職員会議で展開されるであろうやり取りを予想し、それに対する論理的な返答をシミュレーション。
当日は朝から職員会議の流れを確認し、部活顧問一覧が発表されるまでに気持ちを引き締めます。
そして意を決して発言をするわけです。
心には相当なストレスがかかり、恐らくは高いカロリーを消費し、そうまでして自分の身を守る。
最初の職員会議ですから、異動して来られた初めましての先生方、初任者の方々が多くいらっしゃいます。
またかつて同僚だった先生が異動され、また同僚になることもあります。
そういった様々な人の目がある中で、自分の意志を表明しなければならないのです。
「あいつだけ何で部活のことをぐだぐだ言っているんだ」
「部活なんてやって当たり前だろうに、マジで変な奴」
そんな風に見られるんじゃないか、そんな第一印象になってしまうのではないか。
そういうことを考えると、言葉は喉を通っていかないものなのです。
私も今回、発言する際には声が震えましたし、「こんな思いをするくらいなら、発言せずに部活顧問を甘受した方が楽なのではないか」という逡巡もありました。
様々な葛藤がある中で、なんとか部活顧問のない日々を手に入れることができたわけです。
幸い、職員会議の後で声をかけてくださった先生方は、私の考えに賛成してくださる方ばかりでした。
中にはお褒めの言葉を下さる先輩教師もいらっしゃいました。
冷静に考えてみると、どうしてこんなに大変な目に遭わなければならないのか、甚だ疑問です。
校長からの「お願い」であるはずの部活、ボランティアであるはずの部活を断るのに、なぜここまで骨を折らないといけないのか。
ここに日本の学校教育の闇が潜んでいます。
やれコンプライアンスだ、やれパワハラだ、やれ同調圧力だと最近になって人口に膾炙してきた言葉がありますが、学校現場ではそういったワードは無意味です。
子どもたちに正しいことを教えるはずの学校現場が、そういう話題からは最も遅れているのですから。
少なくとも、私の勤務校は全員顧問制では無くなったわけですから、「部活顧問をしたくない」と本心では思っている教師の方々が、来年や再来年にでも私の顧問拒否をステップにして自分の道を切り開いてもらえたらいいと思います。
もちろん、本心から部活顧問をしたいという教師の方々はご自分の意志で部活をされていいと思います。
本心から部活をしたいという生徒とともに、本心から打ち込める楽しい部活になればいいのではないかと思います。
Twitter上では、初任者と思しき教師の方々も部活顧問拒否を考えている人が少なくないように見受けられました。
これは予想にすぎませんが、初任者の方で部活顧問拒否ができた人は、相当に少ないのではないでしょうか。
大部分は、初めて勤務校に行ったそのときに、すでに部活顧問が決まっているのではないでしょうか。
初任者は条件付き採用ということもあり、部活顧問をしないという選択肢をとりにくいような気がします。
条件付き採用の教師が部活顧問をしないからといって不当な扱いをされるとなれば、それはそれで問題なのですが。
名古屋大学准教授・内田良先生によるYahoo!の記事によれば「あなたは来年度、部活動の顧問を担当したいですか」というアンケートに対し、『担当したくない』と答えた教師は49.5%だったということです。
約半分の教師が、本音では『部活顧問を担当したくない』と考えているにも関わらず、日本全国津々浦々の学校の大半(87.5%)が全員顧問制度をとっている。
これは教育現場で公然と行われているパワハラであり、重大なコンプライアンス違反だと言っていいでしょう。
さらに問題なのは、それが放置され、見て見ぬふりをされ続けた成れの果てが、現状の部活制度だということです。
全国各地の自治体では、部活指導員なるものの導入を検討しているところが少しずつ出てきました。
部活顧問問題は、少しずつですが確実に解決に向かっています。
各学校で私のように、部活顧問になることをお断りする方が一人ではなく、二人・三人と増えていけば、おのずと問題解決の速度も早まっていくことでしょう。
まだまだ部活顧問をお断りする教師は少数派・マイノリティです。
おそらくはまだまだ「変な奴」です。
本音では部活顧問を担当したくないと考えている49.5%の先生方、もう全国各地に少しずつですが「変な奴」は点在しています。
「変な奴」予備軍もいっぱい、いっぱいいます。
もしかしたら、お隣の机の先生も、本音では「変な奴」なのかもしれません。
もし本心では部活顧問を担当したくないのであれば、「変な奴」に乗っかってみませんか。
それが来年度であったり、数年後であったり、もっと先でもいいかもしれません。
部活顧問をお断りすることのハードルは、確実に低くなっています。
今回特に伝えたいのは、正しいことを最後まで正しいと言い続けることは、正しいということを証明できたということです。
乱文失礼いたしました。少し、熱くなってしまいましたね。
ブログの更新を頑張りたいと思います。
いつも思うんですが、一回の更新あたりの文字数を減らして更新頻度を上げればいいと思うんです。
でも、書き始めたら止まらないんですね(汗)。
それでは、新年度、ご無理をなさいませんよう。
ご自愛ください。
コメント
コメント一覧 (578)
部活動を勝手に割り当てられ,部活動顧問強制・タダ働き平日早朝放課後休日
部活動指導が定着し・成果は校長の実績となり,事故が起きたら顧問が全責任を負い,
顧問が怪我や死亡となっても公務災害となる保証はない。
そういえば,あちこちの教育委員会で,障害者の雇用偽装という違法行為が発覚
しているが,教育委員会事務局の幹部は懲戒処分を受けたという話は聞かない。
ちょっとしたことでも,現場の教員に対しては,すぐに処分するクセに。
生徒の健康にできるスポーツ活動の限界を規定しています。
ガイドライン違反は、教員からの意図的な体罰だそうです。
限界を越えることをしていますからね。
当然、顧問と校長の責任になります。
誤魔化して多くやったり、場所を変えて練習したり、クラブチームの顔をして延長したり。
いくらやっても体罰です。
さらに、計画はHPに載せられています。
違反したら、教育委員会や文科省、マスコミに直接報告しなければなりません。
体罰ですから、他の教員も知った時点で報告しなければ、共犯になります。
さらに言えば、これからはインターネットに学校名や部活名や顧問名が載せるのは、問題にはなりません。
くれぐれも間違ってはいけないのは、ガイドラインは部活をやりすぎのキチガイ教員から生徒を守る為の、防止のためです。
保護者教員のみなさん。
ガイドライン違反を見つけたら、校長ではなく教育委員会や文科省、マスコミに通報してください。
インターネットに載せてもかまいません。
これは良識ある関係者にとって当然の行動であり責任だ。
仮に今の部活動が悪だとして、ここまでの怪物に育て上げたのは他ならぬ教員である。
部活動をなにより優先し部活命の教員よりも、
部活反対・顧問は違法と信念を持ちながら何もせずに追従する輩の方が罪は重い。
空想や飲み屋の愚痴だけは一人前で、校内では何もせずに黙って隠れてる卑怯者だ。
どんな業界でも、組織でも、町でも、自分たちのコミュニティなり環境をよりよくするために考え、行動している。
どこにでも知らんぷりして保身に走る、自分のことしか考えない無責任な奴はいるものだ。
しかし、この板読んでもわかるように、教員の世界は異常だ。
学校をよくしよう、公教育を発展させようなんて考えないエゴイストだらけだ。
自分が主犯であることを自覚すべきだ。
もっとも、何もしなくても給料上がってくし、それが最も賢い生き方であること事実だ。
でも考えてるなら拒否や意思表示ぐらいしようや。
自分はそれを自覚してやってる。
「仮に今の部活動が悪だとして、ここまでの怪物に育て上げたのは他ならぬ教員である」
その通り。しかし,教員全員ではない。
やりたいヤツは,自らの責任で勝手にやればいいんだよ。
管理職ではない教員は,何の権限もない。たまたま,その学校に配属されたヒラの教員だ。
============================================
ここの趣旨は、
・部活動の顧問制度に疑問を感じている人
・実際に顧問になって困っている人や苦しんで いる人
・部活動の顧問制度を維持した方がいいと考えている人
・部活動の顧問制度や部活動そのものに関心を持つ人
が参加してこれからの部活動について討論する場、と考えています
つまり、だれにもこの討論に参加する資格があります
実際に顧問をしている人が参加するのも当然「あり」に決まっています
============================================
何を勘違いしているのか知らないが、貴方が決めることではない。
まず、一人前の教師たり得てからの発言を求めます。
顧問を引き受けておきながら、部活そのものを否定するような卑怯な輩が癌。
このアーティクルのコメント、始めのほうには、顧問をきっぱり断った「教師」の皆さんが居たが、
ここ最近の書き込みは、意思表示も出来ないチキン公務員の書き込みが目立ち、
内容の陳腐化・マンネリ化が顕著である。
私が少し叩けば、ボロボロと埃が立ち、ただ保身に走るベクトルしか持たない教員であることが露見する始末。
同じ教員であっても、顧問を断った人物と、そうでない人物と、明確に切り分けて語るべきだと思う。
あなたの学校、もしくは地域では
スポーツ庁のガイドライン
「平日1日 土日のいずれか1日を休日に」
が実施されていますか?
このガイドラインがある程度守られることで
我々の働き方改革が少しずつ動き出すように思っています
私の学校では
以前のコメントにも書きましたが
分会(校内の組合組織)で話し合い、
少しずつすすめていこうとしています
>ここの本来の趣旨に沿った、建設的な討論をしましょう
今回は、少々追い込みすぎたようで、かえって暴走が酷くなったようですね。この状況になっても、他人を論破したと言い放つその神経の太さに驚くとともに、なぜそのように振る舞おうとするのか、その背景が心配になります。
ただ、自分の考えを変えられない人、素直さのない人、多面的・多層的に考えられない人にいくら丁寧に伝えようとしても無駄なのかもしれませんね。
英語教師さんのおっしゃるように、建設的な討論ができる人同士で、趣旨(笑)に迫るよう努めたいと思います。
>あなたの学校、もしくは地域では
>スポーツ庁のガイドライン
>「平日1日 土日のいずれか1日を休日に」
>が実施されていますか?
自校では文化部も含めて実施されています。しかも、曜日指定で。
近隣の地域では、休養日は「各部の判断で」となっているところもあるようです。
各部の裁量に任せるよさはあるのでしょうけど、休養日がうやむやになってしまう恐れがあります。
個人的には、学校で統一するのがいいのかな・・・と考えているところです。
しかし、そうやって休養日が設けられていても、結局週末に大会があれば、土日のいずれかに休養日を設定できません。
一応、その場合は、その分を平日に振り返るということになっているのですが、難しいところです。
スポーツ庁のガイドラインにもありましたが、大会そのものも見直す必要があります。
出場しなければいいんでしょうけど、かつての勤務地の野球連盟は「一度でも出場を断ったら他の大会にも呼ばない」という強硬な方針でしたので、なかなかです。
学校と同時に各競技団体にもガイドラインに準じた対応をしてもらいたいものです。
ただ、このスポーツ庁のガイドラインは、生徒(しかも運動部の)のために部活動がどうあるべきかという視点で作成されたものですよね。
教師の就労上の問題とは分けて考えた方がいいかもしれませんね。
>仮に今の部活動が悪だとして、ここまでの怪物
>に育て上げたのは他ならぬ教員である。
かなり昔、伏見工業高校をモデルにした「スクールウォーズ」ってドラマがありました。今だと問題になりそうな内容や箇所も見られる作品ですが、当時はすばらしい美談として評価され、ヒットしたドラマだったかと記憶しています。日本がそういう時代だったのです。
と、今は批判的な立場の私も、当時は熱心に視聴していて「いい話だ」と思っていました。私に限らず、批判的な意見は目に耳にした覚えがないです。今と違ってインターネットもなかったですし。
部活を「ここまでの怪物」に教員が育ててしまったと考えるならば、その背景にも目を向けることも大切かと。
前述の「スクールウォーズ」同様、当時の教育現場に見られる課題への対応、社会的風潮や世相など、様様な要素に起因して、学校における部活動の過熱化が進んだのではないかと考えます。
今、部活動の問題が顕在化しているのは、その過去から現在に至るまでの綿綿たる小さな批判と苦悩の蓄積があってのこそではないでしょうか。
私たちが、部活動を批判できるのは、そういった部活動にかかわってきた多くの人人があってのこと。
部活を断るという決断ができ、大勢の理解を得られるのは、現在だからこそかもしれませんね。
30年前だったら、顧問を断ることも、今と同様の発想もできないかもしれません。
>部活動をなにより優先し部活命の
>教員よりも、部活反対・顧問は違
>法と信念を持ちながら何もせずに
>追従する輩の方が罪は重い。
>空想や飲み屋の愚痴だけは一人前
>で、校内では何もせずに黙って隠
>れてる卑怯者だ。
>自分はそれを自覚してやってる。
部活動における教師の労働問題を指摘するために、顧問を断るという決断をなさった方方には敬意を表します。
ただ、不満や愚痴を言うこととの違いはベクトルでいうところの力の違いで、方向性(部活動に問題があるという)としては概ね同じだと思っています。もちろん断るという行為は一線を越えた感がありますが。
誰だって「不満に感じる」→「問題点を考える(不満や愚痴を言う)」→「実際行動する」という流れ(ざっくりですが)になるんじゃないでしょうか。部活動の問題点を知った瞬間に即顧問拒否なんて人はいないと思います。
顧問を拒否するまでの過程を踏まえれば、部活の顧問を拒否しない・できない者を過去の自分だと思う、自分より遅れて走ってくる者という見方も可能です。
私は、部活動に端を発する教師の労働問題の解決が顧問拒否「だけ」だとは考えていません。
顧問拒否は一つの問題提起でしかなく、断った個人の労働問題を解決するだけです。
それを上から卑怯者呼ばわりされれば、皆の理解を得られません。
この掲示板を閲覧している人数は知りませんが、常に日本中に開かれている状況なのですから、教員のかたがたは、その点も自覚して発言されることを切望します。
かつてスクールウォーズで日本中を沸かしたらしい伏見工業もほぼ廃校になり、顧問は関西体育界に君臨しNHKのプロフェッショナルの番組にもなった。
が
が、義理の息子は日体大と両親から学んだ暴力で、桜宮高校バスケ部の生徒を殺した。
もはや、部活と体育会系は時代錯誤の暴力体質だ。
生徒指導の多くは部活が舞台であり、死者や怪我人はあまりにも多くリスクが大きい。
また、部活指導者の多くが、塚原や伏見、桜宮や、問題となるスポーツ団体の体質を持つ。
このような問題活動は、公教育には適さない。
現在も、中体連や校長会が癒着して教員にパワハラが日常化している。
部活はすでに、勤務時間外や休憩時間の教員指導は、禁止されている。
これからは、ガイドライン違反の体罰とともに、勤務時間外の部活指導を告発していく。
生徒を勤務時間外に学校に残すことは、放課後の対応の原因であり、現在も他の教員の迷惑になっていることにも気づかない。
部活教員は、学校の迷惑教員だ。
違反行為を許してはならない。
やれ週末に大会があるだの、連盟が悪だのと勝手な解釈で自己を正当化し違反行為を繰り返す。
こういう迷惑教員がいるから一向に変わらない。
そして10年後、20年後の世代にまで迷惑をかけ続けるのだ。
自らを、「教師」と称して虚勢を張る不適格者
他の教員の迷惑になっていることを自覚し、猛省あるのみ。
だまって、組合活動にでも勤しんでおきなさい。
お答えありがとうございます
かなりしっかり取り組んでいらっしゃるんですね
私の勤務する地域では
まだまだ従来の活動状況のようです
牛歩、といいますか
アリの一歩ほどずつの前進かもしれません
秋の新人戦を前に
三連休全部に部活動を入れている若い顧問がいました
私も2日出ました
昨年度末、部活動の顧問は持ちたくないという希望を提出しましたが
現存する部活動数に対して
勤務校ではできる限り複数顧問を置く方針から顧問の数が足りない、っていう現実があり
70人ほどいる文化部の副顧問を引き受けることになりました
突っぱねることはできたかもしれません
でも、あまり経験のない若い仲間が2クラス分の生徒を指導するのは大変です
そこで今年は協力することにしたのです
フローラルカメムシさんなら
最後まで拒否するべきです
とおっしゃると思います
それも確かにそうなのです
でも私にはできませんでした
若い仲間が心配だし
主顧問がつっとると最終的には生徒に悪影響が及ぶことは、自分も経験して知っていますから
本来に難しいです
この問題は
「今年は・・・することにした」が何年も続いているのではないでしょうか。そして、年度途中で、「やぱり、年度始めの会議で断るべきだった。次年度こそは断るぞ。」と決心するのではないでしょうか。しかし、新年度はじめの会議で、担当者から「顧問が足らない。」と説明されれば、その現実のなかで自分自身に「とりあえず、今年までは部活動を手伝う。」と納得させ、その決断(顧問拒否)が実行できないのではないでしょうか。これの繰り返しなのではないでしょうか。
生徒に悪影響が及んでも、それは教員のせいではありません。「部活動」というシステム上の問題です。その部分まで、教員が責任を必要はありません。
ところで「主顧問がつっとる」の意味が私には理解できません。「つっとる」とはどんな意味ですか。
>私の勤務する地域では
>まだまだ従来の活動状況のようです
>牛歩、といいますか
>アリの一歩ほどずつの前進かもしれません
>三連休全部に部活動を入れている若い顧問がいました
やはり地域によって差があるんですね。
三連休全部もびっくりです。うちの学校じゃ、ガイドライン以前でも間違いなく一日は休みを入れてます。
部活動に対する学校・地域の雰囲気ってのも大事なんでしょうね。
>70人ほどいる文化部の副顧問を
>引き受けることになりました
>突っぱねることはできたかもし
>れません
断ることになんら問題はないはずです。
しかし、断らない。自分が断ったら、他の誰かが困るから。
人間の善意につけ込んだ上手いシステムですよね。
だからと言って、全職員一斉に断るってわけにもいきませんし・・・。
でも、ちょっとずつ変わってきてますから、期待しましょう。
できない・やりたくない人が「断る」という選択をためらわずできるような環境が整う日が来るまで、少しでも辛い思いをする顧問が減るよう、私は顧問を続けようと思います。
やる/やらないなんて進歩のない議論をしてんだろうね。
小中学校では,コミュニティースクール化が進んでいる。
それこそ,校長は,地域や関係者に対して説得し,ご理解してもらい,
地域や企業からボランティア部活動指導員を獲得すべきだろ。
それができない校長は,単に威張っているだけの能力のない裸の大様だ。
しかし、「「断る」という選択をためらわずできるような環境が整う日が来るまで、少しでも辛い思いをする顧問が減るよう、私は顧問を続けようと思います。 」の気持ちでいたら、そのうちあなたも退職を迎えます。「いまは、断るタイミングではない。そのうち・・」と耐え続けることが、現状維持になります。為政者はそこを狙っています。
部活顧問拒否によって、困る事態が生じてもそれは「教員の課題」ではありません。教育行政のシステム上の不備であり、それを解決するのは文科省や教育委員会です。部活動顧問を不本意ながら続けることは、教育行政吏員・職員の仕事を奪うことになるのです。
>496
>地域や企業からボランティア部活動指導員を獲得すべきだろ。
と書いていらっしゃいます
ところが貴方は
>教員がタダ働き全責任負い強制ボランティア部活動顧問
とも書いていらっしゃる。
教員はボランティアをせず、そのボランティアを地域や企業にを擦り付けるべきだとする考えは
根本的に見直す必要があります。
教員も、親も、地域も、企業も、誰も、(イヤなら)部活などしなくていいのです。
いや、「してはいけない」 のです。
導入が進んでいる、部活外部指導者になるのが良いのかも知れません。
とにかく、教師は授業が本業です。
部活は課外活動にしか過ぎません。
生徒も教師も仕事とみなされない自主活動なんですから。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/toyokeizai.net/articles/amp/236918%3Fusqp%3Dmq331AQGCAEoATgA
社会人なんて上司や先輩に怒られたり、失敗しながら30歳過ぎてやっと何となく周りが見え始めるのに、先生は最初から求められるものが大きすぎです。
さらに「先生」の上司である管理職はパワハラ怖がって一般教員を指導しないし、先輩も見て見ぬふりするので教員の質はこのままだと落ちてしまうのでは。
なので新採から3年くらい経つと慣れてくるのか、自分はすごい力を持っていると勘違いする若い教員もいたりして、そういう教員は横着になって電話がなっても取らなかったり、書類の提出遅くなったりしても平気になります。
若い教員はまずは授業に専念して社会人としての一般常識を身に着ける方がいいと思います。
「部活大好き授業手抜き」教員と「部活指導が苦手・部活指導をしたくない」教員、どちらも問題ありでしょう。
どちらにも属さない、大多数の普通に中学校教員として勤めている人たちは、授業も学級経営も部活指導も上手にこなしています。このような教師のことをこのブログでは「スーパー教師」と呼び、議論の枠外に押し出そうとしていますが、教師としての資質を持ち仕事に対して実直に向き合っている人はたくさんいます。
そういう教師の多忙化をいかに解消するかが国家的課題となり、いろいろな方策が試行されています。
学校は教師としての資質を持たない人が、努力もしないで勤められるほど甘い職場ではありません。
資質がないまま教師になってしまった人には、教師という職業は茨の道でしかありません。
でも、そんな人たちに朗報です。「ICT部活動支援」という事業が某企業でスタートしました。これを利用すると、「部活苦手教員」から脱却できるかもしれません。
「部活大好き授業手抜き」教員と「部活指導が苦手・部活指導をしたくない」教員、どちらが問題ありか、明らかでしょう。
世の中の動きに関心もない、狭い世界に中学校教員として勤めている人たちは、どれくらいいるのでしょうか。その人たちは本当に授業も学級経営も部活指導も誠実にこなしているといえるのでしょうか。そのような教師のことを私は「自己満教師」と呼び、議論の枠外に押し出そうとしていますが、教師の労働問題に関心を持ち仕事に対して実直に向き合っている人もたくさんいます。
そういう教師の多忙化をいかに解消するかが国家的課題となり、いろいろな方策が試行されています。
学校は教師としての資質を持った人でも、教材研究もしないで勤められるほど甘い職場ではありません。
教材研究しないまま教師を続けてしまった人には、教師という職業は茨の道でしかありません。
でも、そんな人たちに朗報です。「部活動支援員」という事業が自治体でスタートします。これを利用すると、「部活大好き授業手抜き教員」から脱出できるかもしれません。
厳重注意だけではなく、懲戒解雇レベルでしょう。教員の感覚は、やっぱ世間とズレてる。
本音は部活なんてしたくないけど、声に出すと部活大好き教師にパワハラされるから黙ってるだけ。
部活がなくなる動きになって、安全が確保されたら一気に勝ち馬に乗るんだよ。
明治維新でいう、日和見の藩たち。
部活大好き教師が旧来のやり方を守ろうとする幕府や佐幕派。
部活改革・廃止教師が新時代を作る薩長。
大半はどちらが優勢になるかを保身の為に見てる日和見の藩。
部活問題も同じです。
http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/543853.html
昨年度末に出た文科省のガイドラインの「文化部」版が、まさに本年度内に出るはずです。これはありていに言って、コンクールのある音楽系部、とりわけ吹奏楽部を意識したものです。
この背景もあってか、最近、「ブラック文化部」を指摘する記事が目につきだした気がします。この機に、建設的な議論が生まれることを期待します。
音楽系部活は、スポーツ部とはまた毛色の異なる問題性をはらむのですよね。
・こだわれてしまう。際限がない。完成がない。「時間は全てつかう」。朝も、昼も、夜も。
・現在の指導者世代は、「日付が変わっても練習!」が当たり前の環境で育った。
・生徒は女子率が圧倒的に高い。そして音楽室という閉鎖空間。
・「パート」があるので、辞めようにも辞められない。逃げるには、学校を辞めるしかない。
・学校や地域によって状況が全然違うので、一般的な「部活」問題として認知されにくい。 etc.
吹奏楽の全国コンクールは、夏の甲子園と同じく、A新聞社の主催です。
この一点からでも類推される通り、吹奏楽部と野球部は、その熱狂性と問題性が、実に近似しています。
少子化の波のなかで、どちらの業界も、人集めに必死ですね。
野球は、子どもの人気をつなぎとめるという対応に力点を置いているように見えます。
吹奏楽は、…何はなくとも50人強の人数を集めるため、甘い言葉で新入部員を勧誘し、入ってみたら「何だこれは!」。気づいたときにはもう遅い、辞めようにも辞められない。適応障害の診断書をつきつけて退部するか、もしくは転学するか。…こういう悲劇が実は膨大な数、発生していると私は推測します(想像というよりは確かな、推測です)。
「部活動は、やりたい人だけがやればいい」という言い方がよくされますが、私は甘いと感じます。「やりたい人がやりたい放題やるために、周りが巻き込まれていく」構図こそ、学校部活動の最大の問題性だと考えるからです。学校吹奏楽部というイシューは、その典型です。
音楽に罪はありません。罪のない音楽を悲劇に変質させてしまうほどの影響力を、学校部活動は孕んでいます。
ところで、吹奏楽部の顧問ではない音楽科の教員にとっては、吹奏楽部の存在が教科教育活動に支障を及ぼしてないでしょうか。
つまり、吹奏楽部に音楽教室や音楽準備室を乗っ取られていないでしょうか。音楽科の教員が教材研究や授業準備のために放課後、音楽室で活動(例えば、歌唱指導のための伴奏練習、楽器や用具の整備・点検・修理など)をしようと音楽室に入っても、すでに吹奏楽部員たちが、ガチャガチャ・ピーヒャラやっているのではないでしょうか。今更、「場所を空けなさい」とは言いにくいのではないでしょうか。部員たちは、吹奏楽部が放課後の音楽教室をつかうのは「あたりまえ」にとらえているのではないでしょうか。そもそも、部員たちが活動している横で、落ち着いて授業準備はできないのではないでしょうか。
私も特別教室で授業することがほとんどなのですが、放課後、部活動には使用させていません。いったん認めると、授業準備に支障をきたすからです。
フローラルカメムシさん
ものすごく遅くなってしまい申し訳ありません
「つっとる」の意味ですが…
部活動で何かトラブルが起きると
→その対応に時間をとられる
→本来の授業準備や学級の仕事は後回しになり、ややもすると準備なしで授業することになってしまう
→生徒にとって面白くない授業になる
→生徒が授業に集中できず散漫になる
→生徒をコントロールできずクラスが崩壊する
→教師としての自信が揺らぐ
と、全てがそうなるとは限りません
しかし、経験の少ない若い仲間は
こと授業準備についてはそれまでの蓄積、ストックがないだけに準備のための時間を確保する必要があると思うのです
私は定年退職まであと数年
部活動を巡る環境を今の状況にした責任があると考えると、若い人たちにできる範囲の協力をすることは、ささやかな罪滅ぼしだと思っています
そもそも部活動がなければ、それに起因するトラブルの発生や業務がなくなるはずです。保護者の中には「そういいったトラブルを通して、子どもは成長するものだ。」などと主張する人もいます。それは「トラブルはすべて解決できる」という楽観論にたっているからです。
部活動がなくなれば、生徒はすぐ下校する⇒教員はおちついて、授業準備ができる。放課後のケガや生徒間トラブルが減少する。
部活動がなくなれば、「アルバムの部活動写真撮影業務がなくなる」「体育大会の部活動紹介がなくなる」「校内におかれている古い賞状やトロフィ類がなくなりすっきりする。」
「部員たちの『こんにちわ』の連呼がなくなり、校内が静かになる。」「雨天時の室内練習がなくなり、歩行しやすくなる。」「校内行事を計画するとき、部活動を配慮しなくて済み自由度がます」
どうしてこんなにも他人事でいられるのか理解できない。
こんなとこで誰もがわかってることを匿名でクドクド書き込む時間あるなら、
自分の職場でせめて自分の意見として自分の言葉で語ることはできないのか?
このブログには、多くの実例が掲載されている。
実際に行動している仲間がたくさんいる。
方法や手段はいくらでもある。
自分が我慢しなければ誰かに迷惑かけるのではない。
自分がコソコソ隠れて逃げて何もしないから多くの人に迷惑かけているのだ。
「つっとる」って千葉や神奈川の方言なんですねw
この掲示板にきて、初めて勉強になりました
こんなところで、方言を使う人間性には大いに疑問を感じますが・・・
方言を使った 英語教師 さんと、すかさず突っ込んだ フローラルカメムシ さんに感謝です。
それでは英語教師さん、本題です
==============================================
>部活動で何かトラブルが起きると→その対応に時間をとられる
部活動しなければすむ話です。
→本来の授業準備や学級の仕事は後回しになり、ややもすると準備なしで授業することになってしまう
本来とは?貴方がしたいかしたくないかで判断してはいけません。
教員にとって、目の前で起こること全てが本来業務です。
→生徒にとって面白くない授業になる
部活してもしなくても、つまらないことに、変わりありません。
まさか貴方は、子供たちが貴方の授業を面白がっているとでも思っているのですか?
顧問が「つっとって」いるほうが、生徒たちは何倍も面白いでしょう。
→生徒が授業に集中できず散漫になる
それは教員のスキルが足りないだけ。
そんな教員に無限に時間を与えても、何も変わりません。
→生徒をコントロールできずクラスが崩壊する
ほぉ、逆に言えば、貴方が副顧問である今、
生徒のコントロールが行き届き、クラス運営は完璧だということになる。
おかしいなぁ・・・
貴方は、子供たちに課題に取り組ませることすら出来ない見習い教員だから、ご自身の生徒に対して
>440 現実、評価・評定に何の関係もないテストに生徒が本気で取り組む訳がない
という発言をしていますね。
矛盾してますよ。
→教師としての自信が揺らぐ
それは、まず貴方が一人前の教員になってから判断しましょう。
==============================================
同感です!
ただ一点・・・
>若い教員はまずは授業に専念して
ですが、私は
授業をさせるべきではない
と考えています。
ベテラン教師の見習いとして、最低6年間は授業をさせず、担任を持たせず
修行させるべきだと考えます。
部活どうのこうの以前に、授業や教室運営、進路指導などの質が悪く、
そちらのほうが子供たちにとって被害甚大だと考えています。
部活に入る入らない、また、部活選びは、生徒や保護者の裁量をある程度挟みこむ余地がありますが、担任や授業担当は、生徒や保護者に選択の余地が無い。
だから、担任や授業担当に、その辺のダメ教員を充てられることが、生徒や保護者にとっての最大ののリスクなんです。
あなたには人間としての誇りはないのですか。
他人の文章をそのままコピーして、内容をいじくることでその主張を全否定するような、恥じるべき行為をする人間が教育について語る資格はない。
あなたが教員なのか、学生なのか、関係のないただの野次馬なのか、見当もつかないが、もし教員なら自分の主張は自分自身の言葉で語るべき。そして、教員の信用を落とすような軽はずみな行為は謹んでください。
もし学生なら、自分の頭で考えた文章が書けるよう、しっかり勉強しなさい。
504. 保身が一番さん
あなたの明治維新と現在を混同している妄想はどうでもいいが、ひとつ勘違いをしているようだから指摘しておきます。
>>部活がなくなる動きになって、安全が確保されたら一気に勝ち馬に乗るんだよ。
部活により、学校内の秩序が保たれ、安心して授業が行えているのが現状。
部活が崩壊してしまえば、教師自身の身の安全さえ確保できなくなる。
「荒れ」を経験していない若年世代にはイメージできないかもしれないが、「荒れ」を乗り越えた世代の教員は、二度と惨劇を繰り返させないよう、授業も部活も頑張っているのです。
反応ありがとうございます
おっしゃる通り、だと思います
全国一斉に、せーの!とはいかないまでも部活動をやめてしまえば、学校の教育活動、教育内容はもっとスッキリするだろうし、本来の授業や業務を豊かなものにできると感じています
そのためには自分がまず来年度の顧問を拒否することがはじめの一歩、なのでしょう
さらには残された定年退職までの間に、勤務時間内で完結する(部活動を含む)ような業務になるように、自分の身近なところから職場の仲間とともに「開拓」していくことなのかな、と考えています
などと言いつつ、今日も部活動ありです
トホホです
あなたのコメントには納得できない点が多々あります。
あなたは、定年間近ということは、30年以上勤務してきて、学校が大変だった時期を経験されているはず。
運よく荒れた学校に勤務していなくても、かつて一緒に努めた同僚や先輩から、苦しかった体験を伝え聞いているはず。
部活を充実させることで、あなたを含む多くの同僚が救われ、安定した生活が送れるようになったことを肌で感じているはず。
そのあなたが、
>>部活動をやめてしまえば、学校の教育活動、教育内容はもっとスッキリするだろうし、本来の授業や業務を豊かなものにできると感じています。
と感じることが不思議でならない。
更には、
『定年退職までの間に、勤務時間内で完結する(部活動を含む)ような業務になるように、自分の身近なところから職場の仲間とともに「開拓」していくこと』
のはじめの一歩が、
『自分がまず来年度の顧問を拒否すること』
なのか、まったく訳が分からない。
あなたは、このブログ内において、「部活を拡充してしまったことに罪悪感を感じている、定年間近のベテラン教師」を演じているようだが、いろいろと矛盾が発生しています。
正規教員一人に多額の税金が掛かります。(中年のベテラン教員なら、年間約1,000万円の税金が投入されています。)授業を持たなくても6年間は身分が保証され、それなりの給与がもらえるなら、天国です。(チィームチィーチングでは、T1教師の負担が大きく、T2教師の負担が少ないことが多いのですが、6年間ずっとT2でいることができれば、気楽です。)
そもそも、ベテランの教師でも完全ではありません。むしろ、長期間ベテラン教師の見習いをしていたら、よからぬ関係が構築され、ベテラン教師の「使い走り」的存在になるかもしれません。
はじめから完璧主義を教員に求めては、教員が育ちません。
515. 教員Qさんの「部活を充実させることで、あなたを含む多くの同僚が救われ、安定した生活が送れるようになったことを肌で感じているはず。」について、その因果関係がはっきりしません。
そもそも、部活動を時間外勤務までして学校を正常化させる義務が教員にあるのでしょうか。私も荒れた時代の学校を経験しました。仮に、時間外や土日に部活動をすることによって、荒れがなくなり、学校正常化ができることが証明できても、それを教員が実践する義務はありません。勤務時間外だからです。
話は変わりますが、台風21号の神戸市避難所では、市の職員が来ないために、教員が避難所運営の業務携わったそうです。本来は学校の教員の業務ではないんです。ここにも「教員のお人よしさ」が現れています。私が教員としてそこにいたら、「この仕事は私の仕事ではありません。上司の特段の指示がないのでうごきません。」と突っぱねますが。
6年間修行の件ですが、TTとはイメージが違います。
また、特定のベテラン教師の弟子になるものでもない・・・
私のイメージを例えれば、研修医などでしょう。
もちろん、年間1000万などという法外な税金を投入してはいけません。
見習いは見習いなりの給料でいいでしょう。
また、授業以外の業務 (くわしくは、500みみさんの記述を参考) に於いて、
見習い教員の業務の成果評価を行うことが肝要。
ベテラン教師と、新人見習い教員が、
同じ土俵で同じ業務を行うことの不合理の解決策として提示したものです。
繰り返し言いますが、
担任や授業担当は、生徒や保護者に選択の余地が無い。
だから、担任や授業担当に、その辺のダメ教員を充てられることが、生徒や保護者にとっての最大のリスクなんです。
あなたが言う
部活動を充実させて得た「安定した生活」というものを、私は経験していません
今だって、生徒には充実した部活動が行なわれていますが、私にとって「安定した生活」などいまだにありません
そもそもあなたの言う「安定した生活」とはどういうものですか?
仮に、生徒が部活動に打ち込むことで落ち着いた学校生活を送り学校が荒れずにすんだ、という意味なら、それはちょっと違う、というのが私の実感です
生徒が部活動に打ち込むことと、生徒指導が少なく済むことは、決して比例しないのが現実ではないかと思います
「究極の生徒指導は授業改善」
という言葉を聞いたことはありませんか?
勤務校で、ある指定研究を受け授業改善に取り組んだ時、生徒指導が減ったことを教職員の多くが実感しました
我々の最大の使命は、わかりやすい授業を工夫して、生徒に達成感や充実感を感じさせることでしょう
そのために、授業準備の時間を確保することが必要で、部活動は最大の障害になるため、顧問を拒否したいのです
あなたは30年以上も教員を続けてきて、未だに授業改善が必要なのですか。
経験年数が数年の教師には授業改善のため、授業準備に時間をかけることが必要でしょうが、30年以上も教員をしていて、わかりやすい授業ができないのですか。
もしそうなら、あなたの30数年間に渡る教員生活は何だったのですか。
どうもあなたの文章からは、30数年教員を続けている重みや年輪が感じられない。
私が矛盾を感じるのは、『勤務時間内で完結する(部活動を含む)ような業務になるように、自分の身近なところから職場の仲間とともに「開拓」していくこと』と言いながら、部活を拒否すると言うところです。あなたが部活を拒否すると、そのしわ寄せが職場の仲間に押し寄せることでしょう。あなたが拒否しても部活はなくなりません。仲間に迷惑をかけてまで拒否することが「開拓」なのですか。
部活指導をしながら、授業改善に取り組んでいる教員はたくさんいます。30数年も教員をしているあなたの役割は、自分が培ってきた授業の技術やコツを後進に伝授することでしょう。
仲間と共にと言いながら、重い荷物を同僚になすりつけ、自分の幸福のみ追求しようとすることが、あなたの言われる贖罪なのですか。
それとも、あなたのいう「仲間」とは、部活を拒否したい教員に限定され、部活を頑張っている教員は「敵」なのですか。30年かけてたどり着いた先がそこなら、あまりにも悲しすぎます。
教師は何年たっても授業を改善する必要があります
これでいい、というゴールなどありません
同じ単元を扱うにしても、学校や生徒が違えば使う教材も変える必要があります
あなたも教師なら、そうは思いませんか?
若い仲間には具体的なノウハウは伝えていますが、何年たっても自分の授業を研いでいく姿勢を見せることも大切なのです
私の授業が生徒にとってわかりやすいものなのかどうか、についてですが、年度末の授業で生徒にアンケートをとっています
「このまま楽しくわかりやすい授業を」と答えてくれる生徒も多くいてくれますが、進め方が速い、反対に遅い、練習問題をもっと多く取り入れてほしい、などのコメントもありました
200人近い生徒を教えていると、全ての生徒にOKをもらえる授業は不可能でしょう
でも、そこを目指すのが教師でしょう
そのためには授業改善なのです
あなたがどう感じられようと
私は30年以上教師をしています
ベテランだから授業改善は必要ない、と考えているあなたのコメントにこそ、私は違和感があります
先の投稿 512 で
最低6年間は授業をさせず、担任を持たせず
修行させるべきだと考えます。
と、記述しましたが、人によっては30年以上かかるようですw
504. 保身が一番さん に対する貴方の記述513 について
「安全」の意味を勘違いしていらっしゃる。
保身が一番さんの記述
>部活がなくなる動きになって、安全が確保されたら一気に勝ち馬に乗るんだよ。
は、部活拒否を表明・実行するにあたって、その行為が一般的に当然に受けいれられる環境になってから実行するという意味であり、教員の体裁上・勤務評価上での「安全」という表現。
しかし、保身が一番さんの記述に対して貴方は
>部活により、学校内の秩序が保たれ、安心して授業が行えているのが現状。
>部活が崩壊してしまえば、教師自身の身の安全さえ確保できなくなる
と、教員VS生徒 という対立軸で「安全」を語っていらっしゃいます。
話がかみ合っていません・・・
内容の是非はさておき、このアーティクルにおける重要なファクターであり、今のところ推移をROMっています。その中で非常に気になりましたので、口を挟みました。
教員Qさんに太刀打ちできませんよ。
貴方とは信念が違う。
そういえば
部活動を充実させて得た「安定した生活」がどういうものか、質問したのですが
あなたは知りませんが、本校のベテラン教師の授業は酷いもんです。最新の事情やノウハウを学んでおらず、何十年も前の時代遅れの授業を垂れ流し。
授業プリントもいつ作ったの?って感じ。アクティブラーニングのカケラもない一方通行授業。
それでも何とかなるからか、いっこうに新しい事を学ばない。
師範授業は模擬授業は逃げてばっかり。若手の方が授業もクラス経営も上手いのでは?
「安定した学校生活」と言ったほうが解りやすかったですね。
授業中、バイクが校庭を走り回らない。
窓ガラスが割れない。
トイレから煙が立ち上らない。
数え上げたらキリがありません。
授業中、騒いだら試合に出られなくなる。
部活があるから、つまらない授業でも我慢して座っている。
部活でエネルギーを発散することで、非行に走らないで済んでいる中学生がたくさんいる事実を、あなたは知らないのですか。
勘違いはしていませんよ。
「安全」についての解釈はあなたの言う通りです。でも、私の言葉も足りていませんね。
ただ、我々は「学校の安全」「生徒の安全」「自分自身の安全」を守るため、日々細心の注意を払い、時には体を張っています。
ひとつ言葉を間違うと、牙をむき出して向かってくる、自分と同じくらいの体格の多感な中学生と日々向き合うにおいて、「安全」は重要な概念です。
その大事な物を、わが身の保身という陳腐な意味合いで語られたことに対して、少々感情的になってしまったというあたりが私の本音でしょうか。
勘違いしていると誤解される発言になってしまったことは反省すべきですね。
部活により学校の安全が保たれていることは、揺るぎのない事実です。
ここで数々の教員やその他の方々を見てきましたが、
あなたの仰るところの
わが身の保身という陳腐な目的
で、部活顧問を受け持つ層が相当数居るため、堂々巡りになっています。
保身が一番さんの記述も、そういう教員の層を揶揄するためにかかれたものと推察しています。
実際に、わが身の保身という陳腐な目的 で顧問を受け持っている者は、決して本音を言わず
思い込みと矛盾に満ちた記述を繰り返します。なにせ、部活に不平不満を言いながら、実際に部活が無くなって困るのは彼ら自身ですからね。
同じ部活顧問でもかなりの温度差があることをご承知いただき、誰がどの層に向けてどの様な意図で記述しているかを、かなり複雑ですがご判断ください。
生徒のためという趣旨の発言をし,教員に奴隷のようになって働けと説き,それを
やらないヤツは教員失格だから,とっとと辞職しろと主張する。
教員を大切にしない校長などの管理職や,教育委員会が,生徒を大切にするわけがない。
那須雪崩死亡事故にしろ,いじめ問題にしろ,校長や教育委員会事務局幹部は,まっ先に
逃げ。末端のヒラ教員に責任をなすりつける。
見ての通りだ。
老害が寄ってたかって改革をしようとする若手を潰す。1対1では戦えない。あくまで集団で圧力をかける。まさにイジメの構図でしょう。
自分の保身や利権がそんなに大切か?
人間として恥ずべき行為ですよ。
相撲なんて二度と見ません。
パワハラの件については素知らぬ顔をしていますが、物的資料や専門家へ相談し、理論武装も既に出来ていますので、次何かあれば即訴え出る覚悟でいます。むしろ機会を待っているくらいです。
相手は定年までカウントダウンなのでしょうが、順風満帆には辞めさせませんよ。自分はいつ辞めてもいい覚悟なので、必ず引きずり降ろすつもりでいます!次回は許さない!
廊下をバイクで走りまわる生徒、ガラスを(故意に)割る生徒、トイレでタバコを吸う生徒
が存在したことはもちろん伝え聞いています
そのための生徒指導は苦労が多いことももちろん知っています
私自身は、悪態をついたり、授業離脱したりした生徒を担任したことはありますが、「安定した学校生活」を脅かすそのような生徒に今まで出会ったことがありません
非行につながりそうな芽を持つ生徒が、部活動をすることでその芽が本当に摘まれているのでしょうか?
部活動していても、非行に染まる生徒はいませんか?
部活動のキャプテンや、大会で優勝経験がある生徒もけっこうこちらの手を煩わせてくれましたよ
フローラルカメムシさんのおっしゃる通り、そこのところの因果関係ははっきりとはしていないと思います
「試合に出るためつまらない授業にも我慢している」
このことには2つの問題点があります
① 試合に出ることと授業に出ることを同じレベルのものとして生徒にとらえさせるのは、非常に危険な指導です
授業は出席すべきもの、仮に授業離脱したとしても、部活動や試合とはきっちり切り離した指導を粘り強くするべきでしょう
そこで部活動や試合をちらつかせるのは、本当の指導ではないと考えます
② つまらない授業なら、その授業者に授業改善、工夫を考えさせなければならないのに、その機会をみすみす奪っていることになります
授業離脱された時、自分の授業を見つめ直す機会になりました
あなたの30年以上にも及ぶ教員生活の集大成が
>440 現実、評価・評定に何の関係もないテストに生徒が本気で取り組む訳がない
なので、いい加減絵空事を語るのはやめたほうがよいです。
廊下をバイクで走るなど、素晴らしい身体能力ですねw
スポーツ界は相撲、レスリング、アメフト、水泳とパワハラ三昧。
脳味噌まで筋肉で出来てるのかな?
反省から何も学べない。
ダメだこりゃ。頭悪すぎる。
オリンピックどころではなく、世界の恥ですよ。
まず、人権の基本から学びましょう。
大して知識や技術もなく、やる気もないのなら、専門の教科の授業で子供達の目を輝かせて欲しいです!
そのために高い税金払ってますので。
部活ばかりで、毎日クタクタな子供の進路や未来は保障して下さるのでしょうか?
ご自身の成績の為に子供達の未来を犠牲にしていませんか?
ご不満でしょうが、なかなか難しいご希望だと思われます。
>塾に行かなくていいような質の高い授業
教員のスキル、授業システムの両面において、実現不可能です。
もし、質の高い授業が出来るのなら、今の環境に適応し、すでに質の高い授業をしているはずです。
そして、質の高い授業が出来ないのは、教員を授業力で査定するシステムが無いからです。
個々の努力課題ではなく、組織の欠陥です。
公立中学という無料託児所に、あまり過度な期待はされないほうがいいでしょう。
通っている生徒・保護者の目的も様々です。
皆がみな、学力を重視しているわけではなく、ただ近隣住民が校区に従って慣習で通学しているだけですから、致し方ないことです。
>毎日クタクタな子供
すぐに退部届を請求し、提出してください。
もともと入部届けを提出したのは保護者です。
お子さんがクタクタになるかどうかは、保護者次第です。
教員のせいではありません。
学力を上げる授業ということなんだろう。
とするならば,その「質の高い授業」を実現するには,どうしたらよいのか。
そんなの簡単なことだ。
質の高い生徒を集めれば,必然的に質の高い授業となる。
>497
> しかし、「「断る」という選択をためらわずでき
>るような環境が整う日が来るまで、少しでも辛い思
>いをする顧問が減るよう、私は顧問を続けようと思
>います。 」の気持ちでいたら、そのうちあなたも
>退職を迎えます。「いまは、断るタイミングではな
>い。そのうち・・」と耐え続けることが、現状維持
>になります。為政者はそこを狙っています。
ごもっともです。
この調子でのんびり構えていたら、私は退職でしょう。
でも、まあ、それは私個人のこととして考えたら、嫌と言えば嫌ですが、長年にわたって培われてきた教育界全体の問題として考えれば、多少時間がかかっても仕方がないのかな・・・と思っています。
長い時間がかかってできあがった今を、一朝一夕に変えるのは難しいと考えます。だからこそ、過渡期だと思ってがんばろうかなと自分を奮い立たせます(苦笑)。
行政も少しずつ超重たい腰を上げつつありますしね。
一昔前だったら、部活動に疑問を抱くことすらなかったのでしょうけど、近年の働き方の見直しか、世の成熟のせいか、教師自身がおかしいと思い、それを発信する(インターネットの力でしょうね)時代が来ました。
多少時間はかかるのでしょうけど、よい方向に向かっている実感はあります。
まさにそのとおりだと思う。
教員の世界では何もしないことが最もおトクである。
授業は過去の惰性で一方通行。
部活顧問なんていたしません。
顧問しなくても懲戒も減給もございません。
生徒や保護者はもちろん教員間の関係も最低限かつ表層的に。
チャレンジやリスクは取らず、目立たぬように黙っている。
それでも報酬は上がるのだ。
法で身分保証された専門職。
採用されるかは狭き門だがその資格は大学出れば誰でも取れる不思議な専門職。
だからこそ狭き門なのかもしれない。
校長は,単なるお願いにしか過ぎない「委嘱」という言葉で逃げ,部活動顧問に対して
職務命令を出していない。
つまり,仕事ではない部活動のやらなくても,懲戒処分がないのは当然だ。
職務命令を出すと,何か事故が起こった場合,校長や教育委員会事務局の責任が生じる。
那須雪崩死亡事故を見ろ。
校長や教育委員会事務局幹部は,末端の教員に責任をなすりつけ,まっ先に逃げてしまった
ではないか。
あくまでも,校長は,教員が好きで勝手にやったことにしたいから,「委嘱」という
お願いしかしない。職務命令を出さないんだよ。
そんなのは教育界には馴染まないって、教育学のみならず経済学や社会学などの専門家が否定してきました。
民間企業ですら、今時そんな旧態依然の組織マネジメントやっているところないんじゃないですか。よほどのブラック企業ですよ。
というより、民間の方がこの手の経営にかかわる分野って、たいがい進んでますからね。管理・市場原理主義の徹底を導入して行き詰まり、これではダメだと各人の特性とパフォーマンスを引き出せる組織作りにシフトチェンジしているのが先進的な民間企業です。
これまで信じてきたことを変えるって勇気が必要です。過去の自分を否定することでもありますから。
だけど、一つに固執せず、新しい考え方を受け入れたり、柔軟に考えられたりするようになることが改善や前進につながるのではないでしょうか。
何してる?部活改革はまだ道半ば!
自分が外れたらそれでお終い?
コメントも多過ぎて見づらい。
かなり昔ですが今でも当てはまりませんか?
特に先生をやめるべきというところ
https://www.youtube.com/watch?v=Z3gzWr1Nb40
中体連は相撲協会と同じで腐り果ててるから。利権と金にまみれてる。
関わらないのが一番です。黙って最低限の事をしといたらいい。
10年後には部活なんてなくなってるんだから。
よい人材から埋まっていきますから。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181004-03108220-tokushimav-l36
税金で食わして貰ってる公務員の公僕教師にはプライベートもワークライフバランスもなく働けってこっちゃ。
つべこべ言わず、奉仕しろってね!
かわいいかわいい生徒様のためやぞ!
損害賠償や慰謝料の請求をしたいです。
部活やって良かったとは微塵も思いません。むしろ、顧問に対する恨みで一杯です。
教育に不可欠ならどの国にもないとおかしいですよね?
日本だけ異常なんですかね?
海外では教師の仕事は授業だけですよね?
おそらく、たった一言のサマリーで足りるのでしょう。
「日本以外には、学校部活動に該当する状況はない。比較以前の問題である」
https://synodos.jp/education/12417
統計に基づき、日本の異様さを示してくれている記事です。
https://edutmrrw.jp/2017/innovation/0904_working_innovation
イギリスの「教員がしなくてもよい業務リスト」が印象的です。こんなものをわざわざ作らねばならない。学校業務、教員業務は、洋の東西を問わず本質的に自己増殖しがちということになるかもれませんね。とすれば、日本の異様さは、その自己増殖に対してリミッターが働かないという側面に存すと言えそうです。
この「教員がしなくてもよい業務リスト」で笑ってしまうのは、「部活動」の文字が見えないことです。そんなものの存在は、はなから想定されていないのですね。
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欧米など海外では、総じて、教員の業務が限定されているはずです。とすると、いわゆる「聖職」の感覚とはやはり対極になるのですよね? 社会的地位は日本より低いということ? いうのが私は気になっています。
日本でも最早、教員の社会的立場は高いとは言えませんけどね。
モンスターペアレントもいるし、ブラックな職場です。優秀な若者は教員にはなりたがりませんね。
部活で他の部員の前で罵倒される、叱られるというのは指導ではなくパワハラでしかない。
年配教師から若手教師への指導も同じです。
上に立つ者は普段からよくコミニュケーションを取り、信頼や尊敬に基づくラポート(関係)を築いた上で、時と場所を選びながら話をしなくてはいけません。
一時の感情に流されて理性を失い、顔を真っ赤いツバを飛ばしながら叫んでいるのは、冷静に側から見たら、侮蔑の対象でしかありません。
あ、余裕がないんだなと。軽いユーモアやジョークを交えながら説教や指導をする余裕が欲しいものです。
怒って恐怖や暴力・体罰で支配してもその場かぎりで、必ず後で報復が来ますよ。
生徒であれば、卒業後に仕返しされるかも知れませんし、若手教師が力を付けて来た時にやられますよ。
いずれにせよ、長生きし、力を持っていくのは若者ですから。
これからパワハラには社会は厳しい目を注いでいきます。今までとは感覚が違う時代の流れです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181014-00549976-shincho-soci
全国で現職教員の引き抜き合戦だそうです。
なり手がいないらしい。
最大の理由は部活でしょうね。
文科省、政治家、教育委員会、管理職は現在の課題を整理して解決して下さい。
自分のアピールばかりではなく。
仕事はどんどん増えて、高度化しいてくばかりです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181014-00000016-pseven-soci
部活での人間関係さえなければ死なずに済んだのに。
部活は生徒にとってもある意味ブラックです。
部活大好き教師(BDK)はそこも含めて、全責任を負って下さいね。
「部活は教育効果がある! そして、みんなでやれば回る!」
「教員は、長時間労働を乗り越えてナンボ! 生徒のため!」
・・・というのは、それを乗り越えて「生存」できた人だけが言っていることである。その背後には、「回らなかった」「乗り越えられなかった」そして「嫌々我慢してきた」人々の膨大な犠牲があるはずなのだが、その人たちの声は記録されない・届かないので、そういう負の側面はまるで存在していないかのように無視される。
こうして私たちのもとには、(本来は全体の一部に過ぎないはずの)「生存者」の意見が、あたかも一般論のようにして、拡大されて届く。それに基づいて、現場の方針が策定されてゆく。
そして厄介なことに、管理職が、そういった「生存」者であるケースが多い。
ご本人がそういうふうに生き抜いてきたのはまあ認めるとしても、それが万人に通用するかのように、学校の基本方針として掲げられると、結果として大いなる歪みが起こる。
(そういった「生存」者も、強さと熱意と工夫によりハードルを乗り越えてきたというより、意識的にあるいは無意識的に色々なことを周囲に押しつけることにより辻褄を合わせてきた、というケースも多いでしょう。そういう「生存」者が管理職になると、これはまさに、悲劇ですね)
学校の部活動は回らなくなると思います。
それについて意見を聞かせて貰えますか。
その可能性は大いにあります。それを教員が自分たちの努力で何とかしようとすれば、現状は変わりません。開き直ればいいのです。
そもそも、部活動が回らなくなって、どうするかは、教員の仕事ではありません。教育委員会や文科省の仕事です。教員は、自分の仕事の範疇に責任を持てばいいのです。つまり、勤務時間内にできる学習指導要領に書かれた教育活動をすればいいのです。
教員が生徒のことを心配するのは自然です。そして、そのためにどうにかしようと本能的考えます。しかし、多くの場合、お金がかかります。人手や物品が必要です。そのお金を握っているのは教育委員会です。お金をかけずに、生徒の期待に応えようとするから、今のブラック状態があるのです。
あるのならば、教員の業務の一環ということで法的な枠組みも設けられるものであろうし、その逆に必要のないものならばやる必要なし。
あった方がいいとか悪いとかではなくて、教育の現場なのだから教育目的のない活動は教員も生徒も縛られるものではない。
その代わりにやる人がいるから前進しないのです。その代わりの人、つまり「スト破り」的存在により、為政者は問題を先送りすることができるのです。その「スト破り」的存在は、管理職から感謝され、「部員のためにがんばるぞ」を自身を奮い立たせ、「教師冥利」という悦状態に入るのです。
そもそも、部活動は開設時に「〇〇年度部活動」として、部員を募集するところが一般的です。したがって、「顧問がいなければ、開設しない」が原則なのです。どの部の次年度も開設される確証はありません。その原則に従えばいいのです。生徒や保護者の不満を回避することを原則を守ることより上位にすることを、管理職は選びがちです。
部活を仕切るのは、体育科の教員や自身の専門部活に就くことを前提とした教員が中心だと思います。自分のしたいこと、専門だからストレスははるかに少ないと思います。だからこそ生存してやってこられた。
でも、自身の専門外の部活指導を求められたとしたら同じ考えでいられるでしょうか?仮にサッカー専門が吹奏楽部を、バスケ専門が家庭科部を、野球専門が剣道を、同じ熱意でできるんでしょうか?
同じことを立場の弱い講師や、文化系出身や、マイナー種目出身の教員は「やらされて」います。そのことを管理職含め部活を仕切る教員にも考慮してほしいです。
でも私は断れませんでした。
部活後、保育園に3歳の息子を迎えに行くと、息子が最後の一人でした。
毎日定時に迎えにいきたい。
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介護など、本当に部活が大変な教師もいますが、たいてい、部活なんてしなくて良いと言っている人ほど、暇している教師多いですよ。そして、保護者の前でだけ、顧問面。いい顔してるけど、普段の練習はほったらかし。子どもが活動中、職員室で自分の仕事してるだけ。なのに、部活手当てをもらう教師。私が学生のときもこういう教師いました。嫌いでした。一緒にしてないくせにと子どもは思いますよね。子どもは見ています。
外部指導者の方はご自分のべつの仕事をした後で部活指導にこられています。きちんと、その指導者とともに、部活に毎日子どもを見ている顧問はいいのですが、外部指導者に任せきり、職員室にいたり、帰っていたりする教師。なんなんですかね。教師って税金でお給料をもらっているのに、わがままでは、と思います。外部指導者の指導手当て知っていますか?かなり失礼なほど安いですよ。それでも快く子どもたちのために、仕事後に部活にこられているのです。なのに、教師はボランティアだ、手当てが安いからどうのこうのと、理由をつけて部活指導を否定する教師いますよね。本当、教師やめてほしい。
免許更新制度の中に、部活指導しない人もやめさせるようにしてほしいですね。それか、部活指導する方、職員室にいるだけのはのぞく、は給料自体を高くしてはどうでしょうか。そもそも、部活指導のある職業を選び、みずから採用試験を受け、子どものために頑張りますとか言っていたはずの教師ではないのでしょうか。同じ教員として、どんなに大変でも、忙しくても部活には毎日行っています。部活指導で、子どもたちとともに沢山のことを学び、喜びも感じ、お互いに信頼でき、最高の時間でした。部活指導で子どもたちが部活をしていない子よりも、大きく成長し、外部から、保護者から、周りの子どもたちから褒められていました。部活のために授業を頑張る、それでもいいと思いますよ。最終的には、頑張るように成長しますし、子どもたちも充実して、部活のおかげで成長したと話しますし。
はっきりいって、やりたくないなら、その仕事、教員という職業をやめればよいのです。もっとやる気のある人を採用するべきです。臨時でも部活まで頑張っている先生沢山いらっしゃいますもんね。素晴らしい、素敵な教師になるだろうなぁ。
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公立中学校 部活動の顧問制度は絶対に違法だ!! <Loved it!%anchor_test%
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クラブ化を推進した中核の先生が、教育委員会に異動となり、さらに進めていくらしいですよ。